三人目の「監視者」
「中立である」ということを、これほど悔いたことはない。
過去の記憶を持ち合わせてはいても、決して干渉は出来ないのだから。
調子はどうだ? と、神聖騎士の気遣う声が響く。
その問いにはどう答えるべきかと青年は僅かに悩み、静かな声でありのままを答えた。
このまま何事もなければ、問題はありません、と。
その答えに神聖騎士は少しの間を置き、再び青年に問い掛ける。
では、その何事かが起きた場合は?
……一度であれば、耐えられるでしょう。
ですが、その先のことまではお答えしかねます。
ならばその一度が訪れぬよう、最善を尽くそう。
監視者に出来るのはそれだけなのだから。
……ならば一つだけお願いしたいことが。
可能な限り、あの子に を近付けないで下さい。
はあの子に害を成す。
私はあの子を護りたいのです。
それが幼い少女を養うと決めた青年の、たった一つの願いだった。
……だがその願いは叶うことなく、「英雄」はその手に剣を取る。
*****
「レザード、あまりセラに知識を詰め過ぎないようにして頂けると有り難いのですが……」
神聖騎士長との話を終えて戻ってきたノエルが見たものは、机の上に頭を乗せて、何故か唸りながらも何事かをぶつぶつと呟いているセラフィーナの姿だった。
騎士がどうのだの魔素がどうだだのと呟き続けるセラフィーナに苦い笑みを浮かべ、そっと頭を撫でるとセラフィーナはちらりとノエルを見てから気持ち良さそうに目を細めた。その様子に、ノエルはもう一度だけ苦笑を見せた。
「私は乞われたから答えただけだ。セラとてそれが判っているから、君に泣き付いたりはしていないのだろう?」
「それはそうですが……」
「ならばノエル、君が口を出すべきではないよ。……師と呼ばれたことが懐かしくて、つい話し込んでしまったことは認めるがね」
ひどく懐かしく、そして後悔の入り交じったようなレザードの声を不思議に思い、セラフィーナは顔を上げた。
「レザード様、昔は先生だったの?」
「君の言う昔が何時のことを指すのかは疑問に思う部分だが、確かに、何人かには魔術の基礎を教えたことがあるな。身近なところでは神聖騎士長やノエルもその一人だ」
レザードとは古い友人だというノエルは兎も角、どう見てもレザードよりも年上に見える神聖騎士長までもがそうだと言われて思わずノエルを見ると、少しだけ困ったような顔で小さく頷いたのがわかった。
レザードは本当に一体何歳なのだろうか。
「じゃあ今は?」
「君だけだよ、セラフィーナ。私はもう、セラ以外には教える気がないんだ」
そう言われて、セラフィーナはちょっとだけ嬉しく思った。
レザードの言うことが本当ならば彼女が最後の弟子だということになるのだが、まだその事にまでは思い至ってもいないからだろう。
「それでしたら尚更です。一朝一夕とはいかないことは、貴方だってご存知でしょう? 暴発などを起こしてセラに怪我をさせたくはないのです」
「何事も経験だと思うのだが……。ただ、ノエルのいうことにも一理ある。その上でだが、ノエルはもう少しセラフィーナを信じてやるべきだろう」
「信じていますよ。……だからこそ余計に心配なのです」
普段は温厚な方であるノエルが一瞬だけ鋭い視線をレザードに向けたことには驚いたが、同時にノエルが案じている理由に気付いて、セラフィーナは「大丈夫」とノエルの右手を引いた。
「大丈夫だよ、ノエル。神聖騎士長様から頂いたブレスレットがあるし、レザード様も助けてくれる。それに、ノエルが護ってくれるでしょう?」
実際に、セラフィーナは過去に一度、その魔力を暴走させたことがある。
どうしてそうなったのかまでは憶えていないのだが、とても怖くて泣き叫んだ記憶だけはしっかりと残っていたのだ。
自分ではどうにも出来ず、ただ泣くことしか出来なかったセラフィーナの暴走を止めたのがノエルとレザード、そして神聖騎士長であるギーゼルベルトと、元は文官で、現在は何故か魔法剣士として各地を回っている為に滅多に会う機会のないヴィクトルという青年だった。
他にも神官やら巫女やら聖騎士やらとかがいたのだが、特にその四人の活躍が大きかったことは確かで、混乱と恐怖の中で四人が描いた魔方陣を見た時の安心感は半端なかった。
その数日後、セラフィーナが大分落ち着いた頃にギーゼルベルトが贈ってくれたのが銀色をした魔力制御の腕輪で、それは今もセラフィーナの左腕を飾っている。
男性用にしては細く、女性用にしては控え目な意匠のそれはセラフィーナのお気に入りでもあった。
特に填め込まれている四つの内の一つ、養い親の瞳と同じ碧のような色をした石が一番のお気に入りなのだが、それはセラフィーナだけの秘密である。
「だから大丈夫。もう暴走なんてしない」
当然ながら、絶対にとは言い切れない。
また、セラフィーナもそれはよく判っている。
それでもそう言い切れるのは、暴走の恐怖よりも彼等への信頼感の方が勝っているからに他ならないと如実に語るセラフィーナの瞳にノエルは小さく息を吐いて、肩の力を抜いた。
──そんな二人の様子を、魔術師が冷静に観察しているとは思わずに。
(……厄介だな)
背景だけを考慮すれば、ノエルの不安やセラフィーナの依存も理解は出来る。
ノエルはセラフィーナと出逢う前に、とても大切にしていたものを失った。
それ自体は彼に非があるわけではない。そうなるように仕組まれたものだったのだから。
一方のセラフィーナもまた同じで、彼女が一番庇護されるべきであった時期に家族を失っている。
それが故意であったのか、或いは偶然であったのかは定かではない。
それでも、まだ言葉も上手く喋れなかったセラフィーナをノエルが見付けたという事実が問題なのだ。
だからこそ見極めなければならないと、神聖騎士長・ギーゼルベルトがレザードに告げたことがあった。
それが運命と呼ぶものならば仕方がない。
断たれた上での出逢いなのだ。
成るべくして成った。それだけのことだろう。
だが、どちらか、或いは両方が「魔女」に干渉されているとしたら?
……そうであった場合、私は──。
「あっ、神聖騎士長様!」
不意に元気な声が、レザードの思考を遮った。
ガタンッ! と音を立てて立ち上がったセラフィーナは、そのままの勢いで目的の人物に駆け寄っていくと、その勢いに目を見開いたギーゼルベルトが思わずと言った形で両手を開いてセラフィーナを受け止めていた。その瞬間に「ぐっ……」という呻きを聞いたような気がするが、それはきっと気のせいである(と、ノエルとレザードは自分達に言い聞かせた)はずだ。
「神聖騎士長様、お久し振りです!」
「あ、ああ、久し振りだね、セラフィーナ。壮健で何よりだが、せめてもう少し、こう、……まぁいい」
ついには小言を諦めたらしいギーゼルベルトは、セラフィーナの淡い金の髪をそっと撫でていた。
端からみれば孫を可愛がる祖父のようでもあるのだが、きっと本人達(特にギーゼルベルト)は気付いていない。
「予定よりも長い時間ノエルを借りてしまったのだが、良かったかね?」
「でも、とても大切なお話だったのでしょう?」
「ああ、とてもね。明日は休暇を取っていると聞いたからね。今日中に済ませてしまいたかったのだよ。セラフィーナの誕生日なのだろう?」
勿論それは、本当のではない。
そもそも肝心のセラフィーナが誕生日を憶えているはずがない。
わからないなら決めてしまえばいい。
ノエルと出逢った日で良いじゃないか。
そう言って、当時はまだ文官だったヴィクトルが決めた日から明日で十二年。
──誰もが願った平穏は、その日に終わりを告げた。
私が「監視者」でなければ、彼等を救えたのだろうか?