2話 芥子の乙女
わたしが初めて魔法絵の奇跡を見たのは、たぶん、三歳。まだ父さまが生きてたころ。それ以前は物心ついてなかったから、よく覚えてない。父さまの工房で依頼人に完成した絵を引き渡したときだ。
父は天才だった。それはもう、かすかに残る幼いころに見た作品の記憶だけでも、ほかの画家との歴然たる実力の差を感じる。作品の多くは依頼主のもとへ渡っているので、今はほとんど見られないけど。
とくにあの絵は素晴らしかった。製作中に見ていたときから、なんて美しい肖像画だろうと思ってた。貴婦人が椅子にすわり、猫を抱いてる絵。その貴婦人は依頼主の奥さんだ。若くして亡くなった女性。
「もう一度、たった一度だけでいい。妻と話したい。そなたなら、それができると聞いた。頼む。報酬はいくらでも出そう」
そういう依頼主の願いを叶えるため、父は特別な材料を集めた。魔法絵のための材料。マジックオイルで作られた絵の具だ。画布や筆も最高のものをそろえ、何枚も下絵をして準備した。美しく仕上がったその肖像画はほんとに生きてるみたいだった。
そして、依頼主と対面したとき、その奇跡は起きた。キャンバスのなかから貴婦人がぬけだし、依頼主と話しだした。わたしはすぐに父さまにつれられて外に出されたけど、依頼主はその後、半刻にもおよんで、描かれた貴婦人と話していた。
あのとき、ドレスのすそをひるがえし、歩きだした貴婦人のかろやかな足どり。優しい微笑み。ほのかに甘い香水の香りさえただよっていた。
それが、魔法絵の奇跡。
聖なる力を持つ絵の具と、画家の卓越した技量が融合したときにだけ起こる。死者や離れた場所にいる人と会話したり、ふれあえる。絵に描かれた人物に魂が宿る。ほんの一時だけど。魔法が効力を発揮するのは長くても数時間。それでも、人々はこの奇跡を求めてやまない。
とはいえ、魔法絵は誰にでも描けるものじゃない。父亡きあと、工房のなかでその才能があるのは兄さまだけだった。兄さまが帰ってきてくれないと、うちの工房もおしまいなんだろうなぁ。クノルエさんやほかの弟子さんたちもがんばってくれてはいるけど、魔法絵師になれるかどうかは生まれ持っての資質だから。
兄さまさえいてくださったら、もしかしたら、わたしにも魔法絵師の道がひらけたかもしれない。女だからダメだなんて、古くさい昔の決まり、気になさらなかったかも? 兄さまさえ、いてくださったなら……。
でも、それは言ってもしかたない。いないものはいないんだ。兄さまはいまだどこかの空の下、旅を続けてる。いつかは帰ってくるけど、それは今じゃないし、三年前でもなかった。
三年前、わたしは芥子の乙女になるため、神殿へ行った。そこは男子禁制。女子だけの世界だ。神殿長も女性。巫女たちも女性。雑用係も女性。そして、マジックポピーを育てる乙女たち、だ。
思えば、初日からイヤな予感はしたんだよね。
「あら、あなた。見ない顔ね」
「は、は、はい。今日から巫女見習いとして入ってきたサリエラと申します」
「止まりなさい。そこからさきは上級巫女しか立ち入りできないのよ」
「あ、は、はい。すみません」
「なんだか、冴えない子ね。ほんとに貴族の子女なの?」
「いえ。わたしは工房の推薦で入ってきました。父が画家で——」
「まあ、おどろいた。平民風情が芥子乙女になるだなんて。せいぜい花園をけがさないよう精進することね」
それが、エメベラさまとの出会いだ。貴族のなかでも名門のジュザベール侯爵家の末娘で、美貌と才気をあわせもつ令嬢。芥子乙女のリーダー的存在だ。貴族の女の子たちには優しいんだけど、平民には……というか、わたし? わたしのこと、なんだか嫌ってるみたいだった。
そのせいだったのかな。わたしが神殿を追いだされる原因となったあの事件。発端はエメベラさまだった。




