その6 ココア
知らない天井だ。
知らないベッド。隣には知ってる女性――卯月さん。
目をつぶり、俺の胸に手を当てている。
「あの……」
彼女は祈るように手のひらに力をこめている。
「卯月さん? 俺、起きましたよー」
手を当てられている胸元が温かい。
彼女の体は、うっすら白く光っていた。時計の針が鳴り響く。
「おーい、卯月さ―ん。愛猫家―」
卯月さんは、はっと気づきこちらを見た。
「あ、え? あれ起きてる。え、いつから? あ、おはよう。……あれ? もう夜か」
「……こんばんは」
短針は十を少し回ったあたりを指していた。秒針の刻む音が心地良い。
俺は咳払いを一つ。
「ありがとうございました。看病してくださり」
「いえいえ、具合、良さそうですね。よかったです」
「ここは?」
「私の家、です。」
俺の眉間にシワが寄る。
「……あなたが運んでくれたんですか?」
「ですね。」
……マジで危なっかしいな、この子。
卯月さんは思い出したように怒った。
「いや、じゃなくて! 言ってよ! 動物アレルギーだったなら!」
「危うく殺すとこだったんだけど!」
「……俺、記憶喪失なんですよ。部分部分、抜けてるところがあって」
「記憶、喪失……」
彼女は言葉を繰り返した。
「じゃあ、私を人殺しにする意図はなく」
「はい」
「ただ、自分が「動物アレルギー」ってことを忘れてただけ?」
「そうです」
「……ふ、不便な体」
言い終えた瞬間、彼女は少しだけ視線を逸らした。
俺はとある事実に気づき、嫌な汗とともに言った。
「……俺、自宅ないわ」
「……だから?」
彼女の言葉に、俺は無害そうな笑顔で返した。
時計の針の音が響き続けた。
――ガチャン。
次の瞬間、玄関の外だった。
……警戒心があるようで何よりだ。
すっかり辺りは真っ暗。末端から冷えが伝わってくる。
仮にもアレルギー症状起こした人間を、寒空の下に置かないでほしいんだけど。
ホテルに行く足もなければ、金もない。
体が冷えていくのに、頬が熱くなっていった。
せめて謝りたいが、もう今さらだ。
辺りを見渡すも、コンビニの光は見えない。
スーパーからダンボールをもらいに行こうとしたところで、
ガチャリ、と玄関の開く音がした。
「頭、冷えました?」
声が低い。目の奥には怒りが映っていた。
俺は深々と礼をして、
「本当にすみませんでした」
「よろしければ、泊めていただけないでしょうか」
「ソファもいりません。そこら辺に転がしておいてくれればいいので」
「あなたの部屋には一切侵入いたしません」
一息で言い切った。
ため息が聞こえた。
「まあ、いいですよ。流石にアレルギー起こした病み上がりを捨てられるほど、悪魔にもなれませんので」
「ありがとうございます」
俺は頭を上げられない。
――頭を下げたまま、卯月さんの後ろについてった。
彼女のリビングには温かいココアが二つ、置いてあった。
「ここまでしてもらうなんて、俺はそんな人間じゃ……」
「まずい、外で放置しすぎて壊れちゃった」
「ほ、ほら、ココア飲んで?」
「こんな素晴らしいもの、いただけません……」
「よ、用意した私の気持ちにもなってくれる?」
飲む飲まないの押し問答の末、ココアをもらうこととなった。
甘さで、思考が一段緩む。
彼女は無表情で言った。
「ここから先が私の部屋、お風呂ですので」
「入ったら、「殺す」ので」
丁寧な語尾から、確かな殺意を感じ取った。
……
「卯月さん、明日はちゃんと起きてくださいね?」
「なんで?」
また忘れやがった。
「探偵になるんでしょ? 1日だけ」
ポケットから名刺をつまみ上げ、そう言った。
明日は探偵ごっこだ。




