36 胸中
長井新九郎が有田へ向けて発ち、井上光政が毛利本家の軍を目指し、そして宮庄経友は早速にと麾下の三百騎の将兵との軍議をと行ってしまった。
……気づくと、城主の間に、多治比元就と二人きりになっていることに、雪は気がついた。
「…………」
しかも元就は片手で口を覆って、何かを考えているらしく、二人きりであることに気がついていない。
阿呆か。
今少し、こういう機を捉えようとしないのか。
そこまで考えた雪だが、自分自身も、元就が尼子経久に宛てた書状を読むという、ある意味ずるい手段で、元就の本心を知ったことに赤面する。
うかつなことを言っては、尼子経久に恥をかかせることになる。
経久は、書状を燃やすという誠意を示したのに、それを読みました……などと悟られてはならない。
「…………」
かくして、雪もまた沈黙する破目となる。
あああ。
こんなことをしている場合ではないというのに。
懊悩して頭をぶんぶんと振る雪に気がついたのか、元就は彼女の方を見た。
「……何ぞ、気になることでも?」
「気になるッ! 大いに気になるッ! 元就さま、汝は……」
「汝? 私が……何だ?」
「えーと……そうだッ。じじ様、尼子経久に宛てた書状、あれに何て書いていた?」
「……見たのか?」
まずい。
そう感じた雪は、元就の凝視を受ける。
ええと、何とかしなくては。
鬼吉川の妙弓、この程度のことで動揺……というか、弓ばかりでかようなやり取りを学ぶ暇が無かった。
姉上、どうかお助けを。
まっとうに姫として育ち、福屋家に嫁した姉のことを思った。
しかしその姉には、弓ばかり習ってと叱られていた雪である。
元就の凝視がつづく。
苦しまぎれに、雪は口を開く。
「……した」
「した?」
「燃や、した! あの書状ならじじ様が読んだあと、燃やした! だから、何て書いていたか気になるッ」
やった。
これなら、自然な話の流れだ。
しかも、嘘はついていない。
「だったら何で、雪どのは多治比に? 尼子経久どのに書状にて、月山富田城に匿ってくれ、とお願いしたはずだが」
お前も嘘はついていないとはいえ、いけしゃあしゃあと。
雪は憤慨し、断固として、元就の口から本心を聞きたくなった。
もはや、書状を自分が読んでしまったとか、そういう問題ではない。
「……何で?」
「何で、とは?」
「何で、わたくしを、月山富田城に、じじ様に匿わせようとした?」
「…………」
「ちょっと! 何で視線を逸らすの? 鬼吉川の妙弓が、その目線の動きに気づかぬとでも?」
「その目で、書状も盗み見たんじゃあ……」
「盗み見てなどいないッ。この鬼吉川の妙弓、吉川の家の名誉にかけて、盗み読みなど、していないッ」
尼子経久は、雪に書状を渡して寄こしたのだ。盗み読みではない。堂々と読ませてもらったのだ。
元就が知れば噴飯ものの理屈だが、それを力に、雪は元就に対して強気に出た。
「大体だな、このわたくしを遠ざけて、合戦に臨むとか、言語道断! 第一、わたくしが駆け付けねば、そなたは負けていた!」
指を元就の顔に突きつける。
事実であったので、元就は下を向いて黙り込んだ。
それを見て、逆に雪は落ち込む。
こんな。
やり込めるつもりはなかったのに。
せっかく、「助かった」と言われて抱擁されたのに。
これでは台無しだ。
だが。
今ここで、はっきりさせておかねば。
次は熊谷元直の中井手を襲撃し、次の次は安芸武田家・武田元繁と戦うつもりの、この男。
放っておくと、また命を落としかねない真似をするだろう。
そう思い詰めると、雪は、覚悟を決めて聞きにかかった。
鬼吉川の妙弓は、あやまたず当てに行くのだ。
「元就さま!」
「……何だ」
「あなたは、わたくしのことを、一体、どう思っ」
「おい雪、吉川はそろそろ行くぞ」
宮庄経友が、城主の間に遠慮なく闖入していた。
兄の罪のない発言により、そしてその出現によって、雪は元就への問いを中断せざるを得なくなった。
兄・経友は、言えば雪に加勢して、元就に問いただしてくれようが、さすがにそれは無いと思う雪であった。
「…………」
「何怒ってんだ、雪? お前は吉川の軍に加わるんだろ? さっさと支度しろ」
「分かってますよ!」
そう言ってから、雪は元就の方をじろりと睨んだ。
目線をまた外す元就。
あ。
こいつ。
わたくしが聞きたいことを、分かっているな。
しかも、書状を見てしまったことも、察している。
「元就さま」
「…………」
「たしかに聞きましたからな、お返事、お待ちしております」
「何の話だ?」
「がさつな兄上には関係ありません」
「はあ?」
憤る経友を、ひとにらみで黙らせると、思い切り舌を出してから城主の間を後にする雪であった。
*
「…………」
あとに残された元就は、ふと、多治比猿掛城にいる自分を顧みる。
「大切に思う、か……言うは易しだ……だが……果たして……その大切なものを、奪われずにいられるかな……」
何の疑いもなく、多治比猿掛城を譲られ、城主になれると喜んだ、幼かった自分。だがそれはいとも簡単にあっさりと、家臣に奪われてしまった。
城を失い、ついてきてくれた継母を当初は邪険に扱い、みすぼらしく生きることになった少年時代。
そのつらい日々が、元就に、大切なものであるからこそ、誰かに奪われていくということを知った。身を切られるほど、きつく。
「もし……安芸武田家を倒したのならば」
安芸武田家の当主・武田元繁は、雪を側室にと望んでいた。それは、彼女を欲しいのか、吉川という家をつなぎ留めたいのか、本当のところは分からない。
ただ……「項羽」と称する男が、ひとたび「欲する」と宣言した以上、彼女は逃れられない。
「そういう意味でも、倒すしかない」
そこまですれば、自分は。
大切なものを守り切ることができれば、自分は。
「欲しいものは欲しいと、素直に言えるかもしれない」
己の心であっても、いや、己の心だからこそ。
断言などできない。
ましてや今、毛利の家の、そして吉川の家の、さらに、安芸というこの国の命運を賭けた、戦に臨もうとしているのに。
大勢の命を預かり、そして奪おうとしているのに。
私心を、私情を重んじることなど、何事か。
「埒もない……」
そう零しつつも、安芸武田家を打破することにより、雪を守りたいという想いがふつふつと湧き上がってくる元就であった。




