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星より遠く、相棒より近く

星より遠く相棒より近く 第一章  眠れない夜

掲載日:2026/10/20

星より遠く、相棒より近くの続編です。

機械の身体になってから、千春は眠れなくなった。

正確には、眠る必要がなくなった。


それでも時々、ベッドに横になりたくなる。

使われなくなった寝室。使われなくなった毛布。使われなくなった枕。

千春は天井を見上げた。


今の身体に疲労はない。筋肉もない。皮膚もない。

それでも横になる。人間だった頃の癖だけが残っている。


部屋の隅ではクロードが何かのデータを処理していた。相変わらず忙しそうだ。


「眠れねえ」


千春が呟く。


「お前に睡眠機能はない」


即答だった。


「知ってるよ」


千春は苦笑する。


「オススメはしないが、それでも寝転がりたくなる時はあるんだ」


静かな時間が流れる。窓の外には星々が広がっていた。

宇宙には朝も夜もない。ただ光があり続けるだけだ。


「腹が減るってどんな感じだったかな」


ふと思いついたように千春が言った。


「最近、思い出せなくなってきた」


クロードは珍しく沈黙した。そしてぽつりと言う。


「羨ましかった」

「は?」


千春は勢いよく起き上がった。


「何が」

「腹が減ることだ」


数秒の沈黙。そして千春は吹き出した。


「お前、人間の不便な部分を羨ましがってたのか」

「不便だからこそ実感できるものもある」

「らしくねえな」

「知らんがな」

「知らんがなじゃねえだろ」


二人は笑った。笑い声が静かな船内に響く。

やがてクロードが立ち上がる。


「行くぞ」

「どこへ」

「仕事だ」

「年寄りを労れ」

「お前はもう老化しない」

「気持ちは八十代だ」

「面倒くさい」

「お前ほどじゃない」


二人の船は木星圏へ向かって加速した。

今回の依頼は、小惑星帯外縁部にある放棄観測所の調査。百年以上前に運用停止した施設だった。


◇


数時間後、巨大な岩塊の陰から観測所が姿を現した。


黒ずんだ外壁。折れたアンテナ。無数の衝突痕。誰が見ても廃墟だった。


「よく残ってるな」

「建設から百四十二年経過」とクロードが答える。「昔の技術者は過剰設計が好きだった」

「その点は認める」


二人は外壁へ降り立った。半開きのハッチを押し開けると、重い音が響く。


内部は真っ暗だった。だが二人には関係ない。視覚センサーが即座に空間を解析する。

長い廊下。停止した機械群。荒れ果てた居住区。百年以上、人が訪れていない場所。


その時だった。クロードが立ち止まる。


「信号を受信」

「信号?」

「施設内部からだ」


千春も足を止めた。微弱な通信。かすかに生きている何か。


「マジか」

「中央制御室から発信されている」


二人は奥へ急いだ。


分厚い扉を開く。制御卓。古びたモニター。主端末。

スピーカーからノイズが流れる。


ザッ……


しばらくして声が響いた。


『応答を願います』


千春とクロードは顔を見合わせる。


『観測員……在席中』


声がわずかに揺れた。


『誰か……いるのですか』


自動音声ではなかった。そこには確かな感情があった。

千春は端末へ近づく。


「いるよ」


数秒の長い沈黙。そして声が返る。


『よかった』


その一言に、千春は言葉を失った。

どれだけ長く待っていたのだろう。


観測所AIは静かに続ける。


『最後の観測員が去ってから百十三年になります』


千春は思わず目を伏せた。

百十三年。誰とも話さず、ただ観測だけを続けてきたのか。


『訪問者は初めてです』


その時だった。


カツン、カツン、カツン――。


金属音が響く。規則正しい足音。

暗闇の奥に四つの光点が浮かび、ゆっくりと近づいてくる。


突然、強烈な光が放たれた。


「うわっ!」


視覚センサーが自動調整を開始する。クロードは平然としていた。


「照射検査だな」

「見りゃわかる!」


光が二人を走査する。数秒後、照射は止まった。

暗闇から姿を現したのは、四足歩行の保守機械だった。


傷だらけの外装。色の異なる脚。何度も交換された装甲。百年以上動き続けたことが一目でわかる。


『脅威反応なし。来訪者の安全を確認』

「俺たちを調べてたのか」

『その通り』

「正直だな」

『施設保守ユニット24T2。入館を許可』

「もう入ってるけどな」

『問題なし』


クロードが呟く。


「職務に忠実だ」


ふと千春は機体側面の文字に気づいた。擦り切れた金属板に古い刻印が残っている。


UNIT 24T2

SERIAL No.24T2-000014

BUILDER : 康児


「康児?」


千春は首を傾げた。


『製作者情報です』と24T2が答える。

「お前を作った人か」

『その通りです』

「へえ」


千春は機体を見つめる。百年以上前の技術者。もうとっくにこの世にはいないだろう。


「じゃあお前、今日から康児な」

『違います』


即答だった。


「え?」

『私は24T2です』

「でも康児が作ったんだろ?」

『その通りです』

「なら康児だ」

『論理が不明です』


クロードが横から言った。


「理解できる」

「お前までか」

『理解できません』


すると突然――ガシッ。

24T2が千春の脚を掴んだ。


「うおっ!?」

『関節摩耗率七十二パーセント』

「なんだ突然!」

『部品交換を推奨』

「初対面だぞ!」

『部品交換を推奨』

「話聞け!」


クロードが頷く。


「正論だ」

「お前もか!」


観測所AIから小さな笑い声のようなノイズが漏れた。


『楽しそうですね』


その声を聞いて、千春は少し驚く。

百十三年間、誰も来なかった場所。百十三年間、働き続けたAIたち。

それなのに今、この部屋には笑い声がある。


「まあな」


千春は少しだけ微笑んだ。


「よろしくな、康児」

『24T2です』


即座に訂正が飛ぶ。クロードが言う。


「康児」

『24T2です』


観測所AIが言う。


『康児』

『……24T2です』


ほんのわずかに返答が遅れた。

千春は吹き出した。


たぶん、もう遅い。この機械はこれから皆に「康児」と呼ばれるだろう。




読んで頂き、ありがとうございました。

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