【21】連続海難事故 3
「威、今日の訓練は中止だ」
放課後、めずらしく校門前にいた難波さんが僕に言った。普段は昼休みが終わるくらいにはどこかに行ってしまってる。ま、おおかたコンビニでマンガの立ち読みをしてると思うんだけど、今日は様子が違う。
「なんでですか?」
「例のきょだ、海難事故対策でいろいろ会議せにゃならんくなった」
「なるほど」
「じゃあ送ってくから乗れ」
「はーい」
車の中で難波さんは、これから気苦労が増えるとぼやいていた。僕が即戦力になれなくて申し訳ないと思う。
途中、コンビニに寄り道しながら難波さんの車で自宅に戻ると、ちょうど光明寺先生が部屋から出てくるところだった。
見慣れた所から白衣を着た人が出てくると、ぎょっとするものがあるな。
「あら威くん、おかえりなさい」
「こんにちは。先生、うちに用ですか?」
見ると、先生はかっこいい大きなツールボックスをぶら下げていた。
赤い十字が書いてあるから、多分救急箱みたいなものだと思う。
……ってことは、往診?
「みなもちゃんの調子が悪いみたいだから、往診に来たのよ。時々様子を見に来たり、食事を届けたりしてるの」
「そうですか、ありがとうございます。それで、ぶっちゃけどうなんですか?」
「急な環境変化が原因で貧血を起こしてるので、鉄分とビタミンCを投与してるわ。それから、眠れないことが多いようなのでカルシウムも採ってもらってるの」
「あの、みなもって午前中は比較的元気そうに見えるんですが、午後になると途端に具合悪くなっちゃうみたいなんですが、どうしてなんでしょう……」
「そうね。若いうちは体内時計が不安定なので、時間帯によってコンディションが変わってしまう子も多いのよね。みなもちゃんはそれが顕著に出てしまっているのだと思うわ。
幸い、生活の心配は何もないから、ゆっくり養生させてあげるのが一番ね。余計なお世話かと思うけど、威くんも気にかけてあげてね。食事の不安があったら栄養相談にも乗るから、いつでも尋ねてきてちょうだい」
「ありがとうございます。いろいろ面倒見てもらって助かります。正直僕も訓練とかいろいろあって、あまりみなものこと構ってやれてないから……」
「いいのよ。これが私の仕事ですもの。気にしないでね。他になければ病院に戻るわね」
光明寺先生はにっこり笑って去っていった。
みなも、貧血に加えて不眠気味らしい。
不眠か。僕のせいだろうか……。
ってことは、こっそり出て行ってるの、バレてるのか……。
◇
部屋に入った僕は、みなもに声をかけてみた。
「ただいま。みなも、おきてるか?」
僕は、ずいぶん長いこと『ただいま』なんて言ってないのに気付いて、すこし気まずかった。
寝室の方から、パジャマ姿のみなもがのそりと出てきた。
なんだか目がうつろなのは、寝起きだからか、それとも薬のせいだろうか。
「……おかえり」
「いま先生と会った。大丈夫か? めし、ちゃんと食えたか?」
「……お昼に先生が持って来てくれて一緒に食べたけど、気分はあんまり良くないよ……」
弱っているせいか、みなもが縋るような目で僕を見る。
こんなみなも見たことがない。
もしかして今までは、故意に弱みを見せなかったんだろうか……。
「そっか。悪かったな、起こして。部屋連れてってやる」
「うん」
僕はみなもを抱き上げ、寝室まで連れていった。
みなもが少し汗臭いのは寝汗をかいたからかな。
「汗、流してやろうか?」
「ううん。大丈夫」
「そっか」
僕に体を預けたみなもは、心なしか嬉しそうだった。
ベッドに寝かせてやると、みなもが僕の手をぎゅっと握り、
「威、いっちゃヤダ……。いかないで」と僕に懇願した。
「み、みなも……」
本当に、こんなの初めてだ。
あんなに強くて勇ましかったみなもが……。
こんな、弱々しく僕に救いを求めるみなもなんて……。
なぜか急激に胸が切な苦しくなった。
みなもを、護りたくてたまらなくなった。
もしかして、僕に足りなかったものって……。
それとも近すぎて分からなかったことなのか。
「いるよ、ここにいる。大丈夫だよ、みなも……」
僕が添い寝をしてやると、みなもが抱きついてきた。
何かに怯えているように見える。でも、一体何に?
「ごめん……今日だけ許して」
「何を?」
「もう……威に触れたら、いけないんでしょ……私」
ぐさり。
僕は背中に穴が開くほどに、胸をえぐられた気持ちだった。
こいつはまだ、本当は、僕を必要としていた。
僕を捨てたんじゃなかったんだ……。
いや、もしかしたら、一度捨てたけど、伊緒里ちゃんに取られて、惜しくなった、取り返したくなった、とか……。
とにかくハッキリしてるのは、『みなもがいま僕を必要としている』ってことだ。
「そんなことないよ。お前が元気になるまで、僕はそばにいてやるよ」
「……ありがと。言葉だけでもうれしいよ」
「みなも……」
自分がすごく無責任なことを言っている自覚はある。
ひどく心がブレてる自覚もある。
でも、みなもはやっぱり僕にとって家族同然なんだ。
こいつが僕をどう思おうと見捨てるなんて出来ない。
こいつをこんな気持ちにさせた原因の、半分は僕にもある……。
でも、伊緒里ちゃんと別腹って、許されることなんだろうか……。