第二話 巣くう腫瘍
酸素が、足りない。吸って、吸って、吸って。空気を取り込み、吐き出す。嫌な汗をかいてしまった。それに昨日は妄想に入る事も出来ずに気絶するように眠ってしまったし、今日はいつもより長時間妄想の海に浸っていたい
しかし一先ずは食堂で朝一の仕事をこなさなくてはならない。濡らした布で軽く汗を拭い、着替えを済ませ、急ぎ足で食堂へと向かう
「遅いぞ! フェイ…お前、なにかあったのか? 」
「え? や特には…それで、今日の献立は? 」
妙に頭が痛い。頭蓋の奥から響くような頭痛と、それから吐き気がするが、仕事はこなさなくては。今日のメニューは昨日の食材の残りで肉野菜炒めと、まんま昨日の売れ残りのスープだ
早速調理を開始。適当な大きさに猪肉を切り分け、野菜を食べやすい大きさにカット。肉は弱火で中まで熱を通し、表面を焼き上げる。飴色になるまで野菜を炒めそこに勇者の世界より伝来したとされる万能調味料、塩コショウを振りかけ、さっと炒めれば完成だ
スープは既に温めてある。食堂にもちらほらと農民の姿が見え始めて来た。ギリギリだがなんとか間に合って良かった。これでもし料理の提供に時間がかかってしまっていたら、体調の優れないまま、農民らからのありがたいお言葉を浴びせられ、時間を無駄にしてしまう所だったし
「じゃあ、また昼前になったら来るから」
頭痛が酷くなっている。揺らぐ意識を繋ぎ止め、覚束ない足取りで我が家へと帰る。こんな状況だが、仕事を休むわけには行かない。軽く妄想をして、頭をクリアにしてから仕事に向かおう
目を瞑り、意識を手放す。現実と非現実の境界を越え、自己を乗り換える。作り替える。乗り移る。イメージはなんだって良い。曖昧な方がむしろ良い。空間を広げ、この前の続きから始められるように、再現を行う
しかしどうもおかしい。俺の知らない記憶が、俺の経験した事のない。観たことの無い妄想を記録している。王城での祝いの席。人に酔って気分の悪くなった俺はパーティーメンバーの一人、魔法使いと夜風に当たりにバルコニーへ
こんな情景には覚えがない。昨日観た筈の妄想を、全く記憶していないなんて、そんな事がありえるのだろうか? この俺が、自分の妄想を忘れてしまうなんて、そんな事がありえるのだろうか? 否、否である。あり得ない事態だ。であれば何らかの異常が発生していると考えるべきだ
「…あっれー? おかしいな。記憶を改竄した筈なのに。もう醒めちゃったの? 早起きは良いことだけど、ボクは眠り過ぎるくらいが好きかな」
「お前は誰だ。ここは? 俺に何をした」
ここは俺の頭の中、妄想の世界である筈だ。では目の前のコイツは。俺の意識の外側に存在するコレは一体何者だ。アレを見つけてから背景を変える事も、登場人物を登場させる事も出来なくなっている。妄想の世界から抜け出す事すらもだ
「はいはい。一気に質問しないでね。口を増やしても良いけど、キミは嫌がるでしょう? 」
訳のわからない事を。それに妙に馴れ馴れしい。お前とは初対面の筈だ。会ったことがあるのなら、こんな存在感の強い奴を忘れる訳がない。存在しているだけで周りを圧倒するような威圧感。ああ、これは魔力か。高密度の魔力の塊が、人の形を取っている。なんともチグハグな光景だ
「ボクはキミの仲間…あーいや、ファンと言った方が正しいかもしれないね。ここはキミの頭の中。キミの言う妄想の世界の一部を切り取らせて貰って作った、ボクの居住スペースだね」
であれば相手の正体は精霊?幽霊? それとも妖精か? なんにせよ、どうやって追い出せば良いか、俺では検討もつかない。魔道具店で婆さんに聞いとかなきゃな
「キミにした事は…認識が噛み合わないようにして旅に同行したり、あとは…少し記憶を弄ったり。でもキミの害になるような事はしていない。本当だよ」
敵意は感じないが、ならこの頭痛と吐き気は一体何だと言うのだ。別件だと? これ以上、なにか問題が生じているとでも言うつもりか?
「…わ、驚いた。どうやらキミとボクは相当相性が良いらしいぜ。いや、これは妖精そのものとの相性が良いのかも…? 詳しく調べたらわかると思うけど、どうする? 」
もう限界だ。用件をとっとと話してくれ。あとこの頭痛と吐き気も、止められるなら止めてくれ。それくらい簡単に出来るんだろう?
「うーん。体調はここを出たらすぐに無くなると思うよ。で、ボクがわざわざこうして姿を表した理由を、端的に説明するとだね。ズバリ、契約のお誘いだよ」
契約? 胡散臭いな。寿命でも奪うつもりか? 生憎だがそう長く生きれるような立場の人間では無いし、力を得られたとてすぐに死んでしまっては割に合わないではないか
「ああ違う違う。ボクの力をキミに貸し与える代わりに、ボクをある場所まで連れていって欲しいんだ」
なんだ。道案内をするだけで強力な力を得る事が出来るなら、喜んで、何処にだって連れていってやろう。その話が本当であるのならば、だが
「へ? お、おーい。ちょっとー? いくらなんでも疑り深すぎない? 流石のノルティさんも心に深い傷を負いそうなんだけど」
うまい話には裏がある。こんな好条件の取引、絶対なにか落とし穴がある。例えばそう、目的地に辿り着く事が事実上不可能に近い、だとか、そもそも存在しないとか
「うぐ、鋭いね。で、でも、ゆっくりで良いから、ボクから急かすような事はしないしさ。ね? それにキミにとっても悪い話じゃ無いでしょ? 」
確かに。力は欲しい。しかし今この場で決めろと言われると判断に困る。目先の利に釣られ、安易な契約をしてしまって、騙されてしまいました。僅かばかりの力と自由は、妖精に奪われてしまいましたでは、お話にならない。結論を出すのは後日、今日はこの辺りで帰らせて貰おう
「ふふん。もうこの空間はキミの妄想とは別のモノだ。いくら想像力に長けたキミとは言え、ボクの部屋から出ることは出来な…」
何を言っているのだろう? この空間は元は俺のものなのだし、俺の妄想の中に存在しているのでれば、それは俺のものだ。俺だけのものだ。それをどうして、権利を主張するだけの妖精にくれてやらなければならない?
ただでさえ俺は弱いのだから、これ以上重石を着けるのは止めて欲しい。なので、彼女には悪いが、部屋は撤去させて貰う。なに、全て俺の妄想なのだし、別に問題は無いだろう




