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探偵小説の創作 〜ミステリーを書く時に心掛けていること〜  作者: Kan
第三部 推理小説についての幾つかの考察
12/18

4 ミステリーと探偵小説についての雑談

 今日はミステリーについて、まあ、適当なことを書こうと思いまして、何のプランもないのですが、宜しければお付き合いください。


 まずミステリーというのは何なのだと申しますれば、要するに「謎」があるものはミステリーなのだと思います。寛容な定義といいますが、ひどく大雑把な考えです。そういう考えでいましても、かなり枠から外れるものが出てきます。例えば、皆さまが戦前の探偵小説なんかを本棚から引っ張り出して来まして、これがミステリーなのか? と問われれば、僕は簡単に答えることが出来ません。というのは、スタイルは変わっているからです。

 戦前の探偵小説というものは、何を求めて書かれていたものか、僕はちょっと、はっきりと断言できないのですが、怪談のようでもあり、空想科学のようでもあり、ホラーのようでもあり、やっぱり犯罪の童話とも言うべき異様な物語の数々だという印象を受けます。

 よく夢野久作の「ドグラ・マグラ」を引っ張り出してきて、これが探偵小説なのか? と尋ねる人がいますが、それは立派な探偵小説だと思います。むしろ、非常に探偵小説的だという印象を受けるわけです。ところで、そういう方が本当に仰りたいことは要するに、これが「本格推理小説」であるのか、ということだと僕は思っています。つまり論理的な謎解きやトリックが主眼の近年のミステリーと比べて、戦前の探偵小説はちょっと異様に思えるということなのだと思います。

 皆さん。夢野久作の「ドグラ・マグラ」は本格推理小説ではないと思います。が、同時に、非常に探偵小説らしい作品なのです。それは風変わりだからそう思うのかもしれません。この点は「探偵小説」という言葉が、どういう時代にどういう性質の作品に対して用いられてきた語か、ということに立ち戻って考えねばならぬと思うのです。

 探偵小説という言葉は、推理小説という言葉が使われる以前に使われていた名称です。つまり、戦前や戦後においては、推理小説やミステリーという言い方をせずに「探偵小説」と呼んでいたわけです。さらに、探偵小説の「探偵」という言葉は、(はじめ職業的な探偵のことを指す言葉として使われていたとかいう話も確かありましたが)「探偵する」という言葉を指すのだそうです。したがって、刑事でも主婦でも「探偵する」(調査する的な意味)のであれば、それは「探偵小説」ということなのです。

 この時代にはですね。まず江戸川乱歩がいましたね。横溝正史がいた。そして、夢野久作や小栗虫太郎がいた。ちょっと、本格っぽいところでは甲賀三郎や浜尾四郎がいた。SFっぽいのでは、海野十三がいたものです。

 戦前の探偵小説作家の名前を羅列していきましたが、このあたりで「やばいぞ、このエッセイ、つまらねえぞ」と言って、読むのを止める方が出そうですね。なるほど、戦前の探偵小説を読もうとする方は、今や少ないかもしれませんね。しかし、騙されたと思って、一度目を通してみてくださいな。意外や意外、面白いですよ。

 レトロなものが好きな人は抵抗なく入ってゆけるでしょう。ホラー好きもぐいぐい引き込まれるでしょうね。

 しかし、なんだかんだ言っても、江戸川乱歩こそ真の探偵小説作家であり、日本ミステリーを築き上げた巨人です。


 今の人が読むと、これらの作品はホラーと映るかもしれません。今のミステリーと何が違うか? まず、犯罪が起こるのかと言われるとまったく起こらないものもありますし、少年探偵団を読まれた方はご存知と思いますが、変な博士が出てくることもあります。空想科学的ですね。子供向けだからと思ってはいけない。大人向けの話だって、あの調子、もしくはもっと異様な世界観なのです。この時期の探偵小説は、そういうわけでひどく風変わりだった。江戸川乱歩に「鏡地獄」というひどく面白い短編がありますが、あれを今、書いたらミステリーという扱いは受けないでしょう。確実にホラーだと思います。

 僕は、探偵小説というのは大人の童話であって、それを読むことで、どこか童心に立ち戻って好奇心にふれ、怪奇的で、調子の狂った心理状態に自ら陥る面白さだと思っていますが、それは江戸川乱歩やら夢野久作はそれでいいかもしれませんが、また甲賀三郎やら浜尾四郎というとそういう読み方はできない。


 ミステリー嫌いの人は、よく「ドグラ・マグラ」や「黒死館殺人事件」を探偵小説から切り離して考えたがりますが……。探偵小説ではなく、純文学として、こういう作品を論じようとしているのか、そこは非常に疑問ですね。いえ、それはそれで別に構わないのですが「犬神家の一族」を探偵小説から切り離したがるのだけは止めて頂きたいと、勝手に思ってしまうわけです。どういうわけで、こういう作品をミステリー陣営から外して、純文学やホラーに吸収しようとするのか。あれこそ、本格探偵小説の本道なのに……。


 つまり、探偵小説の怪奇味をもつ作品は即本格ではないというわけではありません。ところが、人によっては、この時代の本を読んで「ああ、これは本格ではないと思うから嫌だね、俺はね」と言ってろくに目も通さずに本棚に戻す方もいます。こうした怪奇味が、知的な本格推理小説の世界観とあまりにも違うと感じるためでしょう。

 ところが、探偵小説のもつ怪奇味は、本格と変格という流れとはまったく異なる次元のものであり、横溝正史や高木彬光など、戦後のミステリー作品には、探偵小説の怪奇味と本格的な謎解きの両方が含まれている場合が多いように思います。あれは、「グリーン家」や「そして誰もいなくなった」の怪奇味の影響も強いのだ、と言う方もいらっしゃるかもしれません。それはそうかもしれません。否定はしませんが、日本の探偵小説がもつ雰囲気の影響も根強いと思うのです。


 よく分からないのは、新本格というムーブメントがありますよね。これは、本格ミステリーを復興するということなので「あれ、西村京太郎さんも謎解きやトリックのある本格だけど? トリックメーカーの山村美紗さんは?」と非常に困惑したものですが、あれは実際、何を復興するかって「洋館や孤島、怪しげな住人」という言葉に象徴される、いわば戦前戦後の探偵小説的風味をもった本格ミステリーのことですよね。さもなくば、 「グリーン家」の影響もあるのでしょうが、いずれにしても、そこには絶対、横溝正史の存在があるわけです。


 なんだか、一体何を論じたいのかよく分からなくなってきたので、ここらで終了します。悪しからず。

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