Chapter 27 月詠
1
自身のウィンドウに映る『葛城 智也』の厳しい表情。激しい議論を交わす愛とその父親。自分が口を開くタイミングなど到底無いように思える。
それどころか親子ならでわの感情が入交り、議論なのか口論なのか分からなくなる。
正直、気まずい。
けど、これが親子と言うものだろうか。自分と父の関係と比べ、互いに遠慮が無いように見える。フロンティアの代表である父に向かい、毅然とした態度で自分の意見を言ってのける愛の姿。それが愛の性格が故なのか、彼女の父親がそれを是として来たが故なのか。少なくとも自分と父の間には無かった関係だ。
親子の喧嘩とも取れるこの光景が羨ましいと思っている自分がいる。
弱いが故に自分は父との間に亀裂を作ってしまった。全ての不幸を父のせいにして押し付けたのだ。面と向かって自分の思いを叩きつける事すらしないまま。
感情をぶつけることで、自分も感情をぶつけられる可能性から逃げた。
けど、『フロンティアの代表である彼女の父』と『生まれの由来が人工である愛』との関係がこれほどまでにうまく行っている。彼等が背負うものが軽い訳が無い。
けして周囲の環境だけが人を不幸にするわけでは無い、と言う事実を今更ながらに知る。
でも、だからこそ取り戻せるはずだ。自分が作ってしまった環境すらも意思一つで変えられる。全ては自分しだいだ。
この二人の会話を聞いているうちに、愛が行おうとしている事の問題点が見えてきた。
まず、第一に単純な確率論が導く問題だ。通信機を六機増やし、並列処理にて通信を行う場合、そのリスクは七倍になる。全七機のレーザー送信器の内、一機に何か問題が起きただけでも、データーの再構築は不可能になるのだ。
『一機の内、一機の送信機に問題が起きる確率』より、『七機の内、一機に問題が起きる確率』の方が高い。そして、そのリスクにさらされるのは紛れもない命だ。
第二に戦略的な問題だ。愛の提案はこの施設の防衛の要である光学兵器を通信用に転用するものだ。この世で最速を誇る光学兵器だからこそ、フロンティアはレーダー照射から実際に攻撃されるまでの僅かな時間での先手迎撃が可能になっているのだ。
相手の攻撃が一撃でも当たれば、Amaterasuにとっては致命的だ。
突然、愛と議論を続けていた父親の目線が、こちらからそれた。彼の瞳が一瞬、大きく見開かれる。そして何かを考え込むように瞳をを閉じた。
「どうしたの?」
何かを感じ取った愛が空かさず口を開く。
「どうやら、決断しなければならないようだ。発電衛星からイオンジェット噴射が確認された。照射座標の変更が行われている見て間違いないだろう。無論、ただの脅しの可能性もある。だが……
照射座標を修正する時点で、重大な国際協定違反だ。いや、むしろ国際的な圧力を受けての結果か…… どちらにせよ彼等は本気だと考えた方がいい」
発電衛星の照射座標が遂にこの施設へと向けられたのだ。
「お父さん! やらせて! 夜明けまで、発電衛星が再び展開したパネルに太陽光を受けるまでに、あと6時間くらいしかない!」
「俺からもお願いします!」
このタイミングで発言したことに自分でも驚いてしまう。途端に鋭い視線を自分に向けた愛の父親。けど、言いきらなければならない。彼女のやろうとしている事は正しいと感じる。
「貴方は言いました『それが行われればフロンティアは人口の全てを転送することは出来なくなる』って。
けど、愛の言った方法なら人口の全てを転送することが可能なんですよね? ならばやるべきです!」
「そんな簡単な事じゃない! 万が一が起きたら現手法なら確実に送り届けられた命を失う」
「でも、現状だと確実に失われる命があるんですよね!?」
必死に食い下がる。
「転送の優先順位は公平に決められている。後方の者はフロンティア運営に関わる者と、『自分は十分に長く生きた』と、申し出があった者達だ」
「貴方を含め、旅立つ者はそれで納得しているのかもしれない。けど、残される俺達はどうなるんです!? 俺は姉もお袋も失いたくない!」
「私も、お父さんを失いたくない! お父さんは最後まで残るんでしょう? 私はそんなの絶対に認めたくない! だからお父さん! お願い!」
「そう思っているのは、俺達だけじゃないはずです。ここに集まった人達だって、フロンティアが大事だから集まってるんです。フロンティアに失いたくない誰かがいるから!」
愛の父が何かを決意するかのように瞳を閉じた。
「愛、フロンティア代表としてお前に問う。お前の提案によってリスクにさらされる命の数は9万を超える。お前はその命を背負う覚悟があるか。
むろん決定するのは私だ、責任は全て私がとる。それが私の責務なのだから。
だが、それでもお前は背負う事になる。自身が提案した手法による転送。それに何か問題が起き、それによって死者が出れば、彼等の魂の重さはお前に圧し掛かり、自責の念から永遠に逃れられないだろう。それを一生背負っていく覚悟はあるのか?」
愛が真っすぐと父の瞳を見据える。
「覚悟は出来てきてる。私はフロンティア代表、葛城 智也の娘なのだから」
揺らぐことの無い、確固たる意志を宿した愛の瞳。
「そうか…… これはこのような環境にお前を生み落してしまった私の責任なのだな」
愛の父が自嘲気味な笑みを浮かべ、瞳を閉じた。
「違うよ、お父さん。お父さんの娘として生まれたからこそ、こういう選択も出来るの」
愛の言葉に僅かに目を見開らく愛の父。
「なかなか言ってくれる」
「お父さんの子だからね」
「いや、お前は沙紀似だ」
「お母さんが聞いたら『違う』って言うよ」
「……かもしれないな」
そう呟き再び瞳を閉じた愛の父。
「――お前が作ったプランファイルをこちらに転送しなさい。並列処理プログラム及び、データー再構築プログラム、関連する物全てだ。こちらで最速で検証する。お前がそこまで言い切ったのだ。全て用意していたのだろう?」
頷く愛。
「ありがとう…… お父さん」
2
非常階段を上り、屋上のドアを開けた瞬間に吹き抜けた冷たい風。数日ぶりに感じた季節。そういえば愛と出会ったのも冬だった。愛の存在によってひたすら壊れて行く日常に最初は戸惑っていたことが懐かしく思える。
ヒューマノイドの身体に人の意思を宿した彼女の存在が自分の何もかもを変えていった。
長い黒髪を靡かせる愛。出会った時と全く容姿が異なる。けど、その瞳に宿る輝きは変わらない。
拡張現実の中にのみ存在し、触れることが許されなかった彼女が、実体を得て自分の隣に居る。こんな状況だと言うのにその事実が嬉しい。
愛をこの世界へと導いたエンジニアの願い。もしあの日、愛が最初からこの姿でこの世界へと来たなら、彼女の願いの一部だけでも叶ったのだろうか。無意識にそんな事を考える。
が、その思考を現実に引き戻すかのように、空中に浮ぶ幾つもの無人機から多数のサーチライトが一斉に当てられた。まるで屋上に逃れた逃亡者が発見されたかのような状況。
けど、そのサーチライトは直ぐに自分達から外され、進むべき方向が示される。
その先には大人の背丈の五倍はある三機の人型のユニットが照らし出されていた。サーチライトの光を反射し、黒光りする装甲。通常の作業ユニットとは明らかに異なる。
数日前にウィンドウ越しに見た発電所に降下したものと同型機。けど、実際に見るとその重厚感は圧倒的だ。
背中に従えた二門の巨砲。これが、愛の言う光学兵器なのだろう。先の射撃管制レーダーを照射した機体を真っ二つに切り裂いたものに他ならない。
敵では無いと分かっていても身体が強張るのを感じる。
愛と共にそれに近づいていく。
次の瞬間、降下兵が唐突に体制を変えた。響き渡る重々しい駆動音。僅かに遅れて自分達を直撃した風圧に思わず身構える。
「お待ちしておりました!」
まるで拡声器からでも発せられたかのような不自然な声が響き渡たった。
そして見れば三体の降下兵は見事な姿勢で敬礼をしている。人型といえ、明らかに人のそれとは掛け離れた容姿。兵器その物の彼等が、人間らしい動きで敬礼して見せた事実に唖然としてしまう。
「ありがとう。早速ですが貴方達に協力してもらいたい事があります」
降下兵の巨体に動じる事も無く、リンとした声を発した愛。
「はっ! 代表より既にお話は伺っております!」
その巨体からは不釣り合いな程の緊張を宿した声。
「あの……」
降下兵の内、別の一体がさらに声を上げた。
「はい」
「その、愛様ご本人でしょうか?」
「おい!」
別の降下兵が空かさずけん制する。
「え? ええ、そうですけど……」
予想外の質問に流石の愛も戸惑った声を上げた愛。その瞬間、降下兵達が歓声を上げた。
「お会いできて光栄です!」
再び敬礼姿勢を取った降下兵達。先よりも至近距離で風圧が発生したためにたまらず倒れそうになった愛を支える。
「し、失礼しました! お怪我はありませんでししょうか!?」
「大丈夫です。ですが、選出されたのは父であり、私ではありません。ですから、どうか私には普通に接してください」
「とんでもございません! 愛様のご活動は我らも深く感銘しております!」
その言葉に愛が目を見開く。
「ありがとう…… ございます。ですが、力及ばずこのような事態になってしまいました。ごめんなさい……」
言いながら視線を落とした愛。
降下兵達が戸惑うように顔を見合わせる。そして誰からと無く膝を着き巨体を沈めた。
「現実世界への宣戦布告とフロンティアの独立は我等の総意です。ですので、責任は我等全てにあります。
愛様は我等のために、自身が傷つきながらも必死に訴えてくださいました。フロンティア市民全員とは言いませんが、少なくとも我々は感謝しています。ですから……」
彼等の態度を見れば解かる。愛がフロンティアにとって何なのかが。そしてそれは自分などが愛に出会えた事がいかに幸運だったのかを認識させる。
愛はフロンティア代表、葛城 智也の娘であり、彼等にとっては紛れも無い次期指導者の候補なのだろう。
そして自分は『その彼女』の隣にいると決めたのだ。
――だから……
その思考を遮るように脳内に響き渡るアラート音。同時に展開されたウィンドウには施設最下層へと移動、もしくは施設自体から離れる指示が表示される。ダイブ中の者は強制ログアウトとなるらしい。
ついに、避難誘導が始まったのだ。自分たちは現実世界の者にとっては人質だ。その自分たちに施設を離れる指示を出すと言うことは、この施設の放棄に等しい。それを行わなければならないほどまでに、発電衛星の兵器利用の可能性が高まっているということだろう。
「急ぎましょう時間がありまません。一人でも多く、いいえ、必ず全員をTsukuyomiへ」
「はっ!」
愛の言葉に全員がうなずいた。
3
屋上を這う長いケーブルの束。作業に必要なもので大型の物や重量があるものは、降下兵達が用意してくれた。
その彼らは今、背のハッチが取り外され、制御部をむき出しにし、膝をつき沈黙している。彼等の意識はフロンティアへと戻った。
だが、代わりにエンジニアの意思が宿ったヒューマノイドが2体とビックサイエンスの技術者一人が加わった。さらに、蜘蛛のような容姿を持つ小型のマシンが二〇機ほど作業についている。
歩くたびに地響きを立てる降下兵達が屋上に在って尚、建物に致命的な損傷が無い。その強度に驚く。
愛によれば、稼働望遠鏡を初めとする大型観測機器を配置する名目で過去に大改修が行われたらしい。けど、工事が済み、いざ設置段階になるとその計画はあっさり頓挫した。
そんな事ってあるのだろうか? と思ってしまうが、どうやらそこには『桂木 智也』の意思が見え隠れする。
つまり施設の改修自体が、この事態を想定してのことだったと言うことだ。どこまでも用意周到だと言うほかない。
『多重理論分議型 生体思考維持システム』が誕生した時にはすでに、設計者である彼の中にはこの事態に対する予感があったのかもしれない。
視界の隅に配置された『作業ナビゲート』に従い、ただひたすらにケーブルを接続して行く。慣れない作業。間違えそうになるたびに表示される警告にヒヤリとする。
一つ接続するごとに、蜘蛛型のマシンのチェックを受け、別の技術者が確認する。それは自分以外の作業者も一緒だ。
そのチェック体制に自分が行っている作業は『命の道』を作る作業であり、僅かなミスも許されないと再認識させられる。
けど、時間は限られている。視界の隅で刻一刻と数値を減らす夜明けまでのカウント表示。さらにその下には予測転送速度から逆算された値が並ぶ。
あとどれぐらいの作業が残っているのか。自分には皆目見当もつかない。それでもただひたすらに作業をこなす。
今の自分に出来ることはそれだけだ。
3
愛の周囲に展開された多量のウィンドウを高速で流れていくコードの羅列。
そして、降下兵が従えた巨砲からは天を射るかのごとき眩い光が上り続けている。力強く何よりも美しいその光の先に『彼等』の新天地がある。
作業が終了してから一時間、愛の視線は未だにウィンドウに固定され続けていた。
他の作業者たちは解散し、それぞれの本来の役目へと戻った。空中の無人機の数も気づけば大分減っている。
防衛の要である光学兵器を通信に転用した事によって、配置を変えざる得なくなったのかもしれない。
「うん、安定してる。理論値に近い値もでてるし、このまま順調に行けば……」
何度となく繰り返している言葉を呟いた愛。データー送信に関わる全てはフロンティア側からも当然監視しているはずだが、やはりこのプランを考えた愛にとってはいつまでたっても不安なのだろう。
――だが、それでもお前は背負う事になる。自身が提案した手法による転送。それに何か問題が起き、それによって死者が出れば、彼等の魂の重さはお前に圧し掛かり、自責の念から永遠に逃れられないだろう――
葛城代表の言葉が蘇る。愛が自らの意思で背負ったものの重さは計り知れない。
一刻も早く愛の意識を避難させたい。けど、彼女の表情を見てはそれを言い出せない。
愛をTsukuyomiへと転送する。けど、その後自分はどうするべきなのか。
視界にデスクトップアイコンを呼び出す。そこに表示された一つのアプリケーション。Death ?Fluorescence- Logicと表示された飾り気のないアイコン。『死神からの招待状』だ。
自分は愛と共にいると決めたのだ。答えは知れているのかもしれない。
「駄目だよ」
不意に聞こえた愛の声。
「え?」
「思考、ダダ漏れだもん。相変わらず……
彰人のその身体。それは唯一無二の身体、決して『器』じゃない。フロンティアの人達にとっては遠い過去に失ってしまった自分自身。だから、それを捨てては駄目」
ウィンドウから目を離し、真剣な表情で自分を見つめる愛
「けど……」
「私がこっちに残る」
「え?」
「私はこっちに居てもフロンティアに行く手段があるし、逆にこの体さえあればこっちに戻って来れる」
そう言って愛は微笑んだ。
こっちの世界で再び愛と暮らす。自分の思考の中に無かった答え。けど、
「それは簡単なことじゃない」
自分の言葉に愛がうなずく。
「分かってる…… この身体はメンテが必要だし、それを誰がやるのかって問題もある。ビックサイエンスがこの後も存在出来るのかも分からない。
フロンティアはこれだけの事を現実世界でしたのだから、向こう側の人間である私がここにすんなり残れるわけじゃない。
けど、それでも、彰人が自分の身体を捨てるのは駄目。
それにね私は思う。こっちの世界に私は居て、見届けなけないといけないって。この事件を通してこっち側の人達が何を思い、そして何をしようとするのかを。
そんな気がする」
愛はフロンティアの業を背負おうとしている。いや、すでに背負ってしまっていると言うべきか。彼女の現実世界に対する思いは、Tsukuyomiへ渡ろうとも決して消えないだろう。
もし、見届けることで彼女の中の責任が果たせると言うのなら、それが彼女の願いなら、自分はどうするべきかのか。
この世界で彼女を今度こそ守り抜くと、腹をくくることなのかもしれない。
けど、果たして自分にそんな事ができるのか。
――俺はもう、二度とあんな思いはしたくない。




