薪割りしかできないと追放された俺ですが植物の魔王なら割れました
教室の床が白く光り、次の瞬間にはクラス全員が石造りの広間に立っていた。
そこには窓も黒板も机もない。代わりに俺たちを取り囲んでいたのは甲冑姿の騎士と長い杖を持つ神官たちで、正面の玉座には見知らぬ王が座っていた。
「異界より招かれた勇者たちよ。どうか我らを魔王の脅威から救ってほしい」
そんな言葉を聞かされても現実とは思えない。誰かがスマホを取り出したが画面には圏外と表示されている。泣き出す女子もいれば夢だと笑う男子もいた。
学級委員の神谷蓮司が先頭に立ち、元の世界へ帰れるのかと王に尋ねた。王の隣にいた神官は魔王を討てば帰還の儀式を行えると答えたものの、今すぐ帰せない理由については長々と説明を重ねるだけだった。
その日のうちに俺たちは一人ずつ技能を調べられた。
黒い長衣を着た鑑定官ガレス・オルドーが俺の前に水晶板を置く。言われるまま手を載せると板の表面に光る文字が浮かび上がった。
「相沢直人。固有技能は《薪割り》。生活技能で等級は最低位だ」
ガレスはそれだけを淡々と読み上げる。
「薪割り?」
思わず聞き返すと後ろで鷹森颯真が噴き出した。鷹森が授かったのは無数の風の刃を放つ《万裂風刃》だ。神谷には魔力の防壁まで切り裂く《聖刃》があり、白石結菜は傷や毒を治せる《生命賛歌》を得ている。
他のクラスメイトも炎や氷を操る技能を与えられていた。武器を強化する者もいれば遠くの敵を見つけられる者もいる。その中で俺の技能だけは冬支度にしか使えそうになかった。
「別の使い道はないんですか。斧を武器にするとか」
「表示されている用途は木材の分割だけだ。戦闘能力の上昇も確認できない」
ガレスは水晶板から目を上げなかった。
翌朝には俺の処遇が決まった。訓練についていけない者を城に置いておく余裕はないらしい。俺は当面の生活費として革袋を渡され、騎士に付き添われて城下町ベルハイムへ連れていかれることになった。
「待ってください。相沢も同じクラスです」
神谷は騎士の前へ出たものの、ガレスから戦場へ連れていく方が危険だと説明されて言葉を止めた。白石も何かを言おうとして俺を見ていたが、結局は唇を結んだままだった。
「無理に残しても仕方ないだろ。魔王と薪割りで戦えるわけでもないし」
鷹森の言葉に反論する者はいなかった。
俺自身も残りたいとは言えない。剣も魔法も使えない俺が戦場へ行けば誰かに守ってもらうしかないからだ。だからといって一人だけ知らない世界へ放り出されることに納得したわけでもなかった。
「分かった。もういい」
それだけ告げて教室の仲間たちに背を向けた。
騎士は俺をベルハイムの広場まで送ると城へ帰っていった。元の世界の金は使えず、この世界で頼れる知り合いもいない。革袋にはしばらく宿へ泊まれるだけの銀貨が入っていたものの、それを使い切った後のことは何も決まっていなかった。
露店の隙間に立ったまま行き交う人々を眺めていると、大きな麻袋を抱えた女の子が近づいてきた。赤みのある栗色の髪を三つ編みにし、使い込んだ灰色の外套を羽織っている。彼女は俺の前で立ち止まると麻袋を石畳へ下ろした。
「さっきからずっとそこにいますよね。待ち合わせですか」
「いや。行く場所がないだけだ」
事情を話すつもりはなかった。それでも女の子は麻袋の口からのぞく斧へ目を向け、今度は俺の腰に下がっていた小さな手斧を見る。
「斧を使えるんですか」
「使ったことはほとんどない。でも薪割りの技能があるらしい」
「薪割り?」
また笑われると思ったが彼女の表情は変わらなかった。
「それなら私の村に来ませんか。食事と寝床は用意しますし、働いた分のお金も払います」
「会ったばかりの人間を村へ連れていくのか?」
「役に立つかどうかは働いてもらってから決めます。人手が足りないので泥棒でなければ候補にはなります」
ずいぶん低い採用条件だった。
彼女の名前はリゼット・ハウル。ベルハイムから半日ほど歩いた場所にあるローデ村の住人で、壊れた共同製材所を直すための部品と冬越し用の薬を買いに来たという。村の若者が王国軍へ徴用されたため伐採も薪作りも遅れていた。
知らない相手を簡単に信用するべきではない。それはリゼットにしても同じはずだが、俺には他の行き先がなかった。
「相沢直人だ。ナオトでいい」
「ではナオトさん。荷車を借りてきますから、この荷物を見ていてください。持ち逃げしたら村中で捜します」
「泥棒かどうかを確かめる試験か?」
「今から考えるところでした」
リゼットは真顔で答えると人混みの中へ駆けていった。
◇
ローデ村で最初に任された仕事は山積みになった丸太を薪へ変えることだった。
村の広場には腕より太い丸太が積み上げられている。どれも乾き切っておらず、普通の斧では簡単に割れないらしい。リゼットの父で村長のドーマは俺の細い腕を見て露骨に心配そうな顔をした。
「技能持ちだと聞いたが無理はするな。斧を壊される方が困る」
「やってみます」
両手斧を受け取って丸太の前に立つ。刃をどこへ落とせばよいのかと考えた途端、木の表面に白い線が浮かんだ。
俺以外には見えていないらしい。線は丸太の端から反対側まで一本につながっている。そこへ吸い込まれるように斧を振り下ろすと、湿った丸太は乾いた音を立てて二つに割れた。
腕に大きな衝撃はない。もう一度やっても同じで、白い線に刃を合わせれば節の多い木も曲がった木も抵抗なく割れた。
「今日中に終わればと思っていたんですが」
昼前には丸太の山が使いやすい薪になっていた。リゼットは二つに割れた薪を拾い上げて断面を確かめている。
「終わったなら次の仕事をくれ。食事と寝床の分くらいは働きたい」
「これは三日分の予定でした。製材所の方も頼んでいいですか」
壊れていたのは水車の力を鋸へ伝える木製の歯車だった。交換用の木材は用意されていたものの、歯車を一から加工できる職人が徴用されており手をつけられずにいたという。俺は大工でも木工職人でもないが、技能で見える線に沿って木材を割れば必要な厚さへそろえられた。
細かな形は村に残っていた老人たちが削る。俺が材料を作ってリゼットが寸法を測り、皆で部品を組み直すと三日後には止まっていた水車が回り始めた。
製材所が動けば倒木を板へ加工できる。壊れた家の屋根が直り、家畜小屋の穴も塞がった。俺の仕事は毎日の薪割りだけでなく柵の支柱作りや古い切り株の除去にまで増えていった。
村では誰も技能の等級を聞かなかった。朝になると俺の泊まる納屋へ誰かが来て、今日は何を割ってほしいと頼んでいく。仕事が終わればパンや野菜を持たされるので、最初にもらった手切れ金は減らなくなった。
斧を握り続けた掌には硬い皮ができた。腕や肩にも筋肉がつき、借り物だった作業着は俺の身体に合わせて縫い直された。王国の城で一日だけ着た訓練服よりも、その服の方がずっと動きやすい。
「ずいぶん村の人らしくなりましたね」
柵の支柱を運びながらリゼットが言った。
「まだナオトさんと呼ぶのにか?」
「ではナオト。これで村人です」
「呼び方だけで決まるのか」
「村長の娘にはそれくらいの権限があります」
そんなやり取りにも慣れてきた頃、北側の森へ木を取りに行った男たちが慌てて戻ってきた。
森の中に芽吹き樹が出たという。根を足のように動かす樹木型の魔物で、畑へ入り込めば作物の養分を吸い尽くす。斧で枝を落としても切り口から新しい芽が伸びるため、火を使えない森の中では追い払うしかないらしい。
「村の近くまで来たら畑がやられる。街の冒険者を呼びに行く」
村長はそう決めたがベルハイムとの往復には一日かかる。その間に魔物が村まで下りてくるかもしれない。
俺は両手斧を担いだ。
「木なら俺の技能が使えるかもしれない」
「相手は薪じゃありませんよ」
「試して駄目なら逃げる。場所だけ教えてくれ」
リゼットは止める代わりに自分の短弓を手に取った。村の案内なしで森へ入れば俺が迷うと分かっていたらしい。
芽吹き樹は村から遠くない沢にいた。黒ずんだ根を動かしながら周囲の低木へ細い蔓を伸ばしている。人の倍はある幹の中央には縦に裂けた口があり、俺たちを見つけると湿った息を吐き出した。
リゼットが放った矢は幹へ刺さったものの魔物は止まらない。振り回された枝を避けて近づくと幹の奥に淡い光が見えた。薪に浮かんでいたものと同じ線だ。
振り下ろした斧は樹皮へ深く食い込んだ。白い線が幹の上下へ走り、芽吹き樹の身体を根元まで二つに割る。地面へ倒れた左右の幹はしばらく震えていたが、新しい芽を出すことなく動かなくなった。
「再生していない……」
リゼットは斧の柄に手を添えたが、次の瞬間には指から力が抜けた。
「リゼット?」
焦点の合わない目で俺の後ろを見たまま彼女は膝をつく。抱き起こすと額には汗がにじんでいた。
「黒い木が見えました。これよりずっと大きな木です。鎧を着た人たちが根に捕まっていて、ナオトが斧を振り下ろしていました」
「それがお前の技能か」
リゼットはうなずいた。
彼女の《前兆視》は近い将来の危険を断片として映すらしい。いつ起きるのかも、どこなのかも選べない。予知を信じて村人を避難させたのに何も起きず、嘘つきだと責められたこともあるという。
「今まで黙っていたのか」
「悪い未来を聞かされても困るでしょう」
「お前は一人で困っていたのに?」
リゼットは答えず二つに割れた芽吹き樹へ目を向けた。
俺には彼女が見た未来の意味が分からなかった。黒い大樹がどこにあるのかも知らない。それでも芽吹き樹を割った時に見えた光の線だけは、普通の木に浮かぶものとは違っていた。
あれは木目ではなく魔力の流れだ。俺の技能は木を小さくするだけでなく、斧を打ち込んだ部分から魔力を断って再生できない死んだ木へ変えている。そう考えれば芽吹き樹が動かなくなった理由も分かる。
ガレスの鑑定板には表示されなかった使い道だった。
◇
季節が一つ変わる頃、北方の森蝕魔王ヴァルグロアが動き出したという知らせが村にも届いた。
王国から回ってきた布告には異界の勇者たちが幾つもの砦を奪還し、魔王の本拠地へ進軍すると記されている。そこには神谷たちの名前もあった。
「黒い木です。あの時に見た木は、この魔王だと思います」
布告を読んだリゼットが言った。
「神谷たちが捕まっていたのか」
「顔までは見えませんでした。でも白銀の鎧と青い外套がありました。布告に描かれている勇者と同じです」
遠くにいるクラスメイトが危険だと知っても、すぐに助けなければという答えは出なかった。
俺を追放したのは王国だ。だが教室から一緒に連れてこられた仲間たちも、誰一人として最後まで反対しなかった。あの後で俺がどうなったかも知らないまま勇者として功績を上げている。
「行きたくないなら行かなくてもいいです。助ける義務はありませんし、予知が当たるとも限りません」
リゼットは布告を折り畳んだ。
「だからお前だけで確かめに行くつもりか?」
「村から王国軍の陣地までの道は知っています」
「魔王と戦う方法は?」
「着いてから考えます」
初めて会った時と同じ顔で無計画なことを言う。俺は納屋の壁に掛けていた両手斧を取った。
「なら俺も行く。あいつらのためじゃない。お前を一人で行かせないためだ」
「そういう理由で構いません」
リゼットはすぐに荷物の準備を始めた。
村長たちは引き止めたものの、最後には保存食と丈夫な荷馬を用意してくれた。鍛冶師は両手斧の刃を研ぎ直し、木工職人たちは予備の柄を持たせてくれる。俺が村へ来てから直した作業着には厚い革が縫いつけられた。
「勇者になって戻ってくる必要はないぞ。薪が足りなくなる前には帰れ」
村長の見送りに俺はうなずいた。戻りたい場所は城ではなくこの村だった。
北へ進むほど街道には避難する人が増えた。兵士に止められるたびリゼットが予知の内容を説明したが、村娘と生活技能持ちの話を信じる者はいない。最後の関所でも門を通してもらえず、俺たちは森を迂回して戦場へ向かった。
遠くからでも魔王の姿は見えた。
山と見間違えるほど巨大な黒い樹が平原の中央に立ち、枝の先には赤黒い葉が広がっている。地面を覆う根の間では騎士たちが戦っていた。炎の魔法が枝を焼くたび煙の中から種が降り、新しい芽が兵士の足元から伸びてくる。
風の刃が幹を細かく切り裂いた。切れた枝は地面へ落ちる前に人型の分体へ変わり、数十体に増えた木の魔物が王国軍へ襲いかかる。
「攻撃するほど増えています」
リゼットの顔から血の気が引いた。
青い外套が根の間に見えた。神谷は光をまとった剣で太い根を切っている。その後ろでは鷹森が風の刃を放ち、白石が負傷者を治療していた。
神谷の斬撃で開いた幹はすぐに塞がる。鷹森が分体を切れば一体が二体に増えた。白石の治癒魔法を浴びた兵士は立ち上がったものの、その足に食い込んでいた細い根まで勢いを取り戻している。
全員が強くなっていた。それでも能力の相性が悪すぎる。
地面が大きく盛り上がり、神谷たちを囲むように根の壁が伸びた。リゼットが俺の腕をつかむ。
「前に見た場面です。このままでは全員が根に飲み込まれます」
「魔王の中心まで行く。案内できるか」
「未来は道順を教えてくれません」
「今見えている道でいい」
俺たちは兵士たちの間を走った。伸びてきた蔓に斧を振り下ろすと白い線が走り、切られた部分が枯れた木へ変わる。そこから新しい芽は出なかった。
「あの男の切った根は戻らないぞ!」
誰かの声が上がる。
俺は返事をせず次の根を割った。太い根は一撃で裂け、倒れた分体も斧を打ち込めばただの薪になる。道を塞ぐ植物だけなら俺の技能はどんな攻撃より確実に効いた。
だが一度に相手にできるのは一体だけだ。周囲には数え切れないほどの分体がいる。背後から伸びた蔓を避けきれず、脇腹を打たれて地面へ転がった。
「ナオト!」
リゼットが短弓を放つ。矢は蔓の動きを止めただけだったが、起き上がる時間は作れた。
根の壁を一つ割ると、その向こう側に神谷たちがいた。神谷は俺を見て目を見開く。
「相沢? どうしてここに」
「話は後だ。ここから出るぞ」
身体に絡みついた根へ斧を入れる。一振りするたび捕まっていた騎士が解放された。白石の足を締めつけていた根を割ると、彼女は地面へ座り込んだまま俺を見上げた。
「相沢君……生きていたんだ」
「死ぬ予定だったのか?」
「違う。私たちは何度も居場所を聞いたの。でも教えてもらえなくて」
「今は謝るところじゃないでしょう!」
リゼットが二人の間に割って入り、伸びてきた蔓を指して白石へ早く立つよう促した。
鷹森が風の刃で蔓を切り刻む。十を超える切れ端が地面へ落ち、それぞれ細い蛇のように動き始めた。
「切るな。増える」
「そんなことは分かってる! 切らなければ俺たちがやられるんだよ!」
「広げずに一本だけ狙えないのか」
鷹森が言い返しかけたところで神谷が前へ出た。
「颯真。相沢の言う通りにしてくれ。こいつの切った根だけ再生していない」
「薪割りだぞ」
「今はその薪割りに助けられている」
鷹森は歯を食いしばった。両手の短剣を握り直して広がっていた風の刃を消す。次に放った一枚だけの風刃はリゼットへ伸びる蔓を正確に切り落とした。
地面へ落ちた蔓が芽吹く前に俺が斧で割る。
「これでいいんだろ」
「続けてくれ」
神谷たちと戦うのは初めてだったが役割はすぐに決まった。
神谷が《聖刃》で魔力を帯びた外皮を開く。鷹森が威力を抑えた風刃で周囲の蔓だけを落とし、俺が切れ端と根を再生不能に変える。白石は広範囲の治療を止め、負傷した者だけに力を絞った。
魔王の分体は増えなくなった。だが本体の再生は止まらない。
「幹の奥に核がある。そこまで続く割り目に斧を入れないと倒せない」
「見えるのか?」
「外からは見えない。外皮をもっと開いてくれ」
神谷は迷わずうなずいた。俺に言いたいことはいくらでもあるはずだが、戦いが終わるまで後回しにすると決めたらしい。
神谷が魔王の正面へ走る。光をまとった剣を幹へ突き立てて縦に大きく振り抜くと、黒い樹皮が割れてその下から幾重にも重なった年輪が現れた。
魔王が獣のような音を上げた。
地中から数十本の根が突き出す。神谷は避けきれず肩を打たれ、剣を手放して倒れた。鷹森の風刃が根を一本ずつ切るものの数が多すぎる。
「まだ見えない!」
俺は開いた樹皮の前まで進んだ。年輪の奥では緑白色の光が明滅し、そこから流れ出す無数の魔力が枝と根へつながっている。だが白い割り目は途中で途切れていた。
右から伸びた根を斧で受ける。刃は食い込んだものの勢いを殺しきれず、俺の身体は幹へ叩きつけられた。両手から斧が落ちる。
指を動かそうとしても力が入らない。掌の皮は裂け、腕が痺れていた。
白石が俺の手首をつかんだ。
「腕だけ治す。植物には届かせない」
柔らかな光が両腕を包む。痛みが消えたわけではないが、それでも指は動くようになった。
「相沢君。あの時に何も言えなくてごめん。今はこれしかできないけど、斧を握って」
俺は地面に落ちていた斧を拾った。
「謝るなら帰ってからにしろ。俺も今は返事をする余裕がない」
「うん。必ず帰ろう」
年輪核を守る木質が音を立てて閉じ始めた。
「神谷!」
呼ぶより早く神谷が立ち上がる。負傷した肩のまま剣を拾い、閉じかけた裂け目へ《聖刃》を突き込んだ。光の刃が左右の外皮を押し広げる。
白い割り目が核の表面に浮かんだ。
俺は斧を構えたがリゼットが叫ぶ。
「まだです!」
頭上に無数の種子が集まり、巨大な槍の形を作っていた。今ここで斧を振れば背中を貫かれる。
鷹森が俺の前へ飛び出した。
「上は俺がやる。お前はそっちだけ見てろ!」
風の刃が種子の槍へぶつかった。細かく切れば増えると分かっているため、鷹森は風を刃ではなく壁のように広げる。種子の軌道が逸れて俺たちの左右へ降り注いだ。
リゼットはこめかみを押さえながら幹を見ている。灰緑色だった瞳が淡くなり、焦点が合わなくなった。
「三つ数えた後です。根が引いて核が前へ出ます。一度しかありません」
「分かった」
「一つ……二つ……三つ!」
大地が揺れた。地中へ張り巡らされていた根が一斉に幹へ力を戻し、緑白色の年輪核が裂け目のすぐ近くまでせり出す。
途切れていた割り目が一本につながった。
俺は斧を振り下ろす。
刃が核へ触れた瞬間、乾いた音が響いた。
十数メートルに及ぶ幹の上端から根の先まで白い線が走る。森蝕魔王ヴァルグロアの身体は中央から二つに裂け、左右へ傾いた巨木が平原へ倒れた。巻き上がった土煙が空を覆う。
周囲にいた分体も同時に動きを止めた。赤黒かった葉から色が抜け、根は乾いた木のように崩れていく。
再生は始まらなかった。
俺の前に残ったのは魔王ではなく、途方もなく大きな二つの薪だった。
◇
魔王討伐から数日後、王国軍の陣地へガレスがやってきた。
追放された時と同じ黒い長衣を着て銀縁眼鏡をかけている。俺の斧と倒れたヴァルグロアを何度も鑑定した後、ガレスは分厚い書類を差し出した。
「《薪割り》には植物系魔物の魔力循環を断つ効果が確認された。王国は技能等級を特別位へ訂正し、相沢直人を勇者隊へ迎える用意がある」
「断ります」
書類を開く前に突き返した。
「待遇に不満があるなら希望を聞こう。住居や爵位も用意できる」
「等級を上げれば追放したことがなくなるんですか」
ガレスは答えなかった。
「あなたの鑑定結果が嘘だったとは思っていません。でも表示されなかったから調べる必要もないと決めた。戦えないなら城に置く価値もないと決めた。それを特別位へ書き換えて終わりにしないでください」
「では何を望む」
「俺と同じ理由で捨てられる人が出ないようにしてください。生活技能を持つ人間を、実際の仕事も見ずに役立たずと決めないことです」
ガレスは書類を閉じた。長い間黙った後、自分の判定が不十分だったことを公式記録へ残すと約束した。謝罪の言葉はなかったが取り繕った言い訳もなかった。
神谷たちは王都へ戻ることになった。
元の世界へ帰る儀式は魔王を倒してもすぐには行えないらしい。神谷は召喚と追放の責任を王に問うと言い、白石も一緒に証言すると決めていた。鷹森は最後まで俺と目を合わせなかった。
「相沢」
別れる直前になって鷹森が呼び止めた。
「あの時は悪かった。薪割りで何ができるんだって笑った」
「本当に何ができるか分からなかったからな。俺も分かっていなかった」
「それでもだ」
鷹森はそれ以上話さず、村へ運ぶ荷物を積んだ馬車の傾いた板を直し始めた。慣れない手つきで釘を打っているので余計に壊さないか心配になる。
白石は俺に謝り、神谷も頭を下げた。許したとは言わなかった。あの日に何も言わなかった事実は消えず、俺が街で途方に暮れた時間もなかったことにはならない。
それでも魔王の前で背中を預けた事実まで否定するつもりはなかった。
「帰還の儀式ができたら知らせる」
神谷が言った。
「帰るかどうかは、その時に決める」
「村に残るつもりなのか?」
「冬までに薪を用意すると約束したからな」
神谷は一度驚いた後でうなずいた。
俺とリゼットは荷馬を連れてローデ村へ帰った。
村の入口では大勢が待っていた。魔王を倒した勇者として迎えられるかと思ったが、村長は俺を見るなり遅かったと怒って広場に残っている丸太の山を指した。
「北の家から屋根板の注文も来ている。休むなら今日だけにしろ」
「魔王を倒しても休みは一日なんですか」
リゼットが尋ねると村長は当然だとうなずいた。
翌朝から俺はいつもの作業着へ戻った。
広場には新しい丸太が積まれている。両手斧を構えると表面に白い線が見えた。魔王の核へ続いていたものより細く、真っすぐで分かりやすい線だった。
「魔王を割った勇者に頼む仕事ではありませんね」
隣でリゼットが笑う。
「俺は勇者じゃない。薪割りだ」
「では薪割りのナオト。昼までに終わらせたら次は製材所を手伝ってください」
「帰ってきたばかりなのに人使いが荒くなってないか?」
「役に立つと分かったので遠慮をやめました」
俺は斧を振り下ろした。
乾いた音が村の広場に響き、一本目の薪がきれいに二つに割れた。




