Chapter 9 一か月後
1
昼休み。廊下で数名の女子生徒と話し込む愛とすれ違う。目が合った瞬間、僅かに目元を緩ませ笑顔を作った愛。自分は何となくそれに頷き、その横を通り過ぎる。
愛が学校に通い始めてから一か月。愛の周りには常に多くの人が集まる。最初は物珍しさだったのかもしれない。
けど、それだけじゃない。人を引き寄せているのは彼女自身が持つ雰囲気だ。
実際、『愛の情報』を目当てに自分にたかっていた生徒達の人垣は、三日もすれば無くなった。
シリコンの皮膚に覆われた鋼鉄の身体。けど、そこに宿る魂は何よりも暖かく、そして強く、魅力的に映る。
屋上での出来事。自分は愛を心配し、彼女を止めた。けど、それは大きな間違いだったと強く感じる。
そんな心配をする必要は無かったのだ。彼女ほどの強さが有れば、例えあの場に自分がいなかったとしても、今あるこの光景は変わらなかっただろう。
中央階段を通って校舎屋上へと向かう。外に出た瞬間、吹き抜けた冷たい風に彰人は思わず顔を顰めた。そして呟く。
「やっぱり寒ぃ……」
真冬のこの時期、屋上で昼食をとろうとする生徒は稀だ。だからこそ、寒さを我慢してまでここで昼食をとるのだが。
構造物を背に腰を下ろす。日向であるのと同時に、背にした構造物が風を遮ってくれるのでここが一番暖かい。
ポケットから携帯端末を取り出す。それは以前壊してしまった一般的な端末に比べると少し厚みがあり、デザインも悪い。スタイリッシュな端末が出回る中で、わざわざこのデザインを選ぶ者は稀だろう。そして遥かに高値だ。
世の中に出回っている数が圧倒的に少ないのだから、デザインとコストパフォーマンスの悪さは仕方がない
もっとも電源さえ入れてしまえば、ポケットの中に入れっぱなしでいいので、デザインは大した問題では無い。値段にしたって、自分が買ったものでは無いのだからどうだっていい。
これは2年に一回父から、メイを経由して自分へと渡される端末だ。
自分はこの端末を持ち歩くことを今までしなかった。この端末を使用できる者は限られる。そしてその使用条件が一般の人には理解しがたいのだ。だから、持っているだけで差別の対象になりかねない。
彰人は端末とセットになってるデバイスをケースから取り出した。一見するとワイヤレスイヤホンのようなデザイン。
だが、これを初めて見た者の大半は顔を顰める。
耳に挿入する部分には鋭く尖った針が、5センチほど飛び出ているのだ。こんなものを耳に刺し入れると聞けば、強い恐怖を伴った拒否感を覚えるだろう。実際、条件を満たさない者がこれを強引に挿入すれば、針は脳にまで達っし大参事だ。
彰人は、端子を正しい位置へと導くためのガイドを耳に差し入れ、その上から躊躇なく針が突き出たイヤホン型デバイスを挿入した。
その瞬間、視界に走るノイズ。独特の耳鳴り。それらは直ぐにおさまり、視界に『Connected』とクリアに浮かぶ。
この世に空中ウィンドウ展開などの拡張型現実の普及をもたらした端末の殆どは、網膜走査ディスプレイを使用している。レーザー光を用いて網膜に直接映像を投影する方式だ。
したがって、教室や家のリビングのように固定型出力装置を備えている空間以外では、端末は常に視界に収まる位置に無ければならない。
それが嫌なら端末のペアデバイスである指向性発光素子を埋め込んだコンタクトレンズ、もしくはメガネが必要不可欠だ。
けど、自分が今使用している端末にはそんな物は必要ない。全ての映像は自分の脳へと投影されるのだ。
この端末の使用条件。それは脳の五感に関する部分の一部をニューロデバイスへと置き換える事。ニューロデバイス同士をつなぐ配線と、耳の奥の外部入力端子をインプラントする必要もある。
自分が大きなリスクを伴うこの処置を受けたのは、仮想空間へとダイブするためだ。核磁気共鳴現象を使った手法も研究はされているが、まだ実現に至っていない。
ヘッドマウントディスプレイと手袋型のデバイスを等を用いた無リスクの手段ではあまりにリアリティーに欠ける。
以前そのような装置を使った家庭用ゲーム機が発売されたが、大ゴケもいいところだった。アミューズメントパーク等に行けば、大掛かりでもう少しマシなマシンもあるには有るのだが、それでもデバイスをインプラントする方式に遥かに及ばない。
けど、自身の脳をいじってまで仮想世界にダイブしたいと思う者は少ないだろう。殆どの者にとって理解しがたいのだ。
だから自分は、この端末を使うことを嫌った。けど、最近では毎日この端末を持ち歩いている。
自分にはフロンティアで生きる家族がいる。家族が逢うためにはインプラント処置を受ける必要が有ったのだ。だから何も恥じる事は無い。
自分が今そう思えるのは間違いなく愛の影響だ。
2
――お待たせ
不意に頭の中に響いた声。それと同時に自分の隣の空間に、光で形作られたサークルが出現する。
それは一瞬光を強め、弾けるように光の粒を散らした。
光の中から現れる人影。長い黒髪が転移時の風圧によって舞い上がる。光に照らし出されたその姿はさながら女神の降臨を思わせる。愛が転移して来る姿は何時みても優雅だ。
軽く瞑られた瞼が開かれ、透き通る様に黒い瞳が自分を見つめる。
これが愛の本当の姿なのだ。ヒューマノイドの身体は人が作ったが故の造形美を持っているが、この姿の愛もかなりの美人と言っていい。そして何よりも自然なのだ。こちらの姿の方が断然親しみやすい。
残念なのは周りの景色から彼女が僅かに浮いて見える事だ。
目の前にいる愛は、自分の視界に合成されているに過ぎない。彼女の自動記録デバイスに記録された映像を元に再現した仮想空間と、自分の端末が持つ拡張現実の機能を組み合わせて、疑似的に同一空間に二人が存在しているような状況を作り出しているのだ。
今頃愛の身体は、保健室で横たわり沈黙しているだろう。
このシステムは彼女の父が構築した物だと言う。これはそのテスト運用だと愛は言った。けど、それは恐らく建前だ。
――いつも付き合せちゃってゴメンネ
言いながら、自分の隣に腰を下ろした愛。
――いや、別にいいよ。
思考伝達で答えつつ、カバンから愛が作ったお弁当を取り出す。この習慣には妙な気恥ずかしさを感てしまう。
声に出して喋らないのは、他の人には愛が見えていないからだ。声を出せば、自分が一人で喋っているように見えてしまう。それではあまりに間抜けだ。頭がおかしい奴よばわりされることは目に見えてる。
愛が一瞬、意識を集中するように瞳を閉じた。次の瞬間、彼女の膝の上に出現する弁当箱。
驚くことに愛はこちらの世界でも食事をする術を見つけていた。それは自身の量子回路内に仮想空間を構築し、そこで食事をすると言った手法だ。
愛がこの世界に来て最初に味わった苦痛は、空腹だったのだと言う。そのあまりの耐えがたさに、ビッグサイエンスのエンジニアに協力を仰いだのだ。
以来彼女は狭い仮想空間で、一人食事をしていたらしい。
つまるところ、自分は愛の食事に付き合わされているのだ。でも、それは構わない。一人で食事をする味気なさは自分も良く知っている。
食事をする必要は無くてもお腹は空く。
それは『脳そのもの』を寸分の狂いもなくオブジェクト化したが故だ。
脳が生体内で得ていた情報の全てを、電子化された後も求めるのだ。それが得られなければ強烈な違和感に襲われ、精神に支障をきたすのだそうだ。
だから、メイと見かけは一緒でも愛の身体は専用にカスタマイズされている。
感覚神経系は量産型の一〇〇倍の密度に達し、血糖値、鼓動、呼吸と生理現象に対する疑似信号を発生する装置を有していると言う。
『肉体を失い、実体のない思考パターンプログラムに成り果てようとも、意識は生きている証を求めるの』
愛の言葉が蘇る。
彰人は彼女が作ったお弁当に目を落とす。そして小さな不幸に気付いた。
「ピーマン、入ってる!」
思わず声に出して叫ぶ。
愛はそれが可笑しくてたまらないと言う様に笑った。
――嫌いなものもちゃんと食べなきゃ
そう言いながら尚も笑う愛。
彰人は思わず唸った。そして話題を変えようと試みる。
「そう言やさ、愛って毎日、社会科教師と一緒にクラス回ってんじゃん? 何も学校出までそんな活動しなくていいんじゃね? 俺らみたいな学生に訴えても何も変わらないしさ」
休日はビックサイエンスのイベントに参加する愛。この一か月で学校を休まざるえなかった日も2日程あった。彼女には殆ど自由が無い。
学校では社会科教師について、日に一回、例の授業を行っている。全学年、全クラスを2ヵ月かけて回るのだそうだ。
いかに、身体は物理的に疲れ知らずだったとしても、精神は疲れるだろう。まして、その度に受ける質問は愛にとっては厳しい物ばかりの筈だ。
――声出てるよ? それと『思考伝達』で考えてること丸聞こえ。ありがと。心配してくれて。
でも、ピーマンの肉詰めも食べてよ? 一生懸命作ったんだから――
愛の言葉に思わず
「うっ」
と悲鳴を上げる。思考伝達で会話と思考を分離するにはまだ訓練がいそうだ。
愛はそんな自分を見て再び笑った。そして続ける。
――確かにビックサイエンスのイベントには、社会的に大きな影響力を持ってる人が大勢参加してるから、そこで訴えるのが、一番効果的だと最初は思ってた。
でも大人達にはなかなか伝わらない。口では『協力するって』言いながら、露骨に嫌な顔をする人もいる。
私への質問だってそう。貴方達の方が素直な疑問って感じ。でも大人達の質問はある意味でもっと容赦がない。彼等にとって重要なのは『私の思い』では無くて、『私の利用価値』。
だから、最近では思う。こういうところで活動した方が、時間はかかるけど数年たてば大きな効果に繋がるんじゃないかって。
けど、それには時間がたりない――
瞳に宿る憂い。愛はさらに続けた。
――『生体脳電子化技術』の是非に対する、国際的な結論が出ようとしてる――
その議題が上がってから十年にもわたり結論が出なかったのは、『扱いが難しい問題』である事だけが理由では無い。
そこには政治的な理由が見え隠れする。
自分は姉と母が生きる世界について、あまりに無知だったと愛に出会って気付いた。自分はこれまでフロンティアから目を背けてきたのだ。
でも、それは間違いだったと強く感じる。最近では自然とフロンティアについて調べる事が多くなった。
フロンティアの全盛期。それは太陽光発電衛星の建設事業の開始と共に訪れた。
一機で火力発電所二十機分に相当する電力を生み出す太陽光発電衛星。それは人工衛星と呼ぶにはあまりに巨大な人工物だ。
そしてその建設には各国の思惑も絡み、競争は熾烈を極めたとされる。エネルギーの利権も一つの理由だが、最大の理由が軍事的な意図だ。
地上の受信施設へと『莫大なエネルギーを持ったマイクロ波』を送信し続ける発電衛星。
それが、悪意を持って別の場所に送信されたらどうなるのか。平和利用を目的に作られた施設は、防御不可能な大量破壊兵器に成り果てる。防御できないのなら、抑止力として同じ兵器を保有するしかない。
そして当時、建設のカギを握っていたのがフロンティアだ。彼等の意識はレザー光にのって容易く大気圏を超える。
作業ユニットさえ打ち上げてしまえば、地球から作業者を往復させるよりも遥かにローコストでスピーディーだ。まして、小惑星からの資源調達は身体を使い捨てられる『彼等』の存在なしには不可能だったと言っても過言では無い。
やがて、国際的に使用禁止の方向で動き、保険適用が取り消された『生体脳電子化技術』。
だが一方で、特定の技術を有する者に対しては、『優れた技術の保存』と言う名目で、国家事業への参加を条件に、各国が積極的に術費用を国費負担すると言う矛盾を生んだ。
けど、それは既に過去の話だ。太陽光発電衛星は必要量以上に軌道に浮かんでいる。
そして、メイを初めとするAI技術の発達により、『彼等』は役目を終えたのだ。もちろん現存するAIは彼等とは程遠い。
けど、補修程度であれば、それで十分だ。AIは文句も言わず人権費も必要とせず働き続ける。
――もし、『生体脳電子化技術』の使用禁止が国際的に決定したらどうなるのだろう?
自然とそんな疑問が頭に浮かぶ。その瞬間、愛の瞳に宿る憂いが強さを増した。
――私達は、決意せざるえなくなる
不意に、頭の中に響く愛の声。自分の思考はまたもや愛に漏れてしまったのだ。
――決意?
瞳に宿る憂いは、やがて悲しみとも取れる物に変わる。それが何を意味するのか。
――私達は自分達が滅びるのを黙って受け入れるなんて事はできない
『貴方達は、この現実世界が、例えば『目に見える神』によって作られた物だとして、その神が『世界を作ったのは間違いだった』と言い、世界を消し去ろうとしたら、それを黙って受け入れることが出来ますか?』
不意に愛が授業の中で言った言葉がよみがる。
当然だ。受け入れられる訳がない。ならどうするのか。
そこまで考えて、彰人は目を見開いた。
――まさか……
愛は頷いた。
――望んでない。誰も。けど、きっとそうなる。
だけど、私は信じたい。世界を作ったのが『神』でないのなら、自分達と同じ『人』であるならば、私達の思いはきっと通じる――