Chapter 7 フロンティア
1
「皆さんは、『多重理論分枝型 生体思考維持システム』と言う言葉を知っていますか? 知っている人はどうか手を上げてください」
彰人は周りの様子をうかがいながら、ややためらう様に手を上げた。自分は母や姉の事を友人に話した事が無い。恐らくフロンティアに対して良いイメージを持っている者は少ないだろう。
四〇人あまりいる教室で手を上げたのは自分を含め7、8人だ。
彰人はその事実に愕然した。あまりに認知度が低い。ある時期において、これほど世間を騒がせた装置は無いだろう。
けど、世界が生体脳電子化技術の使用禁止へと動いた事により、事実上、フロンティア運用の停止が決定した。その後はニュースの話題からも遠のく。
それから十年あまりが過ぎ、母と姉の住む世界は徐々に世間から忘れられて行ったのかもしれない。まだ世界は生体脳電子化技術の是非に決定を下してないにも関わらず。
フロンティアに対する認知度の低さが、愛に対する間違った認識にも繋がっているのだろう。
「貴方は何か知っていそうですね?」
愛が突然、生徒の一人を見て言った。その生徒は手を挙げていない。椅子に横柄な態度で腰を掛け、机のウィンドウには授業とは関係の無いゲームアプリが開かれている。
赤く染め上げられた髪。眉は異様なまでに細く整えられている。
『千葉 彰』だ。真面な生徒は彼とあまり関わろうとはしない。
「金持ちの死にぞこないが、自分の意識をコンピューターにコピーするってやつだろ? 早くくたばれっての。気持ちわりぃ」
ぶっきらぼうに言ってのけた彼。教室が騒めく。彼が多少なりとも、真面な答えを返したことに対する驚き。
彰人は拳を握りしめた。彼の言っている事は、言葉は悪いが世間一般のフロンティアに対するイメージだ。そしてそれは決定的に一か所間違っている。
「……違う。コピーじゃない――」
自分から無意識に出た言葉。教室中の視線が自分に集まるのが分かる。
さらに彰人は言葉を続けようとしたが、それは別の者に遮られた。
「『多重理論分偽型 生体思考維持システム』。Dr葛城によって、二〇三〇年に考案された装置ですね。
アルツハイマー等の『脳の畏縮を伴う難病』の治療に用いるニューロデバイス・ナノマシン。それを用いて脳の神経ネットワークを寸分の狂いもなく仮想世界にオブジェクト化するシステム。
このシステム最大の特徴は、仮想世界に脳を直結した後、神経細胞をニューロデバイスに置き換える工程、ニューロデバイスから『同様の機能を持つ理論プログラム』へと置き換える工程、全てが一部ずつ連続的に進行するため、被験者が生体がら電子化されるまで連続した意識を保ち続ける事にあります。
何が言いたいかと言うと。
つまりは『意識コピー』では無く、意識の『移動』です」
わざわざ立ち上がり、誇らしげに答えて見せた生徒。『先の彼』とは別の意味でこの生徒と関わろうとする者は少ない。
「けっ、コピーだろうが、何だろうが変わらねぇっての」
彼のぶっきら棒な声に反応して頷く者が多数見て取れる。
「この技術は軍事転用の可能性を含め、倫理的な観点から、また生命の尊厳を脅かすものとして、国際的に使用禁止の方向で動いています。
何が言いたいかと言うと。
つまりはそれが、世界における圧倒的多数の意見であり、当然、私自身もこれに賛成です」
未だに立ったままの生徒がさらに追い打ちをかけるかのように言う。
彰人は生理的に受け付けない彼のしゃべり方にイライラしつつ、口を開いた。
「けど、まだ決定した訳じゃ無い。それに、その装置に救われた人だっているんだ」
再び自分に視線が集中する。これ以上目立ってしまっては、不信に思う者も出てくるだろう。
フロンティアで生きる肉親がいる。周りの者がそれを知れば、自分は居場所を失うかもしれない。
――けど
彰人は抑えられない感情に任せて、さらに続けようとしてやめた。愛が口を開いたからだ。
「たしかに、父が作ったシステムは倫理的に間違っていたのかもしれせん。
ですが、父は、言っていました。フロンティアは医療システムだと。現在の医療で生きる事が困難な者にとっての希望であって欲しいと。別の世界で、寿命が尽きるまで前向きに生きるためのシステムであって欲しいと――」
愛はここで一度言葉をくぎった。ジルコニアの瞳に強い憂いが浮かぶ。
「――そして何より、フロンティアは、一度は法的に認められ、運用が開始された装置です。
だからフロンティア内には多くの人が生きています。子供だっています。社会を形成し、一つの世界を形作っています。
私は純粋にフロンティアに生まれ、そこで育ちました。ですから、私にとってはフロンティアが唯一の故郷です――」
何かに耐えるように瞳を閉じた愛。
「――ですが、その世界は失われようとしています。すでに、フロンティアには未来を担うべき幼少期の子共が居ません。
人によって作られた世界が、人によって閉ざされる。しかもその世界で生きる者の声を無視して……
貴方達は、この現実世界が、例えば『目に見える神』によって作られた物だとして、その神が『世界を作ったのは間違いだった』と言い、世界を消し去ろうとしたら、それを黙って受け入れることが出来ますか?
自分の住む世界から、人が一人、また一人と消えていく。子を持つことも許されず、新たな流入も認められない。滅びを待つだけの世界。
まして私達の世界を作ったのは『神』ではありません。『人』です」
苦痛に歪む愛の表情。彼女の思いが自分にははっきりと伝わってくる。
「さっき、荻君が答えてくれた通り、国連議題提示文章には『倫理的』『生命の尊厳』と言う言葉が出てきます。ですが、私にはもっともらしいその言葉がある種の『建て前』である気がしてなりません。
私は社会科教師として、授業に自分の主観を持ち込まないようにしてきました。ですが今日は、貴方達と一緒に議論する一人の『人』として、私の意見も聞いてください――」
教室の隅に立つ教師が口を開いた。
「――貴方達がまだ幼かった頃、世の中にこのようなロボットが多くいた事を覚えていますか?」
机のウィンドウに表示された画像。まるで重機をそのまま人型にしたような機械。油圧ポンプによって駆動する鋼鉄の腕。その巨体が持つ重厚感が画像を通してでも伝わってくる。
「『無人作業ユニット』と嘗て呼ばれていたものです。現在では、ほとんど見ることが無くなりました。
このロボットは現実世界の人がリモコン等で操作するよりも、フロンティアに生きる者が理論神経接続によって操作する方が遥かに繊細な動きができるそうです。
『多重理論分枝型 生体思考維持システム』この言葉は最近では殆ど聞かなくなりましたが、私の学生時代には『他界』と言う言葉でよく知られたシステムです。
当時、いたる所でこのようなロボットが活躍していました。人が近づけないような過酷な環境での作業。二次災害の恐れがある場所での救出作業から、太陽光発電衛星の建設作業と幅広く活躍していたことを覚えています。最盛期には一般の工事現場でも度々見かけることがあったほどです。
ですが、これが普及することによって、度々事故が起こるようになりました。
ヒューマンエラー。ある意味では、これこそフロンティアに生きる者が、思考の全てを量子回路内で行っていようとも『人』である証拠でもある。今はそう考えることもできます。愛さんを見ていると尚更。
ですが、当時のメディアは、『彼等』が起こす事故をこぞってとりあつかい、報道は必要以上に加熱していきました。
そんな中、ついに『フロンティアの者による作業ユニットを用いた犯罪』が起きてしまいます。
自らの雇い主を作業ユニットで握りつぶすと言うあまりに凄惨な事件。
その罪を犯した者は普段とても大人しく、少なくとも『肉体を失う以前の彼』を知るものは「彼がそんな事をするはずはない……」と言っていたそうです。
この事件は世界に衝撃をもたらしました。そして今更ながらに気付きます。作業に着く巨大な機械は、人に従順なロボットでは無く、時に怒り、憎しみすらも抱く、自我を有しているのだと。
この事件は別の議論を呼び起こしました。『生体脳電子化技術』の是非。生体から電子化される過程で、何かしらのエラーが起きているのではないか。
普段おとなしい者が、強いストレスに耐えかねて残酷な犯行を行う。冷静になり考えれば、『現実世界の犯罪でもこう言った例はいくらでもあり、なにも特殊なケースでは無い』、それが分かります。
ですが、当時の私はそのニュースに大きな恐怖を感じた事を覚えています。人の数倍もあり、数トンの瓦礫を片腕で持ち上げるような存在に『壊れかけの自我』が宿っている……
作業ユニットだけじゃない。
『彼等は理論神経接続を行うための、ソフトウェアーをインストールする容量と、ネットワークさえあれば、理論的には何にだって接続出来る』とニュースでは報じていました。
それは一台のカメラであったり、それらがネットワーク化されたセキュリティーシステムであったり、家庭用のコンピューターであったりと。
実際、フロンティアより発生した企業が、駆動装置を持たないセキュリティーシステムでの監視業務サービスを実施していたぐらいです。
身の周りにある全てに『彼等の自我』が宿る可能性がある。
そもそも『彼等』は『人』なのだろうか……
そのような恐怖を感じたのは私だけでは無いでしょう。『無人作業ユニット』を採用する企業は急速に減っていきました」
2
吹き抜ける冷たい風。太陽は西へと傾き、空を山吹色に染めている。
「……さみぃ」
彰人は無意識に呟き、深いため息を吐いた。
校舎屋上。本日の授業が終わるやいなや、自分の周りに人が集まる前に教室を飛び出した。
だが、逃げ出すようにして校舎を出た彰人の目に飛び込んで来たのは、校門の向こうに出来る人だかり。報道関係者と野次馬である事は容易に想像がついた。
結局、慌てて引き返えし、その途中で『今朝は学校に浮遊車両で来たのだから、迎えもあるかも』と思い立ち屋上へと来たのだ。
だが、それからすでに小一時間が過ぎようとしている。
愛と連絡を取りたいが、あいにく携帯端末は昨夜、壊してしまった。屋上から門の外を観察してはいるのだが、様子は変わりそうにない。恐らく愛はまだ学校にいるのだろう。
――愛は何をしてるんだろ?
と、思わず考えて苦笑する。自分は愛と共に帰る約束などしていない。だから愛がここに来る保証はない。
――まるでストーカーだな。これじゃ……
けど、他の手段で帰るためには、あの人垣を潜り抜けなければならない。とてもじゃないが、そんな面倒な思いをするくらいなら、愛にストーカー扱いされる方がマシだ。
愛は何故、学校に来ようなどと思ったのだろうか。自分が彼女の立場だったら願い下げだ。さらし者になるのは目に見えている。
まして、愛は自分への質問は全て答えると断言したのだ。実際、質問の中には愛の感情を全く無視した物も数多くあった。
馬鹿な生徒が「やれるの?」と言い出した時には、むしろ自分の方が我慢の限界を超えそうだったほどだ。
愛はそんな質問ですら「向こうの世界ではね。貴方に肉体を捨てる覚悟があればだけど?」とあしらって見せ、教室中で驚きとも歓声とも解らない声があがった。
結局愛は宣言通り、全ての質問に答えたのだ。
同世代で、あれほど強い意志を持つ者を自分は知らない。逆に言えば、それだけ彼女が背負っている物は大きいのだ。自分なんかよりも遥かに。
社会科教師は一個人の意見とした上で、フロンティアが閉じられた理由を『おそれ』だと言った。そこに『フロンティアがもたらした急速な社会システムの変化』に対する不満が重なったのだと。
無人作業ユニットの存在によって急速に脅かされる現実世界側の雇用。すでにIT関連はフロンティアの独占状態にあった。膨らむ『不満』と『不安』。職を失う事への『恐れ』。
人の魂とも言える自我を、肉体以外に移す事を可能としたテクノロジーへの『畏れ』。
生命体ですら無い機械に自我が宿る事への『恐れ』。
それによって『人』を遥かに超える能力を持つ存在が誕生した事への『畏れ』。
それは、潜在的な恐怖を呼び起こした。『自分達の世界は彼等によって変えられてしまうのではないか』と。
愛はこれに対しては強く反論した。一部の例を除いて『機械に自我が宿る』と言うのは大げさであり、単なるネットワークを介しての遠隔操作だと。
――想像してみてください。手も足も無く、感覚もない。そんな物に自分の意識を移せると思いますか? 技術的には出来るかもしれません。ですが、それこそ精神が壊れてしまいます――
愛の言葉が蘇る。
一部の例外、それは愛だ。それ以外は地球から遠く離れた場所で作業する作業ユニットに、意識をレーザー光に乗せ転送するケースもあったと言う。けど、その場合は人体より遥かに感覚神経が少ない身体で作業するために、一年と言う訓練期間が必要であったらしい。それでも一日に数時間が限界なのだと言う。
けど、当時こう言った声は無視された。間違った認識に基づく恐怖が暴走したのだ。
議題提示文章には『倫理的』『生命の尊厳』と言う言葉が使われていると言う。それが何を意味するのか。
母や姉は死ぬべきだったとでも言うのか。
死ぬことが生きる事より、それらを守る事だなどと信じたくない。少なくとも本人に生きる意志が有る限り。
愛が思いを語った時の表情が蘇る。フロンティアは世界の存続を願っている。そして肉体を失おうとも生きる手段が有るならば、それに縋りつきたい者もいるはずだ。