仮想と現実の相関関係
仮想空間であればこそ、食事のロケーションにもこだわりたい――そんな要望に応えるため、“蓬莱山”は島の各所に施設を準備していた。
そのうちの一つが、海岸を見下ろす、オーシャンビュースポットだ。
そこから見えるは、抜けるような青い空に、天突く程の白い雲。
青と白のコントラストがまばゆい空から視線を下ろすと、エメラルドグリーンの大海原が広がっている。
その絶景は一般ユーザーにも評判で、ギルドメンバーはもちろん、ここ目当ての「観光客」も来るほどの、観光スポットとなっていた。
その絶景スポットに、ご隠居と八っつぁんが佇んでいた。
二人で朝食を取り、一息ついていた時、八っつぁんが愚痴をこぼした。
「ああ……しかし、これでタバコを一服できりゃあ、言うこと無い朝なんだが」
「吸うなら、“外”に行っといでよ」
一方のご隠居は、何度も繰り返した愚痴に飽きてるようで、つっけんどんな態度で応える。
「いやいや、今、吸いたいわけじゃねえんだ。たださぁ、酒とタバコさえあれば、“外”に行く必要もねえのになって思ってさ」
「何度も言ってんだろ。自主規制って奴だよ」
「それなー……俺達みたいな爺婆には解放してくれてもって思うんだけどさ」
「我慢しろって。例外作ると、運用めんどくさいんだから。自粛されてる理由だって、知ってんだろ?」
「分かってるよう。フラッシュバック対策だろ?」
「分かってんなら言いなさんな」
「そりゃ、何が引き金になって“思い出す”かってな、人それぞれだけどよう……」
「そうだよ。感覚も、そこらへんの安全係数ずいぶん取ってっから、苦痛とか不快って感覚がほとんど再現されてねえだろ?」
「ソレもわかってるけどよう……」
だが、今日の八っつぁんは、妙に食い下がってくる。
なんか調子が狂うな、と思ったご隠居だが、それならばと、別の薀蓄を披露することにした。
「そんなら、刺激物が規制されているのは、フラッシュバック以外にも問題があるから、ってのは知ってるかい?」
「問題?」
「ああ。刺激に慣れ過ぎる、って問題でな。人間は適応する生き物だが、過剰適応ってなると、ちとマズイのさ」
「適性の次は適応かい?」
この間の話を覚えていた八っつぁんは、どこか訝しげだ。
だが、ご隠居は気にせず、むしろにやりと笑い返して、話を続けた。
「例えば、ゲーム内で毎日朝昼晩、あたしがそのジュースを飲み続けたとしようか」
「そんなに飲みたいのかい?」
「例えばって言ったろ。で、飲み続ければ、いずれはその味にも慣れて、普通に飲めるようになるよな」
「そういわれりゃ、そうかもしれんね」
「じゃあ、VRの味に慣れた後で、“外”のホンモノを飲んだら、どうなると思うね?」
ご隠居の問い掛けに、八っつぁんは腕組みをしてしばし考え、答えを返した。
「それは……慣れたんだから、普通に飲めるんじゃないのかい?」
「まあ、そう思うよな? だが、面白いことに、そうはならねえんだ」
ご隠居は、引っかかったとばかりに、そのまま講釈を続けた。
「実物の情報はVRよりもはるかに複雑だ。味にしたって、ただ苦いだけじゃなく、匂いやら舌触りやら喉越しの感覚やら、色々と複合的に絡み合った情報だよ。だから、現実のジュースはやっぱり飲みにくい。ところが、VRで慣れたって記憶は、依然としてある。その齟齬が、何とも言えない違和感になるって訳だ。時差ぼけならぬ、仮想ぼけ、なんて言われてる現象で、こいつはどうにも克服しきれないんで、過剰な刺激は自主規制されてんのさ」
「なんかよくわからねえ理屈だな」
八っつぁんは、どこか置いてけぼりな雰囲気に、目を白黒させている。
「わかりなさい。でな、こいつはVR機器に年齢制限が掛かっている理由でもある」
「というと?」
「子供は適応能力が高すぎるんで、仮想ぼけになりやすい。で、仮想ぼけが酷くなると現実に戻れなくなっちまう危険がある、ってVR規制派がうるせえのなんの」
突然の展開に胡散臭さを感じた八っつぁんは、じと目でご隠居を眺めて、一言。
「……昔に、どっかの畑違いの学者が言い出した、ゲームやってると脳が退化するってぇ珍説を思い出したんだけどね」
「あー、そんなのもあったな。いつの世でも、似たような妄言を吐く輩ほど声がでけえから始末におえねえってことでもあるかね……だがまあ、こっちの話は、一理あったんだよ。『高所平気症』という言葉、知ってるかい?」
「高所恐怖症、なら知ってるけど、ソイツは初耳だね」
「まあ、正式な病名じゃねえからな。高層マンションなんかで生まれ育った子供達が、高い場所でも危機感や恐怖心が働かない状態を表した言葉でな。そういう、危機感の欠如した子供が、高層マンションのベランダでふざけて転落した、なんてコトもあったらしい。ソレを考えると、VRでも似たようなコトが起きないとは限らんってコトで、先回りして自主規制したってわけだ」
「老人なら、影響はないのかい?」
「どうだろうねえ。VRは新しい技術だからね、まだ分かっていないだけで、ひょっとしたら影響はあるかもしれんし、無いかもしれん」
「はっきりしないね」
相変わらずの、八っつぁんの煽るような口ぶりだが、ご隠居はただ肩をすくめて、簡素に告げた。
「誰も知らんからな」
あまりの言いように、若干白けた空気が場に漂う。
取り繕うように、ご隠居は話を続けた。
「だがまあ、どっちにせよ俺らには関係ねえ話だ」
「どうして?」
「仮に今から調査を始めたとして、統計を取って、データを解析して……結論が出る頃には、俺らは関係の無い場所に『逝ってる』だろ?」
「なるほど!……なるほど?」
一瞬、納得しかけてから首をひねった八っつぁんを見て、ご隠居はほくそ笑んでから、話し続けた。
「ま、冗談は置いといてな。実際のところ、明日にでもバーチャルが危険なんで使うなって言われたとして、アンタやめるかい?」
「そりゃあ……やめねえなぁ」
「だろう? コレが無きゃ生活がなりたたねえ、ってぐらいに依存しちまってる。“バーチャルやめますか? それとも……?”なんて脅されたって、まあやり続けるだろうよ」




