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後世で救国の王子と呼ばれることになったのは

作者: 黒須 夜雨子

残念な王子様とヒロインのお話です。



婚約破棄をして、国を操る悪辣な公爵とその娘から。

愛する人々を。

傀儡にされた王家を。

悪政による絶望への旅路に進まんとする国を。

私は全てを救おうとした。


そして結果として、救ってしまったのだ。

我が身を犠牲にして。


……どうしてこうなった?






「グレース・カルヴァンディッシュ!

私の愛するシャーロットを平民だと馬鹿にし、隠れて虐めていたのは聞いている!

そのように性根の腐ったお前など、国母としても私の婚約者としても相応しくない!

よって婚約は破棄し、新たに聖女であるシャーロットと婚約する!」

夜会のど真ん中で高らかに宣言すること数秒、周囲からドッと歓声が上がった。

シャーロットの肩を抱き寄せて周囲を見れば、パラパラと叩かれていた拍手も気づけば会場内を割れんばかりに響き渡っており、誰もが私とシャーロットの新たな門出を祝ってくれている。

後ろに立つ側近達もにこやかに拍手をしながら「ようやくですね」「本当に長かった」と口にし、近衛騎士を目指しているヒューゴに至っては涙ぐんで乱暴に目元を腕で拭っていた。

今や婚約者でなくなったグレースは、完璧なカーテシーを披露して微笑む。

「これにて私もお役目御免ですね。

今までレジナルド様をお支えして参りましたが、これからはお二人で支え合ってくださいませ。

私はこれより国外へと向かうつもりですので、急ぎお暇を申し上げますわ。

殿下とシャーロット様の幸せを末永くお祈りいたします」

そうしてドレスの裾を翻し、侍女を伴って立ち去っていく。

その足取りがどことなく軽やかだと思ったのは気のせいだろう。

今まで慕っていた私から、目を逸らしたくなる真実を突き付けられたのだから強がっているだけなのだ。

自ら国外へと追放されるので反省はしているのだろうと、呼び止めることはせずに見送った。私は非常に寛容だからな。

シャーロットが「これから大変でも元気でいてほしいな」と鼻をスンと鳴らすのが可愛くて、頬を指でつつけば、愛くるしい笑顔で私を見上げる。

虐めていた相手を心配してやるなんて、どこまでできた女性なんだ!

さすが聖女!さすが私の愛する乙女!


肩へと回した腕をそっと離して、シャーロットの前で跪く。

「私の真実の愛にして最愛であるシャーロット。

君に私の人生を捧げたい。

どうか、この手を取ってくれないだろうか」

見る間に夜会の会場は静けさが満ちていく中、誰もが自分のことのように固唾を呑んで私達を見つめている。

見上げたシャーロットが強く目を瞑り、大きく息を吐いてから淡いペリドットの瞳が私を見返した。

「レジーのお嫁さんに、なりたいな」

立ち上がってシャーロットを抱きしめれば、気を利かせた楽団が華やかな曲を演奏する。

割れんばかりの拍手の音に囲まれて、恥ずかしいよと背中を叩くシャーロットに笑いながら、その華奢な体から離れて玉座をみる。

まさに父である国王が立ち上がったところだった。

「この度、我が王家の第二王子であるレジナルドが聖女と真実の愛に目覚めた!

これにより王家が二人の仲を認めて新しい門出を祝うだけではなく、ここに司教がいることから、今ここで多くの者に祝福された婚姻を結ぶことを特別に許可する!」

王の宣言に、一層人々の声が歓喜に湧く。

誰もが私とシャーロットが結ばれるのを望んでくれている。

グレースは私達が愛を育むための試練でしかなく、潤んだ瞳で恥ずかしそうに見ているシャーロットを、私は心の底から愛している。

誰が用意してくれていたのか、シャーロットのピンクブロンドの髪にヴェールが被せられ、白を基調とした花冠が飾られる。

これが高位の貴族であれば、お高く澄まして金や宝石で作られたティアラを飾るのだろう。

けれど、そんなものはシャーロットに似合わない。

平民出身なのだと屈託なく笑い、誰かのピンチになったら走り出し、女神に愛された選ばれし聖女。

司祭が歩み寄ればどこまでも段取りよく、私達のサイズにピッタリな指輪まで用意されていて。

どうしてと周囲を見渡したら、兄上から「二人がこうなると信じていたのだ」と婚約者と一緒に柔らかな笑みを浮かべている。

向かい合い、潤んだ瞳で私を見るシャーロットに変わらぬ愛を誓い、そしてシャーロットも愛を誓う。

誓いの口づけでは、貴族の令嬢達が魔術で幻の花弁を降らせたかと思えば、令息達は負けじと高い天井に熱を持たない小さな花火を幾つも散らせた。

貴族達の誰もが祝いの言葉を投げかけては、曲が流れ始めると踊り出し、そしてグラス片手に何度も乾杯する。

誰もが夢見るようなハッピーエンドがここに。




で、一晩明けた今、なぜか謁見の間にいる。

幸せの真っ只中で朝は余韻に浸る予定だったはずが、なぜか早朝に叩き起こされたかと思えば、シャーロットと引き離されてこの部屋へと連れ出されたのだ。

シャーロットも起こされて、寝惚けながらも衣服を整えられると、どこかへと連れ出されていくのだけは確認できた。

引き摺られながらシャーロットをどこへ連れて行くのと問いかければ、至って冷静な侍女達に神官様との面談ですと冷たく返されただけだった。

昨晩にはあんなにお祝いムードだったのに、一晩経って疲れから苛々しているのだろうか。

なにせ誰もが浮かれてお祭り騒ぎだったからな。第二王子と国の至宝ともいうべき聖女だ。

きっとシャーロットは一人で不安に震えているだろう。早く迎えに行って安心させねば。

そして昨晩のことを思い出すと、ついヘラリと笑ってしまう。


「王族の一員である自覚があるのならば、もう少し背筋を正せ」

「そのにやけた顔もどうにかなさい」

まさかこの年になって父上と母上に小言を言われるとは。

慌てて背筋を伸ばして珍しく揃った家族の面々を見遣る。

現国王陛下と王妃である両親。それから兄であるヘンリー王太子と、弟のヘンドリック、妹のヴィクトリアが控えている。どうやら私が最後だったようだ。

父上の後ろにはグレースの父親であり宰相でもあるカルヴァンディッシュ公爵と、外交大臣であるスペンサー侯爵や、国政を担う主要な貴族たちが並ぶ。

婚姻に至って宴を中座した私達以外の誰もが、夜更けまで騒いでいたと聞いているのに、何で隈一つなく平気な顔をしているんだ?

そして父が語らないことから、謁見の間にわざわざ呼び出された理由はわからないまま。

ただ、誰もが緊張した面持ちで何かを待っている。


いや、もしかしたら、そういうことか?

王太子である兄上の婚約者はただの伯爵令嬢だ。

何代か前に王女が降嫁したことのある由緒正しい家柄ではあるが、だとしても公爵家や侯爵家と比べたら見劣りがする。

スペンサー侯爵には表舞台に出さない秘蔵の娘がいると聞いていたから、てっきりその娘が婚約者になるのだと思っていたので兄上の婚約者が決まった時には意外だった。

それと比べて私の愛するシャーロットは、国が認めた唯一無二にして国が始まって以来の力を持つと名高い聖女。

更に私は父上が愛した母上によく似ている。

兄上とヘンドリックは父上似。王族らしい金の髪や宝石の色をした瞳ではあるが、顔の造形で言えば私が群を抜いて美しいと言えるだろう。

誰よりも高貴な美貌や聖女である妻、そんな妻を守る勇気と正義感を兼ね備えた私を王太子にしたいのではないだろうか。

きっとシャーロットとの婚姻が決め手になったのだろう。


気持ち的に不安がないかと言えば噓となる。

だが私には真実の愛で結ばれたシャーロットがいる。

シャーロットは平民出身ゆえに貴族のマナーには明るくないが成績は常に上位に入っていた。きっとすぐに王妃としての振る舞いを身に付けるはず。

二人で力を合わせれば、理想の王国を築くことが出来るはずだ。

ああ、なるほど。きっと父上は今まで貢献してきた兄上を気遣っているのかもしれない。

けれども問題ない。昨日までは私が兄上を支え、国を導いていくという強い気持ちがあったのだ。

きっと兄上も同じように考えてくれるに違いないし、優秀ゆえにスペアとしての王太子教育すら不要だった私と違ったとしても、王太子教育に長い時間をかけていた兄上にも価値はあるのだから、私は有効活用するつもりだ。


父上から王太子に指名された時の台詞を考えていると、いかにも下っ端といった風情の神官が駆け込んできた。

「聖女シャーロット様から、聖女の力が失われたことを確認いたしました!」

重い沈黙が謁見の間に満たされること数秒。

直後に昨夜の夜会でした婚約破棄よりも盛大な歓声が上がった。

誰もが「やっとか」「これで悪夢が終わった」と口々に言い合う。

父上は目頭を押さえながら母と寄り添い、公爵が男泣きに泣き始め、侯爵は肩の荷が下りたかのように大きなため息をつき、他の者達は強い握手を交わしたり肩を叩き合っている。

兄上も「よくやった」と私の背中を叩き、ヘンドリックとヴィクトリアが「さすがお兄様ですね」と笑顔で見上げてきた。

なんだ?一体何がそんなに喜ばしいんだ?

シャーロットから聖女の力を失わせたのは私だが、皆がこんなに喜ぶ理由がわからない。

私はシャーロットを虐げたグレースを断罪し、シャーロットと結ばれただけのはずなのに、とてつもなく嫌な予感がする。

この幸せな空気をもたらしたものが理解できないまま、一人取り残されている。

「ち、父上!」

思わず声を上げれば、誰もがピタリと動きを止めて私を見た。

「これは一体どういうことですか!

まるで、シャーロットが聖女でなくなったことを喜ぶかのように、何故こんな騒ぎになるのです⁈」

私の問いかける声の最後はもはや悲鳴だ。

頼むから、どうか不安など杞憂であったと安心させてほしい。

ついさっきまでは王太子に任命されるのではないかという期待に満ちていたのに。

今は父上の表情が恐ろしい。


いつの間にか周囲では憐れむような空気が流れて、それが更に私を物知らずように思わせる。

けれどそれを癪だと思う余裕がない。

「何から言えばいいかだが、一番最初に『平民から選ばれた聖女シャーロット』から改めよう」

父上の言葉が謁見の間に響く。

「聖女シャーロットは平民ではない」

「……は?」

父上の突拍子もない言葉に、思わず凝視するも厳格な面持ちが変わることが無かった。

「平民ではないとは、一体どういうことですか?」

「そのままの意味だ。

シャーロット嬢はカルヴァンディッシュ公爵の息女である」

「は?」

思わず二度も語彙力のない、言葉にもならない声が出てしまった。

いや、それよりも父上の言ったことはどういう意味だ?

「待ってください。

カルヴァンディッシュ公爵の娘はグレースでしょう!?

私が断罪した!あの!」

そうだ、昨晩に私が断罪したグレースは確かにいた。

器量は良かったが、何の面白味も無い女。

「カルヴァンディッシュ公爵の息女の名前がグレースなのは間違いないが、シャーロットの喜劇に付き合ってくれていたグレースはカルヴァンディッシュ公爵令嬢ではない。

あれはスペンサー侯爵の息女、アリッサ嬢だ」

私の知っているグレースがアリッサ?

「何故アリッサ嬢なのかよくわかりませんが、彼女は王子妃教育を受けていたではないですか!」

「確かにお前がグレース嬢だと思っていたアリッサ嬢は王子妃教育を受けていたが、彼女が受けていたのは我が国の教育ではない。

聖女シャーロットがお前の婚約者で悪役令嬢という役を押し付けたことによって、国内で縁談を探すこともままならず、隣国から嫁いでいた公爵夫人の伝手で、夫人の母国の王子との縁談を見つけてきたのだ」

段々ややこしくなってきた。誰か書く物を貸してくれないだろうかと思うも、誰もそれらしい物は持っていない。

何で誰もが理解できてますと言わんばかりに取り澄ました顔をしてるんだ。

知ったかぶりをしたところで得るものなどないんだぞ。

「お前の頭では理解できていなそうだから、順を追って説明しよう」

父上が重々しい溜息とともに口を閉じ、そうしてから逡巡した後に再び口を開いた。

どうかわかりやすく、三分以内にまとめてもらえますように。




シャーロットは正真正銘の、女神に愛された聖女だった。

女神が異界から招き入れた魂を宿した、女神の加護と奇跡を起こす力を持つ聖女。

神殿には女神からの告知が為され、当時の神殿と王家、それからシャーロットの生家であるカルヴァンディッシュ公爵家は今日のように歓喜の声を上げて祝った。

ただ、告知されたとはいえ聖女がどのような能力を持つのかも、どのような人格を宿して育つのかもわからないため、一先ずは聖女のことを内密にしようと決めたのだ。

ここから悪夢の始まりになるとも知らずに。


シャーロットは公爵家で大切に育てられた。

公爵令嬢ではあるが礼儀作法や行儀作法は後回しとされ、王家や神殿からも家庭教師が派遣されて聖女の歴史や役割を教えられ、過去の聖女の奇跡について話を聞く。

シャーロットに物心がついて一人で遊び回れるようになる頃には、彼女を知る者は、誰もが彼女が特別だと理解していた。

少し育ってわかったことだが、祈り一つで天候に影響を与え、病を瞬く間に治し、作物を一晩で収穫できる状態に育てることまでできるようになっていたのだ。

それだけではない。公爵家に訪れた他の貴族子息が、マナーのなっていないシャーロットを揶揄ったことで、その領地にあった鉱山が一つ、一晩の内に崩れ去ってしまった。

唯一できなかったことは、無作為に移動できる手段を持つことと、人の心を読めないことぐらいか。

今までいた聖女の中でも一番力あるシャーロット。

ここにきて神殿も王家も、両親である公爵家すらも、シャーロットの扱いが慎重となった。

彼女の願い一つで全てが生み出され、全てが破壊される。

それすらも女神の庇護の名によって行われるのだ。生まれ持っての善性を保ちつつ、人としての常識を備えた理性ある人間に育てなければ国単位で吹っ飛んでしまうだろう。


最悪なことに、入れられた魂の主も自身の力を自覚していた。

彼女はどうも新しく身体を与えられた世界を、『おとめげぇむ』なる場所だと勘違いしていたらしい。もしくは『おとめげぇむ』を再現できる世界だという認識だ。

そしてシャーロットは自身が『悪役令嬢』か『ヒロイン』のどちらなのかを暫し悩んだ後、「どちらも選べるなら、ヒロインがいいかな」と言ったのだ。

彼女の説明を要約すると、『ヒロイン』は平民の健気な美少女で、努力と明るい性格と神殿に認められた聖女の力によって貴族の学園に入り、なんやかんやとイベントやらが起きて運命の人と結ばれるか、『逆ハー』なる複数の男性を侍らせる人生を送るらしい。逆に『悪役令嬢』とは謂れのない罪を被せられ、大抵は他国の王子に見初められて『ざまぁ』という仕返しによって婚約者を廃嫡にしたり、国を亡ぼしたりするらしい。

美少女として転生したからには顔のいい男性と付き合いたいと言っているところが、俗と欲にまみれていて少しも聖女らしくないが、それでも女神が聖女としての力を与えた以上は聖女なのである。

彼女の機嫌を損ねれば、国は簡単に消し飛ぶだろう。


神殿と王家と公爵家はシャーロットの機嫌を取りつつ、さてどうしたものかと頭を悩ませる。

ここまでありがたくもない聖女が爆誕したのだ。

本音としては聖女にはお帰り頂きたい。でも帰らせる方法がわからない。

女神も最近神々の間で異界の魂を転生させるのが流行っていたから試してみたが、結果がこれで申し訳ないと神殿の司祭に伝え、次は絶対にしないと誓約してくれたものの、今更シャーロットから力を奪うことはできないと断られる始末。

神殿からは純潔でさえ無くなれば代々の聖女同様に力を失うだろうという見解が出され、公爵家からは本人もそれを知っているから欲しいものを手に入れるまでは軽々しい行動は取らないだろうという所感を述べられ、ならばと王家は決断をした。

シャーロットのいう『おとめげぇむ』とやらに登場する運命のお相手を用意するのだ。

彼女が言うには、登場人物は誰もが身分や名声を持つ者らしい。

大抵は騎士団長子息や宰相の息子、若く将来有望な学園の教師、名高い大商会の跡取り、虐げられた天才。そして大本命の王子様。

残念ながら騎士団長の息子は当時の時点で21歳と年が離れていたから候補にならなかったし、宰相の息子はシャーロットの実兄だ。学園の教師で若く有能な人物がいるかどうかは、シャーロットが入学時に用意できるかどうかでしかない。

大商会の跡取りなんて平民であることから、今回の件に巻き込まれたら場合によっては簡単に首を飛ばすことになるので用意などできるわけもない。

ここで確実に存在するのは王子くらいだ。


シャーロットに入った魂は、前世で平民だったせいか行儀作法を身に付けるのに苦手意識があったようで、貴族の外見であっても洗練された所作を身に付けていないことから平民と言い張れないこともない。

どう見ても貴族にお手つきされた平民の隠し子といった体で戸籍を偽造して、公爵領から王都へと居を移したばかりの親子を演じてくれる人間を公爵家の信頼置ける使用人から選んだ。

そうしてから神殿への参列時に聖なる力を見出されるという三文芝居を演じ、そして実力を認められて学園に入学させる。

そこでシャーロットが選んだ貴族令息が憐れな生贄になるのだが、そうなる前に王家は王子と出会わせて彼女を引き受けることにしたのだ。

そして、レジナルドがシャーロットの運命となった。




「つまり、シャーロットは、」

「聖女であると同時に、国が消滅するレベルの厄災だった」

冗談ではないのか?私はとんだ相手と結婚してしまったのではないか?

「そんな話、最初に聞いていたら学園でも避けました!

な、なんでシャーロットの相手は私だったのですか!」

思わず涙目になったが、父上の目は呆れを隠そうともせずに私を見返した。

「お前は自分だけが酷い目に遭わされたと思っているが、私は全員に等しく機会を与えている」

え、嘘だろ。

「ヘンリーにはシャーロットが通う教会の中庭で彼女の飛ばされたリボンをタイミング良く拾うシチュエーションが用意されたし、ヘンドリックは一人孤独に温室で楽器を弾くという楽器職人の怒りを買うようなシチュエーションのために、短期間でピアノとヴァイオリンを習得させた。

どれもがシャーロット嬢からの指定であり、どちらもお前では無理だろうと私が判断した」

誰か嘘だと言ってくれ!

「それにお前では荷が重かろうと、ヘンリーとヘンドリックとの出会いを先にしている。

二人はシャーロットが誰かすぐに気付いたが、お前だけが気づかなかったのでな。

それゆえ自然な態度で接することができるだろうと白羽の矢が立ったのだ」

余りの衝撃に立っていられず、その場にへたり込む。

兄上とヘンドリックが私に手を貸して立ち上がらせてくれたが、その二人の顔にも呆れが滲み出ていた。

「レジナルド、よく考えるといい。

我が国は血統を重要視するがゆえに、平民は黒や茶の髪色しかいない。いたとしても駆け落ちした貴族の子ともなれば保護されるし、大抵は貴族への恨みから起きる差別や暴力を恐れて髪色を変えて誤魔化すものだ。

いくら貴族の子女が通う学園であったとしても、そういった事情からあんなピンクブロンドを晒す平民なんて存在するはずがないんだよ」

「そ、そんなの知らない!

誰も教えてくれなかったじゃないか!」

「兄上、誰もそんなことを勉強で教えませんよ。

視察にいった時に町や村を見ていれば気づくことです」

そんな、王太子教育が不要なくらいに私は優秀だというのに、どうして二人にわかって私にわからないのか。それすらもわからない。


頭を抱え、そしてふと疑問に思ったことを聞こうと頭を上げた。

「あの、では何故グレースは、アリッサ嬢はグレースになっていたのですか?」

シャーロットと出会うのならば、私に婚約者なんて不要なはずだ。

そんな疑問に答えてくれたのは、カルヴァンディッシュ公爵だった。

「あの馬鹿娘が、『ヒロイン』である自分を引き立てるために『悪役令嬢』が必須だと言い出しましてな」

公爵が申し訳なさそうに侯爵を見る。

「よりにもよって公爵家恒例の小さな淑女のお茶会を覗きに来た挙句、アリッサ嬢を『悪役令嬢』にするように指名したのですよ。それも公爵令嬢という立場でなければ駄目だと言い張って。

あの時既に平民生活を楽しんでいたシャーロットが小遣いほしさに公爵家に来ていなければ、既に才媛としての兆しを見せていた彼女に迷惑をかけることなどなかったはずなのに。

本当に長い期間、アリッサ嬢を下らぬ児戯に巻き込んでしまって……」

スペンサー侯爵が眉を下げて笑う。

「王家から話があったときには何事かと思いましたが、王家でも公爵家でもどうにもならぬことでしたから。

娘が聡い子であるゆえに負担をかけたのですが、その代わり公爵家からは良いご縁を紹介して頂きましたし、娘も家で嫁ぐのを楽しみにしながら今頃準備をしているでしょう」

とはいえ、と言って私を見たスペンサー侯爵の目はひたりとした冷たさを宿していた。

「聖女様の件は致し方なしと判断しておりますが、当家では娘を蔑ろにされた殿下のことは忘れることなどできないでしょう」

背筋に冷える感覚が伝い落ちてくる。

今ならわかる。

グレースは、アリッサ嬢はシャーロットを虐げてなんていない。

彼女は婚約者でもない相手の為に、そんなことをする必要なんてないのだから。

あれは冤罪だ。




「先程の報告にあったように、聖女としての力は失われているのだから安心するがいい。

彼女がこれからどれだけヒステリックになろうと、お前と喧嘩しようとも、神の奇跡にてお前が酷い目に遭うことはない」

父上が呆れと憐れみの目で私を見る。

「レジナルド。お前には王位継承権を放棄してもらう。

代わりに王領の中でも王都に近い、豊かな土地と伯爵位を与えよう」

公爵でも侯爵でもない、格下の伯爵位。

「お前とシャーロット嬢では領地の経営も難しかろうから、政務官を遣わそう。

公爵家からもシャーロット嬢が生きている限りは援助金が出る。王家からもだ。

王都にタウンハウスも与えるので、貴族という枠にとらわれず、気楽に過ごすとよい」

王子と公爵令嬢の婚姻なのに、伯爵位。

「レジナルドよ、お前は貴族と婚姻したのではない。

人々の反対を押し切り、一人の公爵令嬢を傷物にしてまで平民との真実の愛を貫いた。

聖女とはいえ平民と婚姻するのだから、これが精一杯だと思え」

私は聖女であるシャーロットを選んで、誰もが祝福してくれて、聖女である彼女と。愛しいはずの彼女と。

「お前はシャーロット嬢に選ばれた被害者でもあるが、同時にシャーロットの我儘に付き合わされていたアリッサ嬢を、偽りだとしても婚約者として扱うことなく虐げた加害者でもある。

どんな理由があるにせよ、最終的には冤罪まで被せたことは罪であることを自覚せよ」

シャーロットを知ってしまい、これからどう彼女と向き合えばいいのか。

愛する彼女に会うまで後少し。

今の私はその時間をどれだけ引き延ばせるかで頭が一杯だった。






後世で救国の王子と呼ばれるようになったのは、第二王子と聖女が没して三百年経った後のこと。

王子であることを捨てて真実の愛を選んだ彼は伯爵として生き、当時は詩や歌劇にされたりしたが、後に王政が崩壊した際に見つかった王家の史実書により真実が判明した。

そこに書かれていたのは前代未聞の聖女から国を救うべく、その身を捧げたとする献身的な姿である。

けれど以降の二人については、仲は睦まじく、存外幸せに過ごしたという簡単な記載しかなかった。

なお、伯爵家の名は一切記載されていないことから、歴史学者の中ではこの内容すらも偽りではないかと議論されているという。

そして、彼女以降はこの地に聖女が顕現されることはなかった。





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お花畑聖女を除いて皆が加害者であり被害者なのに、鬱憤を晴らすためにネタバラシ。 全てを生贄王子に押し付けるかぁ…。 コレが鬱憤晴らしの序章な感じがしますね。 適当に言いくるめて夢を見させたままでいるの…
[一言] 悪役令嬢、乙女ゲームものでここまで意外な内容だった作品は他に知りません。
[一言] つまりアレだ。 バカにはバカをぶつけて中和するって作戦ですね。
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