第11話 雪の日の真実
十五年前──。
寒い夜、エリーゼは雪の中必死に逃げていた。
「はぁ……はぁ……」
彼女の後ろからは「何か」が迫ってきている。
(なにあれ、こわい……)
「何か」は人間の姿をしているが、人間にはないものがいくつもあった。
鋭い牙や爪、それに明らかに尋常じゃない形相と我を忘れたような理性のなさが目立つ。
「きゃっ!」
エリーゼは深く積もった雪に足を取られた。
転んだその瞬間、人間ではない「何か」がエリーゼに詰め寄ってくる。
(もうだめ……)
エリーゼはすでに怪我をしていた。
「何か」の鋭い爪によって傷つけられていたのだ。
その時、エリーゼの後ろから断末魔の声が聞こえる。
(え……?)
痛みを我慢して振り返ってみたものは、今まで襲って来ていた「何か」が灰となり消える瞬間だった。
状況が呑み込めない彼女に、優しい声がかけられる。
「大丈夫かい?」
エリーゼに手を差し伸べた彼は、シルバーグレーの髪をしている。
その間から真紅の瞳を覗かせていた。
「だれ……」
そう言った時、エリーゼの視界はぐらりと歪む。
そうして、彼の腕に抱えられた時には、彼女は意識がなかった。
エリーゼを助けた彼は、おもむろに自分の腕を噛むとその血を口に含み、彼女の口に流し込む。
「んっ」
彼の血がエリーゼの中に流れ込んでいく。
その瞬間、彼女は目を覚まして苦しそうに声をあげる。
「あ、ああああああ!!」
血と血が混じり合い、ゆっくり融合していく。
ドクンと一つ脈動をした後、少女は再び眠りに入る。
「ごめんね、エリーゼ」
彼はそう呟いたのだった。
──雪の日の記憶を思い出すように、ラインハルトは語った。
幼き自分の過去を知り、エリーゼは驚きを隠せない。
「うそ……」
「僕が血を与えなければ君が生き残る術はなかった。それほどまでに深手を負っていた。君はそもそも『稀血』だったから、狙われやすかった。だから私が常に監視していた」
「まれち……?」
「ヴァンパイアにとって、これほど嗜好な血はないというほどの貴重な血だよ。皆。この血の香しい香りに誘われる」
その言葉を聞き、エリーゼには一つの推察が浮かんだ。
(もしかして、ラインハルト様が私を妻に選んで優しくしてくださるのは、自分の血が入っているから?)
彼が「自分」を必要としてくれていたのではない。
彼はただ、自分の血が入った分身を保護しただけ。
そう思った瞬間、エリーゼの中で虚しく悲しい気持ちが溢れてきた。
「エリーゼ?」
「来ないで!」
エリーゼの声が部屋に響く。
「同じ血だから……自分の血が流れているから私を大切にしてくださったのね?」
「エリーゼ」
「もう聞きたくない!」
エリーゼは彼を拒絶するように部屋を飛び出した。
グラーツ邸を出た彼女は一心不乱に走った。
そんな彼女がたどり着いたのは、ある森。
「この森、なんだか昔襲われたところみたい」
ラインハルトからあの日の真相を聞いたからだろうか。
彼女はそう思えた。
(寒い……)
勢いで屋敷を出た彼女は薄着だった。
両手をこすり合わせて体温を上げようとするが、うまくいかない。
寒さで意識をうしないそうになった彼女に、手を差し伸べる人物が現れた。
「大丈夫ですか!?」
(だれ……?)
その人物は倒れたエリーゼの体を抱き起こした。
(助けてくれるの……?)
そう思ったが、寒さで声が出ない。
そうして彼女は意識を失ってしまった──。
エリーゼは温かさを感じて目を覚ました。
(ここは……)
ゆっくりとあたりを見渡す。
どうやら山小屋のような場所で、エリーゼはベッドで眠っていたらしい。
「起きましたか?」
声が下ほうをみると、そこには森で会った人がいた。
短めの黒髪で素朴そうな男だった。
「ええ、ここは……」
エリーゼの問いに男は答える。
「私の家です。女性を了承なしにお連れして申し訳ないのですが、森の中で倒れていたものですから放っておけず……」
「そうですか、助けていただいたのですね。ありがとうございます」
男はキッチンでスープをよそうと彼女に差し出す。
「たいしたものは入っていませんが、これでよかったら温まってください」
「……ありがとうございます」
エリーゼはスープを一口飲んだ。
(温かい……それにほっとする……)
彼女が食べたことに安心すると、男は告げる。
「寒かったら仰ってくださいね。すぐに温かくしますから」
「大丈夫です。本当に助かります」
エリーゼは深々と頭を下げる。
男は下で用事があるからと、一階へと向かった。
(あたたかい……なんだか昔を思い出すわ)
ランセル子爵家にいた頃のことを思い出す。
優しい父と母と過ごす日々にエリーゼの目にうっすらと涙を滲む。
(私に『ヴァンパイアの王妃』は重すぎたのかもしれない……)
そう思っていると、なんだかエリーゼの視界が歪んでくる。
(あれ……どうして一気に眠く……)
エリーゼの手からスープの器が滑り落ちる。
そのまま崩れるようにしてエリーゼは再び意識を失ってしまった。
その様子をドアの隙間から覗いていたのは、彼女を助けた男だった──。