Chapter 22 予感
1
「私には親がいないんです。珍しいらしいんですよ? 私のようなケースは。普通、乳児期にフロンティアに渡る人は子を望む夫婦によって速やかに引き取られますから。
たぶん彼等にとっては他人の子を育ててるって認識は薄いんです。子の容姿は、里親の容姿と子自身が持つ遺伝子データーを複合して決まりますから。だから、『自分の子と言うアバター』に宿る魂が現実世界から運ばれてくるのを待っているような状態なんだと思います。
けど私の場合は生まれつき脳に生涯があって…… その部分の構造は標準データーから補正してあるので、実際は他の人と何も変わらないんですが……
とにかくそのせいで私を引き取る親はいなかったんです。私は孤児院で育ちました。
だから、なのかな…… 現実世界への執着が他の人より強いっていうか…… 乳児期にフロンティアに来た人の殆どは現実世界にあまり関心を示さないんですけど……
私の両親…… この世界に居るんですよね? 多額の術費用を負担し、私に『肉体を失ってでも生きてい欲しい』って望んでくれた両親が。
ここに来てるって確信があるんです。と言っても私は両親の顔も名前も知らないんですけどね。それでも同じ空間にいるかもって思うだけで、少し満たされるって言うか……」
自分の隣に腰を下ろし、少しうつむき加減で話す彼女。どれぐらいの時間、こうやって話していたのだろうか。
恐らく彼女は自分が『代り』を求めていたことに気づいていたのだろう。もしくは単にあの事件に苦しみもがいているであろう自分に同情したのかもしれない。
実際、会話の最初は決まりきった励まし文句の雨霰だった。本来なら苦痛にすら感じるかもしれない言葉の連呼。けどそれを言う彼女の真剣な瞳に癒された。僅かながらに自分がした事は間違いでは無かったのだと勇気づけられもした。
もっともあの時、相手に大怪我を負わせたのは決して褒められる行為ではないが。
そして気付けば互いの身の上話になっていた。
フロンティアとそれに繋がる者はあまり自分の過去を話したがらない。何故ならその殆どが辛い過去を持つからだ。
フロンティアに生きている。それ自体が、愛のような例外を除き、過去におおきな不幸に巻き込まれた証拠だ。そしてフロンティアと繋がりを持つ者の殆どは大切な誰かを見送った過去を持つ。
だから身の上話をするのは、ある意味で心を許した証。もしくは、そうすることで互いの距離を強引に縮めようとしたのかもしれない。
乳幼児のフロンティアへの旅立ち。それは一部の例外を除き、本当の両親との決別を意味する。現実世界に肉体を持つ者がフロンティアで子を育てることは難しい。事実上不可能だと言っても過言ではない。数年間に渡り、毎日超深度ダイブを行うのは経済的にも肉体的にも不可能なのだ。
故にフロンティア内で子を望む者によって引き取られていく。生みの親と育ての親は互いに接点を持たない。
だから、現実世界に残された親は、『二度と会うことの許されない我が子』の幸せを祈る以外は何も出来ないのだ。にもかかわらず術費用は生みの親が負担する。
里親側の負担としないのは、倫理的に許されないビジネスへと発展させないためだ。
故にフロンティアへと旅立つ乳児の魂は、一切の見返りの無い『親の子に対する生への願い』によって送り出される。
「――私が成人したら、そのころにはフロンティアから現実世界に行く術も確立されていて、世の中ももう少し変わっているに違いない…… 漠然とそう思ってた……
だから、その時は自分を生んでくれた両親を探して、もし逢うことが叶ったなら、心から『ありがとう』って言いたい。『私、幸せだよ』って言いたい。ずっとそう思ってたんです。
……けど、叶わなそうですね……」
ことさら悲しげに顔を伏せた彼女。
「まだ…… そう決まったわけじゃない」
そう信じたい。
何より愛の父は言っていたのだ。『我らの思いが通じるまで』と。
「でも……」
「フロンティアの月への移転すれば、確かに距離は離れてしまうし、自分達からしたら超深度ダイブができなくなる。けど、それは現実世界との決別じゃない。
俺は思うんだ。そうすることでフロンティアは現実世界と対等になれるって。そうなって初めて通じる『思い』もあるって思う。少なくとも俺はそう信じてここに居る」
――愛が信じていたように――
僅かに目を見開いた彼女。その瞳が細められる。
「そう…… ですね。きっと叶う日が来ますよね。きっと……」
2
翌朝。不意に目が覚め身体を起こす。その瞬間、何かがパサリと膝の上に落ちた。それが毛布であることに気づく。いつの間にか寝てしまった自分に彼女が掛けてくれた物だろう。
「いいって言ったのに……」
心に広がる僅かな温かみ。辺りを見渡してみるが彼女の姿は無かった。
その事実に僅かな寂しさを感じる。けどそれ以上に何処かホっとしている自分がいる。メイと同型機が数多く徘徊する館内。恐らく彼女を見つけるのは困難だろう。あれだけ話したというのに自分は彼女の名を訊いてはいないのだから。
「昨日の子、探してるのか?」
不意に聞こえた千葉の声に思わず肩が震えた。
「起きてたのか…… お前」
僅かに感情が乗ってしまった自分の声にげんなりしてしまう。
「ああ、早めに寝ようとはしたんだけどな。睡眠出来るときにしとかねぇと、って思った。何が起きるか分からねぇし。体力もとっておきてぇ。けど、やっぱ寝れねぇよ」
悪びれもなく、冷やかす訳でもない千葉の様子にため息をついた。彼に『空気を読め』などと言っても無駄なのだろう。
「……だよな」
「それより、ニュース見てみろ。俺らの扱い『人質』ってなってんぞ」
千葉の言葉にウィンドウを開く。同時展開させたウィンドウに映し出される光景。
『孫を返して!』
と叫び、泣き崩れる老夫婦の姿。そこにアナウンスが重ねられる。
『生体ハッキングによる意識操作により、彼等らはビックサイエンスに向かったとされる見方が専門家の――』
さらに別のウィンドウに映し出されるダイブ施設。かなりの遠方からの撮影なのだろう。画質が妙に粗い。
『ビックサイエンス所有の施設に軟禁されている人質の数は、3万人を超えると見られ――』
自分達は人質だ。それでいい。そうでなくては抑制効果が無い。けど決して意識を操られたわけじゃない。そもそもそんな事は不可能だ。
自分達は脳の五感に関わる部分の一部を電子化している。だから、五感を操作されるリスクはある。意図された、幻聴や幻覚、痛みを植え付けられる可能性は確かにあるのだ。
けど、意識は干渉されない。それは脳の全てを電子化しても同じだ。
そんな技術は存在しないのだ。人の思考の根本、自我、意識の根源メカニズムは謎に包まれ、創ることが出来ないばかりか、干渉する術がない。
だからこそ、フロンティアに旅立つ者は脳神経ネットワークの全てをそのまま仮想世界にオブジェクト化しているのだ。寿命すらも。
「無事に全部終わるよな……?」
千葉が呟く。
「これだけの人数がここに居れば、誰も手は出せない。電源ラインだってダイブ中の人がいるから切れないはずだ。無事に終わるさ。きっと…… その後、自分達はどうするのか決めなきゃならないけど……」
今はそう信じるしかできない。
3
突如、視界に開くウィンドウ。そこに『地下への移動を促す』指示が表示される。
慌ただしく動き始めるヒューマノイド達。ガラス張りの天井の向こうでは、無人機の群れが明らかに今までとは違う動きを見せ始める。広がる不安。
「何だ!?」
「何が起きてる!?」
動揺した人々の声。
「落ち着いてください!」
ヒューマノイド達の良く通る声があちこち響き渡る。
彼等の誘導に従い移動を始める人々。自分達もそれに加わる。
――何かが起きようとしてる……
胸に張り付く様な嫌な予感。
上空では、無人機達が一斉に一方向へ向かって流れ始めた。
報道から何か情報が得られないか、と思いウィンドウをめくる。だが、既に知っている情報が繰り返されているだけだ。
フロンティアの要求の中には、上空への侵入を警告する内容のものも含まれている。それが侵されたのかもしれない。
地下へと延びるエスカレーターに出来た長蛇の列。その順番待ちをしている最中、唐突に響き渡った轟音。
反射的に音がした上空を見上げる。
すさまじい速度で何かが空を通過していく。あまりの轟音のために空気が震え、天井のガラスがビリビリと音を立てる。空に残された幾つもの白い帯。
次の瞬間、何かが飛び去って行った西の空で輝く閃光。それが真昼の空を飲み込むかのごとく膨れ上がる。
――何が起きてる!?
瞬間的な浮かぶ疑問。が、それは数秒遅れて、館内を襲った地響きのような爆発音に遮られる。
悲鳴を上げ座り込む人の姿。
「何が、どうなってる!?」
ヒューマノイドへと詰め寄る人が現れ始める。




