運命点消費——ゼロ
「殿下! 見てくれ、眉毛が焦げちまった!」
数日後。執務室に、ゲイルが飛び込んできた。
顔は煤だらけで真っ黒だが、その表情は新しい玩具を買ってもらった子供のように輝いている。
「コークス、完成だ! 火力が桁違いだぜ。鉄が泥みてえに溶けやがる」
彼の手には、一本の無骨な短剣が握られていた。
装飾など一切ない。だが、その刃は不気味なほど黒く、鈍い光沢を放っている。
「実験台はこいつだ」
ゲイルは俺のデスクの端にあった鉄製のペン立てに向かって、軽く短剣を振り下ろした。
スパン。
高い金属音はしなかった。
まるでチーズを切るかのように、鉄のペン立てが音もなく真っ二つになった。
「……こいつは化け物だ。切れ味と硬度は王都の近衛騎士団が使ってる剣より上だぞ」
俺はこの「試作品第一号」を懐に収めると、すぐにヴォルフとセバスを呼んだ。
「行くぞ。隣のベルン領へ『挨拶』だ」
***
馬車がベルンの街門をくぐる。
そこは、アルカスとは別世界だった。
石畳の道、色とりどりの屋根、活気ある市場。
そして何より、人々が「普通の服」を着ている。ボロ布ではない。
「……これが、本来のシンラの都市の姿でございます」
対面に座るセバスが、静かに呟いた。
俺は無言で頷く。
***
ベルン領主館の応接室は、成金趣味全開の空間だった。
無駄に豪華な調度品に囲まれて待っていたのは、小太りで脂ぎった男。ベルン子爵バーゴ。
パツパツのシルク服に身を包み、両手の指すべてに宝石のついた指輪をはめている。
「ほっほっほ、これはこれは! アレン殿下ではありませんか!」
揉み手をして近づいてくるが、その目は笑っていない。
「辺境アルカスへの赴任、おめでとう……ございます? いやはや、あのような何もない岩山、ご苦労なさっているでしょう。あ、もしかして飢えて食べるものがない? でしたら残飯くらいならお恵みしますぞ?」
下卑た笑い声が部屋に響く。
「本日はどのようなご用件で? もしかして、借金の申し込み……いえいえ、援助のご相談ですかな? 王族が平民に頭を下げるというのも見ものですなぁ」
(……挨拶代わりのマウント、それに早速金の話か。わかりやすい男だ)
その時、部屋の隅に控えていた若いメイドがお茶を運んできた。
そこそこ可愛らしい顔立ちをしている。
俺は少しばかりカッコつけてみることにした。
髪をさらりと流し、憂いを帯びた瞳でメイドを見つめる。
「ありがとう、麗しいお嬢さん」
「……はい、どうぞ」
メイドは無表情だった。
いや、むしろ「何ニヤニヤしてんだこいつ」と言いたげな、生ゴミを見るような目でカップをドンと置き、さっさと下がっていった。
……クソ神め。50点ケチっただけでここまで露骨かよ。
バーゴが身を乗り出してきた。
「で、殿下。単刀直入にお伺いしますが」
声色が商人のそれに変わる。
「我が領地のスラムに、アルカスの民が紛れ込んでいるとか? いやぁ、困るんですよねえ。ゴミはゴミ箱に、貧民は貧民の土地に。そうあるべきでしょう?」
彼は親指と人差し指で円を作ってみせた。
「もし彼らを引き取りたいというお話なら、『相応の手数料』を頂かないと。なにせ、彼らの世話をしてやってるのはこの私ですからなぁ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはない」
(腹立つなこの豚。正直、運命点を使えばどうとでもなる。10点も使えば『偶然バーゴの不正の証拠が転がり込む』、20点使えば『王都から査察が来て窮地に追い込まれる』。そんな展開も作れる)
「借金は一人につき金貨1枚。スラムには約500人のアルカス出身者がいます。つまり、金貨500枚」
(——だが、やめた)
「これをお支払いいただけるなら、喜んでお返ししましょう。……まさか、あの貧乏なアルカス領にそんな大金があるとは思えませんがね? ほっほっほ!」
(こいつはここで、俺の言葉だけで泣かす)
俺は——鼻で笑った。
「ほう。この領では『仕事』をすると金を取られるのか。とんだぼったくりだな」
席を立つ。
「それに勘違いしないでほしいが、私はただ挨拶に来ただけだ。それなのに言いがかりをつけて金貨500枚をせびるとは聞いて呆れる」
「な……っ!?」
「そちらの言い分では、逃げてきた民を領に滞在させるだけで借金が発生し、返済しないと帰れないと。……なら、こう解釈もできるな。『アルカスから強制的に人をさらい、借金を負わせて奴隷にしている』と」
バーゴの顔が引きつる。
「アルカスの法に基づけば、人さらいへの賠償は一人につき金貨2枚。500人なら1000枚だ。貴殿、払えるか?」
「そ、それは……!」
「まぁ私は貴殿と違い、そんな横暴は言わないがな」
俺はゆっくりと歩き出した。
「ただ、この話が広まった時、貴殿が兄上たちに重用される未来は見えないな。兄上たちは非常に聡明で、義を重んじる方々だ。奴隷商まがいの領主など、真っ先に切り捨てるだろう」
バーゴの顔色が青ざめていく。
「仕事をするだけで法外な金を取られる領であることも承知した。この噂を聞いた商人や民がどう動くか、楽しみだな。……では失礼する」
俺は踵を返し、ドアノブに手をかけた。
「——お、お待ちを! 殿下、お待ちください!」
背後で椅子が倒れる音がした。
振り返ると、バーゴが額に脂汗を浮かべ、必死の形相で立ち上がっていた。
「ご、誤解です! 言葉の綾というやつですよ! 私はただ、彼らが自立するまでの初期投資を……そう、支援していただけでして!」
バーゴはハンカチで顔を拭いながら、早口でまくし立てる。
その目は泳ぎまくっている。
「わかりました、わかりましたとも! 借金の件は、私の『勘違い』でした! 彼らは自由意志で働きに来ていた。故郷へ帰るというなら、私は笑顔で送り出します!」
完全に折れた——かに見えた。
だが、バーゴの視線が俺の懐に注がれている。
チラリと見えたゲイル作の短剣。
「ただ……殿下。500人もの労働者が一気に消えれば、私の街も困ります。彼らを解放する代わりに、何か『手土産』を頂けないでしょうか? 例えば、その腰の短剣……妙に良い鉄を使っておられるようですが?」
……この期に及んでまだ利益を得ようとするか、この豚は。
俺の声は絶対零度まで冷え込んだ。
「聞き間違いか?」
「い、いえ、それは……」
「貴殿の『勘違い』で汚名を着せられそうになった被害者はこちらだ。その代償に『手土産』をよこせと?」
一歩、踏み出す。
「それに、挨拶に来ただけでアルカス民を返せとは言っていない。彼らの自由意志だ。貴殿自慢の領から、わざわざ『貧乏なアルカス』に帰る民などいないのでは?」
もう一歩。バーゴの顔を覗き込む。
「もう一度聞く。——聞き間違いか?」
部屋の空気が凍りつく。
ヴォルフの殺気が肌を刺す。
バーゴの顔色は土気色に変わり、脂汗が滝のように流れ落ちた。
「ひ、ひぃっ! き、聞き間違いです! 全くもって私の聞き間違いでございました!!」
バーゴはブンブンと首を横に振り、裏返った声で叫んだ。
「手土産など滅相もない! 民の移動も自由! 借金など最初からなかった! ですから、どうか、兄君様たちへの報告だけは……!」
完全に折れた。
俺は【鑑定眼】を発動した。
【鑑定結果:ベルン子爵バーゴ】
敵意:消失
状態:完全に戦意喪失。保身第一。
俺は鼻で笑い、無言で背を向けた。
バーゴはその場にへたり込み、二度と引き止める声は聞こえなかった。
運命点消費——ゼロ。
完全勝利だ。
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