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コロンシリーズ

MIRAI: 2050 〜MIKUとの約束〜

作者: 宮沢弘

 その老婦人は、白く明い部屋で、小振りの机の前の椅子に座っていた。テーブルには一冊の本と、ティーセット、スレート――それは1cm厚の透明な板だった――、そして一本のスタイラス・ペンがあった。

 テーブルに置かれた本の表紙には、タイトルはなかった。それでも老婦人は、タイトルがあるであろう箇所を、目は細め、人差し指を滑らせた。

 ドアが開く音がし、やはり身なりの整た老人が何冊かの雑誌と本を持って入ってきた。

「奥さま、今月分の雑誌などです」

 老人はそれらの雑誌などをテーブルの端に置いた。

「ありがとう、ヘンドリックさん」

 そう答えながら、老婦人は本の313ページを開いた。だが、そのページにはページ番号が印刷されているのみだった。老婦人はスレートそのページに載せ、縁に指を滑らせた。その板は不透明になり、いくつものサムネイルがそこに表示された。

 老婦人は、本とヘンドリックが持って来た雑誌、書籍、電子書籍を見比べながら時にスタイラス・ペンで、ページに載せたままのスレートにチェックをし、メモを書いた。

 老婦人はふうと息を吐き、椅子に背を預けた。それを見た老人はテーブルに歩み寄り、ティーサーバにお茶の用意をはじめた。

「確認できましたか?」

「えぇ、いくつか」

「大したかたなのですね」

「さぁ、それはどうなのかしら」

 老婦人が片頬を持ち上げて答えた。

「この子は、そうね、堪え性がないというか。今まで見たところ、何も完成させていないのよ」

 お茶を待ちながら、老婦人は317ページを開き、スレートをその上に置いた。そこに現われたサムネイルの一つをダブルタップし、三回目に指を置いたときにはテーブルの向こうに指を弾いた。

「ヘンドリックさんには見せたことがあったかしら?」

 向いの壁に動画の投影がはじまった。そこには、街中のビルのガラスにへばりついているその男が映し出された。

 老婦人は311ページを開き、また別の動画を壁に投影した。そこには道路に四つん這いになっているその男が映し出された。

 老婦人は313ページを開き、また別の動画を壁に投影した。そこには廊下の壁にへばりついている男が映し出された。

「ユニークなかたですね」

 老人はお茶を注ぎながら言った。

「そうね、ユニークだったわね」

 老婦人は別の静止画を壁に投影した。そこには黄色い線で書かれたなにかが写っていた。

「壁の高さからわかると思うけど、これ、一文字一文字がけっこう大きいのよ」

「そのようですね。ですが、これはなんと書いてあるのでしょう?」

 老婦人はカップを取り、一口飲んだ。

「それがずいぶん長い間の疑問だったの」

「スカイネットに解読させるなどの方法はお試しに?」

 老婦人は首を横に振った。

「これは、私がやらなければいけないことだから。みなさんの手をお借りすることはあっても」

「もっと頼っていただいても」

「頼っていないわけじゃないのよ。ただ、これは私がやりたいことなの」

 老婦人はもう一口お茶を飲んだ。

「それに、これが何て書かれているのかがわかったのは、皆さんのおかげよ」

「お力になれているならよろしいのですが」

「この本の前の方に記録されていますけど。二人は双子語を使っていたの。長くね。それでミライが言ったことの一部も翻訳できたわ。それに双子語の文字まで作っていたのではないかというのは皆さんからの助言でしたよ」

 老婦人がカップを置くと、老人はもう一杯注いだ。クロッシュを取り、サンドウィッチが載った皿もカップとともに老婦人の横へと置いた。

「この書いてあるのはね、黄色いクレヨンなの。うふふ、おかしいでしょう? 20も過ぎているのにクレヨンなんて」

「珍しいかとは思いますが」

 老人は別のティーサーバの用意を始めた。

「双子って言いましたけど、これを書いた子はミライ。ずっとクレヨンを手放さなかったわ」

「なにか理由があったのでしょうか」

「そうね、あったんだと思うわ。ミライにはミクっていう双子の妹がいたの。ドイツ系だけど、漢字もあてあって『未来』と書いたわ。二人ともね」

 老婦人は老人に顔を向けた。

「ヘンドリックさん、もしあなたに双子の兄弟がいて、一人が早くに亡くなったらどう思うかしら?」

「ミクさまは早くに亡くなったのですか?」

「えぇ。7才のときに、事故で」

「その事故に不審な点は?」

「なんとも言えないわね。あったと言えばありましたし、追求できるほどのものでもありませんでしたし」

 老婦人はまたカップを持ち、一口飲んだ。

「それから何年経ってもミライは黄色いクレヨンで書くことをやめなかったの。だから、聞いてみたことがあったわ」

 老婦人はサンドイッチを手に取り、千切ると口に運んだ。そしてもう一口お茶を飲んだ。

「ミライは言ったの。僕が知ったことをミクに教えてあげるには、こうしないといけないんだって」

「それで、壁にクレヨンで?」

「そうなんでしょうね。でも、ミライの書いたものは完結していないの。言うなら、理論の完成の一歩手前でいつも終っているの。思い付きをメモしただけみたいに」

「それで答え合わせが必要と?」

「そうなの。これまでのところ、完成の一歩手前という条件なら、ミライのメモはすべて完璧だわ。この20年、見てきたかぎりは。でも、まだ答え合わせができていないものばかりだから、全体としてそう言い切れるのかはわからないけれど」

 老婦人はもう一切れサンドウィッチを千切って口に運んだ。

「ミライさまのご助力はいただけないのですか?」

 老婦人はお茶をもう一口飲んだ。

「できたとしても、やらないかもしれないわね。ミクに教えてあげるためのものですもの。それにミライも20年前に事故で亡くなっているわ。27才だったわね」

「それは失礼なことを」

「いいのよ。こうして遺っているのですから」

「ミライさまの事故には?」

「ミクと同じね。なんとも言えないわ」

 老婦人は一旦本を閉じ、裏表紙を開いた。そこには緩衝材に挟まれた棒状のものが收められていた。老婦人はそれを取り出しヘンドリックに見せた。

「ミライが使っていたクレヨン・ホルダーよ。ミクと一緒に使っていたわけでもないの。ただの、普通のクレヨン・ホルダー。なにか使っていた理由があるのかもと思っていたけど、ただ使い易さのためだけだったのかしら」

 老婦人はホルダーを裏表紙に戻した。

「これはあまり人に見せたことがないの」

 老婦人は本の30ページを開き、スレートから、また壁に投影した。他のものと同じと思える字が並んでいた。

「これだけが翻訳できないの。ミクが亡くなったときにミライが書いたものなのだけど。内緒の双子語で書いてあるのか、それとも思い出すためや決意のために書いたことで、書かれていることには意味なんてないのかもしれないわね」

 老人は新しいティーサーバからカップにお茶を注いだ。

 老婦人はカップを眺めながら言った。

「これは二人の約束なのかもしれないわね」

「でしたら、そこはお二人の秘密のままがよろしいのかもしれませんね」

 老婦人は老人を見上げた。

「そうね。えぇ、そうなのかもしれないわね」

 アンネ・ラインハルトは微笑んでそう答えると、本の313ページに戻っていった。


 この話そのものは2088年のものです。


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