10話 ウェントゥス神殿へ
マジックオイルをガラスの瓶に移し、ガーゼの布でふたをして、月光のよくあたる出窓に置いた。これで一晩たったら、くだいてすりつぶした顔料にまぜこみ、絵の具にする。
それはいいんだけど、何を描こうか? 静物画って魔法絵にはむいてない画題だ。ふつう、魔法絵は肖像画。亡くなった人の言葉を聞いたり、笑顔を見るために描く。でも、今のわたしにいきなり人物画はムリ。何年もサボってたから、デッサン力がまったくついてこない。
静物画を描くとしたら、故人が大切にしてたもの。または人形だと魔法が起こりやすい。要するに、人の記憶や心を描くのが魔法絵なのだ。
「うーん。人形……じゃあ、人物描くのと大差ないしなぁ。なんかないかなぁ?」
絵の具も一色か、どんなにオイルを切りつめても二色にしかならない。複雑なものは描けない。背景ならふつうの絵の具を使ってもいいけど、メインで描くものは、やっぱり魔法絵の具じゃないと。
一色で描けるものって、なんだろう? 空? 海? どっちも0号で描く題材じゃないなぁ。むしろ、微妙な色あいの違いをつけるために、たくさんの色を使いそうだし。
いちおうデッサンの練習は始めたものの、題材が決まらないせいで、なんとなくやる気が出ない。
翌朝、マジックオイルの瓶のふたをガーゼからガラスに変えた。こっちのほうが揮発が抑えられる。でも、期限は一週間だから、いつまでもこのままにしておけるわけじゃない。早く絵の具にしないと。キャンバスに下地もぬっておかないと、乾くのに時間がかかる。
「あっ、しまった! ウェントゥス神殿に行くんだった」
いろいろあって、セルディアと会う約束してたの、すっかり忘れてた。今後の計画について話しあわなきゃいけなかったのに。今さら行っても、すれ違いかもしれないけど、いちおう行ってみないと、セルディアと連絡をとりあう方法がほかにない。
一階へおりていくと、マクシミリアンさんはまだいた。贅沢にミルクのなかにショコラをけずって溶かしてる。今朝はバタートーストとホットショコラ。三種のフルーツつき。
「マクシミリアンさん。おはようございます。じつは、わたし、弟と会う約束があって、ウェントゥス神殿へ行きたいんです。朝食のあと、一時間ほど出かけてきてもいいですか? そのあいだ、お店は閉めることになっちゃいますが」
「……」
えっ? これでも無言なの? 困ったな——と思ってたら、奥からガルシニエさんがやってきた。
「出かけるのかね? かまわんよ。そのあいだは私が店番をしていよう。なに、以前は毎日、私がしてたのだからね」
「ありがとうございます」
出かけられるのはいいんだけど、約束したのは何日前だっけ? セルディアも一日二日なら通っただろうけど、もうあきらめてしまったんじゃないか……ウェントゥス神殿で旅人を泊めてくれるのは二、三日って話だったし。
大きな通りを選んでいったので、今日は迷わなかった。小高い丘の上の神殿は旅人でにぎわっている。まわりは畑だ。神官たちが食べるにしては畑が広すぎる。きっと、旅人にふるまわうために育ててるんだろう。旅の安全を祈願する神さまだから、ウェントゥス神殿にはめったに来ないけど、牧歌的で心地よいところだ。
神殿のなかへも自由に出入りできる。だけど、思ったとおり、セルディアはいなかった。この前、父さまの工房で会ったのが六日? 七日前だっけ? 私がもっと早く思いだしてれば、よかったんだけど。
しょうがない。帰ろう。セルディアには父さまの工房へ行けば会えなくはない。そのかわり、誰にも見つからないようにして、コッソリ会わないといけないんだけど。
神殿の柱のかげから立ちあがり、ふみだそうとしたところで、前から走ってきた女の子とぶつかってしまった。白い花を一輪、手にしてる。旅人に贈るウェントゥスの花だ。ウェントゥス神の守護がかかっていると言われている。
ころんでしまって、女の子は泣きだした。あわてて、起こしてあげる。
「大丈夫? どこかケガした? ごめんね。まわりを見てなかった」
スカートのホコリをはらってあげて、手足を見たけど、どこもケガをしてるようじゃない。
「お花、落とさなかったね。えらいね」というと、やっと女の子は泣きやんだ。幼いなりに、自分はやりきったと感じたのだろう。ちょっと得意そうな顔になった。
誰のための花なんだろう?
この子の年なら友達ってことはないだろうから、家族の誰かかなぁ?
女の子が走っていったので、その背中を見守っていると、両親らしき人たちと合流した。そして、三人で若い男の人に花を渡している。あの子は泣きながら、男の人にしがみついた。
そうか。あの人が旅立つのか。きっと、あの子のお兄さんかな? ちょうど十年前のわたしと兄さまみたい。わたしもウェントゥスの花を買ってきて、兄さまに渡したっけ。兄さまがぶじに帰ってきますようにって……。
兄さま。今、どこでどうしてるのかな? ほんとに生きてるの? この前、ならず者に追われたとき、助けてくれたのは兄さまだったの? だとしたら、もう帰ってきてるの?
どっちでもいい。兄さまが無事なら。祈る気持ちはあの日から変わってないよ。
(そうだ。あの花を描こう。この思いが兄さまに届くように)
題材は決まった。あとは描くだけ。




