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第6話 朝鐘会

「忙しくされているのですね」

 ライルの姿が消えてから、マリシアは思わず呟く。


「まああれだけの大きな魔物でしたから、鱗や目玉、牙など魔法道具の材料になりそうなものを近隣の漁師が集めて回る際に守護隊も巡回に出たりしていましたからね。殿下はそれに伴っての認可書類の作成や確認で執務室に篭り切りで。それでも、マリシア嬢が意識が戻るまでの間も様子を見に来ていましたよ」

「そうなんですね」

 それを嬉しいと思ってしまう自分が、少し恥ずかしい。

 今マリシアはライルの部下のような立場。特に今回は緊急とはいえ、現場にいきなり連れていったという引け目もあるだろうし。


「そうだマリシア嬢。殿下の事を隊において呼ぶ際は必ず隊長、もしくはライル隊長と呼ぶようにしてください。間違っても殿下とは呼ばない様に気をつけてくださいね」

 カミロの言葉にマリシアは首を傾げる。

「隊の皆様は殿下のお立場をご存知ないのですか?」

「いえ、上級隊員以上は皆知ってますよ」

「それなら、一体どういう事ですか?」

 不思議そうな顔のマリシアにカミロは笑って答える。


「暗黙の了解であると言うことと、確かに知っているという事。そこには大きな違いがあるんですよ。たとえば殿下に何かあった時王族であったことを『知って』いた場合はどうなると思います?」

 知っていて王族を危険にさらした、その場合考えられるのは……。

「厳しい処罰が下される、という事ですか?」

「そうですね。隊の関係者が処刑される事もありうるという事なんですよ。だから、建前上『知らない』という事になっています。それもあるので、隊長がライル殿下であると言う事は広く知られていないのですよ。だから港湾警備隊の話は聞いたことがあってもそこに王族がいるとはマリシア嬢も知らなかったでしょう?」

 その通りだった。マリシアは頷く。


「公式に知っているのは僕だけという事になっています。だから何かあれば僕が責任を取りますから、まあ気楽にやってください」

「気楽に……」

 軽く言っているけれど、何かあればカミロだけは確実に厳罰を免れないという事だ。

 気楽になんてできるはずもない。


 マリシアの固い表情を見てカミロは小さく笑うと、立ち上がる。

「心配はいりません。僕が今ここにちゃんと居るということが、ライル殿下が信用に足る方だという証左ですからね」

 そこまで言われればマリシアも頷くしかなかった。


「さて、今日まではゆっくり休んでください。明日、隊の皆に紹介しますので。その時にマリシア嬢の演技を見せていただくの、楽しみにしてますね」

 絶対面白がってる。そう思うも、できると言ったのは自分。

「わかりました」

 両拳を握って決意を表すと、カミロは声を上げて笑った。


◇◆◇


 翌朝、マリシアは早めに目が覚めた。

 サイドテーブルには、魔法で温められたお湯と制服が並んでいる。

 カミロが手配してくれていたのだろう。


 寝台から降りて丁寧に体を拭き清める。お湯は微かな柑橘の香りがしてさっぱりした。

 洗浄(ルストロ)魔法も良いけれど、こうして実際に体を拭うと綺麗になったという実感がある。


 慣れない制服を一つ一つ身につける。

 部屋にはマリシアの自宅と違ってドレッサーがあった。

 その鏡に映る海の様な深い青の制服を着た自分の姿は、見慣れていないからかまだ違和感がある。

 ドレッサーには真新しい化粧箱まで備えてあったので、使って良いのだろうと判断し、マリシアは最低限の化粧をしておいた。


 ライルの婚約者を目指す健気な女性を演じようというのだから……。


「うまくいくのかな」

 不安が胃の辺りに詰まっている感じがする。

 不意にノックの音がして、マリシアはびくりと肩を揺らし振り返った。

 どうぞと声をかけると、ドアがゆっくりと開く。

「おはようございます、マリシア様」

 やわらかな線を描くふっくらとした頬にやさしい笑みを浮かべた女性が立っていた。


「ごめんなさいびっくりさせてしまいましたか。私、こちらの守護者の塔トゥーリス・ガルディアーナでお食事やお掃除などのお手伝いをしておりますセラフィナと申しますわ。マリシア様の支度のお手伝いに来たのですが、ご準備終わられているようですね」

「あ、ありがとうございます! いつも自分でしているので」


 そこまで言い、それからマリシアは少し考える。

「あの、良ければ髪とお化粧を直してもらえないでしょうか? もう少し上品に見えると嬉しいです」

「それはもう! ぜひお任せくださいね」

 セラフィナは嬉しそうにそう言うとマリシアをドレッサーの前に座らせた。


「ここには男性ばかりなので、こういうお手伝いができるのが嬉しいのですよ」

 セラフィナは丁寧な手つきでマリシアの髪を梳いて言う。

「お仕事に差し障りのない様、纏めてよろしいですか?」

「はい! お願いします」

 するすると魔法のようにマリシアの髪はまとめられ、紺碧色の髪留めが飾られる。


「少し目を閉じていてくださいね」

 マリシアが自分でしていたのは白粉と薄い紅だけ。

 セラフィナは瞼や頬にブラシを走らせる。


「さあ、終わりましたよ」

 セラフィナに言われてそっと目を開ける。鏡の中に大人っぽくて上品な見知らぬ女性が居た。

「え?」

 驚いて頬にそっと触れると、鏡の中のその人も同じ仕草を返す。


「元が良くていらっしゃるから、やり甲斐がありましたよ。よろしければ次からご自分でもできるように、後で手順を書いてお渡ししましょうか?」

「はい! お願いします」

 マリシアがあまりに驚いていたからか、セラフィナは満足そうに目を細める。

 それから一度部屋を出ると、ワゴンを押して戻ってきた。


「他の皆様は朝の鐘の前に一階の食堂でお食事なんですけど、マリシア様は食事後の朝鐘会(ちょうしょうかい)で紹介されるということなので、今日はお部屋で召し上がってくださいね。病み上がりですからパン粥をご用意しました」

「ありがとうございます」

 ワゴンからはふわりとミルクの香りがする。


 部屋のテーブルに食事を用意すると、セラフィナは退室して行った。

「美味しい」

 マリシアが普段食べている様な、固いパンをなんとか食べるために作っているようなパン粥と違ってパン自体が柔らかく、それに鶏肉も入っている。

 ほんのりスパイスの香りもして食欲がそそられる。

 二日間眠っていて、しかもその後はスープしか食べていなかったのもありあっという間に食べ終わってしまった。


 そこに再びノックの音がして、次に現れたのはライルだった。

「準備はできているようだな」

「ライル様、おはようございます!」

 マリシアは慌てて立ち上がる。ライルはその姿を見て一瞬動きを止めた。


「どうかなさいましたか?」

「あ、いや。今日は随分と感じが違うんだな」

 やはり似合っていないのだろうかと自分の姿を確認するマリシア。

「綺麗だ」

 続くライルの言葉にマリシアは、すでに演技を始めているのだとわかっているのに頬が熱くなる。 

「セラフィナさんのおかげです」

 他に言葉が見つからなくてマリシアは顔を伏せた。


 コツコツというライルが歩み寄る靴音が耳に届いて、次の瞬間には頬に手が添えらえていた。そっと顔を上げられる。

「その調子でちゃんと演じられそうか?」

「試したのですか?」

 マリシアは恥ずかしいやら、ちょっと腹立たしいやらで眉をへにゃ、と下げる。

「どうだろうな。……さて、これから朝鐘会(ちょうしょうかい)といって、昨日までの報告と今日の流れを確認する会がある。そこで君を紹介する」

「はい、がんばります!」

「ああ、それと念の為に魔源士として役に立つという所も見せておきたい。いくら事情があっても全くの素人を船に乗せるのは皆抵抗があるだろうから。頼めるだろうか」

「もちろんです」


 それが故郷の皆の為にもやらなければいけない事なんだとマリシアは自分に言い聞かせた。

 するりとライルの手は頬から離れ、エスコートの為にだろう肘を軽く曲げてくれた。

 マリシアはそっと彼の腕に手を添える。


「よし、では行こうかマリシア」

「はい、ライル様」

 目一杯背筋を伸ばして、そうしてマリシアはライルと共に歩き出した。


◇◆◇


 2階にある訓練用の小ホール。そこに朝鐘会(ちょうしょうかい)の為に集まった隊員達を目の前にして、マリシアは圧倒されていた。

 揃いの制服を着た男性達が整列し、揃って自分を見ている。

 その目にはライルが女性連れで現れたことへの驚きが満ちていた。


「申し送りの前に皆に紹介しておく。彼女はマリシア。彼女と俺は婚約関係にある。ただし今は、だ。……彼女の家の経済状況が思わしくないということを理由に父上に反対されているのだ」

 いきなり何の話をされているのだろうかと、全員不思議そうな顔をしている。

 横を窺うと、ライルは辛そうな顔で胸を抑えていた。

 少し演技過剰でバレてしまうのではとマリシアはハラハラする。


「婚約を認める条件として、父上は『彼女と離れず半年過ごす』という難題を上げてきた。それが出来なければ諦めろと。すなわち、魔物が跋扈する最前線にまでも彼女を連れていって守ってみせろと言うことだ。俺は正直悩んだ。だが彼女が、認めてもらえるのならどこへでも着いて行ってみせると健気にも言ってくれたのだ」


 そこまで言ってからちらりとライルがマリシアを見た。

 冷や汗が背を伝う中、マリシアは大きく息を吸い、口を開いた。


「マリシア・カルデロンと申します」

 声が途中でひっくり返った。

「皆様の大事なお仕事の場に、このような私事を持ち込む事、心より申し訳ないと思っております。ですが、私にはライル様との仲を認めていただく方法が他にないのです」

 言葉が終わると同時に、ホールにざわめきが満ちる。


「いや、隊長。事情はわかったが本当に彼女を、現場に連れて行くんですかい?」

 声が上がった方を見てみると、黒く焼けた肌に頬に薄い傷跡のある男がこちらを睨みつけていた。

「ヴィセンテ、お前の言う事は理解できる。だが、彼女は幸い魔源士でもある。通常は現場まで出向くことが無いのはわかっているが、現場に居てもらうことで役に立つ場面もあるだろう」

 ライルは淡々と言葉を返す。


「本当にその貴族のお嬢さんが役に立つと証明はできますか?」

 次に声を上げたのは、褪せた金の短髪と青い瞳の青年。腕を組み、こちらを煽る様に言う。

「ダリオ、それならばこの場で力を見せる事が出来たなら、どうだろうか?」

 ライルはそう言うと彼らの後方を指差した。

 そこには訓練用の鉱石で出来た人型が並んでいる。


「なんですか、まさかアレを砕くとでも?」

 ダリオと呼ばれた青年が片眉を上げて問う。

「そのまさかが見られれば納得がいくだろう? あの人型は訓練用に『硬化(ドゥーロ)』の魔法が幾重にもかけられている。それゆえに硬さは海の魔物達に引けを取らない。それを彼女の込めた魔力を使って打ち破ることが出来たなら?」

「そんな事が出来るというなら、このレオナルド、ヴィセンテやダリオ共々副隊長の座に誓って彼女を快く受け入れましょう」


 そう宣言したのは白銀の髪を揺らし、鋭い目つきでこちらを見る壮年の男性。

 発言したのは皆、それぞれに副隊長であるらしい。


 対するマリシアはしおらしく顔を伏せ、心の中では泣きそうになっていた。

 一刻も早くこの場から逃げ去りたかった。


ライルはレオナルドに自分の魔法剣を手渡し、魔法石に魔力が無いことを確認させていた。

 その後、剣はマリシアに手渡されたので、剣の装飾に使われている魔法石に魔力を込めたフリをする。

 そうしてライルの腕に寄り添い手を握る。


「ライル様、準備は出来ております」

 見上げるマリシアをライルは優しい目で見た。

 ……握った手が少し震えているので、もしかしたらマリシアの必死の演技に笑いを堪えているのかもしれないと思うと、少し腹立たしくなる。


「では、皆、人型より距離をとってくれ」

 皆、半信半疑という顔をして人型から離れた。

 ライルから一筋、道ができる。

 

「『(ベントゥス)

 詠唱と共にライルが剣を振るう。

 マリシアは指先からライルへと魔力が流れる感覚を感じる。

 巨魚の時ほど激しくはないが確かな魔力の繋がりがマリシアの指先からライルへと流れてゆく。

 前と同じ、まるで最初から一つで、境界などないように。


 ホールに風が生まれ、静かに走った。


 何の音もしなかった。

 が、次の瞬間。


「馬鹿な」

 異常に真っ先に気づいたのはダリオだった。目を大きく見開き、慌ててマリシアをふり仰ぐ。

「私、お力になれますか?」

 『なれますか』辺りでマリシアの舌がもつれたが、誰もそんな事は気にしていなかった。


「人型が」

 誰ともなく声が上がった。

 ……人型は足元から砕け、崩れた。


 歓声が上がる。



「静かに。……彼女は今後、俺と帯同する。文句はないだろう」

 皆が一斉に頷いた。

 マリシアはやり切った達成感にほっとして、にこりと笑みを浮かべた。

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