思考入力の功罪
ご隠居と八っつぁんの二人が揃った場合、八っつぁんがろくでもないことを思いついて、突拍子も無いことを言い出すのが、大体のパターンだ。
だが、かといってご隠居が常に真面目かというと、そうとも言い切れない――例えば、今のように。
いつものように、VR竜宮荘の屋上で、二人が並んでボーっと過ごしていた時のことだ。
突然、ご隠居が呪文のような言葉を話し出した。
「えるおーえる、あーるおーえふえる、だぶりゅーてぃーえふ」
「急にどうしたんだい、ご隠居さん。変なものでも食ったのかい?」
びっくりした八っつぁんは、真顔で声を掛けた。
その言い方に心外な顔つきをしながら、ご隠居が説明を始めた。
「いや、違うよ。こないだ、八っつぁんが途中離脱したろ? ああいうとき、昔はえーえふけーって書いたもんだなって思い出してさ」
「なんだいそれ」
「省略語だよ。Away from Keyboardの頭文字を並べてんのさ」
「あー、なんか知ってるぞ。なんだっけ、そんな3文字のアイドルグループがあったよな。あー、えー……ジーエイチキュー75だっけ?」
「アンタのボケは危険で困る。色々と変なモノを混ぜるんじゃないよ」
「で、なんて意味だい?」
「豪快に無視するのも相変わらずだね……キーボードから離れます、つまりは席を外しますとか、パソコンの前には居ません、ってな意味だ」
「聞いたことねえなあ」
「知ってて聞いたんなら殴るよ? “外”で」
「そいつぁカンベンしてくれ」
「……まあ、ネットゲームの主流が欧米製だった時代で、日本語の使えないテキストチャットで使われてた言葉だからな。あんまり根付かず、死語になっちまった」
「今どき、日本語使えねえとか言ったら暴動起きるね」
「違いない。で、そういった略語を思考入力したらどうなんだっけ、ってふと思いついてな、やってみたんだが、やっぱ駄目だった」
ご隠居は、そう言って肩をすくめ、コレでおしまいとばかりに話を切り上げようとした。
だが、何か気になったのか、八っつぁんは「ふーん」と相槌を打ち、話を続けるように促した。
「ほかにどんなのがあるんだい?」
「そうさな……アスキーアートなんてのもあったな」
「新手の漫才コンビかい?」
「違うよ。いわゆる顔文字って奴だよ。掲示板界隈ならまだ見かけることもあるから、さすがに知ってるだろ?」
「ああ、“ぬるぽ”とか“ブーン”って奴か」
「変なトコ知ってるね。まあ、ソレであってるけど、音声会話がメインになったゲーム内じゃあ、消えちまった文化の一つだ……ああ、そういや『草』も消えたな」
「草? ニンジャがどうかしたのか?」
「……ずいぶんマニアックな方向で間違えたね。潜入工作員のことじゃないよ。語尾とかにダブリューが付いてる文、知らないかい?」
「おお、知ってる知ってる。アレがどうかしたのか?」
「あれなんかも略語だな。当初は、語尾につけてた『笑』が変化した記号だったんだが、変な感じで多用されるようになったせいで、ダブリューって文字が雑草みたいに生えてるように見えるってんで、『草』って呼ばれるようになったって聞いてるね」
「へえ、そうなのか。まあ、それはどうでもいいや」
「どうでもいいって、アンタが聞いたんじゃないか」
「それはそうとさ、『思考入力』って、どんな状態でも使えんのかね?」
「うーん……状態って、例えば?」
「そうだなあ……例えば、寝てる時とか?」
「あんた、よく寝オチしてるからなあ。ただまあ、アンタの寝言を聞いたことはないね」
「いびきも?」
「いびきは“思考”じゃねえだろ」
「あ、そうか」
ご隠居は、相方の相変わらずのボケ具合にため息を一つ付いてから、滔々と説明を始めた。
「まあ、あんたが心配しているようなことは、このゲームの中ならほとんど起きねえはずだから安心しな」
「そりゃまた、どうして?」
「発言の前に、文字入力欄を指定するだろ?」
「ああ、そう言われれば……でも、どうしてこんな、一手間増やしたのかねぇ」
「思考入力って操作方法自体に、賛否両論があったんだよ。たとえば、自分の妄想や独り言が筒抜けになっちまうんじゃねえか、って声とか」
「へえ、そんなことがあったのかい」
「ああ、あった。というか、八っつぁんも『寝言』が筒抜けになるんじゃ、って心配したろ?」
「……おっと。言われりゃ、そうだった」
「それと同じことだよ。それに実際のところ、その懸念もあながち間違いじゃあなくてな。医療用の思考入力装置なんかじゃ、閾値を下げているのもあるっていうからな」
「閾値、ってなんだい?」
「どこからを言葉として拾い上げて、どこまでをノイズとして捨てるか、っていう境目のことさ。で、閾値を下げるとな、思ったことなんかがほぼそのまま垂れ流しになるってんで、意識不明な患者の意思を確認するために使われてるって話だ」
「へえ、そんなふうになんのか。思ったことが即言葉になるなんてえと結構便利そうなのに、なんでやらないんだろうね」
「よく考えてごらん。ことあるごとに声が出てたら、五月蝿くてゲームになんないよ」
「あー……そういうもんかね?」
「そうだよ。大体、普段でも発言が色々とっちらかってるアンタが、そんなことになってごらんよ。何の話をしたいのかって所から、わかんなくなるよ?」
「そうかなあ……そうか、なあ……」
厳しい突っ込みに思わず凹んだ八っつぁんを見て、言い過ぎたと思ったご隠居は、あわててフォローし始めた。
「いやその、なんだ。アンタに限らず、一般人には無理、ってことだよ。ディベートや演説が得意で、長台詞でも立て板に水、って人ならまあ、言うとおりに便利かもしらん」
「だろ?」
「ただ、そんな能力を全員に要求するのは、酷ってもんだろ?」
「そりゃまあ、そうだな」
「だから、一般人でも使えるように、まず自分の意思で文字入力ウィンドウを開いて、文章として考えたコトを入力する、現在のチャット入力方式に落ち着いた、ってことらしいよ」
「よく考えたもんだね」
「考えたっていうか、昔からあるオーソドックスな方式を、そのまま使っただけさ。そもそも、手間暇をかけたくないってんで、アリ物で済ませただけらしいんだがね、垂れ流しの懸念を払拭できた上、プレイヤーも慣れた方式なんでトラブルも起きないと、一石三鳥だったらしい」
「へえ。怪我の功名って奴だね」
いつもの調子に戻って、変なところに感心した様子の八っつぁんを横目で見ながら、ご隠居はわざと“文字入力欄を指定しない”で、こっそりと呟いた。
『むしろ、“濡れ手に粟”とか、“棚から牡丹餅”が正しいと思うがね……』
#2015/01/21 オチの表現を一部修正しました。