Chapter 20 決別
1
「そんな……」
彰人はウィンドウに映し出された情報に呆然と呟いた。
国際会議当日。『生体脳電子化技術の是非』をめぐり、会議は今日から三日連続で行われる。
その初日。政府が取った信じられない緊急措置。それは、『脳にインプラント処置を受けた者』の外出と専用端末のネットワーク接続を制限するものだ。
この措置は国際会議終了、一週間後まで続けられるのだという。
名目は『ここ最近頻発するインプラント措置を受けた者に対する襲撃事件と生体ハッキングの恐れから該当者を守るため』だと言う。
馬鹿にしている。取って付けたような理由だ。たしかに政府の言うような事件は過去に起きてはいる。
けど、それは決して最近になり、頻発しているわけではない。明らかにデモ行為を権勢しての処置だ。
自分たちには意見を言うことすら許されないと言うのか。
それに反発する者が各地でバラバラに集まり、既に逮捕者も出ている。
『仕方無いんじゃないんですか? 自分の脳ミソをいじっちゃうぐらいだから、彼等って普通じゃない気がするし。怖いって言うか』
街頭インタビューで、笑いながらそう答える茶髪の女性。
「ふざけるな!」
彰人は叫ぶと、乱暴にウィンドウを閉じた。そして簡単な身支度を整えると、そのまま玄関に向かう。
が、それに合わせるかの様にメイがリビングから出てきた。
「彰人様、どちらへ行かれるおつもりですか?」
「何処だっていいだろ」
「彰人様は残念ながら、外出制限の対象者となっています」
「関係ねぇよ」
言いながらメイの横を通り過ぎる。その瞬間メイが自分の手首を掴んだ。
その手を強引に振りほどこうとするが、ピクリとも動かない。
「痛ぇよ。命令だ。離せ」
言った瞬間、メイの手はあっさりと離された。
「彰人様は一号観護措置中の身です。この状況で一歩でも家の敷地の外へと出れば、私は通報せざるを得なくなります。どうかご理解を」
無機質な輝きを放つジルコニアの瞳。そこには一切の感情が宿っていない。
彼女は自分が行動に出れば、一切の躊躇なく警告通り通報するだろう。自分はここから一キロも離れることも出来ずに拘束されるはずだ。
そうなってしまえば、結局自分には何もできない。
一度、引くべきだと悟る。
――けど、その後はどうすればいい?
一号観護措置中。
その言葉が重くのしかかる。こみ上げる遣り切れない感情。
降りて来た階段を引き返すしかできない。あまりに情けない。
――けど、それでも
まだ、自分は諦めたくない。ここで諦めたら今までと何も変わらない。
階段を引き返しながら思考を限界まで加速する。
あの時は愛がいたからこそ、家から出られたのだ。自分にはそんなスキルは無い。
けど、まだ何かあるはずだ。絶対に。
2
闇雲に時間だけが過ぎていく。何も出来ないまま。議決まで一日。家から出ることすら適わない。
愛の父親を初めとするフロンティアの訴えは、会議でどのように処理されているのだろうか。誰が何を発言し、どのように流れていくのか。知る術が無い。
ウィンドウからは好き勝手な予測が流れてくるばかりだ。
やがて来る『誰も望まぬ始まり』が避けられないものであると悟る。
この世界は気付いていない。
『彼等』の思いがどれほど強い物なのかを。一つの世界を滅ぼそうとすれば何が起きるのかを。
世界を生み出した者のエゴ。自分達は圧倒的に優位な立場だと信じ、疑わない。
けど、気付かされる事になるのだ。自分達は決して『神』ではないことを。そして滅ぼそうとした世界に生きる者も、また自分達と同じ『人』であることを。
3
『我々はここに独立を宣言し、世界の決定を拒否する』
その衝撃的な宣言は混乱と共に世界を駆け巡った。それと同時に関東近郊を中心に各地で起きる異変。
ウィンドウに映し出された主要幹線道路。長い車の連なりは道幅一杯に滅茶苦茶に乱れ、道を塞ぐかのように停止している。
「車が勝手に動いたんだ!」
混乱した様子で、必死に訴えるドライバー。
別のウィンドウでは、命令を放棄し、列を成し、移動するヒューマノイドやドローンの姿が映し出されていた。その様子を決死の表情で報道するアナウンサー。
倉庫では、何年も眠っていた大型無人作業ユニットが突然動きだす。
「今、別の情報が入ってきました! 発電所や変電所の周辺に相次いで金属製の巨大な球体が落下したもようです!
え!? 軌道上? 落下物は軌道上から投下されたもようです! 映像 !? あ、映像出るんですね!?」
混乱したスタジオを置き去りに唐突に切り替えられる映像。そこに映し出される異様な光景。
揺らめく陽炎。自身が作ったクレーターの中心で、外装の一部を赤熱させ鎮座する強大な球体。
その外壁が、まるでパズルを分解するかのように爆発音と共に崩れ落ちる。現れる黒光りする巨体。明らかに通常の無人作業ユニットとは異なる。
装甲に覆われた可動部。巨体の至る所に装備された一目で武器だと分かるユニット。それらは、巨大な機械が作業ユニットとは真逆の目的で作られたことを示す。
ついに始まったのだ。それでも、フロンティアは持てる力の全てをまだ行使していないと感じる。彼らが本気で手中に収めたネットワークを全て遮断したなら、報道すらも出来ないはずだ。
そして何より異変は関東近郊に集中しているのだ。
――私は守りたいだけだ――
その言葉が蘇る。
恐らくフロンティアは月に移転するための時間を稼ぐために、最低限の事をしているにすぎないのだろう。
混乱を伝え続けるウィンドウ。そこに映し出された逃げ惑う人々の姿。
分かってはいた。こうなるであろうと。
けど、やりきれない感情が湧き上がる。
恐怖に引きつった人々の表情。それは『人』を見る表情では無い。もっと得体の知れない何かに怯えた者の表情だ。
本能的に悟る。事態は『最悪』に向けて動き始めたのだと。
心の奥深くまで刻まれた本能的な恐怖は、フロンティアとの共存を永遠に拒むだろう。
いつの間にか居なくなっていたメイ。恐らくウィンドウの中で移動を続けるヒューマノイド達の一部となったのだ。
脳にインプラント処置を受けた者のみが使用できる専用端末は、ネットワーク接続が回復していた。
それどころか、マッピングソフトウェアが自動的に起動し、ビックサイエンスまでのルートが示される。
――呼んでる……
ここに来いと。
同じく自動的に開いた別ウィンドウには『死神からの招待状』と共にフロンティアからのメッセージが映し出されていた。
メイがいなくなったことで自由を得た。
直ぐにでもビックサイエンスに向かわなければならない。自分は『ビックサイエンスの超解像度ダイブシステムを目指せ』とい言うメッセージを発信した身だ。自分が行かないなんて事があってはならない。ビッグサインスに集まる人々の殆どが、自分のメッセージではなく、フロンティアからの呼びかけによって集まるのだとしても。
が、家の外に出て直ぐに行き詰る。起動すらしないエレクション・モーターバイク。
車がドライバーの意思を無視して勝手に動き出し、主要幹線道路にバリケードを築く様な状況だ。これが動くはずもない。
超解像度ダイブシステムまでは、公共交通を使用して一時間半前後。それが真面に機能しているなどとは到底思えない。そして、とてもではないが歩ける距離では無い。
用意した数日分の水や食料。その重みが肩にズシリと掛かる。
――けど……
彰人は歩き始めた。それしか自分には出来ることは無い。
4
二時間くらい歩いただろうか。視界の隅に配置したウィンドウからはあいも変わらず混乱する都心部の状況が流れ続けている。
それに比べてここは驚くほど静かだ。ここに来るまで殆ど人とすれ違わない。まるで街が死んだかのようだ。商店街どころか大型店舗までがシャッターを閉めてしまっている。
そのような行動の呼びかけが確かにウィンドウからは流れている。けど、それ以上に強い怯えを感じずにはいられない。
空を時折、見たこともない軍用機が都心部の方向へと飛び去っていく。
この状況で飛べるとしたら、フロンティアの管理下の機体だ。
いつまで、フロンティアは優勢でいられるのか。これだけの事をしても、時間と共にフロンティアは追いつめられていくのだろう。軍が動くのも時間の問題だ。
フロンティアの全てを『Tusukuyomi』に移すには最低でも五日はかかると愛の父親は言っていた。その間、戦線を維持するのは非常に困難な事だとも。
Amaterasuはもちろん、それに続くエネルギー供給ラインを死守なければならないのだ。敵地のど真ん中で。
GPSを使用するような、自動追尾系のシステムは使用不能に陥っている可能背が高い。けど、それでも全ての兵器が使用不能に陥っているなどとは到底思えない。
滑走路のど真ん中で作業車両が沈黙するなど物理的な障害が発生しているようだが、時間の問題で処理されるだろう。
そうなれば全面衝突は免れない。そして長くは持たない。
彰人はそこまで考えて首を大きく横に振った。
そんな事を考えても仕方がない。自分如き素人の貧弱な知識をもとにした予測など役に立たつはずがない。
とにかく自分はやると決めたことを成さねばならない。
自分だけでもビックサイエンスにたどり着く。必ず。
5
視界に唐突に開くウィンドウ。そこに表示される着信。
――何がどうなってる!? てか、お前、今、何処にいんだ!?
着信に応えるや否や、千葉の大声が頭の中に響き渡る。それに溜まらず彰人は耳を塞いだ。
もっとも耳を塞いだところで、この声は変わらぬ音量で頭の中に響き続けるのだが。
千葉の焦った声が逆に自分を冷静にする。
――どうなってるって、報道のまんまだ。この端末を使ってんなら、フロンティアからのメッセージが届いてるはずだ。一つのプログラムと一緒にな。そこにフロンティアがしようとしている事の全てがのってる。
何処って言われてもな…… ちょっと待ってろ――
ウィンドウに目を走らせる。GPSのデーターは表示されていない。
電波エリアからある程度現在地を絞り込む。そこからマップ上の自分の居る一点にマーキングをし、千葉に転送する。
この状況で、この端末だけが正常に機能するのは恐らくフロンティアの意思だ。フロンティアはこの端末を持つものを呼んでいる。
――届いたか?
――ああ
――俺は超深度ダイブシステムを目指す
――分かった俺も直ぐ行く!
――直ぐ行くって、おい!
閉じられてしまうウィンドウ。全く相変わらずな奴だ。
千葉との距離が分からない。来ると言ってもどれぐらい待てば良いのか。
――いや、待ってろ、とは言われていないか……
再び歩き始める。しばらくはこの道を直進するのみだ。運が良ければ会えるはずだ。