第23話 凛・吉・凶
神楽坂は微笑み、
薄く目を開き、
こう言った。
「はぁ?」
神楽坂は傘の取っ手を引っ張る。すると柄の部分が鞘のようにスライドし、細い刀身が現れた。
――仕込み刀。
この傘が、まさか妖刀か!?
「『腐朽腐滅』」
刀から、黒と緑を織り交ぜたオーラが噴き出る。それを見た神楽坂の臣下と、隣にいる凶撫が慌て始めた。
神楽坂の臣下はガスマスクを着け、凶撫はハンカチで俺と自身の口と鼻を塞いだ。
「おやめください神楽弥様! ここで妖刀を解放するのは危険です!」
「どうかお考え直しを!!」
黒緑のオーラを浴びた木々が、建物が、乾いていく……? いや、腐っているのか。
「邪魔をしないでください。わたくしが……どれほど、どれほどあなたとの約束を……!」
顔を赤くして、瞳には涙が溜まっている。
怒りながら悲しんでいる、って感じだ。このままでは交戦不可避。ここは一か八か……!
「記憶喪失なんだ!」
両手を挙げて言う。
「記憶、喪失……?」
「はい。実は以前戦場に出た時、頭に傷を負い、それより前の記憶を失ったのです。神楽坂様の事だけでなく、子供の頃の記憶が一切ございません」
「……それは本当ですか? この場を切り抜けるための嘘では無くて?」
「お言葉ですが神楽弥様」
凶撫が横から話に割り込む。
「七つの時とはいえ、神楽弥様ほどの御仁と出会ったことを忘れるでしょうか?」
「それは……」
「神楽弥様は妖刀衆となる前から神楽坂家の次期当主として強い存在感を持っていました。公家の子にとって、神楽弥様はかなり重要な人物です。そう易々と会ったことを忘れるはずがございません。彼の言っていることは本当かと思います」
「……」
神楽坂は納得したのか、刀を納める。
「……それもそうですね。失礼しました」
神楽坂の瞳はどこか悲しげだ。
事実がどちらであれ、俺に忘れられたという事実に変わりない。
「欲を言えば、たとえすべての記憶を失っても、わたくしの事は覚えていて欲しかったものですね」
「……申し訳ございません」
「もういいです」
神楽坂は暗い表情のまま、周布城へ向かっていった。
「君も罪な男だねぇ。あんな女の子まで誑かして」
「だから記憶に無いって」
「あれ、言い訳じゃなくて事実?」
「事実だ。本当に以前の記憶がない」
「へぇ」
俺と凶撫は再び歩き始める。
「それにしても神楽弥様まで来るとはね。完全に不知火の里の防備は捨て、三都奪還に賭ける気か」
「そうか。神楽坂がここにいるってことは、不知火の里には妖刀衆が誰もいないってことになるのか」
「ああ。もし想定外のルートから進軍されたら終わりだね」
「山越えとかされたら、ってことか」
「その可能性は限りなく低いから、防御を捨てるのは英断と言えるよ。ようやく不知火も覚悟を決めたようだ」
それから雪凪とヤスに事情を説明し、凶撫と宿で作戦を細かく詰めて、今日は寝た。
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翌日。
俺と凶撫が周布の北門に行くと、
「おいおいおい、常々馬鹿だと思っていたけど、これほどの馬鹿だとは思わなかったよ……」
門の前に立つ人影を見て、凶撫は心底呆れたように言った。
「なんだ凶撫、空蔵との二人旅を邪魔されて不服か?」
そこにいたのは――天草凛音だった。
「不服だよ。ヒジョーにね」
「天草様、なぜここに?」
「もちろん、お前たちと共に舞魏を目指すためだ。私が加わればこの作戦は確実に完遂できると踏んだ。本軍の指揮は神楽坂に一任したから心配するな」
凶撫に天草、この二人が居れば確かに、なんでもできそうな気はするが……同時に、何が起きるかわからなくなったな。
「それと空蔵、臣下の前以外では敬語は捨てて良い。私のことも気軽に凛音と呼べ」
「……わかった。凛音、よろしく頼む」
「やれやれ、新婚一日目に小姑が引っ越してきたような気分だよ」
空蔵吉数、枢木凶撫、天草凛音。この三人で舞魏の北から侵入し、妖刀灼華を奪取する。不知火の命運を賭けた作戦が始まる。