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Chapter 3 『メイ』

 リビングに入るとメイが立ち上がった。


「彰人様。どうかなされましたか?」

「どうもしねぇよ」


 言いながら、ソファーに身を投げ出す。


――水を飲みに来たんじゃなかったのかよ俺……


 リビングの照明がともる。メイが付けたのだ。その眩しさに目を細める。その視界の先でメイが何かを差し出した。


 それがグラスに注がれた御茶である事に気付く。


「ありがと」

「いえ」


 短い返事をしながら目を細めたメイ。その表情はとても自然だった。そもそもメイはいつからこんな気が利くようになったのか。


 僅かな驚きを感じつつ、メイの顔を見つめる。やはり表情が豊かになった気がする。


「愛様の影響です」

「え?」

「私は、同じ空間での同機種、多数同時運用を考慮した上で設計されています。ですので、業務が別の同型機種と重複しないようにするため、同じ空間内の同機種とは自動的にリンクされます。愛様の記録デバイスの情報から自身の感情模倣プログラムを上書きしました」


 彰人は目を見開いた。


「え? 彼女の記憶を読んだってこと?」


 メイは首を横に振った。この動作も今までの彼女には無い物だ。


「いいえ。愛様の記憶及び、思考は私にインストールされているOSとは完全に別原理で動作しているようです。ですので私には愛様の記憶や思考を読むことはできません」

「でも今、記録情報って……」

「私とリンクされている彼女の記録とは、自動記録デバイスのことです。航空機のブラックボックス同様、目に映った映像、意識せずとも耳に入った音声、それらを身体パラメーターや動作記録と合わせて単純に蓄積するものです。


 各場面において愛様が使用した表情、瞳の動き、それを行うために愛様が顔のマイクロワイヤーに負荷した電流値などが全て記録されていますので、それらを解析し自身に上書きしました」


 彰人はメイの言葉に顔を顰めた。メイは愛の行動の全てを見たことになる。


「それは、メイの意志でやったのか?」


 無意味な質問だと思った。彼女に意志などない。だが急に多様化した彼女の表情を見ると彼女にも意志が宿ったかのように見えてしまう。


「今朝がた更新した基本ソフトウェアにその命令と、解析に必要なソフトウェアパッケージが付加されていました。私はそのルーチンに乗っ取って行動しているだけです」


 殆ど予想通りの答えが返ってくる。だがさらに疑問が浮かんだ。


「それって、愛がこの家に来るのと合わせて、プログラムが更新されたってこと?」

「そう考えてよいかと思います。私には感情模倣プログラムの『更新結果とその成果』をビッグサイエンスにフィードバックする義務が生じていますので」

「成果?」

「更新後における私の自動記憶デバイスの数日分のデーターです。ですので彰人様も、そのおつもりでいてください。現在進行中の会話、彰人様の今の表情も含め、私が今後見聞きする数日分のデーターは全てビッグサイエンスへと送信されます」


 彰人は飲んでいたお茶を噴出した。そして咳き込む。


「そう言うのは最初に言えよな。人に言えない話とかしたらどうすんだ……」

「申し訳ありません。ですが彰人様が私にそのような話をする可能性は無いのではないでしょうか。多くの場合そのような相談は感情の無い私に相談しても仕方がないことかと。


 またこの件に関しましてはビッグサイエンスと旦那様との間に正式な契約が済んでおりますので、ご安心ください」


 彰人は軽い眩暈を感じた。


「親父いくら貰ったんだよ……」

「存じません」

「それに、感情が無いからこそ相談することだってあんだよ……」

「彰人様。それは非常に無意味な事のように思えますが」

「いいよ、もうその話は。で、何故そんなことする必要があんの?」

「ビッグサイエンスは彼女が現実世界へ来た事によって、得る物が多いということです」


 その言葉に少なからず納得する。確かに愛が、自身の身体を動かした際の情報は、人の表情を外部から観察するより直接的で同機種に反映しやすいだろう。


 そしてその結果をビッグサイエンスはメイより手に入れる。彼女の動作記録と合わせ、彼女の瞳に映る自分の表情は彼女の感情模倣プログラムが更新された事によって、人に及ぼす影響が測れる。


 でも愛はそれを知っているのだろうか。自分の行動記録の全てがメイに見られたことになる。しかもそれは直接的にとは言えないまでも、ビッグサイエンスへと送られるのだ。


「彼女はそれを知っているのか?」

「はい。知っています。愛様が現実世界へと来られてから既に三か月あまりが過ぎています。その蓄積容量は数百テラバイトに達しておりましたので、有線接続によるデーター交換をお願いたしました。その作業は先ほど終了したばかりです。

 今後はワイヤレスで随時更新されることになります」


 愛がこんな時間まで下にいた理由が分かった。


「ってことは、メイはこのまま愛と一緒にいると人に近付くってことか?」


 メイは再び首を横に振った。


「確かに見かけは変わって行くでしょう。ですが私に出来るのは模倣だけです。『どの場面でどの表情をするのが自然なのか。どの発言が自然なのか』それが蓄積されるだけです」


 そう言う彼女の表情はことさら悲し気に見えた。


「今の私はどんな表情をしていますか?」

「悲しそうに見えるよ」

「そうですか。ですが私は『悲しい』と言う感情を持っていません。『これを話すときはこの表情』と言うのが上書きされ感情模倣プログラムによってアウトプットされただけです」


 彰人は無償に寂しくなった。


 今までメイに対してこのような感情を抱いたことは無い。彼女が表情を増やした事による影響だろうか。


 メイはさらに続けた。


「ヒューマノイドが目指すところは究極の道具です。けして『人』になる事ではありません。『人』が出来る事は全て出来るが『人』ではない。これが重要なのです。


 ですが愛様はこの方向性から完全にずれてしまっています。彼女は完全に『人』としての感情を持っています。『彼女は何の目的で生み出されたのか』、それは私が生み出された理由と根本的に異なると言う事です」


 彰人は目を見開いた。メイは階段での自分と愛とのやり取りを知っているのだ。当然だ。メイと愛はリンクされているのだから。


 でも……


「何故、今そんな事を……」

「先ほども言いました通り。『どの場面で、何を話すのが自然なのか』 

 『彰人様の状況』と言う入力に対して『この話をする』と言うアウトプットがなされただけです。私には、この話をすることによって彰人様の心理にどのような影響が有るのかは分かりません。この話をしたことに意図もありません。入力に対して出力を返すのみです」


 そう言ってメイは目を細めた。


 メイと話した事によって、自分の中の蟠りが少しほぐれたような気がする。確かに自分は彼女が生まれた理由も知らずに全てを否定した。


 そして彼女が悪い訳ではない。生まれてくる側に選択権は無いのだから。


 彼女は自分を生み出した開発者に感謝していると言った。自分が逆の立場だったらそんな事が言えるだろうか。人と同じ感情を持ちながらAIとして扱われる。そんな自分を創りだした者に向かって感謝するなどできるだろうか。


「なあ、メイは彼女が何故生まれてきたのか知ってるのか?」

「知りません。ですが知ることはできます。ビッグサイエンスのヒストリー情報とウエブ情報から得られる程度の情報ではありますが」

「じゃあ、彼女が何故生まれてきたのか教えてくれるか?」

「招致いたしました」


 そう言ってメイは瞳を閉じた。ネットワークへのアクセスを開始したのだろう。


「愛様は、フロンティアシステムの発案者である葛城 智也氏とその妻、沙紀氏の純粋な子として誕生しています。彼女の思考パターンは、智也氏と沙紀氏の思考パターンを掛け合わせたものです」

「え? でも俺の調べた情報じゃフロンティアに生きる「電子化された乳児」のカスタマイズコピーだと……」


 メイは頷いた。


「その情報も正しい情報です。


 ベースとなったのは、この世で生を受ける事が出来ず、親の意志によってフロンティアに送られることとなった新生児達の思考パターンプログラムがもつ共通コードです。


 フロンティアにおいては新生児の共通コードの割合は、99.9パーセントにもなります。つまりフロンティア内に人として成長するのに必要な要素のうち99.9パーセントは決まっていると言う事です。


 愛様はこの共通部分に加えて0.1パセーンとの情報に智也氏と沙紀氏の感情パラメーターが付加されています。これは現実世界において感情の基礎的な部分が親から遺伝するが故に、同じことをしようとしたのではないかと推測します」


「自分達の感情パラメータを加えたってことは、彼女の両親は……」

「両方ともフロンティアの住人です。沙紀氏は子宮頸癌によって、智也氏はその7年後に交通事故によって肉体を失っています」


 彼女が生まれた理由は分かった。けど子共が欲しいからと言って何をやってもいいって訳じゃ無い。現実世界だって倫理面から色々な規制があるのだ。


「彰人様は、『お母様や御姉様は生きている』とお考えですか?」


 その言葉に彰人は目を見開く。


「当たり前だ。何故そんな事を今聞く?」

「それについては先ほど、お答えしました。


 生きているというので有れば、次の世代へと繋ぎたいと考えるのは生物として至極当然の事ではないでしょうか。彼等は『自己崩壊していくことで記憶を蓄積していく脳』の全てをオブジェクト化し、仮想世界に生きています。故にいずれ死にゆく定めです。それは愛様も例外ではありません。


 フロンティア内に生きる者は大人だけではありません。乳児の時にフロンティアへと送られ、子を願う者によって育てられた者もいます。幼児期にフロンティアへ渡る者もいます。


 彼等はフロンティアで出会い結ばれ、ですが子は成せません。


 フロンティアにおいて『子を成すと言う機能』を定義することは技術的には可能です。ですが現在国際協定により、技術の全てが使用禁止となっています」


「何故禁止されたんだ? 倫理的に問題だからか?」

「はい。その通りです。直接のきっかけは、四歳の愛様の思考パターンプログラムをビッグサイエンス社が公開したことにあります。


 ビッグサイエンスヒストリーデーターによれば、当時のビッグサイエンスはフロンティアの運用にかかる莫大な費用の回収の目途が立っていなかったようです。


 フロンティアが運用利益を上げるためには、一定以上の利用者(人口)を必要とします。ですが当時フロンティアの人口はまだそこに到達していませんでした。


 フロンティアシステムは当時の与論の批判もあり、国からの保険適用認可の遅れも影響して、予測に対する人口増加スピードの遅れが生じていました。


 同時に、フロンティア内の人々には法律的な人権があり、サーバーを停止させる訳にもいかないと言う状況であったと記録されています。


 ビッグサイエンスはその回収にフロンティア内で生まれた当時四歳だった愛様のコピーを利用しようとしました。フロンティアの人々には人権がありコピーが許されませんが人為的にサーバー内で生まれた愛様には当時人権はありませんでした。


 そのAIが如何なる手法によって誕生したのかを一切の企業秘密としたうえで、愛様のコピーは究極の感情模倣プログラムを搭載したAIとして、世の中に発表されたと記録されています。


 愛様のコピーは当時、四歳児の思考能力しか持っていなかったにも関わらずその感情表現能力の高さから瞬く間に話題になりました。


 無償提供された使用期限付きの愛様のコピーは、最終的に四〇万件のダウンロード数を記録しています。


 ですが、『使用制限期間=AIの寿命』をAI自身に告知した際の映像がネット上にアップされると、そこに記録されたあまりに悲劇的かつ凄惨な映像が『このAIが本当の感情を持っているのではないか?』との議論を呼びました。やがてそれは世界を巻き込んだものへと発展していきます。


 ビッグサイエンスはAI製造手法を最悪のタイミングで公開せざるえなくなりました。


 結果、この技術を用いたAIの製造は国際的に禁止されることとなります。そして、オリジナル=葛城 愛(当時5歳)には秘密裏に人権が与えられています」


 メイの口から語られる凄惨な過去。


――貴方は何も解っていない


 愛の言葉が蘇る。


 彼女の開発者はフロンティアに生きる者の尊厳を汚したのではない。フロンティアに生きる者の願いを叶えようとしたのだ。


 だがそれは当時の歪んだ情勢が複雑に絡み合い、踏みにじられた。


「秘密裏ってことは、『彼女がAIのオリジナル』として公開されなかったてことか?」

「はい。開発者の名前も伏せられています。愛様はそれによってフロンティア内にて普通の人として生きてきました。彼女が現実世界へと来なければ、彼女は人としての一生を全うできたはずです」

「なら何故……」


 ビッグサイエンスは彼女が現実世界に来た事によって相当な利益を得るはずだ。彼女によってヒューマノイドの感情模倣プログラムは飛躍的に改善するだろう。それはメイで証明されている。


 しかも愛自身に宣伝効果があるのだ。彼女はビッグサイエンスのテクノロジーの塊のようなものだ。一度は国際的に非難を浴びた技術。だが、だからこそ注目を浴びるだろう。


 しかも今回、ビックサイエンスは『彼女の意志を尊重した』と言う大義名分があるのだ。


 だが彼女に何のメリットがあるのか。彼女はただビッグサイエンスに踊らされているだけなのではないだろうか。


「それは、ビッグサイエンス社で行われた記者会見の時に愛様の口から語られています。その映像をご自身で見るのが良いかと思われます。私の口からでは愛様の意志まで伝えられませんので」

「じゃあ、映像出せる?」

「彰人様。本日はもう遅いです。明日のご学業にこれ以上は支障をきたすかと。彰人様の望まれる映像は一時間以上の再生時間が必要です」

「あのなぁ、このまま寝れると思うか?」

「私には分かりかねます」

「人ってのは気になる事があると寝れねぇーの。だから映像だして」

「残念ですが、私には上級プログラムと言う物が存在します。ですので映像を出すことは出来かねます。旦那様の許可が有れば出せますが。


 御就寝中の旦那様に許可を得る必要があるほど重要な事でしょうか?」


 急に表情の無くなった顔を自分に向けたメイ。


 彰人はこれ以上メイに頼んでも無理だと判断せざるえなかった。


「解ったよ」


 ふて腐れたように言い放つ。そして立ち上がった。


 彰人はリビングを出る直前で彰人は足を止めた。


「メイ。ありがと」

「いえ」


 短く答え、微笑んだメイ。真実の感情がこもらないその笑顔に何処か救われた気がした。


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