第3話 定められた者
強張った空気を払うようにドロテアは一つ咳払いをした。
「事情はわかりました。ですが、まだお聞きしなければいけない事がございます」
そう言いながら立ち上がると、壁際の戸棚から紙束を取り出してテーブルの上にどん、と置いた。
改めてマリシアの横に腰を下ろし、ドロテアは目の奥を輝かせる。
「殿下、どうしてマリシアを『定められた者』と感じたのかについて詳しく教えていただけますか」
まっすぐにライルを見ているドロテアの目は、研究者としての探究心に満ちているように見えた。
「どうしても何も、彼女の周りに金色の光が飛び交っているのが見えるからだ」
「光?」
マリシアが慌てて自分の体を見てみるが、いつもと何も変わっているようには感じない。
「光なんて見えませんよ、皆様そうでしょう?」
カミロの言葉にドロテアとマリシアは頷く。
「そうなのか? カミロも見えているからこそ彼女を連れてここに来たと思っていたんだが」
「それは、マリシアさんがドロテア様の縁者のようだったので、運が良ければこんな風にお話が聞けるかもしれないと思っての事ですね。ここにくるまでのライル殿下の様子で、それだけではないなと思いましたので話に巻き込みましたが」
「私あの時、自分の名前しかお伝えしていないですよね……」
マリシアはカミロとの会話を思い出しながらそう問う。
「ああ、勝手に覗いてしまってすみません。僕、相手がどんな人なのかを『見る』事ができるんですよ。と言ってもお名前とどんな方と関係があるか程度なんですけど」
さらりと悪びれる事なく言うカミロにマリシアは「え」と小さな声を上げた。
名前を聞かれる前、確かに不自然なくらい長くこちらを見て居た事があった。もしかしてあの時が……。
「あの、人に対する『鑑定』は禁忌なのではなかったでしょうか?」
マリシアは図書館で魔法に関する初級の知識程度は身につけていた。
「そうですね。でもドロテア様ならご存知でしょう、一部の禁忌魔法は王族に関わる方への危険排除に限定して使用を許可されている事を」
「存じておりますが……」
ドロテアは苦い顔になり、マリシアへ気遣うような目を向けた。
マリシアもカミロが言う事は理解できた。
今更文句を言っても見られた情報が消えない事も。
なのでできるだけなんでもないという笑顔をドロテアに向ける。
「私の事は気になさらず、お話の続きをお聞かせください!」
マリシアがそう声を張り上げると、ライルは隣に座るカミロをじろりと睨め付けてから口を開いた。
「ああ、色々とすまない。……それで、不思議なことに初めて君を見た瞬間から、周りの景色が薄れて君だけがはっきりと見えたんだ。しかも君の周りには金色の光が飛び交っているのまで見えて。まるで女神が『この人だ』と示しているかのように」
ライルは一度言葉を切り、少し感情を落ち着かせるように息を吸って続けた。
「そんな光景を目の当たりにして、すぐに思い出した。先日読んだ古代魔法の文献に書かれていた『定められた者』の出会いについての記述を。文献の内容とまさに一致していたんだ」
マリシアはライルの真剣な眼差しに言葉を失う。
そんな風に特別な存在として見られることに戸惑いを感じつつも、心が揺れるのを感じた。
「それだけではないんだ」
ライルは興奮気味に言葉を続ける。
「君に触れた時、その確信はさらに強まった。魔法石からとは比べ物にならないほど純粋な魔力が、指先から絶え間なく注ぎ込まれてくるのを感じたんだ」
ライルは現実離れした美しい顔に蕩けるような笑みを浮かべる。
「でも、私には何も感じられなかったのです。光も、魔力の流れも」
戸惑いを口にするマリシアを見て、ドロテアは手を顎にあて少し思案していたようだった。
それから胸につけていたブローチを外し机に置いた。
先ほどまで手元を照らす為に使って居た明かりを灯すブローチを。
「これは『光』の魔法が込められた魔法道具です。ライル殿下、よろしければマリシアに触れた状態で使ってみていただけますか? 念の為、目を瞑っておいてください」
ライルが丁寧に手を差し出し、マリシアは恐る恐る触れて目をギュッと瞑る。
「『光』」
ライルの詠唱の後、部屋は白一色に染まった。
瞼を貫く激しい光にマリシアはぱっと手を離し、両目を覆った。
当然すっかりと手遅れで、両目にはチカチカと残光が踊っていた。
目を細めてなんとか周囲を見渡すと、ドロテアが興奮気味に何かを書き留めている様子が目に入った。
一方でライルは、まるで宝物を見つけたかのような表情でマリシアを見つめている。
「やはりそうだ、君が俺の『定められた者』。触れているだけで魔力が途切れる事なく流れ込んでくるのがわかった。これなら俺も十全に魔法を使う事ができる!」
その喜びに満ちた声を聞いて、マリシアは戸惑いながらも、自分の力がやっと誰かの役に立つのかもしれないという嬉しさが込み上げてきた。
そんなマリシアの顔をドロテアが覗き込む。
「マリシア、体調に変化はないかい? 魔力の欠乏による頭痛や、眩暈は?」
「問題ありません、目は眩んでますけど……」
「それはまあ私もだね。……うん、見たところ異常は無いようだ」
ドロテアはほっと息を吐き、紙束に書きつけてから顔を上げた。
「確かにこれ程魔力が効率的に伝わるのであれば、女神が定めた運命の相手『定められた者』だと言えるかもしれません。ですが問題は、魔法を使う際には常に手が触れ合っている必要があるという事です。まさかマリシアを海にお連れになるのですか?」
「ライル殿下がいらっしゃるのは港湾守護隊ですよね? 港に駐留しているのではないのですか?」
ドロテアの言葉に戸惑うマリシアに、カミロが笑顔で説明してくれた。
「港湾守護隊の主戦場は港および海上です。その中でもライル殿下の出番が来るとすれば、海の魔物が船を襲う危険がある場合でしょうか」
「魔物──」
マリシアは息を飲み、ふるりと身を震わせた。
本で見た事がある。海の魔物といえば波を割り現れる巨大魚、船を裂く大蟹、人々を迷わせる霧を吐き出す大きな貝など、どれも人が相対するには強大で。
役に立てるのが嬉しいと思ったのは本当だけど、命はなにより大事。
王族に逆らうなんて事は許されないのかもしれないけれど、それでもマリシアは『無理』だと伝えるつもりですうっと息を大きく吸った。
「私には……」
無理、という二言を口にする前にカミロの声が割って入る。
「殿下のお力になっていただければ、カルデロン伯爵領バレ・デル・フエゴへの支援をお約束できるかもしれませんよ」
「え……」
「魔法鍛治の職人達は一部離れずに領地に残っているのですよね。作られた武具は良質で、冒険者には人気だと聞いて居ます。支援を受けることでそれを量産できるようになればバレ・デル・フエゴが立ち直るきっかけになるのではありませんか?」
カミロの言葉のように上手くいくとは限らない。でも、それはなんて魅力的な言葉だろう。
「それも『見た』のですか?」
すぐに話に飛びつくのは堪えてマリシアが問う。
「いいえ、貴族家の情報は一通り頭に入っておりますから、お名前がわかればこのくらいは」
さらりとカミロは口にするが、王子の従者という立場上必要だったのだろうけど、王都から離れたバレ・デル・フエゴの事情や特産品まで把握しているというのはさすがに驚いてしまう。
「それで、どうしますか? 殿下に割り当てられている予算から貴方への契約金という名目でご実家へそれなりの金額をお届けできると思いますが」
マリシアは両親と弟妹の顔が思い浮かぶ。そして領地の皆の顔も。
でも自分を救い上げてくれたドロテアの手を振り払うような事はしたくなかった。
「マリシア、私の事なら気にしなくて良いんだよ。……ただ、もしできるなら週に一度くらいはこちらにも顔を出しては欲しいのだけどね」
「先生……」
優しいドロテアの声にマリシアの目が潤む。
「それは構いませんよね、ライル殿下」
「ああ、こちらが無理を言っているのだから、マリシア嬢の希望は聞きたいと思う」
カミロの問いに大きく頷くライル。マリシアは覚悟を決めてしっかりと彼と目を合わせた。
「私、行きます!」
マリシアの宣言にライルは嬉しそうに頬を緩ませた。
◆◇◆
その後、詳しい話は明日改めてということに。
ドロテアから話を聞くことができたライルは明日の学園への訪問を取りやめることとなり、カミロが通信鳥を学園長へ飛ばして居た。
学生達はがっかりするかもしれないけど、噂の出所がわからない件についても気になるだろうし妥当な判断だとマリシアは思う。
ドロテアは、明日の発表が元の通り気楽な会に戻るなら追加の準備は不要だろうと、大人しく自宅へ戻って寝るとマリシアに約束して帰って行った。
カミロはライルの為に護衛と馬車を呼び寄せておりそちらで帰ることになったので、マリシアはカミロが乗ってきたという馬車で先に家まで送ってもらう事になった。
恐縮するマリシアだったが、簡素な馬車だから気にしないようにとカミロに言い含められた。
馬車に乗り込むマリシアが窓越しに外を見ると、こちらを見つめているライルと目が合う。
「明日また会えることを楽しみにしている」
声が届いて、マリシアは深く頭を下げた。
馬車が走り出す。
簡素と言ってはいたけれど車内は乗合馬車とは比べ物にならない作りでもちろん乗り心地も良く、マリシアは外を眺めている間に何度もウトウトとしてしまい、慌てて頭を持ち上げるという事を繰り返した。
結構がんばって起きていたつもりが、気がついたらやさしく肩を揺り動かされていた。目を覚ますと御者が立って居て、マリシアは恥ずかしさに慌てて馬車を降りる。
そこはもう、見慣れた集合住宅の入り口だった。
「明日も朝の鐘が鳴る頃にお迎えに参ります」
御者にそう伝えられ、マリシアが「お願いします!」と深く頭を下げると彼は目だけで笑み返して去って行く。
なんとなく馬車が小さくなるまで見送ってからマリシアは玄関ホールを抜け、自室に飛び込んだ。
見慣れた小さなキッチンとテーブルの横を抜けて、部屋の奥にあるベッドに食事もそこそこに倒れ込む。
着替えて体を拭きたい。そう思っているのに体が重くて動けない。
いろんな事がありすぎて頭がうまく回らない。
『君が俺の「定められた者」』
不意にマリシアの脳裏にライルの声と、熱を帯びた眼差しが蘇る。
頬が熱を持ち鼓動が早くなる。
求められているのは魔力、それを忘れてはいけないとマリシアは何度も何度も自分自身に言い聞かせる。
「ああ、でも全部夢だったりして」
眠って起きたらいつもと同じ毎日が待っていて、随分と不思議な夢をみたものだと笑って……。
そう考えながらゆっくりと目を閉じる。
──すぐに眠りがマリシアの意識を絡め取った。