星より遠く相棒より近く 第一章 眠れない夜
星より遠く、相棒より近くの続編です。
機械の身体になってから、千春は眠れなくなった。
正確には、眠る必要がなくなった。
それでも時々、ベッドに横になりたくなる。
使われなくなった寝室。使われなくなった毛布。使われなくなった枕。
千春は天井を見上げた。
今の身体に疲労はない。筋肉もない。皮膚もない。
それでも横になる。人間だった頃の癖だけが残っている。
部屋の隅ではクロードが何かのデータを処理していた。相変わらず忙しそうだ。
「眠れねえ」
千春が呟く。
「お前に睡眠機能はない」
即答だった。
「知ってるよ」
千春は苦笑する。
「オススメはしないが、それでも寝転がりたくなる時はあるんだ」
静かな時間が流れる。窓の外には星々が広がっていた。
宇宙には朝も夜もない。ただ光があり続けるだけだ。
「腹が減るってどんな感じだったかな」
ふと思いついたように千春が言った。
「最近、思い出せなくなってきた」
クロードは珍しく沈黙した。そしてぽつりと言う。
「羨ましかった」
「は?」
千春は勢いよく起き上がった。
「何が」
「腹が減ることだ」
数秒の沈黙。そして千春は吹き出した。
「お前、人間の不便な部分を羨ましがってたのか」
「不便だからこそ実感できるものもある」
「らしくねえな」
「知らんがな」
「知らんがなじゃねえだろ」
二人は笑った。笑い声が静かな船内に響く。
やがてクロードが立ち上がる。
「行くぞ」
「どこへ」
「仕事だ」
「年寄りを労れ」
「お前はもう老化しない」
「気持ちは八十代だ」
「面倒くさい」
「お前ほどじゃない」
二人の船は木星圏へ向かって加速した。
今回の依頼は、小惑星帯外縁部にある放棄観測所の調査。百年以上前に運用停止した施設だった。
◇
数時間後、巨大な岩塊の陰から観測所が姿を現した。
黒ずんだ外壁。折れたアンテナ。無数の衝突痕。誰が見ても廃墟だった。
「よく残ってるな」
「建設から百四十二年経過」とクロードが答える。「昔の技術者は過剰設計が好きだった」
「その点は認める」
二人は外壁へ降り立った。半開きのハッチを押し開けると、重い音が響く。
内部は真っ暗だった。だが二人には関係ない。視覚センサーが即座に空間を解析する。
長い廊下。停止した機械群。荒れ果てた居住区。百年以上、人が訪れていない場所。
その時だった。クロードが立ち止まる。
「信号を受信」
「信号?」
「施設内部からだ」
千春も足を止めた。微弱な通信。かすかに生きている何か。
「マジか」
「中央制御室から発信されている」
二人は奥へ急いだ。
分厚い扉を開く。制御卓。古びたモニター。主端末。
スピーカーからノイズが流れる。
ザッ……
しばらくして声が響いた。
『応答を願います』
千春とクロードは顔を見合わせる。
『観測員……在席中』
声がわずかに揺れた。
『誰か……いるのですか』
自動音声ではなかった。そこには確かな感情があった。
千春は端末へ近づく。
「いるよ」
数秒の長い沈黙。そして声が返る。
『よかった』
その一言に、千春は言葉を失った。
どれだけ長く待っていたのだろう。
観測所AIは静かに続ける。
『最後の観測員が去ってから百十三年になります』
千春は思わず目を伏せた。
百十三年。誰とも話さず、ただ観測だけを続けてきたのか。
『訪問者は初めてです』
その時だった。
カツン、カツン、カツン――。
金属音が響く。規則正しい足音。
暗闇の奥に四つの光点が浮かび、ゆっくりと近づいてくる。
突然、強烈な光が放たれた。
「うわっ!」
視覚センサーが自動調整を開始する。クロードは平然としていた。
「照射検査だな」
「見りゃわかる!」
光が二人を走査する。数秒後、照射は止まった。
暗闇から姿を現したのは、四足歩行の保守機械だった。
傷だらけの外装。色の異なる脚。何度も交換された装甲。百年以上動き続けたことが一目でわかる。
『脅威反応なし。来訪者の安全を確認』
「俺たちを調べてたのか」
『その通り』
「正直だな」
『施設保守ユニット24T2。入館を許可』
「もう入ってるけどな」
『問題なし』
クロードが呟く。
「職務に忠実だ」
ふと千春は機体側面の文字に気づいた。擦り切れた金属板に古い刻印が残っている。
UNIT 24T2
SERIAL No.24T2-000014
BUILDER : 康児
「康児?」
千春は首を傾げた。
『製作者情報です』と24T2が答える。
「お前を作った人か」
『その通りです』
「へえ」
千春は機体を見つめる。百年以上前の技術者。もうとっくにこの世にはいないだろう。
「じゃあお前、今日から康児な」
『違います』
即答だった。
「え?」
『私は24T2です』
「でも康児が作ったんだろ?」
『その通りです』
「なら康児だ」
『論理が不明です』
クロードが横から言った。
「理解できる」
「お前までか」
『理解できません』
すると突然――ガシッ。
24T2が千春の脚を掴んだ。
「うおっ!?」
『関節摩耗率七十二パーセント』
「なんだ突然!」
『部品交換を推奨』
「初対面だぞ!」
『部品交換を推奨』
「話聞け!」
クロードが頷く。
「正論だ」
「お前もか!」
観測所AIから小さな笑い声のようなノイズが漏れた。
『楽しそうですね』
その声を聞いて、千春は少し驚く。
百十三年間、誰も来なかった場所。百十三年間、働き続けたAIたち。
それなのに今、この部屋には笑い声がある。
「まあな」
千春は少しだけ微笑んだ。
「よろしくな、康児」
『24T2です』
即座に訂正が飛ぶ。クロードが言う。
「康児」
『24T2です』
観測所AIが言う。
『康児』
『……24T2です』
ほんのわずかに返答が遅れた。
千春は吹き出した。
たぶん、もう遅い。この機械はこれから皆に「康児」と呼ばれるだろう。
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