Chapter 13 悪夢
1
大した速度も出ていないのに、愛のメイド服の裾がバタバタと波打つ音が聞こえる。
自分の身体へと回された愛の腕。後ろに女性を乗せ、エレクション・モーターバイクを駆るなど、同年齢の男子から見れば『羨ましい』の一言に尽きるだろう。
だが、残念ながらこの状況では、『一部のマニアから熱狂的な支持を受ける43型ヒューマノイド家政婦仕様』を乗せて走る痛い高校生だ。
静かだと定評がある『やる気のないモーター音』。一度でいいから前時代の内燃機関を搭載した大型バイクに跨り、フルアクセルを体感したい、と心から思う。
けど、残念ながらそれは出来ない。環境に悪いだの、音がうるさいだのの理由により法律的に禁止されてしまった。
おまけに完全ネットワーク電子制御化されたこのバイクは、各道路の制限速度以上に速度を上げられない。
信号機と連動し、強制的に速度調整が成されてしまうために、黄色信号を強引にわたる事も出来なければ、前を走る車両との車間距離をも強制されてしまうため、横から抜くことも出来ない。
危険を感知すれば自動で減速、停止をする。故意に事故を起こす事すら困難な代物だ。全くもって自分で運転している気がしない。
公道を走る全ての車両にこの機構が義務づけられた時は、さぞかし多くの車好きやバイク好きが嘆いたのだろう。
もっともこの技術の登場が、運転免許取得年齢を16歳にまで下げる事を可能にしたのだから、自分は恩恵を受けている身なのだが。
取得年齢を下げざるを得なかったのは、極端な少子化がもたらした購買層の激減が理由だと聞いた事もある。
家からは拍子抜けするほど、簡単に抜け出せた。玄関を出ると、直ぐにドロイドが近づいてきたが、製造コードがメイの物である事を確認すると、直ぐに通常の巡回に戻って行った。
その後ガードマンと簡単な会話を済ませただけだ。
途中、外出の理由を聞かれ、咄嗟に「コンビニに買い物に行きたい」と答えてしまったため、「こんな時間に?」と訊かれてしまった時は、流石にドキリとしたが。
それに対し、一切表情を変えずにメイを演じきった愛。
「ゲームソフトの予約特典が得られる締切が今日なのですが、彰人様はそれをお忘れになっていたようです」
愛は、自らの手の平にウィンドウを展開し、ソフトウェアのパンフを示した。しかも、そこには予約特典締切日である今日の日付がでかでかと記されていたのだ。
その要領の良さに思わず感心してしまう。よくもまぁ、今日が締め切りの予約特典付きゲームなど見つけたものだ。
愛の中にはこの筋書が、すでに頭の中に有ったのかもしれない。
2
――時間ぎりぎりだな。いや、間に合わないか……
バイザー表示された時刻に目を走らせる。道は混んではいない。最短ルートである裏道を使用しても制限速度が抑えられてしまうため、意味を成さない。ナビゲーションが示した最速ルートは可能な限り大通りを使用するルートだ。
交通法規を車両に強制するテクノロジーは年間交通事故件数を一桁下げる事に成功した。
日本が誇る『世界が賞賛した技術』だ。
けど、元々好きでは無い上に今はそれが余計にじれたっく感じる。
――システムアシストが無くても、運転できる自信ある?
毎度の如く漏れてしまう思考。それに反応した愛の声が頭に響く。愛が何をしようとしているのかを直観的に悟る。
――ああ、サーキット場では、それなりの好タイムを出してる。けど、違法だぞ? 公道でのシステムアシストの解除は
――分かってる。けど私は自分の正義に従いたい。もちろん、彰人がそれで良ければだけど……
愛らしい返事だと思った。
――そんな事して、もし捕まったら、同乗してる愛も同罪だかんな
――分かってる
――じゃぁ、いっちょやったるか! しっかり捕まってろよ?
――うん。システムアシスト解除、行くよ?
――OK、いつでも来いだ!
視界に開くウィンドウ。全ての制限が愛の操作によって解除されていく。道路の中心線を強制させていたハンドルが、糸が切られたように自由度を得る。
彰人はハンドルを握り直した。同時に自分の身体へと回された愛の腕の力が増す。それによって密着度を増す身体。
愛の身体は生身では無い。そんな事は分かっているが、体温と共に鼓動までも伝わってくるような錯覚に襲われる。
その安らぎにも似た心地よい感覚に、少しでも長く浸っていたい欲求が湧き上がってくるのを感じる。
――このまま二人で、何処までも走っていけたら……
彰人はその欲求に抗うように首を左右に大きく振った。
――何考えてるんだろ? 俺…… こんな時に……
マニュアルに切り替わったシフトを一段落すためにクラッチを切る。ギアが繋がった瞬間、アクセルをフルスロットルで捩じ上げた。
抑え込まれていたストレスを解放するかの如く、咆哮を上げる超電導モーター。転移温度を維持するために、窒素循環式冷却ポンプのファンがさらに甲高いうなりを上げる。
枷が外れた事で、スポーツモデルとして作られた本来の性能が蘇る。
憧れのV式内燃機関の咆哮には遠く及ばないが、それでも興奮となって脳に伝わる。
前を走る車との距離は一気につまり、そのまま横を通り過ぎる。
――私も同じこと考えてた…… こんな時なのに……
――え?
――もう少し時間が経って、色々回りが落ち着いて出かけやすくなったら、また彰人の後ろにこうやって座って、出かけたい。
せっかくこっちの世界に来たのに、私は殆どこの世界を見ていない。だから、連れて行ってほしい。彰人が嫌じゃ無かったら――
――ああ、いいよ
――ありがとう……
愛は以前言っていた。『私は父と母が生きた世界を見たかっただけなのかもしれない』と。
けど、愛には殆ど自由は無い。ビックサイエンスの施設で三か月を過ごし、自分の家に来てからも、学校とビッグサインスのイベント以外は外出をしていない。
愛が、どんなに強く思っても、どんなに頑張っても、恐らく世界の流れは変えられない。でもせめて、もう一つの願いは叶えて上げたい。
けど、その前にやらなければいけないことがある。
――それにはまず、朝倉を助けないとな
――そうだね
3
「なんか、不気味な所だね…… それになんか変な臭いしない?」
愛の不安そうな声。
先時代の遺物とでも言うべき不規則な点滅を繰り返す照明が、樹木が生茂る園内を照らす。漂う悪臭は浮浪者がそこかしこに、廃材を寄せ集めた小屋を創ったためだ。
駅前に作られた国立公園と言えば、聞こえは良いが、事実上開発に取り残された地域だ。
駅直結型タワーマンションの低層階に設けられた広大なショッピングモール。そこを基点に広がる繁華街。何年も前に開発整備されえた駅の北口。
だがショッピングモールを抜け、南口に到達すると、景色は一変する。
朝倉は何故こんな場所を待ち合わせに指定したのだろうか。
とてもではないが、同世代の女性が好き好んでこんな場所を指定するとは思えない。朝倉の精神状態が反映されての結果だろうか。
――いや、それにしても……
4
それなりの広さがある公園の奥深く。薄暗い明かりに照らし出された錆びついたベンチ。そこにうつむき加減で座る女性の姿。
「待ち合わせ場所、ここでいいんだよな?」
「うん……」
「って事はあれが、朝倉か?」
「解らないよ」
首を横に振った愛。ベンチに座る女性は、自分達と同世代では無いように思える。ぼさぼさの長い髪、あまりにくたびれた服装。疲れ果てた老婆ような雰囲気だ。自分が知る朝倉の雰囲気とは似ても似つかない。
愛と共にその女性と近づいて行く。とにかく確かめない事には始まらない。
女性が顔を上げた。その顔を確認しようと目を細める。次の瞬間、彰人は得体のしれない悪寒を感じて思わず立ち止まった。彼女のあまりの様相に、『人ならざる者』を見た気がしたからだ。
けど違う。良く見ればわかる。彼女は紛れもなく無く『人』だ。
愛も口元を両手で覆い、眼を見開いている。
腫れ上がった女性の顔。その大部分が紫色に変色し、片目は殆ど開いていない。血がにじむ唇。たった一回の暴行でこんなになりはしない。皮膚が紫色に変色しているのは、その痣が数日前に出来た物だからだ。そしてそこに血がにじんでいると言う事は、彼女はつい先まで暴行にあっていたに違いない。
「酷い……」
愛から声が漏れた。
「あ…… 朝倉なのか……?」
顔の腫れが酷く、彼女の表情が読み取れない。
「ゴメンなさい……」
女性の震える唇から、掠れた声が発せられた。朝倉だ、間違いない。
嘗て、生徒会の役員を務めていた時の知的な彼女の面影もない。服は破れ、所々血がにじんでいる。
心の底から今まで経験した事の無い感情が湧き上がってくるのを感じる。
愛が彼女に駆け寄る。
「もっと早く気付いてれば…… ゴメン、私の…… せいだね……」
跪き、朝倉と目線を合わせてそう言った愛。けど、朝倉は愛を見てはいない様に見えた。開いている片方の瞳は、小刻みに震え、何処を見ているのか分からない。
「ゴメンなさい、私…… ゴメンなさい。許して……」
言いながら、ガタガタと震えだす朝倉。愛が彼女を抱え込むようにして抱き寄せる。
「とにかく、病院、行こう? ね? もう大丈夫だから」
「ゴメンなさい! 許して! ゴメンナサイ。ゴメンナサイゴメンナサイ。ゴメンナサイ…… 許して! お願い! 許して!」
朝倉の震えは更に痙攣するように激しさを増す。何かに怯えるように必死で許しを請う朝倉。
愛がその背中を摩りながら、必死で朝倉を宥めている。
その異様な光景に強い胸騒ぎがした。
――朝倉は何をされた!?
そして彼女は一体何に、許しを請うているのか。
「本当に来やがった」
「ね? 言ったでしょう?」
不意に聞こえた聞き覚えのある声。忘れるはずが無い。須郷と彩香だ。同時に全てを理解する。自分達は罠にかかったのだ。
声のした方を見据える。歩いてくる男女。彼等だけでは無い。自分達を取り囲むように四方八方から男達が茂みから歩み出てくる。
――どうする!?
思考を遮る様に視界に唐突に開くウィンドウ。千葉からのコールだ。思考コマンドでそれに応じる。
――須郷の野郎が何をしようとしてるか分かった! 目的はお前たちへの復讐だ! 朝倉から連絡があっても絶対に行くな!
コールに出るやいなや、頭の中に響き渡る声。
――分かってる。それに、もう遅い。既に囲まれてる
――なっ!? ――
一瞬の間。
――俺も直ぐに行く! それまで耐えろ!
――それより警察に通報してくれ。GPSデーターがウィンドウに表示されてるだろ。早く!
――分かった! けど、必ず俺も行く!
閉じられるウィンドウ。希望は繋がった。
――分かってると思うけど、絶対に手を出しちゃダメ
頭に響く愛の声。その冷静な声に、僅かな安堵を覚える。
――ああ、分かってる。千葉から連絡が有った。警察に通報するように伝えてある
――私も今コールしてる。会話はする余裕はないけど、繋ぎっぱなしにしておけば彼等は直ぐにでも来る。
だから、彰人はあいつ等の暴力が始まるまでの時間を成るべく引き伸ばして。それと、この前みたいに私を庇ってくれなくていい。
こんな作り物の身体より、自分の身体を大事にしてほしい。私の身体は壊れても直ぐに修理できる
――分かった……
短く答え、あまり余計な事を考えないようにする。そうすることで愛に自分の思考が漏れるのを防ごうとした。
彼女は自分の身体を作り物と言った。けど、自分にはだからと言って傷ついて良いなどとは思えない。
自分の身体を傷つけられる悍ましい痛みは、物理的に傷が完治しようと心に深く突き刺さり離れない。
自分にはそれが良く分る。愛にそんな思いはさせたくない。
――本当にゴメン。こんな事に巻き込んじゃって……
――最初からこうなるような気がしてた。けど、だからこそ一緒に来たんだ
――ありがと……