【13】新しいカノジョ 5
「わがままだってわかってる。でも威くんを返したくない。ひとりに戻りたくないの」
僕は部屋の灯りを消して振り向いた。
そこには、ブラウスだけを纏った伊緒里ちゃんのシルエットが浮かび上がっていた。伊緒里ちゃんは今ロッカーに背を預けて泣いている。
僕は伊緒里ちゃんに近づいて隣に並び、同じようにロッカーに寄りかかった。
「伊緒里ちゃんに独り占めされて、嬉しいよ」
「……ホント?」
「どうしたら信じられる?」
「……私にも、よくわからない」
答えが分からないからって、伊緒里ちゃんの不安をこのままにしておいていいわけはない。少し考えた僕は、腕時計を外した。
「これ、僕が中学に上がったとき、兄貴がくれた宝物なんだ。海軍の腕時計。五十気圧防水になってるんだ。伊緒里ちゃんにあげる」
僕は腕時計を伊緒里ちゃんの手に握らせた。
「え、だめだよ、そんな大切なもの。私、貰えない」
伊緒里ちゃんは時計を僕に返そうとして、僕のシャツのポケットに必死にねじ込んでいる。
「持っててってば」
僕はその手を掴み、さらにもう片方の手も掴んでロッカーに押しつけると、伊緒里ちゃんは昆虫採集の蝶々みたいに身動きが取れなくなった。
伊緒里ちゃんのブラウスは前がはだけて、胸元から腰まで、下着が丸見えだった。無論薄明かりの中だから、ぼんやりとしか見えない。
伊緒里ちゃんと目が合う。
澄んだ瞳で、僕を真っ直ぐ見つめてる。
――ドクン。僕の心臓が跳ねた。
伊緒里ちゃんが、ゆっくりと目を閉じた。
「伊緒里ちゃん……」
「なあに」
「彼氏としたいことリストってあったよね」
「あるけど……どうしたの、急に」
伊緒里ちゃんは目をあけた。
「あの中に、どうしても叶えてあげられないお願いを見つけたんだ。
だから僕は、そのかわりに一つでも多くのお願いを叶えてやりたいって思ってる」
「叶えられないお願い?」
「……僕はこの島から出られない。任務を除いては。だから、ネコミミランドに連れていってあげられないんだ……。ごめんね、伊緒里ちゃん」
伊緒里ちゃんは僕の腕の中で、ううん、と頭を振った。
「だってあれは、威くん用のお願いリストじゃないもん。
かえって気を遣わせてごめんなさい……」
「いいんだ。僕はもう、誰かを失望させたくないから」
――――――――――もう二度と、失望させて、捨てられたくないから。
◇◇◇
カメクラを早退した伊緒里ちゃんと僕が、島一番のショッピングセンターにやってきたのは、伊緒里ちゃんがペアウォッチを買いに行こうと言い出したからなんだ。
僕が時計がないと僕が困るだろうからってのは口実で、じつは「したいことリスト」に『おそろいのグッズが欲しい』の項目があるからなんだ。
そういうことなら行くしかないよね。
伊緒里ちゃんに連れられて店に行ってみると、前から目星をつけていたのか、伊緒里ちゃんは広い売り場の中をまっすぐ歩いて僕を商品の所まで案内したんだ。
「えっとね、これが第一希望なんだけど、これとこれとこれと、あとこれの中でよさそうなのある? 無かったら他を見るけど」とすごく嬉しそうに言う。
そこまで言われちゃったら、他の選択肢ないじゃん。
さすが優等生、手際がいいや。でも、相手が誰でも同じこと言ってたのかな? なんて無粋なことは、今はいいっこなしだぜ。
「じゃ、この第一希望で」と言うと、伊緒里ちゃんは満足げに笑った。
タコライスを食いそびれた僕は、とっととレストラン街に行きたかったから、すかさず店員さんを呼んだ。
店員さんがやってきて、僕が財布から軍に支給されたクレジットカードを取り出すと、伊緒里ちゃんが慌てて「私が払いますっ」と僕を遮った。
少々押し問答になりかけたけど、
「もう! これプレゼントにするんだから、払っちゃダメ!」
と、伊緒里ちゃんが怒るのでここはひとまずハイハイ、と素直に従った。多分これも項目の一つかもしれない。
僕がみなも以外の女の子を連れていたせいか、ヘンに人目を集めてしまったので、僕らはこないだ泊まったホテルに逃げ込んだ。
ここなら、あのコンシェルジュさんが匿ってくれる。
僕らがホテルに到着すると、ボーイさんがドアを開けるより先に、顔見知りのコンシェルジュさんがすっ飛んで来た。
防犯カメラで、既に僕の来訪を知っていたようだ。
彼女は周囲を少し伺うと、僕らをそそくさとスイート専用エレベーターに誘った。
あまり面白くない話だけど、この超高級ホテルはあの神崎店長がオーナーだ。
どうやらその元提督殿の特命で、僕やみなもへの対応は、最上級のVIP扱いになっている。
僕らがVIP扱いなのは、たぶん国家の重要人物である僕らを目の届く場所に置いておけば安心、という国防上、いや、大人たちの都合もあるんだろうが……二重の意味で、やっぱり面白くはない。
救国の英雄への報償がこの島一つというのは何ともお粗末な話だけど、それでもここまで立派な観光地に仕上げたのは、単純にヒマだったからだと僕は思っている。
こないだの教会での一件もあって、ちょっと意味深な笑みを浮かべたコンシェルジュさんに(なぜか秘密の小箱を貰い)一番見晴らしのいい部屋に案内してもらった。ついでに僕はルームサービスも頼むことにした。
「威様、もっと気軽に利用して頂いても構わないんですよ。この狭い島に住む私達は、どこにでも知り合いがいるものですから、落ち着いてデートが出来ないカップルが多いのです。そのため、プライバシーを守るためにホテルでデートをなさる方が少なくありません」
っつーわけで、ホテルデートは割と普通なんだそうだ。
横須賀にいた頃には、ミジンコも想像出来なかった話だ。
もっともこんな超の付く高級ホテルのスイートを自由に使えるヤツなんて、僕とみなもと、例のカメクラ店長ぐらいだけど。