2 不可能犯罪のトリックを考える2
※この回は、かえって混乱するおそれがあるので、読まない方が良いかもしれません。
これから述べることは、トリックを本当に最初から創り出そうとするもので、実際にはあまり必要ない。
「犯行推定時刻よりも前に殺人が起きていたパターン」のように、トリックの真相はすでにパターン化されて、ストックされているものが少なくない。
ジョン・ディクスン・カーの「密室講義」は、密室殺人の真相を分類したことで有名だ。
パターン化された真相は、小道具やシチュエーションを変えることで、新しいトリックとして発表される。しかし、本物に斬新なトリックはそうそう生まれるものではない。
しかし、まったく前例のない、斬新なトリックを創り出すことは推理作家の夢である。
さて、不可能犯罪のトリックを新規に生み出せるかどうかは、不可能犯罪を生み出している状況を、どれほど熟知しているかにかかっていると言えるだろう。
前回も、密室殺人の状況を作り出している要素は「人、もの、空間、時間、情報・概念」などと書いたものである。
具体的に挙げれば次のようなものである。
「人」は、犯人、被害者、第一発見者、探偵など。これらはもっとも重要な人物ということになるだろう。
「もの」は、凶器や鍵のようなものだろう。
「空間」は、部屋のドア、窓、間取りといったもの。
「時間」は殺害時刻や死体が発見された時刻のこと。
「概念・情報」は、読者と探偵が共有している固定観念のようなものである。被害者は他殺であるとか、犯人は直に殺害したのだとかいうものである。
こうしたものが重なりあって、我々は「不可能な状況だ」と思い込んでいるに過ぎないのだ。
これに「偽の証拠」や「心理的な錯誤」が潜んでいるからこそ、「可能な状況が、不可能な状況に見せかけられてしまっている」のだ。
作者は、トリックを作る際、不可能な状況を熟知していないと、それを「可能」にすることはできない。まず密室の状況を理解していない人間は、「不可能であるというのは、部屋に抜け穴がないから」という程度にしか、イメージを持っていない。だとすると、用意できる真相なんて「抜け穴があった」というぐらいのものにしかないのではないか。
例の公式を使おう。
「Aだから不可能と思っていたものが、実はAではなかったから可能である」
このAに「抜け穴」を入れるとこうなる。
「抜け穴がないから不可能と思っているが、実は抜け穴があったから可能」
これはこれで一応はトリックとして成り立つ。しかし、結果としては、あまりにもシンプルで、意外性のない真相を生み出してしまうことになる。
つまり「それが不可能たらしめている要素とは、一見気がつきにくいものを、Aに採用すると、意外な真相が生まれる」のである。
言い換えるなら、
「普段、忘れ去られているような、その実、不可能な状況を生み出している要素」
これを選択することによって、意外性が生まれてくるものだということが分かる。
例えば、こんな話をしよう。四角い部屋があって、真ん中に刺殺死体が転がっているとしよう。出入り口には内側から閂がかけられている。壁には小さな窓はあるが、死体からは二メートルも離れている。この窓には腕は入っても、とても人間が侵入することはできない。閂にも腕は届かない。その日、包丁を持った不審者が目撃されている。
この真相は単純である。凶器が包丁ではなく、長槍だったのだ。
この時、錯誤点「A」とは「凶器」である。
あまりパッとは思い浮かばないだろうけれど、この不可能犯罪の状況を構成しているものとして「凶器」は大いに役立っているのだ。包丁であると思っているから、被害者に届かないにすぎないのだ。そして、その「凶器」が「包丁」であるというイメージが「包丁を持った不審者」という情報によって、読者に刷り込まれているのである。
この「包丁を持った不審者」というのは「偽の証拠」である。
つまり、これを公式に当てはめれば「凶器が包丁だから小窓から刺すことは不可能と思われていたが、実は凶器は包丁ではなかったから小窓からでも刺すことは可能」という話になる。
これは、より原理的には「犯人は室内で殺傷したから不可能と思われていたものが、実は犯人は室外から殺傷していたから可能だった」ということにもなる。
ここには「空間」も、不可能な状況づくりに活かされていたということだ。
これは余談だが、「長槍」という凶器の存在を、どこかで匂わせておかないとアンフェアになってしまうだろうということがある。これは「手がかり」の問題である。
心理的な錯誤 凶器は包丁という思いこみ
空間的条件 小窓の大きさ
ものの利用 凶器の長さの違い
この三要素は、まず第一に「心理的錯誤」を思いつき、それに空間的条件をあつらえて不可能なシチュエーションを生み出している。これはまだ語る必要はないと思うが、
「凶器が包丁ならば不可能だが、凶器が長槍なら可能というシチュエーションを作り出す」
こういうことが大切になる。
「Aだと思っているから不可能だったが、実はAではなかったから可能」
という公式をもとにして、Aを選択する。
すると「Aの場合は不可能だが、Aではない場合は可能なシチュエーションをつくる」ということになる。
それはつまり「凶器が包丁なら不可能だが、包丁ではない凶器なら可能なシチュエーションを作り出す」ということになる。
そこで、長さの違う凶器「長槍」を選び出したものである。
ちなみに、小窓からナイフ投げの達人がナイフを投げても良いと思ったが、死体に刺さったナイフを回収できないので却下となった。
ところが「心理的な錯誤を思い描く」と言われたところで、たとえば「第一発見者は女性だと思っているが、実は男性だった」ということを仮に思いついたとしても、それは不可能な状況を構成するものではないので、そこからトリックに成長させることはできないのである。
それが、不可能な状況を構成しているものでない限りは、そこに心理的な錯誤を生み出しても、上手くはゆかない。では、不可能な状況を構成しているものをどのように見分ければ良いのだろうか。
それは以下の順による。
①不可能な状況(密室など)を想像する。
②可能性を探る。
③不可能にしている要因を発見する。
④不可能にしている要因の性質を発見する。
⑤公式に当てはめる。
⑥不可能にしている要因の性質から可能ならしめる要因に転換する。
これはもう、一度、探偵の気持ちになって、不可能な状況を可能にならないかなぁ、と突っついてみるしかない。この時に思い描く、不可能な状況は、はじめは密室のテンプレで良いと思う。
それで、どうにも不可能だな、と思ったら、なぜ不可能なのか考えると良い。「部屋の外から刺せないかなぁ(可能性を探る)。ああ、凶器が包丁だから駄目なのか(不可能な要因の発見)。そりゃあ、あんな短いもんじゃ、部屋に入らんと刺せないもんなぁ(不可能な要因の性質の発見)。まてよ、すると凶器が長いものであれば可能ということか(公式に当てはめる)。長い凶器、とすると、長槍か(可能な要因への転換)」
ところで、なぜ、可能性を探るところからスタートするのだろうか。
そもそも人は「何ができるか」を考えて「何ができないか」をはじめて知るのである。
はじめは、テンプレ的な不可能犯罪の状況を想像したとしても、ある程度、できてきたら、その不可能な状況は捨ててしまった方が良いだろう。なぜなら、またそこから、人、もの、空間、時間を再構成しないとならないからだ。