1 不可能犯罪のトリックを考える1
ミステリー・推理小説をどのように考えてゆくか。おそらく、大きく二種類の人に分かれるだろう。
①シチュエーション・謎をメインに考えだす人
②真相をメインに考えだす人
シチュエーション・謎から考えはじめて、納得のいく真相を用意できる人はすごいと思う。尊敬に値する。しかし、僕はそんな難しいことはしない。だから、まずは真相から考える。
なぜ、シチュエーション・謎から考えない方が楽だと言うのだろうか。
魅力的なシチュエーションと謎をまず用意しようと思ったとしよう。それは例えば、こんな話である。
あるところに、男と女がいる。観覧車に二人で乗る。一周してくる。観覧車の扉を開いてみると、男は呆然と立ち尽くしていて、女は死んでいた。刺殺である。凶器は足元に転がっている包丁だ。そこには男の指紋がついていた。男は逮捕される。さあ、この男が無実だとしたら、犯人はどんなトリックを使ったのか?
なかなか面白そうなシチュエーションだな、とは思うのだが、これから真相を考えだすのだとしたら、これがどんなにしんどい作業かが分かるだろう。シチュエーション・謎が先だとどうにも後がつらくなるというものである。
その為、僕は真相をメインに考えて、謎を調整しながら、全体を組み立ててゆくことにしている。
さて、僕は思いつく限り、ミステリーのトリックの作り方は四種類ほどあると思う。実際には、もっとあると思うが、僕自身が実践したことがあるのは、確かこんなものだった。
①意外な犯人をメインに考えだす。
②不可能犯罪をメインに考えだす。
③意外な動機・犯人の利益をメインに考えだす。
④ロジックをメインに考えだす。
今回は②の「不可能犯罪がメインな場合」について、トリックの創作法を中心に考えてゆきたい。
ところで、ミステリーを考える際の基本として「良い真相とは何か」ということについて、以前、何かで読んだのでこの場で述べておこう。
意外な合理性を持つ真相
意外でありながら合理的である。そのギャップがミステリーの醍醐味と言える。それは逆説のようなものである。「木を隠すのなら森の中」というが、ここには、まさに「意外な合理性」がある。木を隠すのに森の中がふさわしいというのは、非常に意外なことでありながら、同時に合理的な真相であると言える。つまりトリックの核にあるものは「逆説のようなもの」なのである。
実際に、ミステリーの真相を支えているのは、意外性と合理性の二つだと思う。
そうだとすると、トリックの創作法としては、意外な真相を思い浮かべてから合理的にしてゆくのか、それとも、合理的なことを考えてから、出来る限り意外にしてゆくのか、ということが最大の関心ごとになると思う。
①意外な真相を合理化してゆく
②合理的な真相を意外なものにしてゆく
僕は、①を採用している。犯人にしたところで、トリックにしたところで、合理的なことを先に思い描いてしまったら、その後で、いくら考えたとしても、そこに素晴らしい意外性が備わることはないだろうと思っているからである。
だから、僕はまず意外な真相を考える。それから、その不合理性や不可能性をできる限り減らすように、工夫してゆけば良いだろう。
ところで、不可能犯罪のトリックの意外性とは何だろうか。
犯人の意外性ならば「犯人は犬でした」みたいなものだろう。殺人事件の犯人が「犬」ならば、それは意外である。この場合、選択肢は多いはずである。
しかし、例えば、密室殺人においては、可能か不可能かの二択でしかない。そして「不可能に見せかけた可能」であることは読者は分かっている。そこには意外性は生じない。
それでは、どこに意外性が求められるのだろうか。それは可能を不可能に見せかけるトリックのプロセスに、いかに予想もつかない手法を用いられているか、また、そこにどれだけの心理的な錯誤が潜んでいるかという点が、意外性となるのである。
①意外な手法
②心理的な錯誤
この意外な手法というのは、たとえば「氷を使用する」といったものである。それは意外なことに違いないが、もっと重要なのは②の心理的な錯誤である。だから、トリックの意外な真相、すなわち「心理的な錯誤」をまず思い描いてから、それを合理的(実現可能かつ心理的必然性をもつこと)にしてゆく流れを、僕は実践することにしている。
そこで公式をつくる。不可能犯罪のトリックの、意外性と合理性を合わせもった公式とは、このようなものだろう。
「Aだから不可能であると思っていたものが、実はAではなかったから可能である」
このAこそ「錯誤点」なのである。
先ほど述べたように、トリックの意外性というのは、読者側の錯覚のことである。ミステリーは意外性が大切だと言うが、それは読者が騙されているから意外となりうるのである。
心理トリックだけでなく、自動で矢が射られるような、機械トリックだとしても「直接、手を下して殺したと思っていたから不可能だったものが、実は直接は殺していなかったから可能である」という、そもそも認識の誤り(=錯誤点)を、核にして成り立っているのである。
密室殺人にしたところで、その不可能な密室状況を構成している「人、もの、空間、時間、概念・情報」のいずれかの状況に、なんらかの錯誤があるということになる。
犯人、被害者、第一発見者、凶器、鍵、閂、ドア、窓、殺害時刻、殺害方法、死因。
なんでも良いが、その「不可能たらしめている要素のいずれかが、実は可能な要素であった」という「錯誤」がなければ、そもそも、密室殺人など起こりようがないのである。
そこで不可能犯罪のトリックを、新規に考え始めようという人は、まず不可能状況を思い描き、不可能たらしめている要素を理解し、その構成要素のいずれかを「錯誤点」として選択することに始まる。後は「人、もの、空間、時間、概念・情報」を駆使して、シチュエーションを修正し続けて、可能を不可能に思わせ、探偵と読者を欺くように書いていけば良いだろう。
こうしてみれば「シチュエーション・謎」から考えだす人は「不可能を可能にしようとしている」のに対して、真相から先に考える人は「可能であることを不可能に見せかけようとしている」ことになる。こちらの方が考えやすいという印象を持つことができるのである。
つまり、順次としては次のようなものになる。
①不可能たらしめている要素を知る。
②これが誤りであるとする。
③実は可能であったとする。
④可能を不可能に見せかける。
次回は、それについて、色々と述べてゆくことにする。




