Chapter 21 面影
1
絶え間なく響き渡るローター音。数多くの無人機が空を巡回する音だ。地上からは巨大な作業ユニットが歩き回る振動が、身体を突き上げる。
異様な光景。それはこの施設がフロンティアによって制圧されていることを示すものだ。
だが、こんな状況だと言うのに数多くの人達が思い思いの体制で座り込んでいる。
自分のメッセージに応えてくれた訳ではないのかもしれない。けど、フロンティアのために命を懸けようとする者がこんなにもいる。その事実にこみ上げて来る感情。
すでに五八〇機ある超解像度ダイブシステムは全て埋まり、人があふれている状態なのだ。
自分が千葉と合流し、目的地であるビックサイエンスのダイブ施設にたどり着いたのは一時間ほど前の事だ。
千葉とはあの後以外にも早く合流できた。父親が現実世界に残したと言うバイクに跨り現れた千葉。
ネットワーク制御機構が義務化される遥か以前のモデルであったために動かすことが出来たのだ。
内燃機関式エンジンを搭載したFONDA社製バイクとしては最後のモデル。
こんな時だと言うのに、その現物が拝めたことに感動してしまう。途中、千葉の運転技術の低さに悪態をつき、運転を交代した。
1200ccの排気量を誇る『DOHCバルブ4気筒、V型エンジン』。夢にまで見たそれが咆哮を上げる様は、眠っていた細胞を叩き起こすかの如く全身を震わせた。
線状に後ろに走り抜ける景色。風になる感覚。興奮が脳を直撃する刹那、愛を後ろに乗せ走った記憶がフラッシュバックする。
自分は愛の望みをかなえられなかった。
――けど、まだだ
思いをぶつけるかの如く、さらにアクセルを捩じりあげある。途端に千葉が抗議の声を上げたが聞こえないふりをした。
都心部が近づくにつれ、報道されたままの異様な光景が飛び込んでくる。バイザーに示されたナビゲーションに従い、大通りを避けつつさらに突き進む。
途中、ドロイドやヒューマノイドが道を塞ぐかのように沈黙していたが、自分が近づくとまるでゲートを開くかのように両脇へと移動してく。
それが、仮説が確信に変った瞬間だった。
フロンティアはやはりこの端末を持つ者を呼んでいるのだ。
そしてたどり着いた目的地。この施設に多くの人が同時に訪れるのは何年振りなのだろうか。
けど、恐らくここに大勢の人が集まるのは最後になる。
臨戦態勢。空を警戒する多量の無人機。明らか兵器として作られた巨大な歩行ユニット。それらは愛の父が言っていた『軍が秘密裏に開発した物』なのだろう。
明らかに現実世界の人が操るために作られたものでは無い。搭乗者の肉体限界を考慮する必要の無い機体。しかもそれを操る者の意識は光に乗って光速で移動するのだ。
彼等が活躍する戦場は今までの常識の全てを覆すだろう。
けど、そこには一切の倫理的な制約は存在しない。
フロンティアの人々と同じ魂を宿しながら、より機械に近い存在。感情を持たず、『人』としての欲求を持たない。現存のAIには無理な柔軟な判断力を得るためだけに、大量に作り出された意識。
――知っているかな? 人の能力の殆どが後天的なものだ。食事をしたいと言う欲求すらも。
先天性の食道閉鎖症によって三歳まで口から物をとることが叶わなかった少女は、その後の手術によって食道の機能が回復したにも関わらず、一生涯、『食事』という行為を拒んだ。有名な話だ。
医療によって彼女は、生きながらえることができた。胃に送還されたチューブによってね。だが、彼女は『ものを食べる』と言う生物として当然の欲求を得る機会を失ってしまったんだ。
人の脳は生後、急激に発達し三歳までに脳神経ネットワークの八〇パーセントほどが完成する。逆に言えば『人として生きるために必要な基本的な経験』はこの時期に得なければ二度と得られる機会を失う。
動物に育てられた子は表情を失う。二本足で立つことも、言葉を発することも二度とできない――
この事実が逆手にとられた。仮想世界内の全ての行為は快楽行為であって生きるために必要な行為ではない。
人間らしい欲求に目覚めさせることなく、機械を扱うかのごとく育てる。感情すらも芽生えさせない。そして必要な技術と知識だけを叩き込んだ。
愛が人権を獲得する以前に行われた処置。つまり人工意識に人権が与えられる前に行われた措置だ。そして、人としての感情を持たず、善悪の区別がつかない『彼等』に人権が与えられる事はなかった。彼等の扱いはAIのままだ。
だから数千ものサンプルの中から出来が良いものだけが選びだされ、大量にコピーされた。フロンティアの知らないところで。
愛を生み出した技術が大義のもとに悪用されたのだ。
――歪んでいる。憎悪や憤り、怒りや悲しみを通り越し、もはや何と表現していいのかすら分からない……
一体何のために我等は子を持つ権利を失ったのか。何のために『生体脳電子化技術』は禁止されようとしているのか――
瞳を閉じ、拳を握りしめ語る葛城代表の姿が思い出される。
愛を生み出した技術が禁止となったことで、新たな人工意識を生み出すことが出来なくなった。つまり既に、製造済みの『高性能AIとしての彼等』を保有する国の独占となったのだ。
そして『生体脳電子化技術』の使用が禁止となれば、実質的に『有人機には不可能な運動性能を持つ無人機』の開発を含めた運用をも独占状態となる。それらを操縦する意識の新たな供給は絶たれるのだから。
葛城代表は可能な限り『凍結保存された彼等』を自ら消去したのだという。その苦痛は想像を絶するものだったに違いない。
「これしか無かったんだよな……?」
ガラス張りの天井越しに空を見上げながら呟いた千葉。
「解からない……」
ビルの谷間より姿を現した月に向かい、青いレーザー光が打ち上げられる。高密度のデーターを乗せたその光が、闇を切り裂き空に向かって一直線に伸びる様は幻想的で美しい。数百、いや、フロンティアに生きる二七万の魂を運ぶ光。命の光だ。
日中は衛星を経由して行われていたであろうフロンティアの『Tsukuyomi』への移転。それが今、目に見える形で行われている。
視界の端に配置したウィンドウからは、混乱する現状と共にフロンティアの要求が報道されている。僅かながらに情報が整理されてきているように感じる。
「俺達に送られてきたあのソフト…… あんな物、突然送り付けられたってどうすりゃいいか分からねぇよ」
「そうだな……」
千葉が言うプログラム。それは自分達にフロンティアか現実世界のどちらか一方の選択を迫る物だ。
愛の父はそれを『死神からの招待状』と表現した。フロンティアをあれだけ愛する彼が、冥界を連想させる名前を付けたのだ。それだけ不本意だったのだろう。
彼等の殆どは現実世界に大切な者を残し、フロンティアへと旅立った。その彼らが『思い人』に対して『肉体の放棄』を心から望むだろうか。
「俺達は純粋に選択権が与えられたんだと思う。彼等は恐らくそれを望んでない。だけど、彼等も俺達がフロンティアとの決別を望んでいない事が解かるからきっと……」
「だから、選ぶしかねぇって言うのか」
ここに居る者全てが感じているであろうやりきれない思い。何がこんなにも、二つの世界を隔ててしまったのか。
2
深夜。空に向け放たれる幻想的な光。館内の照明が絞られたことによって、よりいっそう輝きを増したそれを床に横になり見つめる。千葉はいつの間にか寝てしまった。
「寒くないですか?」
施設内を巡回するヒューマノイドの一体が自分達の前で足を止めた。身体を起こす。
十五度に保たれた館内。確かに、薄着だったら寒いだろう。けど季節が冬であった事が幸いした。
「厚着してるからなんとか。外よりはマシだし」
「では、食料や水はお持ちですか? もし無ければお配りしているのですが。インフラ設備が何時まで正常動作するのか分からない状況ですので……」
「ありがとう。けど一応、数日分は用意して来たんだ。自分達より他の人に」
「そうですか、お気遣いありがとうございます。何かありましたら、誰でもいいんで気軽に声を掛けてください。こんな状況ですけど……」
ジルコニアの瞳に宿る僅かな感情。メイと同じ型のヒューマノイド。けど、AIじゃない。愛に比べると僅かに動きがぎこちないのはフル神経接続による遠隔操作だからだろう。でも間違いなく彼女の意思を感じる。
踵を返した彼女。グラスファイバーの髪が白銀の光を反射しながら舞い上がる。その後ろ姿に愛の面影が重なる。
「あの……」
気付いた時には何となく呼び止めてしまっていた。
「はい、何でしょう?」
再び振り返った彼女。言葉につまる。不自然な間。けど彼女は僅かに微笑み、自分の次の言葉を待ってくれた。
――少し、話し相手になってほしい……
出かかった言葉。それを辛うじて押しとどめる。
――何考えてるんだろ俺……
「いや、何でもない……」
言いながら再び身体を横たえる。
彼女はそんな自分を僅かに考えるような表情で見つめ、やがて口を開いた。
「『霧崎 彰人』さん…… ですよね?」
全く予想外に名前を呼ばれ、再び身を起こす。
「え? 何故……」
「やっぱり…… そうじゃないかとは思ってたんです。貴方は有名人なんですよ?」
自分が起こした事件はフロンティア内でも有名だと言う事だろう。姉も『現実世界側で報道されてるニュースを見た』と言っていた。名前は報道されていないはずだが、ネットで調べれば直ぐにでもわかる事だ。
「……」
自分が無意識にした表情のせいだろうか。彼女は少し慌てた様子で口を開く。
「すみません。変な意味じゃないです。もちろん貴方がこっちの世界でどのような扱いをされているのかは知ってはいます。けど、フロンティアから見た貴方は、いい意味で有名と言うか……」
「……え?」
「あの事件に対する考え方は、フロンティアと現実世界では全くことなるんです。ご存知でしたか?」
「いや……」
そうは言ったものの、その可能性については考えなかったわけではない。けど、自分にとって都合のいい情報ばかりを選択しても癒されるどころか空しいだけだ。
「御免なさい。嫌な事を思い出せてしまいましたよね……」
次の言葉が出てこない。
彼女はそんな自分の様子を見つめ、やや、躊躇うように口を開いた。
「その、もし嫌じゃなかったら、少し、お話しさせてもらってもいいですか?」




