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Chapter 11 翌朝

1



 焼き魚の香ばしい香り。食卓に並ぶのは、鯵の干物、味噌汁、白髪ねぎが乗った納豆、白菜の浅漬け、そしていちごミルク。


 いつもながら愛の料理の腕には驚かされるばかりだ。朝からこれだけの物を用意するのは見事だと言うほかに無い。


 以前、朝食に和食が並んだ時に「流石に御茶?」と訊いた愛にメイが「彰人様は朝食の内容に関わらずいちごミルクをお飲みになります」と答え、愛に爆笑された。


 自分の斜め前の席に腰を下ろした愛。そして瞳を瞑ると、深い眠りにでも落ちるように首を倒した。


 それと同時に自分と向かい合う席に『黒髪の愛』が光の粒子を纏いながら出現する。


 愛はあの日以来、自分の目の前で燃料電池用燃料であるメタノールの一気飲みをしてない。恐らく自分が起きてくる前に、燃料補給を行っているのだ。


 それはあの時、自分が無意識にした表情のせいなのかもしれない。


 代わりにこのような形で食事をするようになった。お陰で朝から専用デバイスを耳に付けなければならい。


 愛は目の前に自分と同じ内容の料理を出現させると、手を合わせた。


――ほら、彰人も


 愛に促され、自分もしぶしぶ手を合わせる。それと合わせるようにメイが、トレーに父用の食事を乗せ始めた。これが最近の日課なのだ。


 タイミングを見計らい、取りあえず味噌汁をすする。途端に広がる心地よい風味。素直に美味しいと感じる。


 ある意味でこれが愛のこだわりの一品なのだ。いまどき化学調味料を使わず、出汁にカツオブシ、昆布、乾燥シイタケ、干しエビをフードプロセッサーで粉上にしたものを使うと言うこだわりっぷりだ。愛はこれを母に教わったのだと言う。


 一度セーブしてしまえば何度でも同じ料理が呼び出せるフロンティア。けどの彼女の母は努めて毎日、一から作る事に拘ったのだそうだ。それが愛に影響した。


 愛は自分が味噌汁を啜る姿を暫く見つめ、満足そうに微笑むと料理に手を着けた。


――なんかこうしてると、新婚の夫婦みたいじゃない?


 頭に響いた愛の声。


 その言葉にたまらず咳き込む。もう少しで、愛に口の中の味噌汁をぶちまけそうになった。もっともぶちまけた所で、それは実体のない愛をすり抜けるのだが。


「何を言い出すんだ!」


 荒い息をやっとの事で整え、声を絞り出す。


――声に出てるよ?


「愛が突然変な事言うからだろ!」


――だから声に出てるって。そんなに変な事言ったかなぁ?


 言いながら、わざとらしく惚けた表情をした愛。自分が毎度のごとくからかわれた事に気付いた。


――全くなんで、俺をいつもからかうんだよ


 思わずそんな事を考える。


――だって面白いんだもん。


 途端に頭に響く愛の声。思考が愛に伝わってしまった事に気付き、声に出して唸る。


 さらに


――たまにはからかい返してやろう


 等と考えた瞬間


――無理無理。だって考えてる事、だだ漏れだもん


 と愛に返され、彰人は溜まらず額に手を押し当てた。


「彰人様、どうかなされましたか? ご体調が優れないのでれば、あまり無理をなされないほうが……」


 いつの間にか戻ってきたメイに声を掛けられる始末。


 それに軽く手を振って応え、深いため息を吐く。


――でも、こっちの世界に来てからは、本当に彰人といる時が一番楽しい。嘘じゃないよ?だから、怒らないでね?


 急に真顔になった愛。澄んだ黒い瞳に見つめられ、不覚にもドキリとしてしまう。愛には永遠に勝てる気がしない。


 渋々、目線だけで頷くと、愛は満面の笑みを浮かべた。


――さ、早くご飯食べよ?


2



 ウィンドウに映し出された愛の姿。ビッグサイエンスのCMだ。愛の姿を追い続けるマスコミ。家の敷地の外には、大分減ったとはいえまだ待機している車両がある。


 にも関わらず、愛が一番訴えたい事については殆ど報じられない。


 たまに起きるフロンティアの者がネットワークを還して起こすハッキング事件ですら、短く報じられる程度だ。彼等のメッセージは届かない。


 愛は政治的な意図が絡んでいるのかもしれないと言っていた。なら、何故国は愛が現実世界に来る事を是としたのか。


「どうしたの? 急に難しい顔しちゃって」


 言いながらウィンドウを覗き込んできた愛。


「あ、いや……」

「彰人ってさ、朝いつもニュース見てるわりには世間知らずだよね。私の事も知らなかったし」

「まぁ、内容がどうこうってより、大体の時間を把握してるだけだからな。占い始まったらそろそろ歯を磨かないとなぁ。ってな感じで。


 でも、最近じゃちゃんと内容も把握してるつもりではいるけど」


「へぇー」


 大げさに感心して見せる愛。


「なんだよ」

「ううん。何か彰人変わったなって思って」

「そうか?」

「そうだよ」

 変わったと言われればそうなのかもしれない。でもそれは自発的にでは無い。きっと愛のお陰だ。


3 昼休み



「なぁ、ちょっといいか?」


 昼休みのチャイムが鳴った瞬間、そう声を掛けてきたのは『千葉 彰』だ。


 愛がこの教室で思いを語った時、彼が言った言葉。


『金持ちの死にぞこないが、自分の意識をコンピューターにコピーするってやつだろ? 早くくたばれっての。気持ちわりぃ』


 自分は今でもそれをはっきりと覚えている。


 休み時間も含め、殆ど人と接しようとしない彼。不良である事には変わりないが、仲間とつるんで何かをやるようなタイプでもない。


 そんな彼が自分に話しかけてくるなど異例だ。


「なに?」


 僅かな緊張を堪え口を開くと、彼は顎で廊下の方を指した。意味が解らない。


「だから、何だよ?」


 僅かな苛立ち。彼の態度の悪さも手伝って、言葉が強めになる。


「ツラ貸せって言ってんだ」


 自分よりさらに語気を荒らげた千葉。教室がざわめく。一斉に視線が自分達に集まった。


――喧嘩、売ってんのか?


 喧嘩を売られる理由など無い。だが、向こうはやる気の様だ。そして、こんな所でおっぱじめてもまた転校になるだけだ。


 自分が立ち上がると、千葉は歩き出した。ポケットに手を突っ込んだまま前を歩く千葉。その後を黙って追う。


 そして辿り着いた校舎屋上。こんな所に自分を連れ出したのだから彼は本気なのだろう。


 ポケットから手を出した千葉。握られた拳。


 彼の動作に意識を集中する。臨戦態勢。以前、須郷達に囲まれた時のように黙って殴られる気など、さらさらない。


 彼は真っ向からタイマンを挑んで来たのだ。理由は分からない。だが、これを受けなければ自分の中で何かが崩壊してしまいそうな気がした。


 が、覚悟を決めた自分とは裏腹に彼の手はポケットに戻されてしまう。全くもって意味が解らない。


 そして、再び引き抜かれた彼の手には何かが握られていた。彼はそれをまるで自分に「見ろ」と言うように差し出してきた。


 携帯用にしては少し厚みのある不格好な機械。


 それが何であるかは直ぐに分かった。それは最近になり、自分がようやく持ち歩くことに抵抗を感じなくなった端末。脳にインプラント措置を受けた者だけが使用できる端末だ。


 一瞬、自分が落したのかと思い、慌ててポケットを確認する。自分のは間違いなくポケットにある。


「これの使い方を教えてほしい」


 自分から目をそらし、そう言った千葉。彼の普段の雰囲気とあまりに不釣り合いな態度。そのあまりの滑稽さに、緊張は一瞬にしてほぐれ、噴出しそうになる。


「ああ、いいよ」


 自分がそう言うと、彼は僅かに目を見開き、ぎこちない笑みを浮かべた。


「で、何処から? つけ方からか? 流石にそれは、レクチャー受けただろ? 義務だし」

「着け方からだ」

 短く答え千葉。


 彼の端末を受け取り、ケースから針状の端子が着いたイヤホン型デバイスを取り出す。


「これを持ってるって事は、勿論インプラント措置は受けてるよな? もし受けてなかったら、冗談じゃ無くて死ぬぞ?」

「ああ、大丈夫だ」


 必要最低限の返事。どうもやりにくい。


 端末本体の初期設定に入ると、お互い無言になってしまう。その気まずさに耐えきれずに口を開く。


「フロンティアに誰かいんの?」


 脳にインプラント処置を受けてまで仮想世界にダイブする必要があるとすれば、理由は限られる。


 それを訊いた瞬間、彼の視線が鋭くなった。それが禁句である事は分かっている。


「言いたくないならいい。俺もそれは分かる。今まで隠してたんだから。俺は姉と母がフロンティアにいる」

「俺は…… 親父がフロンティアにいる。けど俺は親父が向こうに行ってから、一度も話した事が無い。あっちにダイブした事がないんだ。死んだって聞いてた」

「……」


 言葉が出ない。フロンティアに肉親を持つ者はそれぞれが重い事情を抱える。医療システムとして開発され、一時は機能していたフロンティア。だが、それは昔の話だ。今じゃ差別の対象を通り越して、世間から忘れられた存在だ。


「本当の事を知って脳にインプラント処置を受けたのは一年ぐらい前だ。けど一度も使ってない。今更生きてるって言われたってな…… しかも実体のない思考体だなんて、どう受け入れりゃいいんだ」


 その気持ちは痛いほど自分にも分かる。恐らく今のフロンティアは自分達にとっては、あの世とこの世の狭間のような世界だ。


 現実には居ない。けど、話せないわけでは無い。会えないわけでも無い。でも、二つの世界の間には大きな隔たりがある。技術面で。そして何より感情的な部分で。


 恐らく愛の父はこんな世界を作りたかったんじゃない。愛を見れば分かる、彼等は死人じゃない。単なる記憶じゃない。今を生きている。


 だからフロンティアはあの世じゃない。この現実の一部だ。技術面は追いつかなかったとしても、せめて感情的な部分は蟠りを無くしたい。


 けど、それはとても難しい事だ。自分は母や姉と今も真面に話せてはいない。


――けど、それでも


「俺さ、週末にビッグサイエンスのダイブ施設に行こうと思うんだ。あそこの超解像度ダイブシステムを使わせてもらいに。だから、お前も一緒にこいよ」


 千葉が一瞬驚いたように目を見開いた。


「でもよ、あの施設って入りづらくないか?」


 彼が気にしているのは人目だ。その施設専用に作られた駅。それは嘗ては多くの人が使っていたであろうことが分かる立派な施設だ。


 けど、自分は初めてそこに父と共に行った時の光景が忘れられない。その駅に降りるために席を立った瞬間、集中する人々の視線。


 さらにその後に待ち受ける身元調査。まるで、監獄の中の囚人にでも逢いに行くような気分にされてしまう。


 名目はフロンティアのサーバーを守るためのセキュリティー。けど身元調査の内容を見ればわかる。


 国から派遣された監視員は隔離されたフロンティアへ関わろうとする者の素行を調査しているのだ。あんな目に一度でも逢えばショックを受け酷いトラウマになる。


 だから、自分はあれ以来、父と共にあの施設へ行くことをしなかったのだ。


――けど……


「ああ、酷いもんだ。

 それでもフロンティアにダイブするなら、ビッグサイエンスの超解像度ダイブシステムを使った方がいい。この端末でもネットワーク経由でダイブ出来るけど、解像度が低くて精神的な負担が大きいんだ。大事な人に会うなら、尚更……」


 ポリゴンで構成された人形のような母と姉の姿。それを初めて見た時に抱いた感情はいまでも忘れられない。ビッグサイエンスでダイブを行おうとも、その違和感は消えないが、それでも、この端末でダイブするよりは遥かにマシだ。


「少し、考えさせてくれ……」



3



「視界にウィンドウが表示されたか?」

「ああ」

「OS自体は、普通の端末と同じだから操作自体は大丈夫だと思う。ただ入力方式は思考入力だから、実際にウィンドウに手を伸ばさなくても、連想するだけでウィンドウが反応する。そこが最初は慣れないかも。


 まぁ、いじり倒して感覚で掴むしかないな。


 あとはこの端末ならではのアプリとかもあるから、色々探してみるといい。一応必要だと思うやつは入れといたけど」


「分かった。後は適当にやってみる。その…… ありがとな」


 言葉の最後にぎこちない笑みを浮かべた千葉。それに軽く頷くことで答える。


 千葉は自分に背を向けた。が、次の瞬間、


「オワッ!」


 と悲鳴を上げた。


 それは視界上に光のサークルが出現したためだ。愛が転移して来るときの、派手なライトエフェクト。


 長い黒髪が光の粒子を纏いながら舞い上がり、再現された転移時の風圧が、端末を通して自分達の五感に干渉する。


――お待たせ


 いつものように軽い調子でそう言った愛。


――ヤベ、千葉と端末リンクしたまんまだ

――え、何が?


 漏れてしまった思考に愛が反応する。


「なんだこれ……」


 千葉が呆然と愛を見つめ、呻いた。


「愛だよ。フロンティアでの愛はこの姿なんだ」

「そ……そうか」


 相変わらず混乱の残る表情で千葉が返事をする。


――よろしくね


 愛が笑顔で言った瞬間、千葉は更に瞳を大きく見開く。


「思考伝達だよ。愛の声は頭に直接響くように聞こえるんだ。向こうにダイブすればそんな事は無いんだけど。ダイブ深度の問題らしくて」

「お、おう」

 明らかに理解していない千葉。


 愛は黒い瞳を怪訝そうに自分へと向けた。


――彰人、お弁当は?

――悪い。まだ教室だ。てか、弁当かよ。この状況に愛は驚かねぇの?

――うん。彼のお父さんがフロンティアにいるのは、資料を見て知ってたから、いづれこういう日も来るんじゃないかって思ってた――


「お前等が付き合ってるって噂、本当だったんだな」


 目を見開いたまま言った千葉。


「はっ?」


 思わず声がでる。そんな噂がいつの間に立ったのか。


――てか、突っ込むのそっちかよ! 資料はいいのかよ! 個人情報だぞ!


「そう言えばそうだ」


 自分の思考に反応した千葉。


――だから、考えてる事まる聞こえ。


 ビックサイエンスが用意してくれたホームステイリストの中に千葉君の家もあったの。たぶんビックサイエンスは、この学園内でフロンティアにゆかりが有る人物の家をリストアップしたんだと思う。


 て言うか、彰人知らなかったんだ? 噂になってんの。気にしてないのかと思ってた――


「愛はいいのかよ!?」


――声、出てるよ? 噂になる人にもよるかな。彰人はいつも一緒にいるし、噂になっても仕方ないでしょう?

 言い訳できるチャンスが有ればしてもいいけど、直接訊かれないし――


 特に気にする様子もなく言う愛を、ただただ唖然と見つめる。


「なんだ、違うのか。俺にはどうだっていいことだけど。俺の用事は終わったから教室にもどるわ」


 千葉は歩き出した。が、何かを思い出したように振り返る。


「噂っていやぁ、須郷のやつ、退学してからよりタチが悪くなったらしいぞ? どうしようもねぇ奴等とつるんで、朝倉の両親が海外赴任で帰って来ない事ことをいい事に、根城代わりに家に入り浸って、やりたい放題って話だ」


 一瞬、千葉が何を言っているか解らなかった。が、その内容を理解するのと同時に、身体の奥深くから強い怒りが湧き上がってくる。


「千葉! お前、それを知ってて!」


 怒鳴ると同時に、千葉に掛けより胸倉を掴んだ。


「焦んなよ!」


 千葉が自分の手を強引に振りほどいた。


「まだ噂だ。


 お前に借りができたからな。奴らの仲間の中に、昔つるんでた俺の先輩がいんだよ。最近じゃまともに話す事もないけど、連絡つけてみるわ。『先輩なんか最近、面白い事してそうっすね』てな感じでな。


 で、もし噂が本当だったとしてお前等どうするともりだ?」


「それは、まだ……」


 絞り出すように言う。


 けど、放っておくなど出来るはずが無い。自分が出来たとしても愛には出来ないだろう。


「一発やってやるって顔してんな。喧嘩おっぱじめる時には俺にも声かけろ。借りは返す主義だ。それに、たまには暴れるのも悪くねぇ」


 言葉の途中で踵を返すように背を向け、片手を軽く振りながら階段へと消えて行く千葉を呆然と見送る。


――なんか、変わった奴だな……

――そうだね。けど、何処となく彰人に似てる


「は? やめてくれよ」


――だから声出てるって


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