Prolog Six Years Ago…
「あの世で生まれたって言うAIが、現行機に搭載されるって話だぞ」
「けど、何故今更…… あの技術は国際的に禁止されたはずじゃ……」
「彼女が事実上のAIだからだろ? 『人』じゃない」
「いや、逆だ。事実上の『人』だろう?」
「馬鹿らしい。人の意志で生み出された存在に命が有るって言うのか? お前は」
部屋のスペースの大部分を占める測定機器類の間を、太いチューブが縦横無尽に床を占領し、ただでさえ狭いラボには、噂を聞きつけ仕事を放棄してまで集まった若い技術者達でごったがえしていた。
彼等の視線はセラミック製の作業台に横たわる一人の少女に注がれている。
透き通るような白い肌が作り出す曲線は見事なラインを描き、細く長い手足は正しく理想そのものだ。
人によって創造されたが故の完璧な容姿。
頭部の量子チップが放つ熱を赤外放射させるために、グラスファイバー製となっている髪。それが作業用照明の強い光を受けて白銀に輝く様は、造形美と合わさって何処か妖精のような印象を作り出す。
だが彼女が目覚めれば、無機質でぎこちない表情がその美貌を台無しにする。命の宿らない瞳はそれが人形であることを知らしめ、周囲の者を不快にさせることすらあるのだ。
『汎用型ヒューマノイドRCX―43』
紛れもない現行最新機種であるそれは人には程遠い。
間接の可動域は人の動きを完璧に再現し、マイクロワイヤーが張り巡らされた顔部は人の表情の全てが再現できる性能を有しているにも関わらず。
それを動かすソフトウェアーに表情が無いのだ。人に魂は作れない。
――だからいっそのこと目覚めない方がいい。
この作業の全責任を預けられたエンジニアは、自分の全てを賭け開発したヒューマノイドの目覚めを、もう二度と見るまいと誓っていた。それほど彼女は自分を失望させたのだ。
だがその望みは、会社の威信をかけたプロジェクトに巻き込まれたが故に途絶える。
しかも自分達が愛情をこめて作り上げた身体に、他所で作られた出来合いのAIをインストールするなどと言う屈辱的な仕事だった。会社を辞める事を決意したエンジニアだったが、インストールしようとしているAIの名を聞いて踏みとどまったのだ。
二十年近くも前に開発されたAIの名。当時世界に衝撃を与え、議論を呼んだ末に世界から消えた存在の名だった。
そのオリジナルがインストールされようとしているのだ。
彼女が目覚めなければその瞬間、自分の首は飛ぶだろう。それだけで済めばよいが、業務上過失致死が適応されてしまうかもしれないのだ。
――だが、それでもやる価値がある。
その存在には人権がある。人工とは言え、生まれの由来その物が『人』なのだから。
長い間忘れていた自分がヒューマノイド制作に没頭し始めた切っ掛け。それは『彼等』の存在だった。
本来作りたかったのは『器』であってロボットでは無い。自分の目指した仕事は時代の流れに飲み込まれ、急速に需要を減らした。迫られた方向転換。
そして器に宿った魂は出来損ないの作り物でしかなかった。
ウィンドウでは起動シークエンスのログが忙しなく流れてく。ソフトウェア、もしくは意識とも呼べるデーターを彼女へと流し込む最終作業だ。
そしてウィンドウが、全ての作業が正常に終了したことを知らせると、騒いでいた技術者たちが沈黙した。
静寂の中、機械類の冷却ファンの音だけが響き続ける。それがよりエンジニアの緊張をあおった。
彼等の視線の先で少女の瞳がゆっくりと開かれる。そして僅かな駆動音を放つ指先が感触を試すように握られた。
エンジニアは引き攣った口元の痙攣を鎮めるように、一度自分の頬を強く叩くと口を開いた。
「調子はどうだい?」
「少し重い……」
否定的な第一声。しかもひどく曖昧な日本語だ。
再び若い技術者の間にどよめきが走った。
コンディションを問われて、こんな曖昧な答えを返すヒューマノイドはいない。彼女の意識へと送られている全身の情報が数値処理ではなく感覚的に処理されている証拠ともとれる発言。
エンジニアは重積から解放された安堵を超える興奮が自分に湧き上がるのを、辛うじて抑え込み、努めて冷静を装った。
「これでも最新型なんだ。それをベースに、二足歩行用のバランサーやら、距離識別用の演算回路やら、君にとっては不要だと思う物を全て取り払って、基本スペックに全て捧げてるんだ。それでもこれが限界なんだよ」
「うん。解ってる。貴方には感謝してる。有難う」
言いながら少女は微笑んだ。その瞬間、興味本位だけで集まっていた若手の技術者達のザワメキが再び止まった。
本来無機質で人工的な表情しか持たないはずの彼女が見せた微笑は、同機種の性能を遥かに上回るものだったのだ。
――これで本当に同機種なのか――
――ソフトウェアが違うだけでこうも変わるのか――
再び騒ぎ出す若い技術者達。
複雑な感情を秘めた微笑が、彼女に与えられた美貌を損なうどころか際立たせる。ジルコニアの瞳に意志と呼べる物が確かに宿っていた。
――馬鹿な…… 有りえない――
その瞳の中に魂をかいま見たのだろう技術者が震えた声を上げる。
――やはり……
エンジニアは大きくうなずいた。そして自身を制するように大きく咳払いをする。
作業台に手を着き、起き上がるために自然と曲げられる膝の関節。この動作一つ見てもヒューマノイドの動きではない。本来なら腹部のモーターのパワーに任せ、定速度で上体を起こすのが普通なのだ。
同時に多数の関節を動かす行為は極めて負荷のかかる演算処理を必要とする。だが彼女はいとも容易くそれをやってのけようとしていた。
そして上体が実に人間らしい動作で遂に起き上り、ガラスファイバーの髪が、白銀の光を反射しながら背中へと流れ落ちる。
その美しさにエンジニアは見とれた。
「解っていると思うけど、その身体で食事は無理だ。それに制約は山ほどある。今まで君がいた世界とはあらゆる意味で違う。君の意識のバックアップを取ることは法律で禁止されてるんだ。だからバッテリー残量には常に気をつけてくれ。特に寝る時には必ず、電源プラグをつないでくれ。さもないと」
「死ぬのね。解ってる。けどこれが私の望みだもの。だからそうなっても後悔はしない」
その発言にエンジニアは思わず顔を顰めた。
「たのむから、そんな発言はやめてくれ。君が死ぬようなことがあったら僕の首が飛ぶ。だから慎重に。望んではいないだろうが、君は有名人なんだ。いや、人と呼んでくれる者は少ないだろう。この世界は決して君を認めたわけじゃない。例え法律的にどうであろうとも」
「それも分かってる。智也……父にも大分反対されたもの。でもこれが私の意志。だから大丈夫」
少女は言いながら立ち上がろうとした。が、その瞬間バランスを崩して前のめり倒れそうになる。
エンジニアはそれを辛うじて支えた。
――二足歩行用のバランサーを取り払ったのが原因?――
――いや、彼女にそんな物は必要ないはずだ。人の耳石に相当する平行感知情報だけで十分なはずだ。AI自体に人の脳が持つ全てがプログラムされてるんだから――
――では何故!?――
若い技術者たちの動揺の声に僅かに感じた苛立ち。それを押さえつつ口を開く。
「あまり無理をしないほうがいい」
「大丈夫」
言いながら少女は立ち上がった。足を大きく広げバランスを取っている。それは自然な立ち姿からはかけ離れており、惨めだ。
――おいおい、マジかよ? あれじゃ現行機の方がマシだぞ――
――まさか失敗? 彼女の記者会見は三日後に控えているんでしょう?――
「少し黙っててくれ!」
エンジニアは遂に声を荒らげた。場が静まり返る。
「御免なさい。少し、歩くの練習させてほしい」
静寂の中、少し戸惑うように声を発した彼女。
「ああ、分かっている」
彼女にとっては突然別の身体に脳を移植されたようなものだ。仮想世界内での自分と手足の長さが違うのだ。そんな状態で直ぐに歩けるはずがない。五感の情報全てに違和感があるだろう。
彼女は人として扱うべきだ。あらゆる面で。そう言う存在なのだから。
「おい、誰か車椅子を持ってきてくれ。それと何処かのリハビリ施設を貸し切れ。記者会見は三日後だ。彼女にはそれまでに歩けるようになってもらう」
ラボが急に慌ただしくなった。若い技術者たちが、自分の役割を決めるべく二言三言話し合い、頷くと駆け足で出ていく。
会社の人事採用機構はちゃんと機能していたようだ。お陰で、自分の曖昧な指示も直ぐに実行されるだろう。
「三日でなんとかなりそうか?」
エンジニアは改めて少女に問う。無理と言われたところでやってもらうしかないのだが。
「やれる」
不確定な未来を断言してのけた少女。ヒューマノイドとしては失格だ。
ジルコニアの瞳により強く意志が宿るのが分る。
「すまない。有難う」
自然と彼女に対し出た言葉。彼女にこれから必要であろう努力とそれに伴う苦痛に対しての謝罪。そしてそれを受け入れてくれたことへのお礼だ。
普段なら絶対に行わない言動。機械に向かって謝ったあげくにお礼を言うなど滑稽だ。ましてまだ成果のない事柄に対してなど。
ロボットがスケージュルを熟すは当然であり、それに苦痛など感じようはずがない。
だが、彼女は違う。
人の脳が持つ神経ネットワークの構造解析により生み出された『人工意識体』。彼女を産んだ技術の全ては、国際的に使用が禁止された。その理由が彼女を見ていると、よく分かる。こんな物を『人』が作って良いはずが無い。
けど、彼女は産みだされてしまったのだ。そして自らの意思で、さらなる苦難を選ぼうとしている。
自分は彼女がこの世界に大きな代償を払ってまで来た理由を知らない。だが彼女の瞳に宿る意志が、何かの目的があることを示唆していた。
暫く彼女に自由は無い。会社が用意した各種イベントを熟してもらわなければならない。それは彼女自身も分かっていよう。エンジニアは少女に真っすぐと視線を合わせ、口を開く。
「君がこっちの世界に来た目的はなんだい? スケージュルは厳しいが僕に出来る事が有れば協力させてもらうよ」
彼女は僅かに目を見開いた。
「ありがとう」