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西の桶狭間 ~毛利元就の初陣~ - rising sun -  作者: 四谷軒
第四章  西の桶狭間 ー有田中井手の戦いー
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50 西の桶狭間

 その所作しょさは、あまりにも美しく、見るものをして、()()()()が静止しているかのような印象を与えた。


 矢をつがえ。

 弓を張り。

 矢を放つ。


 それは、多治比元就に組み付かれた武田元繁の目からも、とてもゆっくりに見えた。

 だが実際は一瞬であり、雪の射た矢は、元繁へ向かって、滑るように飛ぶ。

 安芸武田軍の将兵たちも、思わず見とれ、そして動くことができない。


 鬼吉川の妙弓。

 俎板まないた吉川。

 一方が敵を押さえ、一方がその敵を射る。

 応仁の乱当時の、吉川と尼子の、必勝の型。


 元就は、先の熊谷元直との戦いにおいて、宮庄経友みやのしょうつねともと雪のそれを見ており、今、この死地において、それに活を見出したのだ。

 

 これなら討てる。


 そう思った元就と雪を、裏切るかのように、武田元繁は呟く。


「……ふん、くだらん。実にくだらん」


 元繁は元就の両腕をつかんで、強引に持ち上げる。

 恐るべき膂力りょりょく

 元就は、手こそ外さなかったものの、まるで元繁に抱き上げられるかのように、少し、宙に浮いた。


 ……それは、矢の射線上だった。


 元就はそのことを瞬時に悟り、目を閉じた。



「……がっ」


 多治比元就の背に衝撃が走る。

 眼前の、武田元繁が嘲る。


「ばかめ、知らぬと思うたか、鬼吉川のやり口を」


 元繁が意味ありげに流し目をすると、そこには故・熊谷元直の家来であった、板垣と山中がいた。

 元就が、敢えて逃がした、板垣と山中が。


「そうか……その二人から……」


 たまらず、元就は元繁から手を離し、くずおれていく。

 元繁は、勝ち誇るかのように、そのまま元就を地に叩きつける。


「愚か者めッ! だが、予をたばかるのもこれまでッ! どれ、あれなる雪姫を、予がかわいがって……」


 元繁が雪の方を見た瞬間。

 元繁の首筋に、何かが斬りつけてきた。

 斬りつけてきたように、感じた。


 ばかな。

 井上光政か?

 いや違う。

 多治比元就は、地に伏している。

 だが、一体……。


 武田元繁が首に手をやると、それはべっとりと赤い血に染まった。

 元繁自身の血で。


「なっ……ぬおおおお!」


 元繁は理解した。

 後方に落ちる矢を見て、理解した。

 飛来した矢が、元繁の首筋を斬ったのだ。

 

 誰が射たのか?

 それは分かっている。

 鬼吉川の妙弓、雪だ。


 どうやって?

 それも分かった。

 元就が倒れて、()()()()()を、その()()を。


「射抜いたというのかッ!」


 何という連携。

 あの一瞬で。


「……ぐ」


 感心している場合ではない。

 頸動脈から血が噴き出す。

 早く手当を。

 将兵に助けを求めねば。

 だが……だが、声がうまく出ない。

 と、とにかく、この場を。


「…………?」


 動こうとした元繁だが、その足が動くことは無かった。

 まるで大地に縫い付けられたかのように。


 ……多治比元就が、武田元繁の足に組み付いていたのだ。


「は……離せ、離せッ! 多治比元就、貴ッ様!」


 元繁が唾を飛ばして動揺するのと反対に、元就は静かに顔だけ上げ、敵手を見た。

 能面のような、無表情。

 知っている。

 こんな顔をする奴を、知っている。

 そいつは、雲州の狼と呼ばれて。

 謀略においては、右に出る者がいない。


「こやつッ! 尼子経久と同じ……化け物ッ!」


「ここまで来て……」


 一方の元就は平静そのものの口調だ。


「武田元繁、貴様を逃がすとでも」


「離せ! 離せと言うに!」


「……鬼吉川の妙弓は」


 唐突に謡い出す元就。


「……一の矢、二の矢、三の矢と」


 これは安芸武田軍に突撃し、武田元繁の居る場所まで肉迫しつつあった、宮庄経友の声である。


「……ねらいは必中」


 井上光政が、安芸武田軍の将兵相手に斬撃をかわしながら、長井新九郎の槍の指し示す先に、ついに元就の刀を見つける。


「……あやまたず!」


 吉川雪が弓に矢をつがえる。

 これが最後の一矢。

 だが、これは外せないし、()()()()

 多治比元就が敢えて己の身に矢を受けてまで、作ってくれた隙だ。

 今、武田元繁のくび()()()

 これで元繁は驚愕して、声が出せず、動きが単調になった。

 加えて、元就がその足を押さえた。

 元繁がその元就の頭や体を殴打するのが見える。

 闘志が湧いてきた。


「……おのれ」


 よくも。

 よくも。


「……この矢は、わたくしだけではない。元就さまと……興元さま、そして皆の矢だ!」


 雪の目に、己の弓から武田元繁までの()が見えた。


「……射る!」


 弓弦がねる。

 その()は、どこまでも鋭く、速く。

 武田元繁の命を絶つべく、風切り音を立てて、疾走する。


 一方で、もがく武田元繁は、離せ離せとおめき、肘で元就の頭を痛打したが、飛来するその()に、ついに己の命運が尽きたことを悟った。

 首から血が噴き出すのもかまわず、元繁はえた。


「……予は! おれは! 武田元繁だぞ! 安芸の守護代だぞ! こんな! こんな! 国人の寡兵なんぞに! この項羽が、中国を制し……」


 そこでついに、矢は無情にも武田元繁の断末魔を中断させた。

 永遠に。


「……ぐっ」


 額に矢が深々と突き刺さった。

 熊谷元直のように。

 そしてさらに、首から流れるおびただしい出血。


 大きく目を見開く元繁。

 その目に、ひとりの武者が斬りかかってくるのが見えた。


「多治比元就が臣、井上光政! 御首みしるし、頂戴つかまつる!」


 剣光一閃。


 ……首を失った元繁の体は、ふらりふらりと揺れながら、後背の又打川に落下した。

 山県重秋のように。

 大きな水音を立て、元繁の遺体は水中に沈み、浮かび上がってきたものの、動くことは無く、ゆっくりと、ゆっくりと流されていった。


 ……永正十四年十月二十二日。

 有田中井手の戦いと後に称せられる、この合戦にて。

 多治比元就が率いる毛利・吉川連合軍が、武田元繁率いる安芸武田軍に勝った瞬間である。

 兵力差、実に五倍。

 だが死力を尽くし、そして智謀の限りを尽くした元就が、仲間たちの助けを借りて、ついに成し遂げた勝利である。

 この報を知った、京の大内義興は「多治比のこと、神妙」と感状を出している。

 この戦いを境に、安芸武田家は勢いを失い、やがて毛利家が安芸を制し、中国を制覇する流れが生まれる。このことから、こう呼ばれる。


 ――西の桶狭間、と。

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