51話 グリンヴィアの呪い
王妃さまの幻影はすぐに消えた。
そういえば、父さまの描いたその絵は、年に一度、奇跡が起こるよう細工がされていた。ほんとは何月何日と決まった日だけなんだろう。今は突発的に起こった奇跡だったので、具現化させる力が弱かったんだ。
そのときにはもうヴィヴィ兄さまはフィーが押さえていた。
「ヴィヴィ。しっかりしろ。正気に戻れ!」
だけど、兄さまの目つきはやっぱりおかしい。わたしのことも、フィーのことも認識してない。どこか冷めた感じで見てる。まるで、人間の世界はすべて壊されてしまって、それをしたのがわたしたちだって信じてるみたいな目。魔物を見るような。
「暗殺は失敗か。しかたない。報告へ帰ろう」
「何を言ってる。ヴィヴィ。おまえ、アダマンテで何があったんだ? 誰にあやつられている?」
「あやつる? 私は誰にもあやつられてなどいない。ジャマだ。どけ」
信じられないことに、成人男子のフィーが馬乗りになってるっていうのに、華奢なヴィヴィ兄さまの手がかるく押しただけで、フィーは倒れた。そのすきに、ヴィヴィ兄さまはバルコンへ走っていく。両びらきの窓をあけはなち、そこから飛びおりる。自殺行為だ。ここが何階だと思ってるのか。空と庭木の見える高さから言っても、少なくとも三階以上。
「ヴィヴィ兄さま!」
わたしたちがかけよったときには、ヴィヴィ兄さまは空を飛んでいた。どっちかっていうと滑空に近かったかもしれない。半分透けた純白の翼がその背に輝いている。
「……魔法だ」
悔しげに、こぶしをにぎりしめて、フィーがつぶやく。
「魔法? 魔法なんて、中世じゃないんだよ? そんなの、とっくにこの世から消えてる。残ってるのは魔法絵の奇跡だけ……」
自分で言って、ハッとした。
魔法絵だ。魔法絵の起こす奇跡を利用して、翼を一時的に出現させた。たぶん、手帳くらいのごく小さな魔法絵をふところに忍ばせていたのだ。鳥か天使の絵でも。
フィーは続ける。
「隣国で四百年前に死んだ大魔法使いグリンヴィアを知ってるか?」
「物語で読んだことはある。邪悪な魔法使いで、人々をとても苦しめたって」
「そいつが蘇ったってウワサがあるんだ。隣国では数年前からささやかれてる」
「まさか……」
魔法絵。魔法使い。いなくなった父さま。大量の芥子粒の密輸出——もうわかった。そういうことだったのだ。
「父さまがムリヤリ描かされたのは……グリンヴィア」
「そう。たぶん、言うとおりにしないと君を殺すとでも脅されて」
「そんな……」
「ヴィヴィは復活したグリンヴィアに心をあやつられてる」
グリンヴィア……どんな物語にも悪役として出てくる邪悪な魔法使い。誰がそんなものを蘇らせようと考えたのか。隣国で何が起こってるのか。
父さまは?
兄さまは?
二人を助けられるの?
「そなたたち」
王さまの声で我に返る。そうだった。王さまの御前だ。わたしたち、ものすごく、ぶしつけなことしてた。あわてて床にひざまずく。芥子乙女式はスカートの両端を手でつまんで、かるく片ひざをつく。貴婦人たちはスカートをつまむだけ。
「曲者から余を救ってくれたことには礼を言う。が、何が何やら、さっぱりわからん。説明をしてくれぬか」
わが国の王、ジャスティエさま。王妃さまを亡くされたあとも再婚されず、今年で御年四十八歳。諸国のなかでも英君と名高い。近くで見るとダークアッシュの髪の渋いおじさまだ。亡くなった王妃さまとは美男美女でお似合いだなぁ。
そのあと、わたしたちは知ってることを何もかも話した。王さまの命令で、秘密の通路から芥子粒が回収され、ベルディナル子爵は逮捕。フィーリオさんがザナヴィエさんを吐かせて、マジックポピー横流しの証言を得たのも大きかった。わたしのヴェネルティア神殿での冤罪も晴れたし、そうそう。おかげで、クノルエの悪事も明るみになった。
「そなたはマウリオ・デ・ルフィーリエの娘か。父に劣らぬ才能の持ちぬしだな。さきほどの奇跡はそなたがもたらしたのだろう? クノルエは捕まえ、牢獄入りとする。そなたは父の工房をとりもどした。自ら運営してはどうだ?」
王さまにはそんなふうに言われたけど断った。
「わたしは魔法絵師として、まだまだ未熟者です。一人前になるまで、今の小さなお店で腕を磨くほうが、わたし自身のためになります。父の工房は二番弟子のバリヴィエさんに任せます」
冤罪が晴れたので、ヴェネルティア神殿からも戻ってきてはと誘われたけど、それも同様に遠慮した。芥子乙女も楽しかったけど、やっぱり、わたしは絵を描きたい。
それに、新たな目標がまた一つできたからだ。




