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第2話 その言葉の意味を

マリシアの手は、振り払うことのできない強い力で見知らぬ美しい青年に捕えられていた。

 顔を寄せられ、その濃紺の瞳に射抜かれれば瞬きすらできない。

 理解できないし怖かった。

「何を──」

 それでもなんとか掠れる声を絞り出し、何を言っているのかを問おうとした。


「よく聞こえなかったのか? だから、俺の魔力を産んでくれと言った」

 ゆっくりと子どもに言い含めるような青年の声がマリシアの耳に落とされた。

 背筋がざわりと粟立ち、思わず動きを止める。

 青年は同意を得たと思ったのか、握っていたマリシアの手を解放するとそのままするりと腰に手を回してきた。


「っ」

 マリシアの口から声にならない悲鳴が漏れた。

 視界がぐるりと動き、一瞬でマリシアは荷物のように彼の肩に抱えられていた。

 怖くて、怖くて。

 混乱と恐怖でぎゅっと身を縮め、声も出せず震えるしかできなくて。


「こらこら、何してるんですか」

 不意に第三者の声がして、青年がぴたりと動きを止める。

「いきなり僕を振り切って駆け出したと思ったら、人攫いとは」

「人聞きが悪いぞカミロ。俺は彼女と話ができる場所へ行こうとしているだけだ」

「それ、彼女の同意は得ましたか?」

 マリシアは見えない位置にいる彼の言葉に全力で首を左右に振った。

 実際は抱え上げられた状態だったので、微かに首が動くだけだったけど。


「いや、それは……」

 青年は言い淀み、少し間を置くとマリシアをそっと降ろした。

 地に足が着いたが、マリシアの足は小刻みに震えていて止まらない。

 そこでやっと青ざめ微かに震えるマリシアの様子に気付いたのか、青年は申し訳なさそうにこちらへ両手のひらを向け、もう何もしないと示す様に一歩下がった。


「怖かったですね、もう大丈夫ですよ」

 優しい声と共に、カミロと呼ばれた青年がマリシアの顔を覗き込んできた。

 蜂蜜を溶かしたような琥珀がかった金茶の髪、陽だまりを思わせる暖かなブラウンの瞳、そばかすのある頬も相まって柔和な印象の顔立ち。

 それで、もう安心していいんだと思えて、ふうっと全身から力が抜けた。


「あ、あの」

 何が起こっているのかわからず混乱の中にあるマリシア。

 カミロはにこりと笑いかけた後、声だけを青年の方に投げる。

「気をつけてくださいよライル様。普段男ばかりの場所にいるから、まるで女性の扱いがなっていないんですから」

「悪かった」

「謝るのは僕にではなくて彼女にです」

 ぴしゃりとカミロに言われライルは困ったように目を泳がせると、改めてしっかりとマリシアを見た。


「怖がらせてしまって、すまない」

 その誠実そうな声色を聞いていると、先程までの奇行にも何か事情があったのかもと思えてくるから不思議だ。

「何か事情がおありの様ですので、その、気になさらないでください」

 マリシアが警戒を解いたのを確認したのか、カミロはふうと一つ息をつく。

「さて、何でこんな事をしでかしたのかをわかる様にご説明いただきたいのですが、その前にできればどこか場所を移したいですね」

 カミロの目が笑みを湛えたままマリシアをひた、と捕えた。

 カミロが表情を変えず、しばらく黙って見つめてくるのでマリシアは居心地が悪くなって身じろぎする。


「ああ、すみません。綺麗な方だなと思ってみとれてました。……ぜひお名前をお聞きかせ願えますか?」

「は、はい、マリシアと申します」

 社交辞令だとわかって居てもマリシアは答える声が上擦ってしまう。 

「マリシアさん、こんな時間に申し訳ないのですが、ゆっくり話ができそうな場所をご存知ないですか?」


「場所、ですか──」

 こんな時に学園で頼れるのは一人しかない。

 マリシアは今まさに明日の準備に懸命なドロテアの元に向かう申し訳なさに、ぎゅっと胃が痛くなった。


◆◇◆

 

 ノックの音に扉を開けてくれたドロテアは泣きそうな顔のマリシアを見てまず驚き、その後ろに立つ2人の青年の姿に一瞬目を細めると、何も聞かずに部屋に招き入れてくれる。

 部屋のランプは一つだけで少し薄暗い。手元を照らす為に使って居たのだろう、ドロテアは胸元に光るブローチをつけて居た。


 『(ルス)』の魔法を宿したブローチなのだろう、手を触れるとふっと灯りは消えた。

 代わりに部屋中のランプを点けて回る。


「少し場所をお借りしたいのです、できたらあなた達には同席いただきたい」

 カミロの言葉にドロテアは頷き、マリシアに毛布を片付けるよう指示した。

 青年たちがソファーに座り、マリシアは椅子を運んで自分達の席を作る。

 小さなテーブルを挟んで向かい合うと、ドロテアは口を開いた。


「こんな狭い研究室で良ければおくつろぎください。……そのマントの色は貴き方以外は使えぬものでございましょう」

「もてなしは不要だ」

 ライルは『貴き方』というドロテアの言葉を否定しなかった、ということは間違いはないらしい。

 マリシアはここまでの自分の行動を思い出し、先ほどとは違う恐怖に青ざめる。


 貴族の端くれとして自国の王族を知らないのは失礼に当たるが、社交の場に出る機会がないまま成長したマリシアには、詳しく知る機会がなかったのだ。


 次期国王と噂される第一王子のレイナルド、国の内政を支える『賢才の君』第二王子のマルセロ、外交でその手腕を発揮している第三王子のルシアンまではよく話題にも上るのでマリシアも知っていたけれど……。


 顔色を失ったマリシアに目を合わせ、カミロは大丈夫と示す様に手を振る。  

「この方は普段、港町マリポルトの港湾守護隊の連中とやり合ってますから、よほどのことが無ければ『不敬』だなんて言いませんよ」

「なるほど、海の守護者たちガルディアーニ・デル・マーレの長、ライル殿下でございましたか」


港湾守護隊、通称海の守護者たちガルディアーニ・デル・マーレの長の事ならマリシアも知っていた。


 ソルマリア王国最大の港町マリポルトを守る隊を率いる、王国随一とも言われている魔法士が居ると──。

 その彼が王家に連なる人物だなんてマリシアは知らなかった。


「今日は非公式な訪問だ、カミロが言った通りそういった振る舞いが必要な場でなければ俺は大抵のことは気にしない」

 最後はマリシアに目を向け、ライルは優しい声で伝えてくれる。

 最初の強引な姿はどこへ行ったのだろうと不思議になるくらいに、気遣いを感じる声と瞳だった。


「それに俺はあなたに研究の話を聞きたいと思っていたのだ、ドロテア教授」

「私の研究にご関心をお寄せくださっていたとは、恐れ多いことでございます。明日いらっしゃるのは殿下でございましたか」

 静かに首を垂れるドロテア。しかしマリシアは少し不思議に思う。学内の噂だと見学に来るのは次期国王と噂される、第一王子のレイナルドだと思っていたから。

 マリシアの様子を見てカミロは目を細めた。


「こちらでは随分と適当な噂が流れていたようですね。まず、殿下の訪問については発表者のドロテア様と学園長にしか伝えていないですし、どの方がいらっしゃるかについてはまったく伝えていないのです。なのに、明日の安全確認のために一日学園で生徒に紛れ情報を収集していたら『次期国王』が来られるという噂になっていました。噂の出所は学園長が興奮して大声を出したのを学生が聞いていたという事なのですが、学園長の聞き間違えなのか勘違いなのか、困ったものです」

「生徒に紛れて、ですか?」

 マリシアは目の前のカミロの姿を見、彼が制服をきている姿を想像する。──全く違和感が無かった。

 今日どこかですれ違っていてもわからなかったに違いない。


「童顔ですからね、僕」

 マリシアが何を想像していたのかを見抜いたかのようにカミロが言う。

「あの、私、その」

 なんと返して良いのかと慌てるマリシアを庇うように、ドロテアが彼を言葉で制した。

「そう揶揄わないでやってくださいませ」

 その言葉を受けてカミロは少し大袈裟なくらいに大きく頷いた。


「さてご挨拶が遅れました。僕はライル殿下のお守り役、カミロ・オルティスです。以後お見知り置きを、古代魔法研究の第一人者、ドロテア・モンテベルデ名誉教授」

「そのような大層な肩書きは不要でございます、ドロテアとお呼びくださいませ」

「では僕のことも気軽にカミロとお呼びください、マリシア嬢もね」

 王子の従者である彼をそんな気軽に呼べるわけがない。マリシアが曖昧に笑って頷くと、カミロは満足そうに言葉を継いだ。


「さて、話を戻して。明日の参加は断念する必要があるかもしれないと通信鳥で伝えた所、何故か本人が学園に駆けつけたのですよ、護衛もつけずに。──正直迷惑なのでやめてほしいんですよね」

「いや、話が聞けないかもしれないと思ったら、居ても立っても居られずに、な」

 ライルがカミロからそっと目を逸らす。そのやりとりだけでも、彼らが気の置けない仲なのだということが伝わって来た。


 ライルはひとつ咳払いをし、ドロテアに向き直ると真剣な顔になった。

「あなたは明日の発表で『古代魔法における魔力効率化と相性』という内容で発表をすると聞いたのだが」

「ええ、その通りです。古代では男女が手を取り合って魔法を行使していました。女性が魔力を産み、男性がそれを魔法に変える。そのせいで人と人の相性に魔力の質や量が左右される事があったわけですが、それを魔力の効率化により緩和していたのではないかと考えているのです。それについての考察や、現代の魔法への応用の可能性などをお話しする予定でございます」


 ライルはドロテアの言葉を引き継ぐように、口を開いた。

「では、『定められた者(エル・デスティナード)』については?」

 マリシアは初めて聞く言葉に首を傾げる。

 だが、ドロテアは感心したように目を見開いた。


「随分と古代の魔法についてお調べになったのですね」

「すみません、その『定められた者(エル・デスティナード)』というのはなんでしょうか?」

 話の腰を折るのは申し訳ないと思いつつも、マリシアは問いを挟む。


「古い言い伝えで、魔法を使う時に特別に相性の良い組み合わせがあるとされていたんだよ。女神により定められたとも言われ、文献によれば魔法の威力が数倍、いや数十倍にもなったと。私はそれが本当に存在したのかを調べているんだ」


 彼が聞きたかったのはまさにその事についてであったらしい。

 嬉しそうに大きく頷くライル。対するドロテアは不思議そうに目を瞬いた。

「お聞きするのは失礼かもしれませんが、なぜそのような事をお調べになったのでしょうか? 海の守護者たちガルディアーニ・デル・マーレを率いるライル殿下といえば、海に現れる魔物を魔法で一掃なさったこともあると聞き及んでおります。魔法士として十分な力をお持ちではございませんか?」

 ドロテアの問いにカミロが今までの雰囲気を一転、真剣な顔つきで告げた。


「ここから先話す事は、誰にも広めてはならない」

「もちろん、承知しております」

 即座に返すドロテア。

 マリシアは慌てて立ち上がる。


「私は退室いたしますね!」

 聞いてはいけない重大な話だろうと察し、早々に部屋を辞そうとするマリシアを引き止めたのは、意味深なカミロの言葉だった。

「ああ、あなたにも聞いていただいた方が良い気がしますので」

 マリシアの頭の中で警鐘が鳴り始める。でも、ここで退室することはもう許されないので、大人しく椅子に後戻り。


「殿下、僕からお話ししてよろしいですか?」

「頼む」

 ライルは眉根を寄せ、短く言葉を投げた。

「実はですね、ライル殿下は魔石から魔力を取り込む効率が悪いのです。国宝レベルの魔法石を湯水の様に使った為、『国庫を空にするつもりか』と陛下に怒られまして。魔法禁止のお達しを受けたわけですね」

「それは……お辛いですね」

 まるで自分の事のように胸が痛くなる。マリシアは自分の事について軽く話すことにした。


「気持ちがわかると申し上げるのは烏滸がましいのですが、私も同じような悩みを抱えています。体内の魔力量は多いのですが、それを魔法石に移す効率が悪く、『屑魔法石』しか作れません。魔源士としてはとうてい使い物にならないのです」

「なるほど、似たもの同士という訳だな」

 強張っていたライルの頬が微かに緩む。


「カミロが説明した通り、俺は欠陥のある魔法士というわけだ。……しかし俺は守護隊の長という役割を大事に思っている。だからこそ魔法が使えない名だけの長で居るなど受け入れられない」

 悔しそうにライルは言い、そして続ける。

「何か手がないかと方々に当たっていたのだ。そこで古代魔法の研究資料に辿り着き、『定められた者(エル・デスティナード)』という希望を見つけた。もし俺に『定められた者』が居るのであれば、その力で存分に魔法が使えるかもしれないと。──見つけるのは困難だろうとは思っていたが」

 言葉を切るとライルはソファーから身を乗り出し、小さなテーブル越しにマリシアへ手を伸ばして来た。


「あの、何か?」

 先程の一幕が蘇り、思わず固い声で問うと、ライルはぎこちなく動きを止める。

 咳払いを一つ。

「だが、奇跡はあったんだ」

 熱を帯びた目で見つめられてマリシアはまさか、と思う。

「まさか、先ほどのお言葉の意味は──」


「あの、この方はあなたに何と」

「それは、その……」

 カミロの問いに勝手に答えて良いのかとマリシアが悩んでいる間に、あっさりとライルが答える。

「俺の魔力を産んでくれと言った。あなたが俺の『定められた者(エル・デスティナード)』に違いないのだから」

 顔色ひとつ変えず当たり前の事のように言う彼を前にして、なんだかマリシアの方が恥ずかしくなってしまう。


 うわ、とカミロは低い声を漏らした。

 その向かいでドロテアが額を押さえている。

「だから殿下は女性の扱いがなっていないと言われるのですよ」


 カミロの言葉にライルは困ったように眉尻を下げた。

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