6話 助けてくれたのは
背後から男の手が伸びてくる。ここで捕まって、人買いに売られてしまうのが、わたしの運命? そんなのイヤ——
絶望しかけたそのとき、サッと目の前の扉がひらいて、抗うまもなく、ひっぱりこまれた。えっ? 何が起こったの?
誰かが、わたしの肩を抱いてる。背が高い。髪の毛からいい匂いがする。あれ? この匂いって、もしかして……?
ヴィヴィエラ兄さま……?
じっくりとその顔を見てみたい。けど、室内は真っ暗な上、その人はわたしのうしろにいるので、容貌を確認できなかった。ただ胸がすごくドキドキする。十年も待ち続けていた人が、もしかして、たったいま、すぐそばにいる?
そのまま、時間だけが経過していった。ドキドキしすぎて気づいてなかったけど、外が静かになっていた。そういえば、ドアの前をさわがしく通りすぎていく足音がしてたみたいな?
すると、わたしのうしろにいた人物が離れていく。サッと手がひいた瞬間にふりかえったけど、そのときにはもう去っていくうしろ姿がぼんやりと見えるだけだった。シルエットだったので顔は見えない。
「あ、あの、助けてくれて、ありがとう」
返事はない。ただ片方の手をかるくあげて応えてくれた。
「待って。兄さまじゃないの? ヴィヴィエラ兄さま?」
ダメ。シルエットも見えなくなった。わたしの声は聞こえなかったんだろうか。行っちゃったんだ。
それにしても、ここはどこ? さっきの路地に出ていっても大丈夫かな? まださっきの男がいたりして? さっきの男じゃないまでも、ああいう野蛮な連中はいくらでもたむろしてるに違いない。
出ようか出るまいか考えあぐねていると、背後から足音が近づいてきた。
「兄さま?」
ヴィヴィエラ兄さまが帰ってきてくれたのかもしれない。そう思って呼びかけてみたけど、あきらかに別人……のような気がする?
ロウソクを一本たてた燭台を持った老人だ。たぶん、七十か八十くらい。髪は真っ白だけど、背が高く、身なりはそこまで悪くない。商人だろう。
「どうしなすったね。お嬢さん。ここは若い娘さんが一人で歩くような場所じゃない。道に迷いなさったかね?」
「は、はい。あの……」
男に追われていたことを説明すると、おじいさんはうなずいた。
「ウェントゥス神殿は反対方向だよ。案内してほしいのかね?」
「はい……」
この人なら信用してよさそう。でも、今日は朝からイヤなこと続きの上、ずっと走りまわって疲れきっちゃった。どうしよう。遠くまで歩いていけるかな?
オシャレなステッキを手に歩いていく老人についていこうとするんだけど、なんだろうか? ふらふらする。と思ってるうちに、目の前がグルグルしてきた。ふうっと気が遠くなる。
次に目がさめたとき、わたしはどこかの部屋のなかにいた。長椅子によこたえられてる。さっきの路地裏あたりの建物内……じゃなさそうだ。というのも、そう広くはないものの、室内のようすは、日々のお金に困ってる家庭のそれじゃない。貴族の調度品ほどとは言わないけど、精緻で上質。腕のいい職人さんが作ったんだろうな。あのすさんだ路地裏の近辺だったら、こんな上等な家具を置いてる家はないはずだ。盗品ならあるかもしれないけど。
外はすっかり夜になってる。鎧戸のひらいた小さな明かりとりの窓から黄色い月が見えた。もう真夜中だ。今から行ってもウェントゥス神殿の門は閉められちゃってるに違いない。
落胆してると、急にドアがあいた。さっきの老人が入ってきた。
「おお、気がつきなさったか。よかった。よかった。とつぜん倒れたからおどろいた。うちの若い者に頼んで運ばせてきたが、どうだね? 気分はよくなったかね?」
はいと答える前に、わたしのお腹がググウとさわいだ。もしかして、空腹で倒れちゃったんだ? 恥ずかしい。
「今、スープを持ってこよう。待っていなされ」
「すみません。あの、ここはあなたのお宅ですか?」
「うむ。我が家でもあるし、我が店でもある。さっきのならず者たちがウロつく界隈じゃないから安心しなされ」
店……やっぱり、このおじいさん、商人なんだ。
「おじいさんは何屋さんなんですか?」
老人は戸口で立ちどまり、微笑を浮かべた。
「昔は魔法絵の店だったんだがね。私が引退したから、今はただの絵の具屋さね」
「絵の具屋……」
それを聞いた瞬間に、わたしの意思は決まった。
「お願いします。わたしをこの店で雇ってください!」




