Epilogue
1
森の木々はそれ自体が輝き、幻想的で美しく世界を照らし出す。これだけ明るい地上の光を受けて尚、空は満天の星が輝いていた。
その世界を映して穏やかに揺れる湖面。磨き上げられた鏡の如きそれが揺れる様は、世界そのものが揺らいでいるかのような錯覚すら呼び起こす。
現実の世界では決してありえない光景。世界を形作る法則すら人の手によって作られた理想郷。そこに生きて尚、人は人以上にはなれない。
それを象徴するかのように空に浮かぶ遥かな故郷。神々しい光を浮かべた地球。自分達には二度と帰る事が叶わない。
現実世界に比べ百倍の速さで時間を刻み始めたフロンティア。それは人工の二〇パーセントを失ってしまったフロンティが、速やかに現実世界と同等の人口を得るのと同時に、技術力で優位な立場を得るためだ。
自分の寿命は、現実世界で一年とたたず尽きるだろう。
空に浮かぶ故郷は、『遥かな子孫達が『自分達の由来』を忘れないように』との願いが込められ、そこに描かれた。フロンティアは遥か未来に願いを託したのだ。
――フロンティアは完全に現実世界とは別の道を歩み始めるだろう。独立した一つの世界として。
やがて、本当の意味で現実世界を知る者もいなくなる。その時、我等の子孫は現実世界に対し、どのような感情を抱き、何を成そうとするのか――
亡き愛の父の言葉。彼は科学者として、フロンティアの生みの親として、そしてフロンティア最初の長として、人と世界の転送作業を最期まで指揮し、消えた世界の一部と運命を共にした。彼の言う未来は、現実世界にとってはすぐそこだ。
彼の残した高速製造プラントの設計図。フロンティアはそれに基づく、月面プラントの建設を最優先事項の一つとして掲げた。
現実世界の百倍の速度で進化するであろうフロンティアの技術。それが生み出す生産物をリアルタイムで現実世界で製造するためのプラントだ。
「……後悔…… してる?」
空を眺める自分の横で聞こえた愛の声。それにゆっくりと首を振った。
「先の事を考えてた。ずっと先の事。遠い未来。世界にとっては近い将来かな……? フロンティアがあそこに戻るときが来るのかなって……」
「私たちは必ずあそこに戻る。そうなるように私達が歴史を紡ぐの」
黒い瞳に宿る強い意志。彼女ならそれが出来ると感じる。だから自分は決めたのだ。愛の隣で彼女が紡ぐ未来を見ようと。
――フロンティアは純粋な医療システムとして構築した。だから現実世界の一部でなければならない――
遠い未来、どんな形であれ、自分達はあそこへと戻る。それは必ずだ。
その時、今度こそフロンティアの存在する意味が、自分達の願いが、本当の意味で繋がればいい。
愛が継いだ意思と共に。
After the Episode. Prishing and Beginning and……
現実世界 五年後
――何故こんなにも捻じれてしまったのだろうか……?
互いに人であるが故に争いは避けられない。そんな予感があった。
けど、互いに人であるが故に、分かりあえると君は信じた。
――それでも、これが結果だというのか。
なぁ、愛、答えてくれ。違うと言ってくれ。あの時のように……
1
「どうして…… どうしてこんな……」
幼い穂乃果のワンピースを鮮やかに死が染め上げていく。
響生は穂乃果の傷口に手を強く押し当て、溢れ出ようとする血を必死で止めようとするが、彼の小さな手でそれを行うには、あまりに無力だ。
母親に長い間ほしがっていたワンピースをプレゼントされ、いつも以上にはしゃいでいた穂乃果。
「それを着てどうしても外に出たい」と言った穂乃果と共に響生が外に飛び出したのはつい先ほどの事だった。
本来なら彼女が満足するまで散歩したのち、家に戻るはずだった。普段と変わらない日常が過ぎるはずだったのだ。
だが今、響生と穂乃花が帰るべき家は、空から轟音をまき散らしながら飛来した『何か』によって瓦礫と化し、炎を上げている。
家を全壊させた爆風は、響生と穂乃花を吹き飛ばしただけでは足らず、周りの建物のガラスを全て粉々に吹き飛ばした。
全身に突き刺さる細かい瓦礫の破片の痛みに耐えかねて、泣きながら体を起こした響生の目に飛び込んで来たのは、胸から見たこともないような量の血を流し倒れている穂乃花の姿だった。
響生は幼いなりに、自分と穂乃花のどちらがより重症なのかを本能的に悟った。そして彼女に駆け寄り両手で傷口を塞ごうとしたのだ。響生にはそれが正しい行為なのか解らない。ただ単純に溢れ出ようとする血を無我夢中で体内に留めようと試みたのだ。
だが、どんなに力を入れてみても、流れ出る血はまるで意志を持ったかのように広がり続ける。
穂乃花の純白だったはずのワンピースは既に半分以上が紅に染まっていた。
「誰か! 誰か助けて!」
響生は叫んだ。それが幼い少年に出来る全てだった。だが、その声は周りに響き渡る騒音や絶叫に掻き消されてしまう。
2
空を飛びまわる戦闘機の爆音、乱射される大口径機銃の音、爆発音、そして人々が『死霊』と呼ぶ『彼等』が動くときに発する独特の音。
街を覆って行く異臭を伴った黒い煙。もはや誰も幼い少年の声など聴いてはいない。
金属光沢を放つ長い触手を海中生物の様にはためかせ、物理法則を無視して空中を泳ぎまわる死霊。その装甲が空気との摩擦で赤熱し、オレンジ色に輝く様は異様な外観と合わさってことさら不気味な印象を放つ。
航空機が放った追尾ミサイルは、殆ど直角に進行方向を変えた死霊の動きに着いて行けず地上で炸裂する。
対空機銃照射をまるで弾丸が見えているかの如く、縦横無尽に避けながら発射点を目がけ猛スピードで降下する死霊。直後、地響きと共に地上から爆炎が上がる。
人々の中には逃げるのも忘れ、あまりに一方的な展開を呆然と見上げる者までいた。死霊の姿を人々が実際に見るのは初めてだ。殆どの者は彼等を映像の中でしか見たことが無い。
人類が死霊との戦争に突入してから既に五年、戦況はしきりに有線放送によるニュースで伝えられてはいたが、不利だと言う情報は一度も耳にしていない。
戦争の影響は少なからず生活に影を落としてはいた。物価は不安定になり、死霊が持つ能力が故にデーター通信は管理が容易な有線に統一され、一定スペック以上のコンピュターをネットワークに繋ぐことが厳しく制限された。何故なら彼等の意志はネットワークを通して特定スペック以上のコンピュターに感染するからだ。
だが、それだけのはずだった。まさか自分達の街が戦場になるなどと予感する者は殆どいなかった。ましてこのような一方的な展開を見せつけられることになるとは。
開戦当初、彼等の兵器は無人の作業ユニットが大半だったはずだ。高い戦闘能力を有する機体と言えば、軍から奪った無人戦闘機ぐらいのはずだった。
ましてこの戦争は圧倒的に人類に有利な状況で始まったのだ。実際、成す術も無く掃討され、その一部が月に逃れたに過ぎないはずだった。
だが、異変が起きたのはその後だ。欠けた月。その陰であるはずの部分は、まるで都市部の夜景の如き光が覆い尽くしている。
五年前にはあんな物は無かった。
異様な速度で広がった死霊達の街。その姿に不安を抱く者もいたが、月日がたっても彼らが積極的に攻めてくるような事が無かったために、人々は軍が対等以上の力を持っているのだと信じて疑わなかった。
先に行われた彼等の掃討作戦。前世期の遺物たる最終兵器を用いたそれによって月表面は焼き払われ、月は再び美しい陰影を取り戻すはずだったのだ。
夜空を飲み込んだ超新星の如き輝きに、人々は勝利を確信した。だが、月には今も尚、彼等の街が不気味な光を放ち続けている。作戦の失敗が何を意味するのかを気付く者は少なかった。
3
外地から離陸した戦闘機が合流し、飛び回る戦闘機の数が急激に増えていく。それは死霊たちの数を遥かに超えるまでに至った。
――これで戦闘は終わる。
人々の中にはそう予測する者もいた。が、次の瞬間、彼等の安易な予測は消し飛ぶ。
航空機が行きかうさらに上空。空間にノイズが走ったかのような電光が迸り、巨大な『何か』が姿を現していく。街が、地上が、『何か』の影に覆われていく。
巨体のあちらこちらで周期的に光る発光信号。それは『何か』が明らかに人工物であることを示していた。
だが到底、人が生み出した科学の延長線上にあるとは思えない。巨体に幾つも従えた突起物を脈打たせる様は生物的な印象を放つ。あえて例えるなら巨大な深海生物の様だ。
その姿が明らかになるにつれて、響きたる空間を揺るがすような重低音に、逃げ惑っていた人々までもが足を止め空を見上げた。
その視線の先で、巨大な塊から数億本はあるのではないか、と思われる触手が地上に向け伸ばされ、その先端が僅かに赤い光を帯びた。
次の瞬間、先端が強烈な赤い閃光を放つ。
飛び交っていた戦闘機が一斉に爆散した。
航空機を突き抜け、地上まで到達した光が、至る所で大地を切り裂きながら横切り、一瞬遅れて巨大な火柱が壁状に上がる。
――誰がこんな無謀で勝てる見込みのない戦争を仕掛けたのか。
自分達は何に戦いを挑んだのか。人々は完全に答えを見失った。
後に残された絶望的な恐怖は、理性を消失させるには十分すぎた。人々は我先にと悲鳴を上げ走り出す。
走った方向に何が有るのか。辿り着く先は安全なのか。もはやそんな事を冷静に考えられる者は皆無だった。
4
「穂乃花! 穂乃花っ! 誰か! 穂乃花が!」
響生は必死で叫び続けた。既に穂乃花の顔からは赤みが完全に消え、地面には血だまりが出来始めている。
それでも妹がまだ生きている事を、傷口を抑えた手に伝わる血の脈動が響生に教えた。だがそれが徐々に弱まっているのが分かる。
「嫌だよ…… こんなの嫌だ! 穂乃花! 穂乃花……」
深い絶望が心を満たしていく。
「私が助けを呼ぶ」
響生の耳に唐突に声が聞こえた。
そして目の前に妹を覗き込む自分と同じぐらいの少女が唐突に出現する。響生は特徴的なシルバーブルーの髪を靡かせるその少女を良く知っていた。
「助けを呼ぶって、アイは僕以外には見えないじゃないか!」
響生は叫んだ。アイの姿を見、声を聴くことが出来るのは古いウエアブル端末を身に着けている自分だけだ。それは父の遺品が置かれた部屋を母に内緒であさっていた時に偶然見つけた物だ。
アイが何なのか自分には解らない。たぶんアイ自身も分かってはいないのだろう。アイの声は誰にも届かず、その姿は誰にも見えないのだ。そんな彼女が助けを呼べるわけがない。
「私が呼ぶのは人じゃない。彼等では今の彼女は助けられない。多分…… だから……」
アイはそこまで言うと瞳を閉じた。
「私が呼ぶのは彼等」
アイは何かを決意するかのように瞳を開くと上空を見上げた。
その視線を追って上空を見上げた響生は言葉を失う。初めて気づいたのだ。上空に巨大な何かが浮んでいることに。
あまりに異質な物体を見たが故に本能的な恐怖が幼い少年を飲み込んだ。そしてそのまま腰が抜けてしまう。身体が震え、息が詰まる。
「息をして! 落ち着いて! 彼等を呼べば穂乃花は助かる。けどそれは響生が想像するのとは別の形。そして貴方は今までの繋がりの多くを裏切る事になる。それでも助けたい?」
響生にはアイが言っている事の意味が解らない。
――穂乃花が助かる。
それでもこの言葉には強く反応した。そして無我夢中で頷く。
「分かった」
アイはそう言って瞳を閉じる。
「来るよ」
アイが言った瞬間だった。
空を泳ぐ死霊のうち一体が唐突に進行方向を変えた。自分達を目指して一直線に降下して来る。
そしてそれは響生から十メーターぐらい離れた地面に激突する。アスファルトが捲れあがるのと同時に、広がった爆風のような突風に響生は思わず顔を庇った。
響生は恐る恐る土煙が立ち上る方向を見る。煙の奥に最初に見えたのは動き回る八つの巨大な赤い光だ。それが死霊の目である事を響生は本能的に悟った。
土煙が風に流されるにつれてその姿が露わになる。再び本能的な恐怖が響生の全身を駆け上がった。大きい。大人五人分の背丈はある。
長い触手を八方向に束ね、それを足として自身が作ったクレーターを這い上がってくる死霊。
再び息が詰まる。腰が抜けていなければ、妹すら放棄して逃げていたかもしれない。
それほど恐怖が響生の全身に張り付く。
「大丈夫。私の言うとおりにして。動かないで」
アイの声。
死霊が遂に響生の目の前に立ち、八つの目全てで響生を見下ろした。そして触手の一本を響生に向かって伸ばす。
「ひっ!」
響生は腰が抜けたままの体制で必死に後ずさりしようとする。
「動かないで!」
再びアイの声。その声に何とか反応し、身体を停止させる。だが震えは止まらない。
死霊から伸ばされた触手の先端からさらに細い糸のような触手が無数に伸びる。そのうちの一本が身に着けるウェアブル端末に触れた。次の瞬間、死霊が甲高い奇怪な音を放つ。それに応えるかの様にアイが同じ質の声を発した。
死霊の瞳が穂乃花の方向へと動く。そして死霊の触手が穂乃花へと伸ばされ、糸のように細い触手が彼女の身体を包み込んだ。
続いて響生の身体の周りを太い触手が一周すると締め付けた。
「うぅっ」
響生は溜らず悲鳴をあげた。
「このまま、連れて行くって。もう大丈夫。きっと穂乃花は助かる。けど、助かっても彼女が幸せかどうか解らない。多分それは響生しだい。
だから約束して、彼女がどうなっても響生は穂乃花の兄でいて」
響生はアイの言葉を殆ど理解していなかった。それでも
「当たり前だよ」
と響生は強く言った。生きている事が、死ぬより不幸なはずがない。自分は穂乃花の兄であることは今後も変わりようがない。
その答えを聞いてアイが微笑む。その笑顔に僅かな安堵を響生は感じた。
「そうだね。響生なら大丈夫。だって響生は…… ううん、やっぱりいい」
アイは口をつぐんでしまう。響生は恐る恐る自分の疑問を口にした。
「アイ…… 君は誰なの?」
響生の問いにアイは瞳を閉じた。
「昔、一度だけ響生が私をネットワークに繋いでくれたことが有ったよね。その時分かったの。私が何なのか」
アイは開いた瞳に複雑な感情を浮かべた。その表情はことさら悲し気に見える。
「私は…… 彼等の最初の一人……」
5
遠い日の記憶。メイと名付けられた純粋なヒューマノイドの自動記録デバイスに記録された会話の記録。
「――愛様のコピーは究極の感情模倣プログラムを搭載したAIとして、世の中に発表されたと記録されています。
愛様のコピーは当時、四歳児の思考能力しか持っていなかったにも関わらずその感情表現能力の高さから瞬く間に話題になりました。
無償提供された使用期限付きの愛様のコピーは、最終的に四〇万件のダウンロード数を記録しています――」
6
君は父親の意志を継ぎ、混乱が残るフロンティアをまとめ上げ見事復興へと導いた。フロンティアのために君が捧げた一生。その成果がここにある。
百倍に加速された五年の時を超えて、月を覆い尽くす幾億の灯はフロンティアの繁栄の証だ。今やフロンティアの人口は現実世界のそれを追い抜き、技術力は遥かな高みへとたどり着いた。立場は完全に逆転したのだ。
紅蓮の炎にのこまれていく遥かな故郷。
君は、この未来を予想していたのか?
君は『偶然に目覚めてしまった複製』の『使用制限という名の早すぎる寿命』を解き、現実世界へと残した。それに深い意味があったのか、それとも単に目覚めてしまった命に対する処置だったのか、自分には分からない。
君が先に旅立ち、自分は僅かな寿命を残して、永い眠りについた。君が紡いだ未来を見届ける。その約束を果たすために。
目覚め、そして見つけた君と同じコードを持つ存在。君が現実世界へと残した存在。
彼女の幼い瞳に、あの日の君と同じ強い光が宿っている。
そして彼女の行動を見れば分かる。少年と傷ついた少女、そして彼女は強い絆で結ばれているのだろう。あの日の自分達のように。
彼女は自分を知らない。そしてこれからも出会うことはない。自分は遥か以前に死したはずの存在だ。だから『オブジェクト=肉体』は捨てた。
ただ、『結果を見届け、答えを知る』ためだけに意識のみがここに在る。
現実世界を本当の意味で知る者が居なくなったフロンティア。けど、彼女によって、新たな流入を現実世界から、今迎える。
彼等の存在はフロンティアに『現実世界が何なのか』を再び思い出させるだろう。それは互いに『人』であることを思い出させる結果となるに違いない。
互いに人であるが故に争いは避けられない。そんな予感があった。
けど、互いに人であるが故に、分かりあえると君は信じた。
――それでも、これが結果だというのか。
君の居なくなった世界で自分は答えを待つ。
彼女が、あの日の君と同じように『違う』と言ってくれる。そう信じて。
END
Spirit of the Darkness ――あの日、世界は君を裏切った――
これにて完結です。
楽しんでいただけたでしょうか(/ω\)
以前書いたもので、どちらかと言うと、自分用と言うか。。。
本篇の設定を掘り下げる為に、過去の時代をで実際に人を動かしてみようと書いたものです。
その為シーンが断片的であると共に、設定説明がほぼ地の文で語られる形となり、読みにくかったかもしれません。
また、本篇との矛盾点幾つかありますが、申し訳ありません。
それだけに、此処まで付き合って頂けた方には感謝しかないです!!
本当に本当に有難うございました(≧▽≦)
本篇続き早くしなければっ(/ω\)




