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Chapter 4 翌朝

1





――彰人様


 聞きなれた声。毎朝ウィドウから聞こえるこの声で起こされる。いつもと同じ日常の始まり。母と姉がフロンティアへと旅立ってから十年続く日常の始まり。


「彰人様」

「分かったよ。起きるよ」


 言いながら声が響き続けるウィンドウを閉じようと手を伸ばす。目は未だに開けることに強い抵抗を感じる。


 自分の体感時間では二時間も寝ていないのだ。昨夜はその後もやはり寝付けなかった。


 いつもウィンドウが浮かぶ位置に向かって伸ばされた手が、実体に触れた。


――ん?


 ウィンドウには実体がない。だから手は空を切るはずであり、手がウィンドウを突き破った事を知らせる音声と共にウィンドウは閉じられるはずだ。


 だが、今確かに手が何かに触れた感触がある。


 その違和感に彰人は目を開けた。


 途端、視界いっぱいに広がるメイの顔。目を見開く。


「げっ」


 思わず悲鳴が上がった。


「彰人様。朝からこのような行為に及ぶのは、お体に良くないと思いますが」

「は?」


 メイが何を言っているのか分からない。


「私を求めてくれるのは嬉しいのですが、私では彰人様のお相手はできかねます。私にそのようなソフトウェアはインストールされておりません。そして何より彰人様は未成年であり、倫理コードに触れます。ですので手を御戻しください」

「手?」


 その言葉に自分の伸ばされた手の位置を確認する。


「げっ!」


 彰人は自分の手がメイの胸を掴んでいる事に気付き再び悲鳴をあげた。眠気は一瞬にして吹き飛び、混乱する思考がそのまま口に直結される。


「事故っ 事故!」


 彰人は叫んだ。


「さようですか」


 表情を一切変えずに答えたメイ。その瞬間、自動人形であるメイに向かって本気で言い訳した自分が情けなくなり、羞恥心を伴った怒りへと変わる。


「てか、何でメイが俺の部屋にいるんだよ!」

「端末を呼び出しましたが、応答がございませんでした」


 メイの言葉に、昨夜自分が携帯端末を壊してしまった事を思い出す。


「御朝食の準備が整っております。御準備が整いましたらリビングにおこし下さい」


 メイはそれを告げると部屋から出て行った。



2




 リビングに漂う仄かなバターの香り。決して朝は食欲が有る方ではないはずだが、それでも口の中が唾液で潤うのが分かる。


 テーブルに置かれたレタスがメインのサラダ。トマトのみじん切りがアクセントになって彩も鮮やかだ。


 それにスクランブルエッグとトースト。焦げ目が鮮やかなハムまで添えてある。


 いつものメニューではない。


「これ、メイが?」

「いいえ。本日のご朝食は愛様が作られました」

「え?」


 あまりの驚きにそれしか出てこない。目を見開き、カウンターキッチンの奥で動く愛の姿を見つめる。メイと全く同じ容姿。だがそのあまりに自然な動きは母がそこに立っていた時の様子を連想させる。直後の動作に先行して動く瞳は『人』特有のものだ。


「朝はいつもコーヒー? それとも紅茶?」

「彰人様はいつもイチゴミルクをお飲みになります」


 途端、噴出す愛の声が聞こえた。そして明らかに笑いながら


「何それ」


と続く。


 冷蔵庫を開ける音。そして毎朝の習慣となっているピンクの液体で満たされたグラスを持って愛がキッチンから出てくる。


「意外に可愛い物が好きなんだね」


 僅かにからかうような笑顔を目元に浮かべ、グラスを愛は差し出した。


 まるで昨夜の事を何も気にしていないかのような愛。色々な疑問が頭を占領し、朝からオーバーヒートしそうな頭で何とか言葉を紡ぐ。


「いいだろ。別に。てか何でお前が朝食つくってんだよ?」

「居候させてもらってるんだもの。これ位はしないとね」

 言いながら愛はニッコリと笑った。


「私は旦那様にお食事を届けてまいります」


 メイはそう言うと、カウンターに並んだ父用の食事をトレーに乗せ始めた。父とは長い事、食事を共にしていない。


 愛が一瞬微妙な表情をするのを彰人は見逃さなかった。


 そしてメイが部屋から出ていった事でリビングに愛と取り残されてしまう。気まずさを隠すように彰人は朝食に手を着けた。その瞬間、口に広がるバターがアクセントになったスクランブルエッグの味。


「どう?」


 僅かに不安を浮かべた瞳で自分を覗き込んだ愛。思わずドキリとしてしまう。彰人は慌てて視線を愛から逸らした。


「悪くない……」

「よかったぁ。この身体じゃ味見出来ないでしょ? だからちょっと不安だったの。私みたいな純粋なフロンティア育ちで料理できるのって珍しんだよ? 向こうじゃセーブデーターを呼び出すだけで料理がそろうから。けどね、私は沙紀…… お母さんが料理好きだったから……」


――良くしゃべるな


 まるで緊張が解けたかのように、喋りはじめた愛。彼女は本当に昨夜の事を気にしてないのだろうか。頭の中のモヤモヤが僅かに苛立ちへと変わる。


「なぁ、お前、怒ってないの?」


 彰人は愛の言葉を遮った。その瞬間、愛から笑顔が消えた。代わりに昨夜彼女が見せた射抜くような鋭い視線が自分へと向けられる。


「怒ってるよ。ものすごく。けど、それは貴方に対してじゃない。この世界で生きる人、みんな。貴方の考え方は特別じゃない」


――違う。彼女は怒ってるんじゃない。これは……


 ジルコニアの透き通った瞳に浮かぶ強い憂い。


 彰人は言葉を失った。


「でも、それは分かってた事だから」


 愛は言いながら再びニッコリと笑った。だが、その瞳にはやはり憂いが見てとれる。


 彰人は無理やり何かを言おうとして口を開きかけて、やめた。愛が何かを思い出したかのように再びキッチンへ向かったからだ。


 そして戻ってきた彼女の手には二リットルのペットボトルが握られていた。


 見かけは飲料水のペットボトルその物。だがラベルにはかなり目立つ大きさで『医薬外毒劇物』と印字してある。


 彰人はそれが何であるか良く知っていた。


「ここ、座ってもいい? 私も朝食とらないと。バッテリー三時間くらいしか持たないから。出先で一々プラグ繋ぐのも気が引けるしね。


 あ、ゴメン。ちょっと臭うかも」


 愛は言いながら二リットルのペットボトルの蓋を、手の平で覆い被すように握った。


 ペットボトルの蓋は誤飲を避けるために特殊な構造になっている。蓋をあけるには専用のアタッチメントが必要なのだ。そしてそのアタッチメントはヒューマノイドの手の平に格納されている。従ってこれを開ける事が出来るのは、メイか愛だけだ。もっともペットボトルなので容器を切り裂いてしまえば液体を取り出す事は可能なのだが。


 開封音と共に仄かに漂う独特の香り。お酒の臭いに近い。工業用メタノールの臭いだ。長時間充電が出来ない状況が予測される際に使用する燃料電池用燃料。


 愛はそれに豪快に口をつけた。次の瞬間、僅かに響く駆動音。ペットボトルの口が彼女の口内燃料弁にロックされた音だ。


 明らかに『人が飲み物の飲む動作』と違う。喉が全く動いていない。飲み込むと言うよりは吸引すると言った感じだ。


 二リットルの液体が強制加圧排出により凄まじい速度で減って行く。


 メイで見慣れている光景。だが、それを愛がやった事に思わず顔を顰める。愛の朝食は数秒で終わってしまった。


「ごめんね。気分悪くした? 私も最初は抵抗あったんだけど、量が量だからやっぱりこれが一番楽なの。コップにわざわざ移して飲んでた時期もあるんだけど…… やっぱり、ちょっとはしたないよね」


 自分の表情を見てか、愛が突然そんな事を言い始める。


「いや、俺はメイで見慣れてるから……」


 彰人は言いながら愛が作った朝食に視線を戻した。


 彼女は『味』を知っているのだ。仮想世界での彼女は普通の人と何も変わらない。母や姉の様に普通に食事をするのだろう。これを味見もせずに作って見せたことが何よりもの証拠だ。


 だが現実世界での彼女は違う。いかに人と同じ動作が出来ようと、人と同じように暮らす事はできない。ヒューマノイドの身体は愛にとって『全身が義手や義足』のようなものだろう。


 食事もできず、行動に大きな制限も付きまとう。相当な苦痛のはずだ。ましてこの世界で彼女が人として受け入れられるのは難しい。


 何故そこまでして彼女は現実世界へ来たのだろうか。


「彰人様。本日の予定ですが、何時もと少し異なります」


 彰人の思考を遮る様に、戻ってきたメイが口を開いた。


「え?」

「ビックサイエンスより迎えの車がありますので、本日はそれで御登校してください」

「どう言う事?」

「愛様の警護が主な目的です。それに外には報道関係の車が数台、停車しておりますので、彰人様も愛様と一緒に登校された方がスムーズかと」

「は? 愛と登校?」


 彰人は目を見開き愛を見た。


「私だって高校生だもの。学校行くのは当然でしょ? こっちに来てからはビッグサイエンスの人に勉強教えてもらってたんだけど。いつまでも、そういう訳にもいかないし。やっぱり学校行きたいしね」


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