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第8話 女神の盃

塔で暮らし始めてから一週間が経ち、マリシアは少しずつ生活に慣れてきていた。

 隊のみんなも『婚約者の為に海の魔物に立ち向かう健気な女性』という設定を信じ、優しく接してくれている。


 そして今日は休日。

 ライルは休みといっても部屋で仕事をしている。

 離れず過ごしているという建前があるので、マリシアは塔から出ることができないが、代わりにドロテアが様子を見に来てくれた。


「体はもう大丈夫なのかい?」

 開口一番そう聞いてくれたドロテアに、なんだか母親を思い出してマリシアは嬉しくなる。

「はい、もう何とも無いです!」

 安心したのか、ドロテアは優しく微笑む。

「それじゃあ、今日はマリシアの魔力について調べてみようかね」

「お願いします!」

 マリシアが拳をギュッと握り大きく頷くと、ドロテアは優しく微笑む。

「そう力まなくていい」

 ドロテアは革製の鞄から金色に鈍く光る盃を取り出した。


女神の盃(めがみのさかずき)を試してみよう。前に使った事があるだろう?」

「はい、故郷で魔力測定に使われていました」

「これは魔力を映し出す鏡のような魔法道具。魔力の出力が難しいマリシアの体内魔力も可視化できるのさ」

 マリシアは初めて使った時のことを思い出した。盃から溢れる幻の水を見て、家族も自分も驚き、喜んだ。


 その後に大いに落胆が待っているとは思わずに。


「水はあくまで幻だから怖がらず、体内の魔力を感じる事に集中するように。気になるようなら目を閉じているといいだろうね」

「わかりました」

 マリシアは以前使った時の事を思い出し、両手を組み合わせて女神に祈る。

「ゆっくり息をして」

 穏やかな声に、少し力の入っていた肩からするりと力が抜ける。


「……これは思ったより」

 もしかして思ったより少なかったのかもしれない、そう思いマリシアは目を開けて息を飲んだ。

 ……部屋は水で満ちていた。

 幻だと言われていたのに溺れてしまう気がして、慌てて組んでいた手を離すと一瞬で水は消え失せる。

 ドロテアはすぐに紙束に文字を書き付け始めた。


「前の時はどうだったか覚えているかい?」

「盃から水が溢れましたけど、ここまでではなかったです」

「そうかい」

 万年筆を顎のあたりに当てて、ドロテアは少し考え込んでいるようだった。


「一つ仮説がある。その説明の前にちょっと魔法についておさらいしておこうか」

 確かにマリシアは魔法については独学なので、もしかしたら知らないこともあるかもしれない。


「基本的なことから確認しよう。魔源士と魔法士、この違いはわかるかい?」

「はい、魔源士は魔力を作る人で、魔法士はそれを使う人ですよね」

「そうさね。では、その魔力はどこから来ると思う?」

「魔源士が生み出すものだと思っていましたけど」

 マリシアは首を傾げる。


「実はそうではない。魔源士は世界に満ちている『魔素』を『魔力』に変換しているだけなのさ」

「変換、ですか?」

「つまり、もともとある力を人が使える形に変えているということさね」

 マリシアは目を丸くする。

 

「さて、それを前提に考えてみよう。さっきの測定結果から、マリシアの体内には相当な量の魔力がある。しかも昔調べた時よりも多いと」

 戸惑いながらもマリシアは頷いた。


「魔源士は普通に生活する中でも自然と体に魔素を吸収する。……放っておいても普通は抜けていくんだけどねえ、マリシアはそれができていなかった可能性がある」

「だとすると、私は今どうなってるんでしょう?」

「マリシアは魔力を『外へ出す』という所が上手く機能しておらず、何年分もの魔力が体に溜まっているんじゃないだろうかね」

 マリシアは自分の両手をじっと見つめた。その手は何の変哲もなく、言われているように魔力が詰まっているなんて思えなかった。

「もし、どこか魔素が濃い場所に居たなんてことがあれば、かなりの魔力を溜め込んでいただろうね」

 魔素の濃い場所。

 マリシアはどこかその言葉に引っ掛かりを覚えた。しかし、答えに辿り着く前にドロテアの言葉が続いた。


「だとすると巨魚と対峙した後に倒れたのは、魔力欠乏症じゃないだろう。今まで体内に詰まっていた魔力が一度に外に出たせいで体内魔力のバランスが崩れたから……。魔力欠乏症で見られる頭痛や目眩、吐き気などの症状はあったかい?」

「特になかったです」

 あの時はふうっと視界が暗くなって、そのまま眠ってしまったような感じだった。


 ドロテアはペンを走らせ、何度か頷く。

「これは今後、もう少し調べていく必要があるね。もしかしたら『定められた者(エル・デスティナード)』についても何かわかるかもしれないよ」

 そこでマリシアはふと気づいた、ドロテアの疲れたような顔色に。


「そうすればマリシアも魔法石に魔力を普通に付与できるようになるかもしれないし、ライル殿下も問題なく魔法石を使えるようになるかもしれない。そうしたら、マリシアが魔物に向かい合うような事はなくなるんだ」

 もしかしたらずっと解決方法を調べてくれていたのかもしれない。マリシアはできるだけ安心してほしくて、目一杯の笑顔を浮かべる。


「私、この一週間塔にいて、ここの人たちの事を知りました。……いまだにやっぱり怖いんですけど、それでも私は力になれて嬉しかったんです。だから、あまり無理せずゆっくり調べてくだされば──」

 上手く言葉にできなかったけれど、ドロテアはその言葉に少し驚いたように目を開いて、それから身を乗り出すとマリシアの頭をゆっくりと撫でた。

「そんなに無理はしていないから、心配くらいはさせておくれ」


 暖かな感触にマリシアは思わず涙が溢れる。慌てて指先で拭うと顔を上げた。

「ありがとうございます」

 真っ直ぐに見つめてお礼を言うと、ドロテアは涙に気づかないフリをしてくれたのか顔を背け、口を開く。


「ライル殿下の方も協力してもらえれば、もっと調べが進むかもしれないんだけどねえ」

「それはさすがに、難しいですよ」

「いや、構わないが」


 不意の声にマリシアは振り返る。隣の部屋に続いている扉が開いている。

「ライル様!? 」


「何度かノックをしたんだが、返事がなかったのでな」

「正直に謝った方がいいですよ、殿下。……ドロテア様がマリシア嬢を連れ帰るんじゃないかと心配で聞き耳を立ててましたって」

 後ろからカミロの声が続いた。

 驚くマリシアを見て、ライルはバツが悪そうな表情になる。


「本当ですか殿下?」

 ドロテアの問いにライルは小さく頷いた。

「すまない。どうしても、今彼女に居なくなられるのは困るものだから」

 マリシアは必死にここまでの会話を思い出していた。聞かれて困るような事ではないけれど、結構恥ずかしい事を言っていた気がする。


「いやあ、感動しましたね。マリシア嬢がそこまで隊の事を思ってくださっていたとは!」

 触れないで欲しいと願っていた話を的確に持ち出されて、マリシアはじわりと赤くなる。

「良かったですね、殿下」

 軽口を叩くカミロをドロテアが軽く睨む。だが彼は全く気にしている様子はない。


「さて、ドロテア様は殿下の事をお調べになりたいと?」

「そうですね、出来れば実際に魔法を使う所を見せていただきたいのです」

「先ほどの詫びも兼ねて、喜んでその実験付き合おう」

 ライルがそう答えると、ドロテアは革の鞄を机の上でひっくり返した。ごろりと様々な色の魔法石が転がる。


「学園の魔源士が魔力を込めた魔法石です。まずはこちらを用いて魔法を使ってみてください。その後、同じ魔法をマリシアの魔力を使って行使し、比べてみたいのですが」

「わかった」

 ライルはドロテアから魔法石を受け取ると左手に握り込んだ。


「使う魔法は……この部屋であれば、そこの寝台でも持ち上げてみるか」

 ライルは寝台に近づくと、両手をかける。

「『強化フォルティフィカティオ』」

 詠唱と共に寝台が持ち上がりかけるが、次の瞬間、ピシリと何かが割れる音がして寝台は元の位置に戻った。


 ライルがそっと左手を開くと、手の中の魔法石は粉々に砕けていた。

 ドロテアはそれを机に広げた紙の上に乗せてもらうと、丹念に観察する。

「一瞬で魔力がなくなっている。割れる程とはなんとも興味深い」

 興奮気味にドロテアはペンの先で砕けた魔法石を転がし呟く。

「あの、何かわかりそうですか?」

 マリシアの問いにドロテアは笑顔で首を左右に振る。


「今のところは詳しく何もわからないね。こんなのは初めて見たよ」

 未知の現象を前にドロテアはすっかり話し方が普段通りになっている。

 それに気づいたのかひとつ咳払いをし、ドロテアはライルに向かい合い口を開いた。


「非常に興味深い現象でございます。いつもこのようになるのでしょうか?」

 ドロテアの問いにライルは少し考えてから答えた。

「込められている魔力量に応じて結果は変わるが、大体はこのように砕けてしまう」

「そうなんですよね、普通は何度か魔力を込めて使いまわせるはずの魔法石がこの調子で使うたびに砕けてしまうわけですよ。大きな魔法を使うなら、それこそ国宝レベルの魔法石でも」

 カミロの言葉にマリシアはやっと『国宝レベルの魔法石を湯水の様に使った』という、以前聞いた言葉の意味を悟った。


「最初は単に『魔力を取り込む効率が悪い』と考えていたのですが、実際は違うのではないでしょうか?」

「そうですね、ライル殿下は魔力を『少しずつ』引き出すことができず、一気に全てを吸収してしまう。だから『効率が悪い』というより『制御できない』という表現の方が正確だったかもしれませんね」

 カミロの答えにドロテアは眉根を寄せ、ペンを走らせる。


「使うたびに魔法石を破壊するというのでは、確かに陛下が『国庫を空にするつもりか』と叱責されるのも仕方がないかと」

 ドロテアの言葉に、マリシアも内心で頷く。

 それと同時に、なぜ自分からの魔力供給なら大丈夫なのか不思議になった。


「マリシア嬢、手を」

 声をかけられて、マリシアはそっとライルの手に触れる。

「では次はマリシア嬢の魔力で同じ魔法を使うが、それで良いか?」

「はい、お願いします」


 ライルは頷くとマリシアの指に自分の指を絡めた。

 触れ合うと、最初の頃はわからなかった魔力の流れが感じられる。

 指先から暖かい何かが流れてゆく。


 寝台に片手をかけ、ライルはマリシアの目を見つめてきた。こちらの準備が良いのかを聞かれているのだろう、マリシアは頷く。

「『強化フォルティフィカティオ』」

 詠唱と共に感じる魔力の流れが早くなる。

 そうして、寝台はまるで重さなどないかのようにふわりと持ち上がった。


「マリシア、体調に変化はないかい?」

「大丈夫です」

「殿下、では魔法を解いてくださいませ」

 ドロテアの言葉を受けて、ライルはそっと寝台を下ろすと繋いでいた指を解いた。


「殿下は魔法石を使った場合と、マリシアの魔力を直接受け取った場合に変化を感じましたか?」

「そうだな、魔法石からだと無理をして吸い出しているような感触がある。だが、マリシア嬢の手からは自然と、最初からそうであったかのように魔力が流れて来ると感じるな。心地よいと思うくらいに」

 ライルはマリシアに微笑みかける。至近距離で笑顔を向けられてマリシアは思わず一歩下がりかけ、なんとか踏みとどまった。


「マリシアはどんな感じだい?」

「そうですね、魔法石に魔力を付与していた時は、魔力が戻ってくる感覚があって、それを無理に押し込んでたんですけど、殿下との時は何の抵抗もなく流れる感じがあります」

 マリシアの言葉を受け、ドロテアは手元の紙束にペンを走らせた。

 しばらく書き続けていたが、途中でふと、手が止まる。


「どうかしましたか?」

「いや、確かに『定められた者(エル・デスティナード)』の特徴と合致しているね」

 ドロテアは少し考え込むような表情を見せる。

「古い文献をもう一度確認すれば、もっと正確な情報を伝えられそうだよ」

 そこでライルに向き直ると一礼した。


「ご協力いただき様々な事が分かってきたように思います。早速、研究室にて調べを進めて参ります。結果は改めてご報告を」

「お分かりだと思いますが、研究結果は全て余さずこちらに提出してくださいね」

 カミロが笑顔でドロテアに釘を刺す。

「ええ、心得ております」

 ドロテアはライルに向けて深く一礼し、マリシアに声をかける。


「ここからは出られないだろうから、せめて戸口まで見送っておくれ」

「もちろんです!」

 マリシアは彼女に駆け寄る。そんなマリシアをドロテアは不意に抱きしめた。

 驚くマリシアの耳元にドロテアは小さく一言。

「夜に少し窓を開けておいで」


 目を瞬くマリシアに笑顔を向け、ドロテアは扉の向こうへ去っていった。

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