12話 ヴェネルティア神殿へ行ってみよう
魔法絵の具の需要はそこまであるわけじゃない。何しろ、特別な材料を使ってるぶん高価だし、技量がない絵師に奇跡は起こせない。画家のなかでも、魔法絵を描く特別な人だけが必要とする。
だから、お店はあいかわらず開店休業状態。お客さんが来ない。じゃあ、どうやって稼いでるかといえば、年に数回、まとまった数の魔法絵の具を買いにくる宮廷画家が何人かいるらしい。
宮廷画家かぁ。いいなぁ。やっぱり、絵描きなら一度は憧れるよね。高い画材も使いほうだいだし、美しい装いの貴婦人や豪華な調度品なんかも描けるし、大きな号数の依頼が来たり。名前が売れれば、自分の工房だって持てるし。
ちなみに画家と絵師は同じく絵を描く職業だけど、地位が違う。個人や小さな工房で描いてるのが絵師。世間で認められ、名前が知られてる人が画家。ほかの国では知らないけど、わが国ではそういう呼称の使いわけがされてる。そのなかでも宮廷画家はトップクラスだ。
さてと、わたしも晴れて絵師になれたわけだけど、まだ修業中だから見習いだ。毎日、たくさんのスケッチを描いて練習に励んでる。けど、人物のモデルがおじいさんと無口で髭面の兄弟子しかいないのはちょっと悩みどころ。無邪気な子どもとか、美少女とか、美女はいないの? 肖像画といえば、美女じゃない。なんでまわりに一人も女の人がいないの。まれに来るお客さんも、みんな男だし。つまんないなぁ。
前は女の子だらけの女の花園で暮らしてたのに。もっとまじめにデッサン練習しとけばよかった。芥子乙女だと一日中、芥子のお世話や掃除やオイル作りや、なんやらかんやらしてるから、自分の趣味にかけられる時間が極端に少なかったとはいえ。
そこで、わたしはハッと気づいた。
そうだ。神殿だ。ヴェネルティア神殿へ行けば、モデルはそのへんにゴロゴロころがってる。
わたしって追放されたけど、神殿立ち入り禁止とはひとことも言われてない。ということは、芥子乙女ではなくなったものの、一般の客として参拝するのは自由なんじゃ? うん。自由だ。絶対、そう。ちょっとコッソリ行ってみようかな。
「ガルシニエさん。わたし、一、二刻ほど出かけてきます。そのあいだ、店番かわってもらっていいですか?」
「うん。かまわんよ」
マジックオイルの販売は朝食のあと。つまり、その時間には神殿の門がひらかれ、参拝客も入れるってこと。
わたしは朝ご飯を食べるとすぐにお店を出た。ヴェネルティア神殿は街の南端にある。ちなみにウェントゥス神殿は西端。東の丘の上には街を見おろすように王様のお城が建ってる。ガルシニエさんのお店は街のまんなかあたりだから、どこへ行くにも便利。
徒歩だと時間がかかるので、乗合馬車で行って、神殿前でおろしてもらった。神殿前といっても、そこから広い芥子畑がえんえんと続いてるんで、長ーい参道をトボトボ歩いていくんだけど。参道は乗り物禁止なんだよね。
ここから追いだされてから、まだ半月なのに、ずいぶんひさしぶりな気がするなぁ。でも、今になってみると、追いだされてよかった。憧れの魔法絵師になれたんだし。いや、まだ気が早いかな? 見習いだもんね。もっともっとがんばって、一人前の絵師に一日でも早くなる!
ほかの参拝客にまじって歩いてると、神殿のほうからひきかえしてくる人とすれちがった。帽子を深くかぶって、マントで隠してるので、顔も服装も見えない。けど、すれちがった瞬間、あの香りを感じた。マジックオイルと魔法絵の具が、香水と溶けあった香り……。
とっさにふりかえった。マントがひるがえり、一瞬、うずまくブロンドとよこ顔が見えた。といっても、よこ顔の下半分だけど。
「ヴィヴィエラ兄さま?」
あれから十年たってるけど、わたしには確信できた。それはまちがいなくヴィヴィエラ兄さまだ。旅立ったときの少年から青年へ変わりはじめたころの面影がある。それにこの優しくやわらかい甘い香水は、兄さまがマジックオイルの調合に使っていた花の香りだ。独自の調合だから、なんの花を使ってるのか教えてもらえなかった。あの調合を知ってるのは兄さまだけ。
「兄さま!」
走って追いかけようとしたけど、参拝客があいだに入って押しかえされてしまった。流れに逆らって追ううちに、兄さまの姿は見えなくなった。
だけど、これでわかった。やっぱり、あれは兄さまだ。もう帰ってるんだ。なんで、わたしに会いに来てくれないのか、それはわからないけど。




