身を引いた聖女は、愛しい人の知らせを聞いて3年越しに会いにいく
イーサン・ヴェインが亡くなったらしい。
その知らせを聞いて、私は頭が真っ白になった。
「嘘……」
呆然と立ち尽くす私に、友人のマリアが首を傾げる。
「シエナ、イーサン様のファンだったっけ?」
確かに女性ファンは多かったけど、貴方もそうだったなんて知らなかったわ。そう言いつつ、マリアは先程村人から耳にしたというイーサンの情報を口にする。
「隣国に行く途中、崖崩れがあったみたいでね。巻き込まれそうになった王太子殿下を庇って、それで……」
数時間前の出来事らしいわ。残念よね……と暗い顔で話すマリアに、私は何も言葉を返せなかった。
イーサンが死んだ?
嘘、そんな訳ない。
イーサンは今頃、婚約者と幸せに暮らしているはずなのに。
ぐるぐると思考が巡り動けない私を、マリアが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫?顔が真っ青よ。もう今日の収穫ノルマは殆ど達成したし、あとは私に任せてシエナは帰ったほうがいいわ」
マリアと2人で収穫していた村の特産品であるみかんは、すでに籠いっぱいになっている。
私はマリアの言葉に力なく頷いて、ヨタヨタと山を下っていった。
そして気がつけば薄暗くなった自分の家で、電気も点けずに以前イーサンから貰った指輪をぼんやりと眺めていた。
家に帰るまでの記憶は全く無いけれど、恐らくずっとイーサンのことを考えていたんだと思う。
「死んだなんて……嘘よね?」
返事があるはずもないのに、私は何度目かになる台詞を吐いた。
不安を掻き消すように握りしめた指輪はひんやりと冷たくて、ますます私の不安を掻き立てる。
死んだなんて、何かの間違いよ。
だって魔物討伐の旅に出た時ですら、イーサンは死ななかったんだもの。
そんなことを考えながら、私はイーサンと交流のあった3年前のことを思い出していた————。
当時私は聖女として、王太子殿下率いる魔物討伐隊と共に旅をしていた。
魔物討伐隊の面々は殆どが王宮騎士団で、精鋭揃いの騎士達で構成されている。
聖女である私はその中でも少し異端で、戦闘能力のないただの平民だった。
そんな私の役割は、ただ祈ること。
祈るだけとはいえ、聖女が祈りを捧げると魔物の動きが鈍るので、中々重要な役割だった。
……何故動きが鈍るのかは未だによく分かっていない。
元々孤児院で暮らしていた私はその能力を見出され、聖女として魔物討伐の旅に同行することになった。
戸惑いが無かったかと言えば嘘になる。
けれど、やりたいことも無く、ただ生きているだけの私でも誰かの役に立つことが出来るなら。そう考えた私は聖女の名を背負うことにした。
そうして始まった旅で、私は祈り続けた。
私が祈りを捧げている間、騎士たちが動きの鈍くなった魔物を次々と倒していく。
当時、イーサンは王宮騎士団の一員で私を守る役目を担っていた。
私の祈りが中断しないように、襲いかかる魔物からいつも私を守ってくれた。
それが任務だからだと言えばそうなのだが、優しくて、頼り甲斐があり、誰よりも私に寄り添ってくれるイーサンは、辛い戦いの中で私の癒しだった。
私はイーサンに、当然のように恋をした。
そして、うぬぼれでは決して無く、イーサンも少なからず私のことを想ってくれているようだった。
「シエナは絶対に俺が守るから」
「ありがとう。イーサン」
私とイーサンの仲は、旅の時間に比例してどんどん深まっていく。
「シエナは魔物討伐の旅が終わったらどうするの?」
「まだ決めてない」
「もし、行くところがないなら俺の側にいればいいよ」
「……本当にいいの?」
「ああ。シエナに側にいて欲しいんだ」
真剣な眼差しでそう言ったイーサンに、私は顔を赤くして「私もイーサンの側にいたい」と素直な想いを口にした。
あの時、私の返事を聞いて破顔したイーサンの顔を、私は今でも忘れられないでいる。
私はあの時、とても幸せだった。
けれど……
それは、魔物討伐の旅ももうすぐ終わりを迎える頃。
討伐隊の面々は休息や補給も兼ねて、久しぶりに王宮へ戻っていた。
私も王宮の一室に部屋を用意して貰い、久々の休息を楽しんでいた。
けれどそんな私の元に、王太子殿下の妹であるハリエット王女殿下が訪れた。
「あなた、私の婚約者であるイーサンに色目を使っているそうだけど本当なの?」
「……え?婚約者?」
部屋に入ってくるなり私を睨みつけた王女殿下は、非難するようにそう言った。
私はその言葉に強い衝撃を受けた。
イーサンに婚約者?
しかもその相手が王女殿下だなんて。
「い、いえ。知りませんでした」
そう言って首を横に振ると、王女様は蔑むような目で私を見て鼻で笑った。
「…………そう。まあ知らなかったのも無理はないわ。まだ正式に公表してない情報だったものね。けれど、それでも貴族たちの間では周知の事実だったから、手を出す人がいるとは思わなかったわ。…………あら!ごめんなさい。そう言えばあなたは孤児院育ちの平民だったわね。私ったらうっかりしていたわ!」
王女殿下や控えている侍女にクスクスと笑われて、私は恥ずかしさのあまり俯いた。
王女殿下はそんな私の様子に少しだけ胸がすいたようで、満足げな顔で私をじっと見下ろしている。
そして、そのまま顔を上げられない私に、王女殿下は更に言葉を続けた。
「ただね、知らなかったとは言え、これ以上、貴方みたいな人が私の婚約者に不用意に近づくのは許せないの。魔物討伐ももう終盤でしょう?あなたの力が無くとも大丈夫だと聞いているわ。私が手引してあげるから、今日の夜にでも王宮から立ち去ってちょうだいな」
その言葉に、私は呆然としつつこくりと頷いた。
平民である私が、王女殿下の言うことに背くことはできない。それに、そもそも知らなかったとは言え不相応な想いを抱いた私が悪いのだ。
王女殿下の言う通り旅も既に終盤で、私がいなくても魔物討伐を成し遂げられる状況になっている。
諦めというより絶望に近い気持ちが込み上げて来たけれど、私は王宮から立ち去ることを決意した。
私が抵抗する気がないのだと理解した王女殿下は、上機嫌で手引の方法を私に伝える。
「いい?夜中に使いの者をよこすから、それまでに必要な荷物を纏めておくのよ?ああでも、安心してちょうだい。孤児院育ちの貴方をこのまま放り出したら可哀想だから、慈悲として住む場所を与えてあげるわ。かなり辺境の地になるけれど、自然に囲まれたとても素晴らしい場所があるの。平民育ちの貴方にぴったりだと思わない?…………それと、分かってると思うけれど、このことは他言無用よ。同情心を持った人が貴方を引き止めるかもしれないからね」
せいぜいその地で平民なりに幸せに暮らしなさいな!そう言って高らかに笑う王女殿下に、私は深々と頭を下げて王女殿下の言う慈悲の心に感謝の意を述べた。
そうして王女殿下が出ていった後、しばらくして誰かが部屋の扉をノックする。
「シエナ、入っていい?」
そう尋ねる声はイーサンのもので、私はギクリと肩を揺らしつつ返事を返す。
「ごめんなさい、少し具合が悪くて……」
先程王女殿下に言われたばかりなのに、イーサンと顔を合わせる訳にはいかない。
そう思った私は、イーサンの訪問を断った。
「大丈夫?確かに、声に元気がないね。すぐに医者を呼んでくるよ」
「だ、大丈夫!寝てたら治ると思うから」
慌ててイーサンを引き止めたけれど、しばらくイーサンは医者を呼んだほうがいいと部屋の外で渋っていた。
けれど頑なに断り続ける私に、遂にイーサンは折れたようだった。
「分かったよ。……じゃあさ、すぐに出ていくから少しだけ顔を見せてくれないかな?気休め程度だけど、渡したいものがあるんだ」
これ以上断り続けるのも心苦しく、私は仕方がないと部屋のドアを少しだけ開けることにする。…………本音を言えば、きっと最後になるであろうイーサンの姿をこの目に焼き付けておきたかった。
「何?イーサン」
私がそう言ってちらりと顔を覗かせると、イーサンは心配そうに眉を下げた。
「顔色かなり悪いね……少しでも具合が悪くなったら無理せず医者を呼ぶんだよ?あと、はい。これあげる」
そう言ってイーサンが私に手渡したのは、いつもイーサンが身に付けている指輪だった。
「この指輪……」
「これ、無病息災を願って作られた指輪なんだ。まあ信憑性も無いし眉唾物だけど無いよりはマシだろ?」
昔、露店で無理矢理買わされちゃってさ、とイーサンは苦笑しながら頭を掻いた。
「ありがとう、イーサン」
気遣いが嬉しくて、泣いてしまいそうになりながら、私はイーサンにお礼を言った。
「いいんだ、シエナが良くなるなら。じゃあ、俺はもう行くよ。ゆっくり休んで」
そう言って微笑んだイーサンは、優しく私の頭を撫でるとそのまま部屋を後にした。
貰った指輪を握りしめながら、私は先程のイーサンの姿を心に刻みつける。
きっと今ので最後だった。
もう二度とイーサンには会えないだろう。
堪えきれなくて涙をポロポロと零しながら、私はしばらくそのまま扉の前で立ち尽くしていた。
————そうして私は王女殿下の手引で、この村に来たのだ。
思い出の指輪は、捨てきれなかった私の気持ちと同様に、今も私が持っている。
イーサンと会うのはあれで最後だと、覚悟していたはずなのに、イーサンが亡くなったと聞いたら、居ても立っても居られない。
何処かで幸せに暮らしていてくれればいいとそう思っていたのに。
本当にイーサンは死んでしまったの?
ぐるぐると再び思考が巡る。
そうして、しばらく指輪を握りしめていた私は、意を決して立ち上がる。
————確かめに行けばいいんだわ
ここは辺境の村で、かなりの田舎なのだ。
噂が捻じ曲がって伝わることが多くある。
私がここに来た時だって、「魔物討伐で夫を亡くした傷心の未亡人が引っ越してきた」という間違った噂が広まっていたし、マリアの家のみかん農園を手伝い始めた時は、「実はマリアの生き別れの妹だったらしい」なんて突拍子も無い噂だって出回った。
今回も、何かの情報が捻じ曲がったに違いない。
私は身支度を整えて、マリアの家まで走った。
噂を聞いていたマリアなら、イーサンが巻き込まれたという崖の場所も知っているかもしれない。
外に出ると、もう日も大分暮れていて多くの村人は夕飯の準備に取り掛かっていた。
「あら、シエナ。そんなに慌ててどうしたの?」
「マリアの所に行くの!会いたい人が……確かめたいことがあるから!!」
すれ違った近所のおばあちゃんに、叫ぶようにそう言って、私は道を駆けていく。
息を切らしながら坂を登って、山の麓にあるマリアの家に辿り着いた私は、無我夢中で家のドアをノックした。
「マリア、忙しい時にごめんなさい!教えて欲しい事があるの!」
私の必死な声に驚いたのか、家の中からバタバタとこちらに駆け寄ってくる足音がする。
がちゃりとドアが開き、マリアが顔を覗かせる。
マリアは、私を見て酷く驚いたようだった。
「シエナ、急にどうしたの?」
「マリア。イーサンが巻き込まれたっていう崖の場所なんだけど、詳しく知らないかしら?」
「ええ?イーサン様の?ええっと確か、ケント地方の吊り橋の近くだって聞いたけど……」
それがどうかしたの?と首を傾げるマリアに、私は「ケント地方の吊り橋の近くね?そこなら歩いても行けそうだわ。ありがとう!」とお礼を言い、そのまま駆け出そうとした。
けれど、私の言葉を聞いたマリアが、慌てて私の腕を掴んで引き止めた。
「ちょっ、ちょっと待って!!もしかして今から行く気なの!?こんな時間じゃ馬車もないし危ないわ。そもそも歩いても半日以上はかかるわよ?せめて明日を待ちなさい!」
「だって、どうしても待てないの!もしかしたらイーサンが生きてるかもしれないし……実際に見て確かめないと……」
焦燥感に駆られた私の表情を見て、マリアは困ったように眉を下げた。
「……確かめたい気持ちは分かったけれど……でも……」
私を危険な目に遭わせたくないマリアは、このまま私を行かせるべきかひどく悩んでいる。
そうしてしばらく迷っていると、家の奥にいたマリアの兄ダンが私たちに声をかけてきた。
「2人とも、ちょっとごめん。聞く気は無かったんだけど、騒いでたから会話が聞こえちゃってさ。あの、どうしても行きたいのなら、僕が馬で送ろうか?馬だったら1、2時間程で着くだろう?」
ダンの提案に、私は期待の目で思わずマリアを見た。
マリアはうーんと暫く考えて、それならまあ今日中には帰って来れそうだし大丈夫か……と納得してくれたようだった。
「マリア、ダン。迷惑かけてごめんね」
心配してくれてるのに我儘を押し通したことを詫びると、2人は顔を見合わせてフッと笑った。
「気にしないで!シエナはいつも何も我儘言わないから、心配してたくらいよ」
「そうそう。シエナはもっと我儘になっていいんだよ」
2人の優しい言葉に、私は涙目になりながら何度もお礼を言った。
そうこうしている内に、更に外が暗くなってくる。
「早めに出発したほうがいいわ」というマリアの言葉もあり、ダンは急いで馬小屋から馬を引いてきて、私を後ろに乗せ出発の準備を整える。
「兄さんがいるから大丈夫だと思うけど、気をつけてね!それと、崖くずれがあった場所だから、十分に注意するのよ」
「うん!行ってくるね、マリア」
そうして私はマリアに見送られながら、ダンと共に村を出た。
ケント地方までの道すがら、ダンが私に尋ねてくる。
「シエナの言うイーサンって、王宮騎士団のイーサン様だよね?シエナの知り合いなの?」
「うん、実は……」
私はダンに今までの出来事を掻い摘んで説明した。
聖女だったこと。イーサンを好きだったこと。けれど、イーサンには婚約者がいたこと。王女殿下のことは話さなかったけれど、色々あって私は今の村に住んでいるのだと、私は秘密にしていたことを打ち明けた。
「イーサン様って婚約者がいたんだ。知らなかった。それにまさか、シエナが聖女だったなんて……マリアが聞いたらきっと驚くだろうな」
2人には散々迷惑をかけたのだ。時間が無くて話せなかったけれど、帰ったらマリアにも打ち明けようと私は思っていた。
「イーサンが婚約者と一緒に幸せになってくれることを祈ってたのに……まさか崖崩れに巻き込まれるなんて思わなかったの。でも、村の噂ってよく捻じ曲がって伝わるでしょう?だから、もしかしたらって……」
僅かな望みに掛けているのだと話せば、ダンは「確かに、村の噂は信用ならないからなぁ。今回もそんな気がするよね」と私を励ましてくれた。
それから休憩をはさみつつ、2時間ほど馬を走らせて、私達はケント地方の吊り橋まで辿り着く。辺りはすっかり暗くなっていて、月明かりでかろうじてまわりが少し見えるくらいだった。
「とりあえず、イーサン様が亡くなったらしい場所をさがそうか。崖崩れがあったのなら形跡があるだろうし」
私はダンの言葉に頷いた。そして馬から降り、周りの景色に目を凝らす。
そうしてしばらくダンと共に辺りを探していると、少し先で明かりがぼんやり灯っているのが見えた。
野盗かもしれない……そう思って気をつけながらこっそりと近づいて見ると、見覚えのある紋様が目に入る。
「シエナ、あの紋様って王宮騎士団のものだよね?」
ダンの言葉に、私の心臓はバクバクと早鐘を打った。
その紋様は確かに3年前聖女として魔物討伐の旅をしていた時、毎日目にした王宮騎士団のものである。
先程の灯りは野営をする王宮騎士団のものだった。
イーサンが生きていたら……きっとあそこにいるはずだ。
それに、王宮騎士団の面々に聞けば何かしら真実が分かるだろう。
私は意を決して、野営をする王宮騎士団たちに近づこうとした。けれど……
————今更、私が顔を出してもいいのかしら。
今になって私は怖気づく。
よく考えれば、3年前に突如姿を消したのに、今更私が目の前に現れたら王宮騎士団の面々はどう思うのだろう。
一緒に魔物討伐の旅をして、終わりを目前に逃げ出した私がイーサンの生死を聞くために訪ねてくるなんて……なんと図々しい。
そんな考えが巡り、足がすくんで動けなくなった私をダンが心配そうに覗き込んでくる。
「シエナ、大丈夫?王宮騎士団に聞きに行かないの?」
「……今更、合わせる顔がなくて……」
「大丈夫だと思うけど……もし無理そうなら僕が聞いてこようか?」
「いいの?」
「勿論だよ。確かに聖女だったシエナからすると少し気まずいだろうしね」
優しいその言葉に、縋ろうとした時だった。
パキリと後ろで枝を踏む音がして、ダンではない誰かが私の名を呼んだ。
「…………シエナだと?」
その声に驚いた私とダンは、ビクリと肩を震わせて声のした方へと振り返る。
そして振り返った先にいたのは、よく見知った顔だった。
「で、殿下!」
忘れもしない、魔物討伐隊を率いていた王太子殿下である。
殿下は後ろに護衛を引き連れて、酷く驚いた顔でそこに立っていた。
「人の気配がするから気になって様子を見に来たら……その顔、確かにシエナだ」
まさか見つかるとは思っていなかった私は、思わずその場から逃げたい衝動にかられた。
けれど私がその場から逃げ出す前に、王太子殿下がずかずかとこちらへ歩いてきて、私の腕をがしりと掴む。
腕を掴むその手の強さに、私の体は反射的に強張った。
「ああ、すまない!思い余って強く掴みすぎた。けれどすごく心配したんだ!元気にしてたのか?辛い目に遭ったりしてないか?」
安堵の声を上げる殿下に、私は呆気にとられた。
今更何の用だ!と罵倒されてもおかしくないと思っていたのに。
そんなことを考えていると、殿下の声に反応して野営をしていた騎士たちもざわざわとざわつき始めた。
「シエナ?シエナって聞こえたけど……」
「あ!本当にシエナだ!」
「えぇ!?まさかシエナの方から来るなんて……」
「おーい!皆来てくれ!!シエナだ!!シエナがいるぞ」
どやどやとこちらへやってきた騎士たちは、皆私の顔をみると一様に涙ぐみながら嬉しそうな顔を浮かべている。
久しぶりに会えて嬉しいだの、元気にしてたのか?だの心配する声に、私は酷く戸惑った。
「……皆、怒ってないの?私、旅の途中で何も言わずにいなくなったのに」
戸惑いながらそう聞くと、皆は「何言ってるんだよ!心配はしても怒る訳ないだろう!」と、否定する。
「シエナがいなくなった理由ももう分かってるからな。妹のハリエットが、お前を追い出したのだろう?どこに追いやったのか全く口を割らなかったから、見つけることが出来ずにかれこれ3年だ」
本当に愚妹が申し訳なかったと頭を下げる殿下に、私は頭を上げてください!と慌てて止める。
「私も魔物討伐を最後まで同行せず、王女殿下の指示に従った訳ですから……皆に迷惑をかけた事には変わりありません。もう魔物討伐は成し遂げたとは聞きましたけど、あれから大丈夫でしたか?」
そう問えば、殿下は遠い目になる。
「大丈夫だと言いたいが、実は色々と大変だった。予定ではあと3ヶ月ほどで終わるだろうとされていた旅が、1年半に延びるくらいにはな。シエナがいなくなって単純に敵を倒し難くなったというのもあるが、聖女の消失で士気が一気に落ちてしまってな。怪我人も続出するし、イーサンも憔悴しきって使いものにならないしで……」
殿下の口からイーサンの名が出てきて、私はどきりと体を震わせる。
先程、騎士達が集まって来たけれどその中にイーサンの姿は見受けられなかった。
うわさ通り崖くずれに巻き込まれてしまったのか、それとも……
私は、「シエナの抜けた穴は大きかった」としみじみ語る殿下に意を決して問いかけた。
「あの、殿下。つかぬことをお聞きしますが、イーサンは何処に?」
私がそう尋ねると、殿下と騎士達はピタリと動きを止めた。
そして皆一様に気まずげな表情を浮かべ、何故かチラリとダンの方を見る。
突然視線を向けられたダンは、自分がなにかしてしまったのかと首を傾げた。
「あの僕がなにか?」
「ああいや、不躾に見てしまって申し訳ない。えっと、君は?」
「ダンと言います。シエナとは妹共々仲良くさせて貰っています」
ダンの言葉に、殿下や騎士たちがどよめいた。
何故か悲痛な面持ちで、マジか……これは荒れるだろうなぁ。などと呟いている。
何やら様子がおかしいが、私はここに来た理由を殿下達に説明した。
「私、イーサンが崖くずれに巻き込まれたって話を聞いたんです。心配で居ても立っても居られなくて。それでダンとともにイーサンが巻き込まれたっていう場所まで来てみたんですけど……」
「なるほどな、それでここまで来たのか」
納得する殿下に、私は尚も質問する。
「あの、イーサンは大丈夫でしょうか?」
「イーサンは崖崩れに巻き込まれてはいない。まあ、崖からは落ちてはいたがな」
「そ、そんな……じゃあ噂は本当だったんですか?イーサンが死んだって……」
「いや、死んではない」
状況によっては心が死ぬかもしれないけども。そう一言呟いて、殿下は再びちらりとダンの方を見た。
「死ぬかもしれないって、そんな危ない状況なんですか?……あの、こんなこと頼んだら王女殿下が怒るかもしれないんですけど、せめてひと目だけでもイーサンに会わせてもらえないでしょうか」
イーサンの容態が気になって必死に縋る私に、殿下は真面目な顔つきで尋ねてきた。
「もちろん会うのは構わないし、会ってもらいたい気持ちもある。けれどその前に一つだけ確認したいことがあるんだ。シエナ、ダンとは一体どういう関係————」
殿下が私に何かを尋ねようとした時、背後でガランガランと何かが落ちる音がした。
その音に殿下の肩がビクリと揺れ、酷く焦った顔になる。
周りにいた騎士たちも、何故だかあわあわと動揺しているようだった。
そして……
「————シエナ?」
私の名を呼ぶその声に、私の心臓はどきりと跳ねた。
忘れたことなどなかったその声は、聞き間違いじゃないのなら今一番会いたいと思っていた相手の声で……
「イーサン?」
どきどきと煩い心臓の音が耳の奥で響いている。
恐る恐る振り返ると、そこには酷く驚いた顔で私を見つめるイーサンが立っていた。
足元に大量の木の枝が落ちていて、さっきの音は火に焚べるための枝を地面に落とす音だったのね……と私は場違いなことを考えた。
「シエナ……?シエナがいる。いや、そんなまさか……」
目を丸くして私を見つめるイーサンは3年前よりも少し痩せていたけれど、その他は特に変わりなく、怪我もしていないように見えた。
3年間ずっと忘れられなかった人がそこにいる事実に、私は嬉しさのあまり我を忘れてイーサンの元へ駆け寄りそうになる。
けれど、パッと王女殿下の顔が頭に浮かび、足を止めた。
————イーサンには王女殿下という婚約者がいるのだから自重しないと。
自分にそう言い聞かせながら、私は酷く締め付けられる胸を抑えた。
「本当に、シエナなのか?」
動揺しながらそう尋ねるイーサンに、私はぎこちない笑みを浮かべながら返事をする。
「うん。久しぶりだねイーサン。あの……私、イーサンが崖崩れに巻き込まれたっていう噂を聞いてここまで来たの。崖から落ちたって聞いたんだけど、怪我がなさそうで安心したわ」
そのまま何も答えず呆然と立ち尽くしたままのイーサンに、私は恐る恐るもう一度名前を呼んだ。
「あの、イーサン?」
その声に堰を切ったかのようにイーサンが私の方へ駆け寄ってきた。そして、そのまま私を強く抱きしめた。
「シエナ、シエナがいる……!夢じゃない、本物のシエナだ。会いたかった!」
何度も私の名を呼ぶその声は本当に喜びに溢れていて、私は今にも泣いてしまいそうだった。
「私も……会いたかった」
思わず素直な気持ちを口にすると、イーサンは更に抱きしめる力を強くした。
「ずっと、ずっと会いたかったんだ!シエナがいなくなって、何処に居るのかも分からなくて……この3年間、ずっとシエナのことだけ考えてた。王女殿下が追い出したんだと分かった時は、怒りでどうにかなりそうだった。中々口も割らないし、漸くシエナのいる場所が分かった時にはもう3年も経ってて……。急いで会いに来たけれど、もしかしたらシエナは俺のことを忘れてて他の誰かと幸せに暮らしてるかもしれないと思ったら……目前で怖気づいて、それで……」
ポロポロと気持ちを吐露するイーサンに、私はじっと耳を傾けた。
どうやらイーサン達は、王女殿下から私の居場所を聞きだして、すぐさま私に会うためにここまで来てくれたようだった。
「イーサン、探しに来てくれてありがとう。それに、殿下達も」
嬉しくて、心が満たされていく。
二度と会えないと思っていたけれど、心配してわざわざ会いに来てくれたのだ。
それだけで、私には十分だと思った。
このまま抱きしめられていたら、ずっと側にいて欲しいなんて、欲深い気持ちが溢れ出してしまいそうだ。
そんなことを考えて、私はぶんぶんと首を振る。
イーサンには王女殿下がいるんだから……。
離れがたくなる前に、私はイーサンの腕の中からそっと抜け出した。
「イーサン、婚約者がいるのにこうして会いに来てくれて本当に嬉しかった。……結婚しても、幸せになってね」
そう言って離れようとする私を、イーサンが力いっぱい引き止める。
「……まって、シエナ。婚約者?結婚って……もしかしてシエナ……結婚するの?」
やっぱり間に合わなかったんだ……と絶望を孕んだ声で呟いて、イーサンはハッとダンを見る。
「もしかして、君が……」
殿下や騎士団の面々も、何とも気まずそうな表情でダンに恨めしい視線を向けた。
視線を向けられたダンは、会話の流れで全てを悟って「ああ、なるほど」と言葉を漏らした。
「先程、殿下たちが私を見て気まずそうにしていた意味が分かりました」
そうして困ったように笑うとイーサンに一言言葉を添える。
「私はシエナの婚約者ではないですよ。シエナとは妹を通じて親しくしているだけで、勘ぐるような関係じゃありません」
だから安心して下さいと言うダンの言葉に、イーサンだけでなく殿下や騎士団までもがほっとしているようだった。絶対恋人かと思ったよな、なんて皆して零している。
「じゃあ、一体どんなやつがシエナの婚約者なんだ?」
イーサンに困惑気味に尋ねられ、私は3年前に王女殿下から聞いた話をイーサンにした。
「私の話じゃないわ。イーサンの婚約者よ。イーサンの婚約者は王女殿下なんでしょう?」
そう王女殿下に聞いたけど、と言うとイーサンは酷く驚いた顔をする。
「えぇ!?王女殿下が婚約者だって……?そんな訳ないよ。以前、確かに好意は伝えられたけど、丁重に断ったんだ」
俺はシエナが好きだからって……少し顔を赤くして、イーサンがそう口にした。
「本当に?王女殿下は婚約者じゃなかったの?」
「違うよ!俺はシエナがずっと好きだったから、今だってその気持ちは変わらないし……」
頬を赤らめて恥ずかしそうに話すイーサンに、私はおずおずと尋ねた。
「じゃあ、私、このままイーサンを諦めなくてもいいの?」
その言葉にイーサンは再び勢いよく私を抱きしめた。
「勿論いいに決まってる!3年経って遅すぎるかもしれないけど、また俺の側にいてくれるなら死ぬほど嬉しい」
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるイーサンに、私の瞳に薄っすらと涙が滲む。
もう二度と会えないと思ってたのに……。
私の心に温かいものが込み上げてくる。
「ずっと、イーサンの側にいる」
我慢しきれなくて泣き出した私を、イーサンが今まで以上に強く抱きしめた。
その後、騎士団の皆が私達のところに集まって「良かったな!」と泣きながらお祝いの言葉を掛けてくれた。
話を聞いてみれば、3年越しの私達の恋の行方がどうなるのか気になって、見届けるためにイーサンに付いてきたのだと言う。
「いやぁ、一時はどうなることかと思ったよな。あんなに意気込んでシエナに会いに行こうとしてたイーサンが、シエナのいる村目前で怖気づいて『王宮に帰ろう』なんて言い出すからさ」
「そうそう!逃げ出そうとするイーサンを俺たちが追いかけ回してたら、うっかりイーサンが崖から落ちるし」
あれは死んだと思ったよな〜、と大笑いする騎士たちの話に、私は噂の真相を垣間見た気がした。
そうして騎士たちと話していると、少し暗い表情をした殿下が私達の元へやってきた。
「すまない、2人とも。謝って許されることではないが、愚妹のせいで2人に多大なすれ違いをさせてしまったようだな」
まだ何か隠してると思ったが……振られた腹いせにシエナにそんなことを言っていたとは。そう言って殿下は妹である王女殿下がしでかしたことに非常に腹を立てていた。
「いいんです。こうしてイーサンとまた一緒にいられますし、私はもう怒っていません」
私の言葉に殿下はブンブンと首を振る。
「いや、シエナが怒っていなくても、何かしら償うべきだろう。聖女を私怨で追い出し、あまつさえ嘘を吐くなんて……同じ王族として恥ずかしい限りだ。どんな処罰を与えようかと迷っていたが、あいつが最も嫌がっていた隣国の王の何番目かの側室に入る件を進めるように陛下に進言しておこう」
あそこの側室は、過激な者ばかりだからな。せいぜい他の側室達に揉まれてくればいいんだと、苛立たしげに吐き捨てた殿下の顔には、少しばかりの憂いが見えた。
王女殿下には少しばかり同情する気持ちもあったけれど、3年間すれ違う羽目になったのだ。後の処理は全て殿下に任せることにした。
その後、マリアが心配するから今からダンと共に村に帰ると告げると、「俺がシエナを連れて行く!」と言い出したイーサンに連れ立って、殿下や騎士団達もそのまま村までやってきた。
そして村に着いた時、何故か村中の人が集まって私達を出迎えてくれた。
「シエナ、お帰り!」
「ただいま、マリア!」
馬から降りた私の元へ、マリアがパタパタと駆け寄ってくる。
私の横に立つイーサンを見て、「良かったわね、シエナ!噂は間違ってたのね」とマリアは一緒に喜んでくれた。
そして私とマリアの様子を見て、村人達も嬉しそうに駆け寄ってきた。
「やっぱり婆さんが言ってた、シエナが結婚相手を連れてくるって噂は本当だったんだな!」
「そうでしょう?普段はしない立派な指輪をつけて、会いたい人がいるって叫んでたから、きっと結婚相手だと思ったのよ!」
「まさか相手が死んだはずのイーサン様だなんて!イーサン様は、シエナの為に死をも乗り越えたんだなぁ!」
「折角この村まで来てくれたんだ!今から祝杯を上げようぜ!」
「どうせなら、神父様もいるから式も上げちまおう!」
駆け寄ってくるなり口々にそう騒ぎ始めた村人に、私は慌てて声を上げる。
「いや、ちょっと待って……!!誤解だから!」
そう言って必死に誤解を解こうとする私の顔を、横に立っていたイーサンが不満そうに覗き込んできた。
「誤解なの?俺はシエナと結婚したいと思ってるんだけど?」
そう言って拗ねたような顔をするイーサンに、私は思わずブンブンと首を横に振る。
「えっ!わ、私だって……イーサンとなら結婚したいわ!」
反射的に本音を言うと、イーサンは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあさ、今から結婚しようよ」
正式な式はまた後日すればいいからさ、そう言っていたずらっぽく笑ったイーサンに、私は顔を赤くして、おずおずと一度頷いた。
皆の歓声が夜中の村に木霊して、その日は一晩中、村中が騒がしさに包まれた。
————それからというもの、村では夜に式を挙げると幸せになれるという噂が出回るようになったのだが……あながち間違った噂でもないので、私とイーサンはその噂を受け入れている。
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