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第7話 新しい生活

 身の置き所が無い。


 皆が駆け回り仕事をしている中で、マリシアだけがこれといって何も仕事ができずにいるのだから、そう感じるのも仕方がない事だ。


 朝鐘会が終わり、皆それぞれに持ち場に戻って行った中、ライルは隊長室に数人の補佐官と共に向かった。

 当然マリシアも同行する。


 部屋に入るなり皆自分の席に着き、書類の処理に取り掛かっていた。

 時折外から新たな書類がやってくる。

 

 マリシアはせめて邪魔にならないようにと部屋の端に立っていたがライルに手招きされ、気づけば彼の机の横に簡易な執務机を用意されていた。

「マリシア、君、書類仕事は得意な方だろうか?」

「家で父の領地経営の手伝いはしておりましたので、多少は」

「では、隊員以下の予算申請書類で気になる物があれば教えてくれ」

 ライルは机に積んである書類の一部をマリシアに渡した。


「わからない事はオラシオに聞いてくれ」

 ライルの言葉に、彼を挟んで反対側の壁際にいた男性が会釈してくれる。

 痩せ型で骨ばった顔と整えられた口髭、きちんと着込んだ制服が几帳面さを伝えてくる。

「会計担当補佐官のオラシオです。気負わず、違和感があれば何でも教えてください」

「よろしくお願いいたします」


 マリシアは書類に目を通し始めた。

 しばらくして、一枚の書類に目が止まる。

 少し悩んで、マリシアは席を立った。

「オラシオ様、この胸当ての価格なのですが」

 マリシアが恐る恐る書類を差し出すと、オラシオは眉を寄せて確認する。


「魔法鍛治の武具であればそのくらいの価値はあると思いますが?」

 強い言葉で返されると、マリシアは次の言葉を飲み込みたくなってしまう。

 でも、これは、これだけは譲れない事だったから。


「これは私の故郷バレ・デル・フエゴで作られたものです。王都での相場を知っているのですが、この価格は高すぎると思います」

 しっかりと最後まで言い切って、マリシアはオラシオの目をじっと見つめた。


 マリシアは今も領地に残ってくれている魔法鍛治職人が作るものに誇りを持っていた。

 だからこそ彼らが作る防具がどれほどの価値を持ち、どのような価格で取引されているかを王都に来てもずっと調べていたのだ。


「マリシア・カルデロン……カルデロン伯爵家の方でしたか」

 オラシオは納得したように頷く。

「これについては調査が必要ですね」


 書類をオラシオに手渡すと、マリシアはゆっくりと自分の席に戻る。

 腰を下ろしてもまだ心臓がバクバクと音を立てていた。

 思ったより緊張していたらしい。


「俺の婚約者は優秀だな」

 甘い声が聞こえ、マリシアは思わず座ったまで飛び上がりそうになった。

「今回は偶然知っている事だったからです」

 マリシアはなんとか笑顔を返す。

 婚約者役を全うしなくてはと何度も心に唱え、マリシアはなんとか笑顔を返す。

 それにしても、女性の扱いがわかっていないなどとカミロに言われていたはずなのに、随分と慣れた風に見える。

 マリシアはその演技についていけるだろうかと、内心ヒヤヒヤしていた。



◇◆◇


 昼の鐘が鳴ると、皆はそれぞれに昼食を取る為に部屋を出て行った。

 二人きりになる。

 マリシアはライルの動きを待っていたが、彼は書類に向き合っており、動く様子がない。

「ライル様、お昼はどうされますか?」

「セラフィナにここへ運ぶよう頼んである。食堂でまで演技を続けるのは疲れるだろう?」

 確かに、とマリシアは思う。

 だけどライルと二人きりも結局緊張してしまって気は抜けない。


「失礼しますねー」

 扉が開き、カミロがワゴンを押して現れた。

「セラフィナさんから昼食預かってきましたよ。僕の分もあるので一緒にいただきましょう」

 

 驚くマリシアの前に、カミロが芝居がかった仕草で皿を置く。

皿の上には平たく焼いたパンの間に塩漬けの肉や魚、野菜やハーブを挟んだ『船乗りのパン』と呼ばれるもの置かれていた。


 ライルは書類を繰る手は止めず、片手でパンを摘むとそのまま齧り付く。カミロも同様だ。

 そうやって食べながらも、時々軽い会話も挟んでいる。

「そういえば、港で面白い話を聞きましたよ。アザレア公国の魔法染料を運ぶ船が、時々空荷で帰っているらしいんです」

「空荷?」

「ええ、来る時は船いっぱいに荷を詰めて来るのに、帰る時は荷を積まないから金にならないと港湾の作業員がぼやいてました」

 ライルは少し眉を寄せるが、すぐに食事に戻った。


「あれ、もしかしてマリシア嬢、手掴みでの食事は経験ないですか?」

 思わず二人を見つめていると、カミロがそう聞いてきた。

「そうではなくて、ライル様も手に持ってお食事するんだと思って」

「海の上ではマナーなどないようなものだからな」


 あっという間に食べ終えたライルは、マリシアを見て微笑む。

「だから君も、何も気にせず食べるといい」

 ライルとの食事でマナーを思い出せるか悩んでいた事を見透かされていたのかもしれない。マリシアは恥ずかしさを隠すように顔を伏せ、パンを頬張った。


 食事を終えたマリシアは、ふとカミロの先ほどの言葉にひっかりを覚えたことを思い出した。

「ところで、カミロ様は先程隊員ではないとおっしゃってましたが」

「そうそう。僕はこの守護隊には所属してないんだよね」

「俺の部下でもないしな」


 ライルの言葉にマリシアは首を傾げる。

「マリシア嬢にはお知らせしておいた方が良いでしょうね。僕は陛下直属の機関に所属しています。詳しくはお話できませんが、まあ、ライル殿下のお目付け役って所ですよ。海に出ることもほぼないですね。僕、弱いですし」

 最後でわざとらしく声を震わせてカミロは言葉を終えると、マリシアを見つめた。

「なので、現場での対応はマリシア嬢にお任せということになります」

 荷が重い。しかしマリシアは無理ですとも言えず、曖昧に笑みを返した。


「カミロ、マリシアが本気にするだろう。俺を守る者は他にもいる。先日もあの船にはマリシアが見た以上の人員が待機していたんだ……一応、立場が立場だからな」

 肩を竦めるライル、言われてみればあの船は魔法士二人と航海士しか居ないように見えたが、魔法で動かしているだけにしては操舵が巧みだった。


「立場を理解してくださっているなら、護衛たちを振り切らないでいただけると嬉しいですけどね」

「カミロが誤魔化せる範囲だけにしているから、許してくれ」

「護衛に罰が下されないよう配慮してくださってるのは理解しますが、配慮の方向が間違っていると思うんですよ」

 

 ライルは話を逸らすように、一つ咳払いをしマリシアに顔を向ける。

「安心していい、俺が必ずマリシアを守る」

「ありがとうございます」

 マリシアはほっとして笑顔になった。


 それからマリシアはそうだ、と思う。

「あの、しばらくここで生活するなら、一度荷物を取りにいきたいんですが」

「ああ、それなら心配要りませんよ。一通りこちらに運び入れてあります」

 さらりとカミロに返され、マリシアはぎょっとして立ち上がりかける。

 家の荷物に見られたく無いものだってあったからだ。


 慌てるマリシアを手で制し、カミロは言葉を続ける。

「何にも見てませんからね! ちゃんと管理人のエレナさんに立ち会ってもらった上で、収納魔法を使って纏めました。部屋に置いてあるトランクをこの鍵を使って開けてもらえれば、魔法士でなくても荷物が出せますから」

 カミロはどこからともなく真鍮色の鍵をするりと取り出し、マリシアの前に置いた。

「本当ですか?」

「女神に誓って見ていません」

 目を閉じ、胸に手を当てて神妙な顔で答えるカミロに、マリシアはほっとする。

 

「そうそう。これからマリシアさんに使ってもらう部屋なんですが、今は不在の隊長付補佐官用なのでライル殿下の部屋と奥の扉で繋がってまして」

 カミロの言葉に、がたり、と大きな音を立てて、今度こそマリシアは思わず立ち上がっていた。


 ライルが手を伸ばし、マリシアの手を取る。

「婚前の男女なので同室とはいかないが、離れずに過ごすという条件を出されているという建前があるからな――その部屋にした。まあ、安心してくれていい。俺の方から扉を開くことは無い」

「それは、そうですね」

 はっきりとそう宣言されて、マリシアは何故だか少しだけ胸が痛くなった。

 自分でもその痛みの理由がわからないまま、ライルに軽く手を引かれて椅子に戻る。


「色々と無理を言っているのは分かっている。だが、今は少しも離れていたくないんだ」

 マリシアの手をライルの両手が包み込む。

 魔法を使っていない今は、魔力の流れはマリシアには感じられない。

 ただ、ライルの体温が伝わってくるだけ。

 指先から熱が満ちて、目眩がしそう。

 早い鼓動は単なる緊張からくるものなのか、それとも――。


 マリシアは自分の心が自分では制御できないくらい揺れているのを感じていた。


「殿下、皆が戻るでしょうから僕は失礼しますが、そろそろ手を放してあげた方がいいですよ、マリシア嬢はもう限界でしょうし」

「限界? 何がだ?」

 カミロの言葉に何度も頷くマリシア。不思議そうな顔をしたままライルが手を離す。

「手ならこの間から何度も握っているだろう?」

「婚約者のフリはなかなかよかったですが、そういう所はまだまだですね」

 カミロはそこまで言うと、ワゴンを片手にマリシアに目を向ける。


「頑張ってくださいね、マリシア嬢」

 言葉を残し、カミロはするりと部屋から出て行った。


 マリシアは改めてライルを見つめる。

 書類に向かう真剣な横顔、時折見せてくれる優しい笑顔。

 いつの間にか特別な存在に変わり始めていることを、マリシアはまだ認められなかった。

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