Chapter 2 2時間後
1
彰人は自分の部屋のカーテンを僅かに開け外を見た。二階の自分の部屋からは、無駄に広い庭をある程度見渡せる。
そこに動き回る懐中電灯の光。見えるだけでも四人はいる。メイの話によれば、敷地内に六人、さらに門の前に二人配置させているらしい。
敷地の外には。一目で中継車と分かるワゴンが数台停まっている。
「全くなんて物を預かったんだ親父は……」
彰人はため息交じりに呟いた。
これだけ厄介な物を父が好き好んで預かるはずがない。恐らく相当な額をもらったのだろう。
それにしても、何故民家なのか。どっかのホテルか、もしくはビックサイエンスの施設にでも閉じ込めて置けばよいものを……
「しかも、何故俺ん家なんだよ……」
彰人は再び深いため息を吐くと、身をベッドに横たえた。
それと同時に部屋の照明が自動的に落ちる。だが、眠れるわけがない。
彰人は携帯端末を操作し、自分の視界にウィンドウを呼び出した。そして検索欄に『葛城 愛』と打ち込む。途端にウィンドウは彼女の情報で埋まった。当然だろう。彼女は有名人だ。
ニュースの内容はあまり覚えてはいない。登校の準備をしながら何となくウィンドウに表示された映像を眺めていたにすぎない。
この年代で世の中に興味を持てって方が無理だ。大抵の事は自分に関係が無い。そのニュースも例外ではないはずだった。
検索で大量にヒットした情報の中から一つを選び出し、ウィンドウに表示された題名に触れる。事実のみが淡々と記述され、信用度の高いことで有名なサイトだ。
『葛城 愛:ビッグサイエンス社が運営する超解像度仮想空間 フロンティア内で人為的に産み出された『人』である。
同時に、人思考パターン解析技術が生み出した『人工意識』であり、世界初の完全学習型AIにして唯一人権を持つAIと位置付ける専門家も多い。
彼女の誕生には『生脳電子化技術』により量子コンピューター内に生きる『人』の存在が深く関わっている』
彰人は最後の一文に目を見開いた。強烈に嫌な予感がする。
――量子コンピューター内に生きる『人』。母や姉の事だ。
自分の腕に鳥肌が立つのが分かる。交通事故により、身体に致命的な損傷を負った母と姉。『本物の死』と『他界』の選択を迫られた父は彼女達を他界させた。
フロンティアシステムについては以前ネットで可能な限り調べた事がある。父の話だけでは納得できるはずもない。父との距離は母と姉が『他界』して以来、開いて行くばかりだ。
人の脳を活動状態のまま電子化する技術。それは、脳細胞を同じ数のニューロチップへと一度置き換え、その情報をもとに生体脳の持つ神経ネットワークを寸分の狂いもなく仮想世界にオブジェクト化するものだ。
その全ての工程が一部ずつ連続的に行われるため、被験者が生体から電子化されるまで連続的な意識を保ち続ける。
頭に数億本の電極が付けられた状態でフロンティアで目覚めた時、彼等はまだ生体なのだ。そして意識を保ち続けたまま電子化が行われる。
故に彼等は人の意識の複製ではない。紛れもない本人なのだ。
だからこそ、自分は高解像度ポリゴン化した人形のような母と姉に対し複雑な感情を抱く。
彰人は食い入るように続きを読み進めた。
『この手法を用いて作成されたAIは、フロンティア内で生きる「電子化された乳児」のカスタマイズコピーであるが故に、思考パターン、感情、成長過程、全てにおいて人と同様であり、仮想空間内においては人と区別できないとされる』
この一文にさらに戦慄する。母や姉と同一と言える存在が人為的に作られたと言う事だ。しかもその元となるのは実際にフロンティアに生きる者の『意識』だと言うのだ。
――こんな…… こんな事、許されないぞ!
だがこれは、過去に起きた事実なのだ。そしてその手法により誕生したのが『彼女』だ。表情。行動。全てに違和感が無いのは当然だ。
今までに感じた事のない感情が溢れるのを感じる。母や姉の尊厳が汚されたような気がした。
このサイトにはさらに続きが書かれていたが、読む気にはなれない。
何時までもループし続けようとする思考が迷宮をさ迷い始める。彰人はそこから強引に離脱しようと、携帯端末を壁に向かって投げつけた。
鈍い音が一瞬、室内に響き渡り空中に浮かんでいたウィンドウが消失する。
彰人は向いている方向を身体ごと変えた。ベッドは部屋の隅に配置されているのでこうしてしまえば、視界に入るのは無機質な壁だけだ。
2
どれくらいの時間が経過しただろうか。やはり眠れそうにない。今の時間を確認したいが、携帯端末を壊してしまった今、それはできない。端末は必需品なのだから、明日には新しい物を買い直さねばならない。
――何やってるんだろ…… 俺
彰人はベッドから身を起こした。そして自分の部屋を出る。取りあえずは喉の渇きを潤したい。そのついでに時間も確認できるだろう。どっちも決して我慢できないほどではないが、とにかく部屋を一度出たかった。
リビングに向かう途中で階段を上がってくる人影に気付く。空間に微かに響く駆動音。メイか愛のどちらかだ。
だが、メイがこんな時間に家の中を徘徊するはずが無い。リビングに設置された充電器に腰をかけ沈黙しているはずだ。
「眠れないの?」
やはり愛だ。その言葉に無性に腹が立つ。
――誰のせいだと思ってんだ
「お前、人のコピーなんだってな」
フットライトだけの廊下は薄暗いが、それでも愛の表情が強張るのが分かった。
「傷ついたか? けどその感情も表情も全て人からパクッたものなんだろ? 俺は心底、お前を作った奴を軽蔑するよ」
彼女は自分から視線をそらした。目を細め唇を噛みしめたその表情はことさら悲し気であり、同時に何かに耐えているようにも見える。けど
――知ったことか
「とにかく、もう俺に話しかけないでくれ。本当は出てってもらいたいが、親父の決めた事だから俺にはどうすることもできないけど」
そのまま彼女の横を通り過ぎようとする。
が、その瞬間、そらされていた愛の瞳が真っすぐと自分へと向けられた。射抜くような鋭い意志を秘めた瞳に彰人はそのまま動けなくなってしまう。
「その手の批判は、今まで散々受けてきた。父のしたことは世間的に間違っていたのかもしれない。けど私は、私を生んでくれた母に感謝してる。そしてそれを可能にしてくれた父にも」
「そうかよ。だから何だ? お前の開発者はフロンティアに生きる母や姉、その他多くの人の尊厳を汚したんだ」
彰人は愛から視線をそらした。そしてそのまま彼女の横を今度こそ通り過ぎる。
「貴方は何も分ってない。何も…… 貴方はフロンティアの何を知っていると言うの?」
後ろから聞こえてきた声。だがそれに応える事はしなかった。