一人目の「英雄」
──その繋がりは、永劫に続くはずだった。
何時からそうだったのか──或いは、最初からそうだったのか。
気が付いた時には一つの監視と三つの繋がり、そして一つの守護と一つの感情をその身に受けていた。
人と魔が対立する世界において、何時からか「英雄」と称えられるようになっていた彼には、自身が持つ聖剣とも、或いは魔剣とも呼ばれる剣と、彼以外には扱えぬ一つの能力以外に個であり続ける術がなく、例えそれが何者かによって与えられたものなのだとしても、安易に手離してはならないものだと理解はしていた。
ただ、その理解に精神までもが追い付くとは限らない。
──結果として、「英雄」の疲弊は誰にも気付かれず、気付いた時には全てが終わり、そして何もかもが遅すぎた。
ごめんなさい──と、誰かが言った。
そんなつもりではなかったのだ。
こんな結末になるなんて……。
されど、それらの嘆きは彼に届くことはなく。
誰からも理解されず、誰からも称えられた「英雄」は、命じられた先へと向かったまま二度戻ることはなく、代わりに戻ったのは彼が片時も離すことの無かった剣だけだった。
「英雄」と呼ばれた彼以外に扱うことの出来ぬ剣は新たな使い手を選ぶことを拒み、彼との縁が深い教会にて束の間の眠りについた。
……同時に、三つの繋がりの内の一つを解いて。
*****
とある青年が「失われた」と気付いたのは、「英雄」の剣だけが戻ってきてから少しの時が過ぎた頃だった。
彼と青年は所謂幼馴染みというやつで、おそらくは、生まれた頃から近くにいたのだと思う。
何をするのも同じでいて、将来の夢までもが似通っていて。
容姿こそは似ていないが、何処かしらは似通う部分があったはずの彼等の道が別れたのは、青年と同時期に聖騎士に選ばれた彼が剣に選ばれてからだった。
方や、魔を退ける英雄と呼ばれ。
方や、民を護る盾と呼ばれ。
立場は違えど、初めこそは共に称えられた彼等だったが、次第にその差は歴然となり、彼を誇りに思う一方で、何時からか青年は「英雄」となった彼に僅かばかりの畏怖を抱くようになっていた。
「あれは、本当に人間なのか……?」
そう、彼について囁かれた言葉を誰が言い出したのかは憶えていない。
初めの内はそれを否定することが出来た。
彼は間違いなく人間で、自身が誇れる幼馴染みなのだと。
彼がどれだけ優れていようとも、自分達と何も変わらないのだと。
だが、否定すればするほどそれを上回る噂が広がり、辟易していた青年は何時しか否定し続けることをやめてしまった。
そんな青年の様子に彼は気付いていたのだろう。
次第に青年と彼の距離は開き、また青年もそれに気付きながらも歩み寄ろうとは思わなくなっていた。
──それが、間違いであったとは気付かずに。
それから幾年かの時が流れ、その凶報は突然のように人々に齎された。
「アルディアス様が、お亡くなりに……!」
誰もその最期を見てはいない。
誰もその言葉を直接聞いてもいない。
それでも、それが事実だということは誰から見ても明らかだった。
危険。
早急に対処を。
「英雄」だからだったのか、それとも彼だったから扱えたのかは判らぬが、遠く離れた地からでも感知出来るほどの大魔法の痕跡と、同時に多くの者に聴こえた「声」と。
……先に逝く。
極めて一部の、本当に限られた者にのみ聴こえた「声」が間違いではないのだと明確過ぎるほどに告げていたのだ。
「英雄」を失ったことを知り嘆く者がいれば、それを旗印に立ち上がる者もいる中で、青年を含む限られた者達に与えられたのは、何時の間にか大聖堂に戻っていたとされたかの剣を、彼と縁が深い教会へと安置するという任務だった。
その案内人として同郷である青年が選ばれたのは必然であるとは思うのだが、それにしても……と、集められた面々を見て首を傾げる。
一人は神殿に使える巫女であり、不安そうに周りを見渡していた。
一人は王宮に勤める文官であり、確か「英雄」との個人的な付き合いも長かったと記憶している。
一人は名高い魔術師であり、「英雄」が師事を受けていた人物でもあったはずだ。
そして最後に姿を見せたのは一人の男で、「英雄」に次いで名高い人物であり、癒しと祈りを極め、「英雄」と同じだけの実力を持っているのではと囁かれていた聖騎士よりも高位にある神聖騎士であった。
神聖騎士は一堂を見据えると、静かな張りのある声で、
「この人選は、当然の選択である」
と、告げた。
「今この場に居る者は皆、他には聴こえぬアルディアスの、本当の最期の声を聴いた者達であるはずだ」
その言葉に、この場に居る誰もが息を飲む。
皆がそれぞれ、似たような動揺と戸惑いを見せていたことから、それもまた事実であると如実に語っていた。
しかし、他の誰にも言っていないそのことを、何故神聖騎士が知っているのか?
瞬時に巡ったその疑念は、次に語られた言葉で直ぐに解けた。
曰く、彼が遺した剣が語ったのだ──と。
「あの剣は特別なものでな。自らが望んだ者であれば語りかけることが出来る。遥か昔の魔術師達による大魔法の結晶であり、強大な魔法具の一つでもあるのだ」
その剣が「英雄」の最期を教えてくれた。
彼が何故一人でかの地に向かったのかを。
彼がどの様な最期を迎えたのかを。
彼とて、命を落とすつもりではなかったのだと。
「共に戦う剣があれば、その背を護る盾があれば、傷付き、疲弊した体を癒す力があれば、アルディアスは生きてこの場に居たであろう」
しかし、化物と蔑み、必要がないと判断し、本来ならば一人で行くべきではない場所へ一人で向かわせたのは誰だったか。
「アルディアスとて、好きで英雄になどなったのではない」
だが、あの剣を扱えるのは後にも先にも「彼」一人。
未来永劫「あの魂」でなければ扱えない。
それが聖剣とも、或いは魔剣とも呼ばれる理由でもある。
例えあの魂がそれを忘れているとしても、お前達は知っていたはずなのに──!
突如、パキンッ──と、硝子が砕ける音がした。
同時に巡る見た記憶のない景色。
同時に思い出す会った記憶のない者達。
同時に甦る学んだ記憶のない知識。
そして同時に──。
あなたが永劫の剣となるのであれば、私が永劫の盾となりましょう。
繋がりは断たれることはなく、如何なる時であっても貴方と共に在りましょう。
我が身が滅び、幾度生まれ変わろうとも、それが変わらぬものであると誓いましょう。
それが今の私に出来るあなたへの贖罪であり、願いでもあるのです。
「 様……っ!」
何故忘れていたのだろうか。
何故手離してしまったのだろうか。
忘れたくはなかった記憶を。
離したくはなかった想いを。
「ありがとう」と、儚く微笑んだあの姿を……!
ふと、チクリと痛んだ左胸が、その繋がりが断たれたことを示していた。
誓いは確かに在ったはずなのに。
──これで貴方は自由に……。
涙で霞む視界の中で、微笑む「あなた」を見たような気がした。
もし、もう一度だけ叶うのならば──。