妹に手を出した婚約者を卒業パーティーでぶん殴ったら、妹の策略だった。あれぇ!?
短いですが、短編です。
姉大好き妹と、同じく妹大好き主人公。
婚約破棄モノになります。
シャンデリアの光が降り注ぎ、磨き上げられた大理石の床に反射する。
貴族学院の卒業パーティーは、毎年のことながら盛大だった。
各国の貴族たちが子息・令嬢の門出を祝うこの夜は上流階級の交友と将来を繋ぐ社交の場でもある。
そして私は会場の片隅で、シャンパングラスを軽く傾けていた。
絹のドレスを身に纏い、髪も完璧に整えてある。けれど、自分でもわかるほど表情に覇気はない。
――婚約者は、来なかった。
予定では、カリウス・オルヴィエール侯爵令息が、私をエスコートするはずだった。
私たちは婚約関係にあり、しかも学院では公認の仲だったから誰もがそう思っていた。
けれど、招待状を送ったにもかかわらず返事がない。
当日の朝にも連絡はなく、結局、私は一人で馬車に乗ってきた。
……まぁ、いい。そんなこと、もう気にしていない。
ただ、目の前の光景だけは、看過できなかった。
紅いカーペットの敷かれた大階段を、二人の男女がゆっくりと降りてくる。
男はカリウス。婚約者――だったはずの男。
そして彼の腕に寄り添うように絡みついているのは、誰あろう――私の妹、エリーゼだった。
それを見て、会場がざわめく。
「素敵」
「お似合い」
「けど、あれは……ヴァレンティア伯爵家の姉妹?」
華やかな場にふさわしい、美男美女の登場だ。
カリウスは誇らしげに笑い、エリーゼはいつものように控えめな笑顔を浮かべている。
同時に私の手から、グラスが少し滑ったが、落とさずに済んだ。
中身が揺れただけで、誰にも気づかれなかったと思う。
……エスコートされなかったことなんて、どうでもいい。
もう、婚約者の心が離れていたことも、知っていた。
でも――あの男は妹に、手を出したっていうの……?
脳裏が、真っ白になる。
グラスを静かにテーブルに戻す。
視界の端で、人々が笑い合い、舞踏が始まろうとしている。
だが、そんな空気の中で私の体はすでに、無言で動き出していた。
ヒールの音が、カツン、カツンと会場の床に響く。
ドレスの裾が舞い、私はまっすぐに彼らの元へと向かっていた。
「……カリウス・オルヴィエール侯爵令息」
名を呼んだ瞬間、彼の肩がわずかに揺れる。
その顔には、ほんの一瞬――ほんの、わずかにだが――驚きの色が走った。
すぐにそれを消して、彼は作り慣れた笑みを浮かべる。
階段の途中で立ち止まり、私は名を呼んだ。
「……カリウス・オルヴィエール侯爵令息」
その瞬間、カリウスの肩がぴくりと揺れる。
こちらに向けられた顔には、一瞬だけ、本当に一瞬だけ――素の驚きが浮かんだ。
だがすぐに、それをかき消すように口元を吊り上げ、いつもの人当たりのいい笑顔を作る。
「おや……ソフィア。どうしてこんなところに?」
その言葉に、会場のあちこちからざわめきが漏れる。
場違いなそのセリフに、思わず笑いそうになった。
今日が卒業パーティーであることを、忘れたとでも言いたいのか。
――とぼけるな。
私を見下した、その言い草が、何より腹立たしい。
私は言葉を飲み込み、代わりに静かに手袋を外す。
指先を丁寧に引き抜き、片方ずつゆっくりと、まるで儀式のように。
カリウスの笑顔が、じわりと引きつっていくのが見えた。
「……妹に、手を出したのか?」
静かな声が、ホールの空気を切り裂く。
魔法も剣もないこの世界で、それ以上に重く冷たい“殺気”が、空気を張りつめさせた。
「な、何を言っているんだ、ソフィア?」
言い訳めいた声。
目が泳いでいる。観客の視線に、焦りがにじんでいる。
それでもなお言い逃れしようとするその態度に、私ははっきりと――怒りの閾値を超えた。
私は一歩、階段を駆け上がるように踏み込み――
「貴様、それでも侯爵家の嫡男か……!?人の妹に手ぇ出して、王都で一番の馬鹿貴族って呼ばれたいの!?」
そう叫んだ瞬間、右腕が風を切った。
バッッッッン!!
乾いた、重たい音がホール全体に響き渡る。
拳は彼の頬を正確に捉えカリウスは派手に体勢を崩してよろけ、倒れ込んだ。
誰もが息を呑む――舞踏会の音楽も止まり、令嬢たちは扇子で口元を押さえ、貴族の子息たちも目を見開いて立ち尽くしている。
私は、その騒然とした空気の中心で、彼を見下ろしながら言い放った。
「この場をもって、貴様との婚約は破棄する。ついでにその脳みそも捨ててくれば?一つも使い道がないみたいだから」
ざわっ、と空気が揺れる。
私はさらに一歩踏み出し、会場中に響き渡るように、はっきりと宣言する。
「ヴァレンティア家は、オルヴィエール家との縁を完全に断ち切る。これ以上、我が家の名を汚すな――地に伏して詫びろ、カリウス。」
地面に倒れたまま、彼は何も言えずにただ私を見上げていた。
ふと、我に返ったのかカリウスは言い訳をしてくる。
「ま、待てソフィア、誤解だ! これは……!」
「言い訳は聞かない」
それだけ告げたとき、エリーゼが静かに私の隣に立った。
「ありがとうございます、お姉様」
その声は、場の混乱を切り裂くように、あまりに穏やかだった。
私は反射的に振り返る。
「……何?」
そこには、いつも通りの微笑を浮かべる、私の妹――エリーゼがいた。
凍りついた会場の中心で、ただ一人涼しい顔をしている。
ドレスの裾を優雅に揺らしながら、彼女はまるで王女のように歩み寄ってくる。
「この方、他にも複数の女性と関係していましたの……学院内の令嬢三人、それから、外部のご令嬢が一人。いずれも名前も証言も私の手元にございます」
サラリとした口調で、信じがたい言葉を並べるその姿に、私は思わず絶句した。
「証拠はすべて集めていました。お手紙、贈り物、深夜の抜け出しの記録まで……でも、私がそれを公表するよりも――お姉様が、こうして手を出してくださった方が早いかと思いまして」
目を細めて笑うエリーゼの瞳には、笑っているようで笑っていなかった。
――なんて顔をするんだ
あの純真無垢な妹が、こんな顔をするなんて。
彼女は最初からすべてを知っていた。
カリウスの裏切りも、他の令嬢との関係も、そして――私が彼女のためなら何をするかも。
私が怒りに任せて動くことも、拳を振り上げることも、そして婚約破棄をこの場で宣言することすらも、全てが彼女の思惑のうちだった。
「……エリーゼ、それを狙ってたな……?」
言葉が、絞り出すように漏れる。
怒り、呆れ、驚き、そして――わずかな賞賛すら混ざっていた。
だが、エリーゼはしれっとした顔で首を傾げた。
「まぁ……狙うだなんて。そんなふうに言わないでくださいませ。私はただ、お姉様が”私のため”に動いてくださると信じていただけですわ」
その声はあくまで柔らかく、無垢で、あどけない。
けれど私は、その裏にあるものを見逃さなかった。
――確信、そして支配。
この子は、自分で手を汚すことなく、完璧に物事を動かした。
自分の目的を達成するために姉である私を“正義の鉄槌”として差し向けたのだ。
私が動けば、妹は「何もしていない」。
けれど結果として、すべての罪が男に降りかかる。
貴族社会では、“暴かれた女関係”こそが最大の失脚要因。
貴族の子息にとって、最大の死刑宣告といっていい。
彼女はその一撃を、私の手で実行させた。
「全く、本当に……怖い子ね」
私がそう言うと、エリーゼはくすりと微笑んだ。
「違いますわ。私はただ、お姉様の正義感と愛情を信じていただけ。だって、私は誰よりも――お姉様に愛されている自信がありますもの。」
その言葉は甘く、毒のようだ。
だが、私の心に残ったのはその毒の中に含まれる真実。
――この子は、誰よりも私を信じている。
そして、誰よりも私に守られている自覚がある。
だからこそ、何も恐れずに全てを仕掛け、すべてを終わらせたのだ。
私はゆっくりと目を閉じ、短く息を吐いた。
小悪魔――そう呼ぶにはあまりに鮮やかで。
策士――そう呼ぶにはあまりに無垢すぎる。
けれど私は知っている。
この笑顔が、誰よりも恐ろしく、誰よりも優しいのだと。
一方周囲の貴族たちがざわついている。
「まさか、あのオルヴィエール家の令息が……」
「数人と関係を……?」
「ヴァレンティア家が婚約破棄を……」
「もう終わりね、彼」
これが貴族社会――一度信頼を失えば、その名は泥にまみれる。
オルヴィエール家の名に泥を塗った者として、カリウスはその地位を追われるだろう。
他家との縁談は破綻、社交界でも居場所を失う。
“家柄だけでのし上がってきた男”の末路としては、相応しい幕引きだった。
「……行こう、エリーゼ」
「ええ、お姉様」
二人で扉へ向かって歩き出す。
会場のざわめきが遠ざかり、外の夜風が頬を撫でた。
「ふぅ……終わったわね」
「ええ。ですが……次は、ちゃんとした方を選んでくださいませね?」
「……うるさいわよ」
私は笑って、エリーゼの額を軽く突く。
「でも……そうね。今度は自分の目で“選ぶ”わ。誰かを信じられるなら、家の決めた相手じゃなくてもいい。そう思えるから」
「それなら、きっと見つかりますわ。お姉様は誰よりも強くて、美しい人ですから」
「おだてても、何も出ないわよ?」
「でも、私はずっと傍にいますから」
姉妹で並んで歩く夜道。
この先、どんな未来が待っていようと妹がいる限り私は大丈夫。
――最愛の妹が張り巡らせた策略に、まんまと乗せられたとしても。
(……私、結婚出来るかなぁ……)
ふと、そんな事を考えてしまったなんて、誰にも言えない。
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