Chapter 28 裁きの矢
1
思考を遮るように開いたウィンドウ。そこに千葉からのコールが表示される。それを受け入れた瞬間、頭に響き渡る荒い息遣い。ただ事ではないと感じる。
――気を付けろ。須郷がお前等を探してる…… あいつ、真面じゃねぇ! クソッ、本当に人一人殺しやがった――
――なっ!?――
瞬間的に頭が真っ白になる。
――お前は大丈夫なのか!?――
一瞬の間の後に出た言葉。
――あぁ…… いや、俺も足と肩をやられた。動けねぇ――
――周りに人は!? 助けは呼べそうなのか!?――
――周りに人は居ねぇ、けど、こっちは自分でなんとかする。とにかく気を付けろ。あいつマジでイカれてやがる――
――そんな事より位置情報だせるか!? 直ぐに行く!――
――馬鹿! こっちに来るな! あいつとはち合わせるせる可能性が高いだろ!
いいか、今のあいつに絶対会っちゃなんねぇ。あいつ、お前等を本気で殺すことしか考えてねぇ。そんな気がするんだ――
千葉の必死の訴え。が、一切の思考を掻き消すかの如く、唐突に聞こえた金属製の扉が跳ね返る不快な音に遮られた。
開いた扉から飛び出した男。全身、朱塗りの異様なデザインの服。だが、それがデザイン等では無い事に気付た瞬間、背筋を駆け上がる冷たい感覚。男の衣服を染め上げているのは血だと悟る。それが男自身のものでは無い事は明白だ。大量の返り血。
――おい聞いてるのか!?――
頭に響き渡る千葉の声。それに応えることが出来ない。
「ついてる…… ついてるぜ。今日は最高についてる」
唸るように発せられた声。汗と血にまみれた顔の上で狂喜を宿して限界まで見開かれた男の瞳。そして場違いな笑い声が屋上に響き渡った。
――須郷!
――なっ!? クソッ!――
漏れてしまった思考に反応する千葉。
手に握られた大型のアーミーナイフ。それが不気味に赤い光を反射している。エレベーター前で襲われた時はあんな物を須郷は持っていなかったはずだ。
――なら何故!?
瞬間的に頭を駆け巡る疑問。だが、それ以上に血走った目が見つめる先に戦慄する。
――須郷が見ているのは俺じゃない!?
見ているのは、愛だ。
フラッシュバックする記憶。愛の身体から引きずり出された自動記録デバイス。身をよじらせ苦痛に耐える愛の表情。
頭の中を支配した悍ましい映像。あの時感じた感情の全てが一気に押し寄せた。
両耳のイヤホン型デバイスを引きちぎらんばかりの勢いで引き抜ぬく。
――逃げろ! あいつと関わっちゃ――
途切れる千葉の声。視界に一瞬激しいノイズが走り、拡張現実の全てが消失するが、それを無視してデバイスを握りなおした。
両拳から突き出たチタン合金の鋭い端子。全身を支配する悪寒が、武器を取れと警告している。恐らく運動性能が『通常の人』より劣る愛と一緒では逃げ切れない。
「愛、Tsukuyomiへ先に行ってくれ……」
「私も一緒に…… 信号ラインを彼から守らないといけない」
変わらない強い意志を宿した瞳が自分に向けられる。予想通りの答え。ならば自分に残された手段は一つしかない。
――説得が叶わないのなら強制的に――
蘇る葛城代表の言葉。
「分かった…… けど、絶対に俺から離れるな」
須郷から視線を外さないようにしながら、愛へ向けて手を差し出す。そして彼女がその手を握った瞬間強く引き寄せた。
「え?」
戸惑う愛を強く抱きしめる。その間も須郷から決して目を離さない。愛の頭を撫でるようにして後頭部を探る。そして手に触れた僅かな突起を強く押し込んだ。
その瞬間、ビクリと震えた愛の身体。
「そんな……」
震える愛の声。彼女の身体から力が抜けていくのがわかる。
「こんなの…… こんなのってないよ彰人」
強い憂いの乗った声が、痛みとなって自分を包む。
「ごめんな……」
――けど、俺はもう君を絶対に失いたくない。だから
愛をそっとその場に座らせる。
近づいてくる足音。
転送中の愛を必ず守りきる。
――この命に代えても
決意ともにさらに強く握られた拳の中で、デバイス本体がパキリと音を立てて割れた。
愛に吸い付けられるかの如く見開かれた須郷の瞳。血走ったその目に宿る度を越えた憎悪。何がそこまで彼にさせているのか。もともと執念深く腐った奴だと思ってはいたが、完全に行き過ぎていると感じる。
「ぶっ壊してやる!」
そう叫び! 愛に視線を向けたまま猛然と走り出しだした須郷。
その須郷に向かい自分も走り出す。
――愛には絶対に近づかせない!
握った拳を引き絞る。その瞬間、頭に浮かんだイメージ。それは端子の突き出だ拳が須郷の蟀谷を直撃するものだ。
自分が須郷を殺そうとしている事実を悟る。そうしなければ彼を止められないと感じる。それを認めた事で、不思議な程クリアになった思考。自分の中に流れ込んでくる『冷たい何か』と引き換えに恐怖が薄れていく。
極限に高められた集中力によって引き伸ばされた体感時間。突き出された須郷のナイフをギリギリで躱す。
そして、イメージ通りの一撃を食らわせるべく、拳をさらに引き絞った。
次の瞬間
「ダメェ!」
愛の叫び声が屋上に響き渡る。
その声に無意識に反応した身体。打ち出した拳の軌道がずれる。端子は須郷の頬を浅く傷つけるに留まった。
頬を押さえ、血走った眼を自分に向けた須郷。憎悪の対象が自分に移ったと感じた。
が、次の瞬間、その目に浮かんだ笑み。
そして満足気に喉を鳴らしたかと思うと声を上げて笑いだす。そのあまりの不気味さに、たまらず一歩さがり、
「何がおかしい?」
と声が漏れた。
尚も笑い続ける須郷。
「やっぱり、お前もこっち側の人間だ。間違いねぇ。
お前、俺を殺そうとしたろ? あ? 気に食わねぇ奴は殺す! ここじゃそれが許される。お前もそれに気づいたんだろ? あ?」
須郷が何を言っているの分からない。
「――ここじゃ何をしても許されるんだ。人を殺してもよ、許されんだよ」
須郷の笑みが自身の記憶に酔うかのように悍ましさを増す。
「――何度も刺してやったよ。あの、ムカつくインテリ野郎をな。何度も何度も」
その言葉と同時に流れ込んできた凄惨なイメージが頭を占領する。こみ上げる吐き気。それを遥かに超える怒り。そして、あの場所を千葉に任せてしまった後悔。エンジニアを行かせてしまったことに対する後悔。
「須郷、お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
噛みしめられた奥歯の間だから低く掠れた声が漏れる。
「あ? 分かってるに決まってるだろうが。ここは死人共に占拠された異常空間だ。何が起ころうが、全て死人共のせいだろ? なぁ、そうだろ?」
血走った眼をさらに見開き、声を上げて笑う須郷。
あの時と同じく自分の中に渦を巻いて湧き上がる激しい憎悪。握りしめた拳の中で、デバイスがバキバキと音を立て割れていくのが解かる。
「イカれてる……」
吐き捨てるように出た言葉。須郷の笑みが消える。限界まで見開かれた瞳に再び宿る憎悪。
「これは復讐なんだよ! 俺から何もかもを奪ったお前達へのな!
ブリキ人形の分際で俺をこんな身体にしやがって。ぜってぇに許さねぇ。お前らも、お前らに味方する奴も。お前らが守ろうとする死人共の世界も全部ぶっ壊してやる!」
握りなおされたナイフの切っ先が真っすぐと自分へ向けられる。
2
鈍い光の軌跡を描き自分の直ぐそばを通過するナイフの切っ先。闇雲に振り回されるそれを何度も躱した。
激しく上下する自分の肩。途切れそうになる集中力を気力だけで繋ぎ止める。
チャンスは何度もあった。極端に大雑把なモーション。その度にがら空きになる急所。そこへ、端子が突き出た自分の拳が直撃すれば全ては終わる。
けど、出来ない。最初の一撃を放とうとした瞬間、聞こえた愛の叫び声が自分を踏みとどめさせている。
――こんな奴、死ねばいい……
心の底からそう思う。でも、それを実行してしまえば、須郷と同類だ。そして愛はこんなゲスの命であっても背負ってしまうに違いない。
何かないのか。せめてナイフだけでも何とかしないとならない。
時間と共に須郷との間に体力差が広がるのを感じる。須郷は恐らく機械部の足を動かすのに体力を使っていない。
意識がそれかけた瞬間、背に何かが触れた。自分が壁際に追いつめられた事実に瞬間的に気付く。須郷の顔に浮かんだ嫌らしい笑み。振り上げられるナイフ。逃げ場がなくなったことで、一か八かを行う覚悟がきまった。
途切れそうな集中力を極限まで高める。振り下ろされるそれにタイミングを合わせ、渾身の一撃を手首に放った。端子が須郷の手首に突き刺さる。
須郷の手からナイフが離れ、勢いよく飛んだ。唖然と見開かれる須郷の血走った眼。
さらに機械化されていない胸部に蹴りを突き飛ばすように叩き込む。たまらず、吹っ飛び、うずくまった須郷。
彼を気絶させられるだけの追い打ちの一撃を加えなければならない。けど、身体が思うように動かない。
荒い息。悲鳴を上げる鼓動。前屈みに自身の膝の上に手を置き、必死に呼吸を整えようと試みる。
須郷が、もぞもぞと立ち上がる様相を見せ始めた。
荒い呼吸を整えきる事が出来ないまま、須郷に近づく。憎悪を滾らせ自分を見つめる須郷。その忌々しい顔面に蹴りを食らわせようとした瞬間、須郷の瞳に浮かんだ笑み。途端に冷たい物が背筋を駆け上がる。一瞬の躊躇。
次の瞬間、あり得ない物を見る。須郷の太ももからズボンを突き破り、何かが飛び出す。須郷がそれを手に取り薙ぎ払った。
「なっ!?」
グラつく自分。何が起きたか分からない。
さらに一瞬遅れて軸足を襲った激痛。
――何が起きた!?
訳が分からないまま転倒してしまう。見れば脛が切り裂かれ、大量の血が流れ始めている。
須郷が立ち上がった。
足の激痛を無視して自分も立とうとするが、再び転倒してしまう。力が入らない。腱が切れてしまっていると感じた。
その自分を須郷が見下ろす。手には、吹っ飛んだはずのアーミーナイフと同じ物が握られていた。
それが無造作に太ももに突き立てられる。その瞬間自分を襲った激痛の凄まじさに、たまらず上がった悲鳴。
須郷の目が歓喜を宿して見開かれる。
「千葉もあのインテリもこれに引っかかりやがった。まさか義足の中にナイフ仕込んでるなんて思わなかったろ? あ? お前等が俺をこんな身体にしなきゃ出来なかったことだよなぁ?
おら、痛がれよ? さっきみたいに悲鳴を上げろ。泣き叫んで命乞いをしろよ」
須郷が太ももに突き立てたナイフをグリグリと動かす度に、自身を襲う悍ましい激痛。飛びそうになる意識。
「須郷!」
が、唐突に聞こえた千葉の叫び声によって、飛びかけた意識が引き戻される。須郷が現れた扉から足を引き摺りながら出てくる千葉の姿。
須郷が、血走った眼を彼へと向ける。
「馬鹿がっ!」
そして猛然と走り出した。
――千葉!
何故来た!?
何故来てしまったのか。
限界まで引き伸ばされた意識の中で、防御姿勢をとった千葉。だが、肩と足を負傷し動きの鈍った彼の腕をすり抜け、須郷が持つナイフがあまりにあっさりと千葉の胸に吸い込まれていく。
目を見開き硬直した千葉。そしてそのまま前のめり倒れた。
――俺のせいだ……
自分がデバイスを引き抜き、彼との通信を切ったからだ。自分に対する激しい怒り。
千葉の胸からナイフを引き抜いた須郷。そこから絶望的なまでの血が広がる。
「須郷オオオォォォ!!」
爆発する感情。それが自分の口から叫びとなって溢れ出す。怒りに任せて身体を起こそうとする。激しい痛み。顎が砕けそうな程に歯を食い縛り、渾身の力を振り絞る。なのに起き上がる事すらできない。
広がっていく絶望。
「言っただろうが。あ? お前らも、お前らに味方する奴も全部、ぶっ殺してやるって。全部お前らのせいだ」
戻って来た須郷が再び自分を見下ろす。
「なんだ、その目は? 状況分かってんのか?」
再びナイフが太ももに突き立てられる。抗いがたい苦痛。噴き出る汗。遠のきそうな意識。
――ここまで、なのか……
愛の意識は無事Tsukuyomiへ着いただろうか。
「気に入らねぇ…… 気に入らねぇ!」
須郷が叫んだ。
「何だ!? その目は! クソッ! クソがっ!」
再びナイフが抜かれ刺される。痛みに抗い、精神力の全てを掛けて須郷を睨む。それしかできない。
「ふざけやがって! クソッ! クソォ!」
血走った目に憎悪がありありと浮かぶ。が、それが唐突に笑みに変る。
「そうだ……」
須郷が不気味に身体を揺らめかせながら立ち上がる。
強い胸騒ぎ。瞬間的に愛を確認する。瞳を閉じ、完全に沈黙している愛の姿。僅かな安堵。彼女の魂は無事たどり着いたに違いない。
だが、須郷が見ているものが愛では無い事に気づく。
床に這う大量のケーブルのうち一つを無造作に持ち上げた須郷。そしてナイフをあてがう。
「やめろ……」
思わず自分から漏れる声。
あのケーブルにはフロンティアの民の魂が宿っているのだ。紛れも無い命を運ぶためのケーブル。それには愛のフロンティアに対する思いが詰まっている。
須郷の笑みがより残酷さを帯びる。
「ビンゴォ」
まるで勝ち誇るかのように、そう叫ぶと、あまりにあっさりとケーブルを切る。そして声を上げて笑った。そして次のケーブルを手に取る。
「そんなに死人共が大事か? あ?」
さらにケーブルが切られた。
「やめろ!」
さらに次のケーブル。
「須郷! お前、自分が何をやってるのか分かってるのか!?」
須郷の行為によって失われる命は一人や二人じゃすまない。
「あ? 死人共の駆逐に決まってるだろうが。お前、まさか死人共が本気で生きてるって思ってんのか?」
「当たり前だ!」
苦痛に抗い叫ぶ。その瞬間、須郷に浮かんだ嘲笑。
「思い出せよ。あの後どうなったよ? あ? 無条件に悪いのは死人共で、俺は善人だ。なぁ、そうだろ?
世間はそう思っちゃいねぇんだよ! 馬鹿が!」
さらにケーブルが一つ切られる。
「――ぶっ壊してやるよ、全部。案外それで俺は英雄かもしれねぇ。なんたって『この世界の敵』だからな。なぁ? そうだろう? あ?
お前は黙ってみてろよ」
「やめろって言ってんだ!」
須郷に刺され動かない両足。腕だけで這いつくばり、須郷の方へ近づく。次の瞬間、蹴り上げられた顔面。たまらず仰向けに倒れる。
「大人しく見てろって言っただろうが!」
次々と切られていくケーブル。何も出来ない自分。あまりに悔しく、情けない。
作業が終わってからも真剣にウィンドウを眺め続けた愛の表情が蘇る。
須郷を止めなければならない。何があっても。
――何か、何かないのか!?
ついに不規則な点滅を始めた青い光。
須郷は血走った眼を見開き、狂ったように笑い続けた。姉や母、そして数万の命を運ぶ光が、こんな奴の手によって断ち切られようとしている。
――なんでもいい! 何か!
失血のせいか視界が妙に暗い。遠のきそうな意識。それを精神力だけで繋ぎ止め、手を動かし、何とかうつ伏せの状態まで戻る。
再び腕だけで這いつくばり、須郷の足を掴もうとするが、それは簡単に避けられてしまった。
そして頭に感じた衝撃。須郷の足が頭に載せられたのだと気づく。地面へと顔が強く押し当てられ、完全に動く術を失った。
視界に入る沈黙した愛の姿。そして千葉の姿。それが見えたとたん急速に視界がボヤけて行く。
自分は彼等の思いに何一つ答える事が出来ない。
「無様だな。悔しいか? あ? 泣く程悔しいか? あ?」
須郷の満足気な声。
不鮮明な視界で、一際太いケーブルが持ち上げられていく。他のケーブルより重要度が高いのは明らかに見えた。
「これ切ったら、一つぐらい落ちるかもしれねぇな」
「やめろ」
頭にのせられた須郷の足により力がこもる。
「命令できる立場か? あ?」
「やめてくれ! お願いだ」
「『お願いします』だろうが!」
さらに捻じられる須郷の踵。
――あの時と同じだ
このままでは失ったものが大きすぎる上に誰も救われない。
「……します」
噛みしめた奥歯の間から漏れた掠れた声。けど、自分に出来る事は頼むことしかできない。全ては須郷の意思ひとつなのだから。
「聞こえねぇな」
「お願いします! やめてください」
それを言った瞬間、自分の中で張っていた大切な何かが音を立てて崩れた気がした。無様な程にあふれ出る涙がわかる。
「たまらねぇ! マジでたまらねぇ! ほら、も一回言え! じゃないと切っちまうぞ?」
「お願いです! やめてください!」
須郷が声を上げて笑う。自分のプライドを捨てることで、フロンティアが救えるなら、それで愛の思いが繋がるなら、それで構わない。何度そう自分に言い聞かせてみても、情けないほどに溢れる涙。
命を懸け須郷を足止めした千葉。そして愛を現実世界へと導き、自分の代わりに須郷の元へと向かったエンジニア。須郷は彼等の命を奪った。なのに自分はその須郷に懇願するしか術がない。
愛の提案を受け入れた葛城代表の思い。いつか実の両親に逢えると信じるフロンティアの少女の願い。母や姉、フロンティアに生きる人々の願い。それら全てを背負って行動した愛の思い。愛を守ると誓った。彼女の思いを守ると誓って、彼女の魂を月へと送ったのだ。
なのに全てが須郷の意思ひとつにゆだねられてしまっている。
そして自分は須郷に懇願するしかできない。あまりに情けなく惨めだ。砕けそうな程に噛みしめた奥歯がギリギリと音を立てる。
須郷の笑い声が止んだ。そして須郷の口から発生られたあまりに短く冷酷な言葉。
「嫌なこった」
ケーブルがさらに持ち上がる。分厚いケーブルゴムとナイフが擦れる音。
が、次の瞬間須郷が
「がっ!」
と短い悲鳴を上げた。同時に頭から足がどけられる。自分の視界の先に激しくスパークしながら落下する太いケーブル。
恐らく電源ケーブルだ。須郷は電源ケーブルを知らずに切断しようとして感電したにちいない。
ケーブルを必死に手繰り寄せる。そして、激しくスパークするそれを、須郷の足に押し付けた。
先とは比較にならないほど大きな悲鳴を上げた須郷。そして身体を激しく痙攣させながら倒れる。機械部の関節から上がる煙。
ケーブルを除けて尚、小刻みに震える須郷の身体。しばらくは動けないはずだ。
――繋がないと!
愛の思いを。
須郷に切られた信号ケーブルを手に取る。出血が酷い。上半身を僅かに起こすだけで立ち眩みに似た症状に襲われる。
気力だけで意識を保ち、ケーブルを繋げていく。見れば、いたる所で蜘蛛型マシンが修復活動を行っていた。
――お願いだ! 間に合ってくれ!
3
薄らと赤味を帯び始めた空。夜明け。再び天を目指して登り始めた光。
やれることはやりきった。後は祈るしかない。意識が遠のいていくのを感じる。
視界の隅で、須郷の身体がピクリと動いた。そして、激しく咳き込み、遂に上体を起こす。
「クソッ! クソが! ふざけやがって! ふざけやがって! クソッ クソォ! ぶっ殺してやる!」
血走った目が自分に向けられる。
身体が動かない。立ち上がった須郷。そして、床に転がったナイフを拾い上げた。携帯端末のイヤホン型デバイスを壊してしまった今、『死神からの招待状』を起動することすらできない。
――ゴメン…… 愛
失血によって極端に暗い視界の中で須郷がゆっくりと近づいてくる。ナイフが振り上げられるのが分かった。
死を覚悟する。
が、次の瞬間、視界に走った激しいノイズ。頭が割れそうに痛い。脳が焼けるような感覚。
不鮮明な視界で須郷の手からナイフが落ちた。そして頭を押さえながらもがき出す。恐らく須郷も自分と同じ状態に陥ったのだろう。
「何なんだ!? これ!? クソッ!」
視界上のあらゆる金属と言う金属に激しい雷光が這い回る。落下し始める無人機。床では蜘蛛型マシンが、狂ったようにのたうち回る。
上空の雲は何かが爆発したかのように円を描き弾き飛んでいた。何が起きたのか分からない。全身を這いまわるあまりの苦痛に思考が働かない。
「足がッ 勝手に! クソッ 止まれ! 止まれ、止まれぇ!!」
暴走を始めた須郷の機械部。歩行とも走るとも違う不規則な動きで屋上をのたうち回り、あまりにあっさりと低いフェンスを乗り越え落下した。
雷光を纏いながら、倒壊するアンテナ群。
視界に走るノイズは激しさを増し、耳鳴りも酷い。電気が駆け巡るかのように全身が激しく痙攣する。
ただでさえ消え入りそうな意識が、加速して遠のいていく。
そして意識が途切れる刹那、自分に目がけて落下してくる大型レーザー送信器のアンテナが微かに見えた。
――ゴメン愛…… 俺は……




