【6】君だけの護り神 5
「へ? 酔うって? なに、まさか唾液とか? 大丈夫? 保健室いく?」
そんなバカな。
神族の唾液で人間が酔うなんて、聞いたことがない。だって、みなもがそんな症状になったことは今までなかったし。
いや、多少はトロンとしてたような気もするけど。でも、ここまで重症じゃない。常識の範疇だ。
……まさかあいつの場合は、長期間に亘る摂取での免疫か?
不安になった僕は、伊緒里ちゃんを抱えて、池の近くのベンチに横たえた。しばらく様子を見ていると、さほど経たずに伊緒里ちゃんは回復した。
「んもう、ムードもへったくれもないんだから」
「ごめん……」
「もうちょっと……(ごにょごにゅ)いやなんでもないわ」
「大丈夫?」
「なんか酔っ払っちゃったみたいだったけど、もう大丈夫」
僕は正直、自分でも今の状況が信じられない。
これってとんとん拍子ってこと?
夢だったらどうしよう、と不安になってきた。
ベンチで少し休んで正気に戻った伊緒里ちゃんは、微妙に憮然としながら乱れた制服を直し始めた。
そして、普段のクールビューティーな顔に戻ってこう言った。
「とにかく、ちゃんと説明しないと納得出来ないって顔に書いてあるから説明してあげるわ。いい? 女というのはね、生物学上、伴侶が決まったらその相手のことが気になって、相手のことばかり考えて、他のものが見えなくなるの。
威くんに分かりやすく言えば、ユーザー登録のようなものね。それが効率的に子孫を残すための本能なのよ。横須賀ではそんなことも習わなかったの?」
「と、言いますと……」
急に学術的な話題になったので、僕のアホ脳が過熱し始めた。
「全部言わせる気? バカ」と言って伊緒里ちゃんは僕の耳元で「威くんのこと、好きになるスイッチが入ったのよ」と恥ずかしそうに囁いた。
まくし立てていたのは、照れ隠しだったのか……。
「ほ、ほんとに? 夢じゃないよね?」
「現実よ。安心して。ね?」
にしても、いいなあ女子は。僕にもこういうスイッチがあれば、もうちょっとみなもに気に入られただろうに……。
でも、もういいか。今はもう、伊緒里ちゃんがいるから。
「伊緒里ちゃんも安心して。大丈夫、あいつには絶対渡さない。僕が護る」
と言うと、伊緒里ちゃんは俯いて、
「ありがとう。……みんな知ってたんだね……威くんの、うそつき……」と言った。
「あの子たちが、怖いお姉ちゃんに怒られたら可愛そうだったから。……ごめん」
伊緒里ちゃんは僕の胸で、ううんと小さく頭を振り、僕の腕にぎゅっとしがみついた。
うぐッ。
グググググ……ぐげげげげげ……イタイイタイイタイ!
さっき腕にカッターの刃が刺さったところを、ぎゅーっと彼女に掴まれた。
すごく痛くて声を上げそうになったけど、歯を食いしばり、尻の穴をギュ――――ッと締めて、必死にこらえた。
……さて、アイツのこと、どう始末をつけようか。
そう思うと、せっかく伊緒里ちゃんと恋人同士になれたのに、気分はあっという間に冷えてしまった。
だって僕は、これからひどく残酷なことをしなくちゃならないから。「あちゃー……、もうみんな帰っちゃってるなあ」
「そうね……」
ゴミ捨てから僕と伊緒里ちゃんが戻ってくると、教室にはもう誰もいなかった。
出発した時には教卓側に寄せられていた机も、綺麗に並べ直されている。
そりゃそうだ、出かけてからかなり時間経っちゃったからな。
僕らはおのおのの席で、帰る準備を始めた。
僕も早く基地に戻って、ドラム缶と愛を確かめ合う神聖なる儀式に臨まなければならないんだ。でも本当は、この島に初めて来た頃みたいに、ずーっと延々、伊緒里ちゃんと遊び倒したい。
一分一秒でも一緒にいたい。
ずっとくっついていたい。
無論物理的にだ。
僕は、みなも相手にそんな気持ちになったこと、今まで一度もなかったけど、もしアイツがこんな気持ちだったのなら、さぞつらかったかも……って思う。
でもだからって、その復讐で僕にあんなことしてるんだったら、僕はみなもなんか愛せない。
僕は夕方の訓練があるから、伊緒里ちゃんに付きっきりでいるわけにはいかない。
だからとりあえず家まで送り、弟くんたちとバトンタッチすることにした。
二人で校門を出て、
「弟くんたちに僕らが付き合い始めたことを報告しなくっちゃ」
なんて話しながら歩いていくと、学校の並びにあるコンビニに差し掛かった。
店先には、アイスを食っている男子生徒が数名たむろしている。
その中の一人が、スっと立ち上がり、こちらに近づいてきた。
「姉ちゃん、今帰り? 一緒に帰ろうよ」
そう言ってにこやかに歩いてきたのは、伊緒里ちゃんの弟の陸くんだった。
転校初日に伊緒里ちゃんに墨汁を借りに来たやつだ。
「友達は、いいの?」と伊緒里ちゃん。声は微かに震えている。
「別に。アイス食ってただけだから。いこう」
そう言って陸くんは、伊緒里ちゃんの腕を急に掴んで引っ張った。
「いたい!」
強く掴まれたのか、伊緒里ちゃんがつらそうな顔で叫んだ。
「放しなさい、陸!」
陸くんは痛がる伊緒里ちゃんを気にもせず
「ほら、帰ろうよ」と笑って掴んだまま。まるでサイコパスだ……。
僕のことは全く見えていないかの様に振る舞っている。
「いやぁ、放して! 助けて威くん!」
伊緒里ちゃんが、悲壮な声で僕に助けを求めている。
相当痛いのか、伊緒里ちゃんの目に涙が滲んでいる。