二人目の「魔術師」
迂闊だった。
本当に迂闊だった。
笑いたくなるほどに。
嗤ってしまうほどに。
忘れるつもりはなかったのに。
忘れているつもりもなかったのに。
何故こうなってしまったのか?
その原因は既に判っている。
だから魔術師は死力を尽くすと「君」に誓おう。
私はあの「魔女」を──絶対に許さない。
幾度となく繰り返される人と魔の最後の大衝突から五年後、その辺りでは珍しくとても寒い日の夜に、まだ幼かった少女は拾われたらしい。
少女を拾ったのは神聖騎士と呼ばれた青年であり、曰く、任務で訪れた森の中で、一人で泣いていたのだという。
近くには「何か」に襲われた形跡がある馬車が残されていたことから、おそらく家族、或いは同乗者達はもう此の世にはいないだろうと神聖騎士は教えてくれたが、それ以外のことは決して語ろうとはしなかった。
そんな青年が一度だけ、少女に告げたことがある。
あの日、希望に出逢えたのだ、と。
まるで懐かしむかのように目を細めて笑みを浮かべた青年は、次いでこうも呟いた。
ですが、私には過分な幸福でした──と。
その呟きの意味を、少女は知る日は来ないのだろうと思っていた。
……あの剣を手に取るまでは。
*****
幼い頃に家族を亡くし、その後は自分を助けてくれたという神聖騎士──名は「ノエル」といった──に育てられた少女・セラフィーナの今の気分を一言で表すのであれば、それは「疲れた」というもの以外には考えられなかった。
ただそれは言葉通りの肉体的な方の疲れではない。精神的な方の、である。
その原因は目の前にあり、かれこれ小一時間ほど話続けている魔術師にあった。
この魔術師は養い親であるノエルの古くからの友人だという話なのだが、友人と呼ぶには些か……いや、かなり? 年が上過ぎるようにも見えるのだが、何せ相手は当代一だと言われているぐらいなのだ。きっと年齢についても何かしらの魔術が使われているのだろう。
尤も、前に一度何歳なのかと訊ねたら千年は生きているとさらりと返されて、「あ、ダメだこれ」と頭を抱えたこともあったのだから、本当に年齢不詳であることには違いないのだが。
ただこの魔術師の話の中には有益なものも多くあるので、その部分を詳しく! と乞へば嫌な顔もせず、セラフィーナが理解出来るまで付き合ってくれるので、根は優しい人なのだろうなと思っている。……一応は。
「ノエル、いつ帰ってくるんだろう……」
決して魔術師の話が長過ぎて飽きたからではない。
一体何時までかかるのか判断の付かない話が退屈だったからでもない(と、自分に言い聞かせてはみたが否定も出来ない)のだが、実際にノエルが戻ると言った時間からは大分過ぎているような気がするのだ。
「ねえ、レザード様? 今回の神聖騎士長様のお話は厄介なもの?」
未だに饒舌に語り続ける魔術師──レザードには悪い(とは本気で思っていない。だって本格的に飽きてきたから)と思いながらも話を遮るように聞くと、レザードは「そうだな……」と、考える素振りを見せた。その様子からして、話を遮られたことに気を悪くしたわけではないようだ。
ただこれはレザードだからの反応だろう。多分他の、例えるならば神経質な魔術師であれば、自身の知識や成果を話している最中に遮られて気分を害する者もいるだろうし、実際にそういう人がノエルの周りに何人か居ることもセラフィーナは知っていた。
魔術師とは本当に面倒な生き物だ。と、いうのがセラフィーナの素直な感想であり、総評でもある。
そういう点ではやはりレザードの方が付き合いやすいし、薄っすらとではあるがセラフィーナの方を優先してくれているような部分も垣間見えるので安心出来る。
「厄介と言えば、そうなのかもしれん」
その答えに、一瞬だけセラフィーナの顔が曇ったことをレザードは見逃さなかった。
それでもレザードは気付かなかった振りをして、セラフィーナの次の言葉を静かに待つ。
「……それは、ノエルにとって危険なもの?」
少しの間を置いてからそう問い掛けてくるセラフィーナに、レザードは小さく息を吐いてから口を開いた。
「セラ、君が知っているノエルは弱い男なのか?」
「うーん……、どうだろう?」
「どう、とは?」
「だって、レザード様? ノエルが警戒や警告的な意味で剣や魔術を使うとこは何度か見てるけど、本格的な戦い方は見たことがないんですよ?」
「取り合えずセラの中での強さの基準が一般的なものとは大きく離れていることだけは良く判った。その基準は忘れなさい。ノエルと比べられた他の神聖騎士達が気の毒になるからね?」
えっへんっ! と胸を張るセラフィーナに思わず真顔で即答で返してしまったレザードだが、次にきょとんとしているセラフィーナには苦笑を浮かべるしかなかった。
(本当に判っていないのか、それとも別の要因からなのか)
仮に後者が正解なのだとしても、育ての親が規格外の時点でお察しでもあるのだが。
「もしかしてノエルって、とてつもなく強いの?」
「……まずは神聖騎士について学び直そうな?」
「はいっ、先生! 勉強は苦手です!」
「元気があって大変宜しい。しかし却下です。そもそも神聖騎士とは──」
神聖騎士とは、「神や神殿等に使える者」だからなるというものではない。
そもそもこの世界には讃えこそはすれども、「神に使える」という概念がないのだ。
──否。正確には、遥か昔にはあったと言ってもいい。
その名残が神殿であり、神官であり、巫女なのだし、教会とてその派生の一つでもあるのだから。
では何故そのようなことになったのか。
その原因は千年ほど前の、現在の記録に残されている最古の大衝突にあった。
「あの戦いは、ある意味では必然だったのかもしれない」
「必然?」
「起こるべきして起こった。……そうなるべき地盤が整っていたのですよ、セラフィーナ」
何せあの戦いは、本来ならば人間同士の争い事で終わるはずだったのだから。
しかしその真実を、まだ今のセラフィーナが知る必要はない。
だからレザードは敢えてその部分を伏せて話を続ける。
……それが多少の時間稼ぎにしか過ぎないと知りつつも。
(何れ彼女は真実に辿り着く)
それがどんなに過酷なものであったとしても、歴代の「英雄」達がそうであったように。
「そろそろノエルが戻る頃でしょう。ですから当時に何があり、どの様にしてそれに至ったのかという過程は省きます。結果としては人と魔の対立は熾烈を極め、双方共に甚大な被害が発生し、このままではどちらかが滅びかねないという状態になった時に最初の英雄が生まれたのです」
果たしてその「英雄」は、一体どちら側の者であったのか。
(……そのどちらでもなかったのだろう)
あれはそういう存在になるはずだったのだから。
「その英雄を護る為に選ばれた少数の者達。それが神聖騎士と呼ばれる者達の始まりとなります」
時には剣となり、時には盾となり、傷付き、疲れ果てた体を癒す護りとなり、叡知を持って導く者達。
──それは、永劫に続くはずの関係でもあった。
(同時に、唯一人に全てを背負わせてしまった私達の罪でもある)
「……つまりノエルは神聖騎士になる為に強くなったのではなく、選ばれる程に強くなったから神聖騎士になったってこと?」
「その考えで合ってはいるが、ノエルの場合は少し違う事情もある」
「事情って?」
「流石にそれは私が語るべきではないよ。……それでも一つだけ言えるのは、ノエルが神聖騎士になったのは先の英雄が亡くなった後で、セラフィーナ、君に出逢う三年前だということだけだ」
その意味に、何時か少女は気付くだろうか──?
私は二度と、後悔したくはないのです。