10 深芳野(みよしの)
元就は多治比猿掛城に戻り、深芳野を継母・杉大方に預けると、即座に兄・毛利興元のいる吉田郡山城へ向かった。
興元は元就から、佐東銀山城で起こった出来事を聞くと、頭を抱えた。
これが呑まずにいられるかとばかりに、興元は酒を取り出したが、元就の視線を受けて止める。
「……すまん」
「兄上、気持ちは分かりますが、酒は今後を考えてからに」
「分かった」
興元は酒杯を持ったまま暫し思案し、やがて何かを思いついたのか、酒杯を置き、筆を執った。
興元は書状を認めながら、元就に話す。
「多治比どの、その女性を助けたのは、幸いだった」
「ですな」
「大内義興さまには、まず安芸武田の叛乱を告げねば……また、その深芳野姫をどうするかを考えておかぬと、義興さまの面子が……うっ」
そこまで言って興元は呻いた。
元就は思わず興元のそばに駆け寄り、興元の背をさする。
「兄上、いかがした」
「す、すまぬ。ちと、ことの大きさにのう……」
興元は大丈夫だと言って、筆を動かし、書状を完成させた。
「よし、できた……これを早馬にて、京にいる志道に届けよ」
京には、大内義興と交渉をしていた、毛利家宿老の志道広良が、まだ逗留していた。興元は、これ幸いと広良に大内義興への事態の説明を、書状にて委ねた。
「しかるのちに……志道の投宿している妙覚寺から、あいつが来るように書いた……」
あいつとは何だ、と元就は思ったが、興元が苦しそうにしているので、余計な茶々を入れるのをやめた。
興元は喘ぎながら話す。
「……あいつが来たら、深芳野姫を預けて、連れ帰ってもらう……志道には義興さまへの報告が終わり次第、急ぎ安芸に戻ってもらい、今後の策の相談と、安芸武田への備えをしてもらう。それゆえ……あいつに姫の還御と姫の今後を……」
そこまで言ってから、こらえきれずに興元は酒杯を呷った。
あいつあいつと言ったり、酒の呑み方も激しくなっており、興元は心が不安定になっているのかと元就は心配になった。
「兄上……」
「大事ない……あいつは……法蓮坊は、頼りになる奴だ……京で……船岡山での戦でも……」
そこまで言って、興元は眠くなったのか、あくびをひとつして、その場に伏して、寝入ってしまった。
「兄上……」
「あらあら」
いつの間にか来ていた興元の正室・高橋氏が来て、着ていた打掛を興元にかけた。
「すみませんね、多治比どの」
「いえ……」
「この人も、幸松丸が生まれて、いろいろと頑張らねばと……それで……」
「そうですか」
興元の嫡子・幸松丸は生まればかりで、興元としては、公私にわたって、このごろは忙しくしていた。
元就はひとつ息を吐いてから、高橋氏に言った。
「では兄上は寝かせておいて下さい。あとは、私がいろいろとやりましょう」
「そうですか? それは助かります」
高橋氏は礼儀正しく頭を下げて、元就に謝意を表した。
変に叛意を探ったりしないところに、さすがは名門・高橋家の女だと感心し、そして元就は早速、興元の書状を届けるべく、厩へ向かい、早馬を頼むのだった。
*
元就が吉田郡山城にて、当面の外交上の指示や内政の処理、兵の調練を終え、多治比猿掛城に戻るころには、日がとっぷりと暮れていた。
秋風が吹き、枯れ草が揺れ、元就の身に寒さが伝わる。
「おお、寒」
木々の色づいた葉が落ち、風に揺れ、かさこそと音を立てる。
「こんな日は、母上の作る鍋でも食べるに限るな」
餅でも入れると最高だ、と考える元就。餅のことを考える間は、寒さを忘れられた。
……そうこうするうちに、目に城の影が映り、炊煙が浮かんでいるのが見えた。
「いいにおいだ」
元就は馬を馳せ、急ぎ、城に入るのだった。
*
城に入ると、女同士のきゃっきゃっと楽しそうに話し合う声が聞こえた。
「ああそうか、深芳野姫がいるんだった」
深芳野は、元就の継母の杉大方と意気投合し、城にある草紙を読み合ったりしていた。
「しかし面妖だな。草鞋は三組ある……」
そこまで気づいた元就は、やはり吉田郡山城へ戻るかと踵を返したが、遅かった。
「遅いではないか」
元就の背に、若く、きびきびとした声がかかる。杉大方の優し気な声や、深芳野の柔らかな声とちがう、弾けるような澄んだ声。
「……吉川家の姫御前が何故ここに?」
「姫御前とか、わざわざな言い方」
振り返ると、吉川家の姫・雪が、ふんと鼻を鳴らす。
「……いいか、多治比どのが佐東銀山城から、武田どのの花嫁御料を奪ってきたと聞いて、わたくしはそれをたしかめに来た」
「奪う? 随分な誤解だ」
そこで元就は声を潜めて、捨てられたのだ、と言った。深芳野に聞こえることを憚ってのことである。
「ほうほう……で、拾ってきて、その境遇につけ込んで、と……」
「……さっきから、何が言いたいのか? あと、よく考えたら、勝手に人の城に上が……」
「あっ、そうだ! お鍋のしたくをしているんだった!」
わざとらしく雪は叫んで、ぱたぱたと城の奥へ消えていった。
「……やれやれ」
ため息をつきながら、元就は、城内へ上がる。
悪い気はしなかった……が、慎まねばならないと、自分を戒める。
大切なものは、いつだって突然、奪われるのだ。
後悔しても、遅い。
城を失ったときは、幸運により、取り戻すことができた。
だが、今後もそうとは限らない。
大切だと思うからこそ、遠ざけておかねば。
「…………」
沈思する元就の背に、今度は杉大方が来て、夕餉はできていますよと優しく声をかけた。
元就は沈痛な面持ちを変じて、笑顔になって、すぐ行くと答えるのだった。




