Chapter 5 新たな日常の始まり
1
「お待たせ」
軽い調子でそう言った愛。彰人は彼女の姿に見とれそうになる自分を必死で制した。
自分と同じ高校の制服に身を包んだ彼女。
メイと同じ容姿のために今まで意識することが無かったが、同じ高校の制服を彼女が着たことで、急に同世代の女性と認識させられてしまう。しかも恐ろしいほどの美人だ。整い過ぎた顔立ちに背中へと流れる白銀の髪。まるで3Dゲームのヒロインがそのまま現実世界に来たかのような華麗さだ。
思わず彼女をマジマジと見つめて、彼女のブラウスの第二ボタンが外れている事に気付いてしまう。
「ボタン外れてるぞ……」
「やだっ! 本当だ」
ボソッと呟いた彰人の声に慌ててボタンをはめ直す愛。その仕草を何となく眺め続けていると、愛と目が合った。
「てか、何処みてんのよ!」
「違っ!」
慌てて叫んだ彰人を見て愛が噴出した。
「照れちゃって可愛い」
「違っ!」
彰人は再び叫んだ。
愛が余計な事を言ったためにより意識してしまう。
制服に包まれた形の良い膨らみ。それと全く同感触であろうメイの胸を朝方、事故で握ってしまった事を不運にも思い出し、急激に顔が熱くなった。
冷静を保とうとすればするほど、顔に血が上ってくる錯覚に襲われる。
「あれー? 顔真っ赤だよ? 本当に照れてる?」
悪戯っぽい笑みを浮かべ自分を覗き込んだ愛。自分がからかわれている事実よりも、その可愛さにドキリとする。
「違うっていってんだろ!」
精一杯の強がりを叫ぶ。
「彰人様、愛様、お取込み中の所、申し訳ありませんがそろそろお時間です」
さらに全く同じ容姿のメイから急かされる。
――何なんだこの状況は!?
「解ってるよ!」
彰人は半ばやけくそに叫び、歩き出した。そして玄関のドアを開ける。
途端に朝日の直撃を受けて彰人はたまらず目を細めた。目がなれるにしたがって、飛び込んで来た光景に彰人は凍り付く。
玄関から敷地の門へと続く二十メートルほどの道の向こう。車で敷地へと入るための無駄に大きな、格子状の門に群がる人だかり。中には露骨にカメラの先を格子の隙間に突っ込み、こちら側を撮影している者までいる。それが報道関係者達である事は容易に想像がついた。
「なんだ? これ……」
彰人は呻いた。改めて、自分が巻き込まれている事象の大きさを思い知らされる。彼等の目的は愛だろう。けど、愛と共に過ごす事になった自分に全く興味が無いなんて幸運もないはずだ。
これでは迎えの車が敷地に入るだけでも大変だろう。
「ゴメンね。こうなるのは分かってたんだけど……」
愛の声。彰人はそれにどう答えて良いのか分からず、口をつぐんだ。『いいよ。別に』なんて言えない。自分の日常は間違いなく彼女によって崩壊したのだ。
だが、昨日のような怒りはない。それでも『何故』とは思ってしまう。何故彼女はこの家に来たのか。
「明日からは、もっと早く家出ないと遅刻するな、これ」
彰人はやっとの事で言葉を紡ぎ出した。
「その心配はないと思うよ。多分」
愛の言葉。彰人はその意味が解らず愛を見た。
「ほら、来るよ」
陽光の光に目を細めながら空を見上げて言った愛。彰人はその視線の先を追った。そして気づく。上空から真っすぐこっちへ向かってくる影の存在に。それが近づくにつれ、独特のエンジン音が聞こえてくる。
「げっ!」
彰人はたまらず悲鳴をあげた。
――なんてもんを迎えによこすんだ!
エンジン音はやがて騒音と呼べるレベルの音量へと変化する。
二十一世紀最大の功績。それは二つのエネルギー革命だ。一つは人類の悲願であった粒子磁気誘導型核融合炉の実用化。そしてもう一つは太陽光発電衛星によるマイクロ波送電技術の実用化だ。人類はついにエネルギー枯渇の恐怖から解放されたのだ。
これにより、エネルギーの価格は著しく低下した。電気代にいたっては二十一世紀初頭と比べると二十分の一ほどだ。
それにより、燃料は化石燃料から、水素へと完全にシフトする。爆発の危険性がある水素を安定化する技術は、社会に迫られ急速に発展した。
この事実はもう一つの人類の夢を実現する。それは乗用車サイズの航空機の登場だ。
エネルギーを無尽蔵に消費することが可能になり、運用コストが実用レベルになったのだ。
にも関わらず、普及はほとんどしていない。理由の一つは法整備だ。現段階で浮遊車両は航空機扱いであり、航空機免許が必要である。また前もって飛行ルートの提出も求められる。もちろん公道への着陸も禁止だ。
そして最大の理由がこれだ。
耳を劈くような噴射音と共に浮遊車両は垂直降下を開始した。二トン近い車両を空中に維持するための推進排気が突風となって地上を直撃する。さながら古い映画のヘリコプターの着陸シーンだ。
一向に普及の進まない浮遊車両。車にとって代わるのはまだ大分先だろう。
現在の位置づけはまさしく、ヘリコプターの後継機だ。つまりは富裕層の変り者、もしくは、それが必要な企業しか保有していない。
愛の長い髪が風を受け激しくまたたく。
彰人は浮遊車両の底部に、誇らしげに描かれたビッグサイエンスのシンボルマークを忌々し気に見上げた。
2
速やかに遠ざかる大地。高度はあっと言う間に、家の敷地の全てを一望できる高さに達する。敷地の外では門に群がって人だかりが散って行くのが見えた。
あれだけの轟音を放っていた浮遊車両。車内は驚くほど静かだ。それは地上を走る一般車両のそれよりも無音に近い。
車内に響くはずの噴射音を電気的に逆波形の音を発生させることで相殺しているのだ。
上昇も非常にスムーズなため、この車が反動推進とは全く異なるテクノロジーによって飛んでいるのではないかと錯覚するほどだ。
車両は更に上昇し、眼下に町並みが広がった。それを覆う様に、上空の交通網を整備するために光で形作れたガイドラインが複雑に交差する。
宣伝広告のウィンドウがガイドラインに沿って並び、不可侵エリアは空中に建物が存在するかの如く光の壁で描かれている。
それらが、複雑に何処までも広がる様は、まるで上空に光で形作られた都市が有るかの様だ。
この光景は浮遊車両に乗車している者にしか見えない。全てのラインは、浮遊車両のガラスに立体投影された映像であり、あたかも其処にガイドラインが存在するように見えているだけだ。
フロントガラスでは計器データーが、慌ただしくその表示内容を変えていく。
浮遊車両に乗るのは初めてではないが、この手の物が好きなのは男の性であろうか。
先ほどまでのイライラが乗車してしまうと興味に変わりつつある事実を認識し、彰人は苦笑した。
確かにこれなら遅刻する心配はないだろう。報道各社も勿論浮遊車両は持っているはずだが、浮遊車両を浮遊車両で追跡するなんて行為は法的に認められていない。
これが航空機扱いであるが故に、飛行ルートは同時刻に複数の車両が同エリアに存在しないように厳格に決められているのだ。
つまり外に描かれた光のガイドラインに従う限り、複数の車両が出会う事は無い。従って報道関係者に追われる心配もない。
だが、それは一時の平穏であろう。何よりも学校についてからの友人達の対応が容易に想像できる。
これから、長くこの上なく面倒な一日が始まるのだ。彰人はそれにどう対応するか考えようとして止めた。対応の仕様などないのだ。自分の日常は既に崩壊している。
「どうにでもなれってんだ!」
彰人は叫んだ。本来なら心の中で叫ぶことだが、あえて声に出すことで、もう諦めると自分に言い聞かせる。
運転手が一瞬怪訝そうな表情をして、ミラー越しにこちらを見た。
「学校までどれくらい?」
彰人は一瞬目が合った運転手に声を掛けた。どうせ離陸と着陸以外はオートパイロットだ。会話の余裕は十分にあるはずだ。
「5分ほどです」
流石は浮遊車両。普段よりもかなり早めにつくことになりそうだ。おかげで、大勢の生徒が見守る中の着陸とはならなくて済みそうだ。
彰人は視線をもう一度外に向けようとして、ウィンドウに写る愛が複雑な表情をしてこちらを見つめている事に気付く。
「貴方にとっては疑問だらけだよね? 本当は先に言わなければならなかった事が沢山ある」
「ああ、そうだな。けどそれは後でゆっくり聴くよ。学校まで五分だから、とてもそんな時間はないだろ」
「本当にゴメン……」
「俺は、今言ったぞ? どうにでもなれって。だからお前も、もう気にするな」
ウィンドウの向こうで愛の瞳が見開かれる。
「ありがと……」